第319話 甲子園の日々
かつてライガースは八月に弱かった。
いや、今でも比較的、弱いといって良いだろう。
カップス戦からレックス戦、アウェイを移動する。
だがまだここは、移動に一日休養日があった。
次は一応ホームゲームで、大阪ドームを使わせてもらえる。
大阪のライガースファンからすれば、むしろありがたい交通事情の人間もいるだろう。
東京から大阪まで戻ってきて、そのまま試合となる。
甲子園が始まっている。
そのためライガースは、アウェイか大阪ドームという、きつい日程になっていく。
移動してすぐの試合というのは、やはり辛いものがある。
もっともMLBの飛行機連続に比べれば、フィールダーはたいしたことはない。
ピッチャーがあがりもなく帯同しているため、一番NPBよりは辛いはずだ。
しかしNPBのピッチャーは、野手よりもMLBで活躍しているのである。
大介はここまでに、既にトリプルスリーを達成している。
正確には打率だけは、まだこれから下がっていくのだが。
現時点で残りの試合を全て休んでも、おそらくは三冠王にトリプルスリーが加わる。
もちろん個人成績のために、ここで休むわけにはいかないが。
八月に入ってから、打率が月間打率が二割台の前半となっている。
大介としては完全に、これはスランプであると言えよう。
もっともシーズン通算で見てみれば、やっと四割を切ったというところ。
どんなバッターでも、調子の悪い時期はある。
重要なのはその時期を、どれだけ短くするかということだ。
どこからおかしくなtったのか。
直史と対戦する前から、一応打率は落ちていた。
ただ決定的になったのは、あの一戦であるという気はする。
四打席二打数0安打。
このシーズンこれまでも、ヒットが一本も打てない試合がなかったわけではない。
しかし直史の申告敬遠には、全く悲壮感がなかった。
他のピッチャーは敬遠となると、どうしてもそこでメンタルが揺さぶられる。
だからこそ出塁した大介は、それなりにホームに帰ってくることが出来たのだが。
打率が二割の前半なのに、出塁率は五割。
どれだけピッチャーや相手のベンチが、大介を恐れているかが分かる数字である。
ヒットは五本しか打っていないが、単打は一本に二塁打とホームランが二本ずつ。
なんとも歪な打撃成績だ。
ここだけを見たら、何をどう判断していいのか、さっぱり分からなくなる。
もっともMLBでも、打率がなんと一割台でありながら、ホームランを30本以上打っている選手はいた。
そういう選手が代打にいれば、相手は相当のプレッシャーを受けるのだ。
出来れば打率が低くても、出塁率は高くあってほしい。
そして足まで速ければ、それで最高となるものだが。
大阪ドームでのカップス戦となる。
甲子園の近場の西宮から、大介などは通えなくもない。
だが交通事情を考えれば、やはり近くのホテルにチームで宿泊すべきである。
クラブハウスも使うのだから、試合に遅れる可能性はまずないであろうに。
「カップスとの二戦目が、白富東の一回戦か……」
レックスとのカードが終わった時点で、既に6チームが敗退して甲子園を去っている。
そしてカップスとの第一戦の前にも、さらに三つのチームが消えていた。
一回戦は今のところ、近畿のチームは全て突破していた。
やはり近畿の地元勢や、四国に中国といった準地元勢は強い。
また沖縄もそれなりに、大阪などに出てきている人間が多いのだが、その沖縄は一回戦が大阪光陰であった。
去年の夏は理聖舎に負けて甲子園を逃していたが、今年はセンバツにも大阪から2チームで出ていた。
そして危なげなく、一回戦を突破している。
ここのところは帝都一が圧倒的に強く、また白富東と桜印がそれに続く、といった感じであった。
去年の夏は、昇馬一人で決勝まで、全試合を投げぬいたものであるが。
センバツも球数制限さえなければ、おそらく勝っていたと言われている。
大介の目から見ても、おそらくそれは間違いではないと思えた。
上杉もでたらめな強さであったが、昇馬は今のところさらにその上を行っている。
甲子園をネタにして、大介に話しかけてくるメンバーもいる。
大介が注目するのはやはり、近畿と関東のチームである。
千葉に帰れば自然と、そういった話が出てくるのだ。
帝都一は今年、去年よりも少し、投手力が落ちている。
なのにセンバツで勝てたのは、運が良かったからと言えるだろう。
将典が昇馬の球数を削る勢いで、白富東を延長まで抑えていなかったら、決勝の途中で交代する必要はなかった。
白富東は間違いなく、去年よりも戦力は強化されている。
ベンチメンバーに一年生が、五人も入っているのだから。
その中の一人が、スタメンに入っている。
打撃力が上がったことは、それで間違いないのだ。
また帝都一とも桜印とも、準決勝までは当たることがない。
逆にこの2チームは、当たる可能性がある。
潰し合いをしてくれたなら、かなり楽になるのではないか。
もっともそこに行くまでに、白富東も大阪光陰など、他の強豪と当たる可能性は普通にあるのだ。
「一回戦が桜島で、二回戦が多分名徳かあ」
試合の前に新聞を広げて、大介はそのあたりをチェックしている。
大介は結局、上杉とは高校野球の公式戦で、戦うことはなかった。
しかし今その息子同士が、それぞれのエースとして戦うというのは感慨深い。
ただ大介は、ピッチャーなどほとんどしていなかった。
一応はMLBにおいても、行方の決まった試合などで、投げていることはあったのだ。
それでも基本的に、ショート一本で通したものだ。
この大会三日目には、わずかな番狂わせがあった。
埼玉の花咲徳政が、新潟の新興校に負けてしまったのである。
また甲子園常連となってきていた、明倫館も負けている。
その時間帯には、大介は試合前の練習をしていて、あまり見ていなかったのだが。
高校野球は難しい。
プロ野球が簡単というわけでもないが、143試合もやっていればおおよそ、実力通りの順位になるのだ。
一発勝負のトーナメントなど、今ではもう怖くてやっていられない。
そもそも大介はピッチャーが勝負を避ければ、点に絡むのが難しくなるのだ。
守備での貢献も、ちゃんと出来ることはあるのだが。
ここの8チームの中から、勝ち上がりそうなのは尚明福岡だろうか。
すると白富東と、準々決勝で戦う可能性はある。
前残りの4チームと、大会一回戦入りの4チームで、それぞれのベスト4入りを決めるのだ。
もっとも一回戦の相手からして、桜島実業。
あの夏を思い出させるものである。
そんな大介は集中力を欠いていた。
逆境のプレッシャーなどに関しては、圧倒的に強い大介である。
だが他者の、自分ではどうにもならないことに直面すると、揺らいでしまうところはある。
昇馬は自分よりタフかもしれないと思いつつ、息子のことを気にしてしまう。
今のライガースの成績は、レックスに追いつくために、重要な段階であるというのに。
このあたり直史は、感情と肉体を完全に、分離しているように見える。
もちろんそれはないが、比較的大介よりも分かれているのは確かだろう。
大介は応援されれば応援されるほど、パワーの出る人間である。
また逆にプレッシャーをかけられたり、ブーイングを浴びたりしても、それを力に換えてしまう。
ただ他人を心配していると、普通に性能が落ちるのだ。
人間だから仕方がない。
しかし白富東の一回戦の前日、カップス相手の試合で大介は、スイングが完全ではなかった。
もちろんそういう日も、ある程度修正してくるのが大介である。
また相手が勝手に大介を警戒し、チャンスを作ってくれたりもする。
ただ打席において、勝負してもらった時に、ホームランを打てない。
打てるはずのものが打てないと、そこからスランプがやってきたりする。
だがスランプというのは、しばらくしてからでないと、そう気付かないものなのだ。
また大介は普通に、ヒット一本ぐらいは打って、打点もちゃんとついたりする。
なんならホームランも出なくはないのに、それでスランプとされてしまう。
これは本当に後から見て、この時期の成績が悪いな、と判断されるものなのだ。
重要なのは一選手の不調が、どこまでチームに影響するか。
四番が打てなければ、それはもうチームとしては不調にもなるだろう。
しかし大介は二番バッターであるのだ。
主砲であることは間違いない。
だが日本の野球の空気的には、やはり四番を重視するという雰囲気がある。
OPSが1を超えていて、出塁率も五割に達している。
そんな選手が不調であるなど、どうやって判断すればいいのか。
早々に対応をしておけば、悪くはならなかっただろう。
だが気付くのが遅ければ、修正にも時間がかかるようになるのだ。
ライガース戦で勝ち越したレックスは、ほっと一息である。
ここからのライガースは、おそらく少し勝率を落としてくる。
……落としてくれたらいいな、と考えているのだ。
そして続くのは、東京ドームでのタイタンズとの試合。
悟がベンチに戻ってきているが、かなり早めの復帰ではないのか。
ただスターティングメンバーには入っていない。
痛めたところが膝だけに、守備の負担は大きいとでも考えているのだろう。
だからまずは、代打でどう打ってくるか、というあたりを見極めるのではないか。
この日のレックスの先発は塚本である。
オールスターなどのスライド登板で、そもそも七月には一度しか、先発として投げていない。
またその試合も勝てておらず、ちょっとピッチングにもぴりっとしたところがないのでは、と思えてしまう。
今季はこれで12試合目の先発。
それで3勝3敗というのは、レックスのローテ投手としては微妙である。
大卒即戦力と言われて、ローテの中でそれなりに投げる。
確かにこれでも充分、即戦力の内ではあるだろう。
七回まで投げた試合もあり、充分なスタミナも証明している。
ただクオリティスタートが安定していない。
普通のローテーションピッチャーならば、また違うローテーションピッチャーが入ってきた場合、試されてポジションを取られてしまうかもしれない。
プロの世界というのは、それだけ圧倒的な力を持たなければ、続いていけないものであるのだ。
ちゃんとファンがついたならば、またそれも別の話。
また高卒であったりすると、素質枠としてその期間が数年、大卒よりは長くなる。
そう考えると木津などは、本当に少ないチャンスを、どうにかもぎ取った人間なのだ。
試合自体はホームのタイタンズが、有利に展開を進めていった。
ピッチャーがあまりよくなければ、やはり点を取られるレックスである。
守備がいくらよくても、それは仕方のないことだ。
(前の試合もフェニックス相手に、クオリティスタートは決めてたんだよな)
結果的には負けていたが、そこは評価すべきであるだろう。
ブルペンの豊田の隣りに、今日は直史はいない。
千葉からドームまでは、それなりに近いことは近いのだが。
果たしてリリーフをどのように使っていくのか。
昨日の試合では三人、しっかりと勝ちパターンを使っている。
また第二戦と第三戦は、三島とオーガスが投げる試合。
ここを確実に取って、勝ち越していけばいいのではないだろうか。
勝っている展開でなければ、絶対に使わないのは確かだ。
またタイタンズにしても、ベンチに悟がいるというのは、いざという時に点を取りにいける。
そのいざという時が、七回のタイミングでやってきた。
点差はタイタンズが一点をリードしていて、ワンナウト一二塁。
ここでもう一点ぐらい取れれば、レックスは素直に諦めるのが、粘り弱いと呼ばれるゆえんか。
膝の怪我からは、なんとか超特急でリハビリをやってきた。
ただタイタンズのフロントとしては、順位をどう考えるのか、複雑なところなのである。
ドラフトの順位のためには、五位でフィニッシュしても仕方がない。
最下位でさえなければ、どうにか我慢が出来る。
もっとも現場の首脳陣については、ある程度刷新する必要が出てくるであろう。
しかしフロントは責任を取らない。
編成に関してはちゃんと、毎年注文通りの選手を取っているのだ。
またFAなどによる強化も、しっかりしているのがタイタンズである。
さらには外国人までも入れている。
これでどうして勝てないのか、フロントとしては不思議なことなのだ。
現場からするとあまり、FAで選手を取りすぎると、若手の不満が増したりするのだが。
難しい話なのである。
タイタンズは現状、三軍制を取っている。
二軍はファームの試合で、実戦経験を積んでいる。
それに対しては三軍は、二軍の試合に出ることもあるが、大学生などを相手として練習試合をすることがある。
大学時代の直史は、そういった練習試合で登板することは、ほとんどなかった。
だが投げれば勝っていたので、監督も何も言えなかったのである。
チームには登録される支配下の選手は、70人までである。
だがここに入らない、二軍や三軍の選手もいる。
素質枠で入ってきた選手などは、しっかりと体作りをして、そしてやがては一軍に巣立っていく。
もっとも一軍で一度も試合に出ず、引退して行く選手も大勢いるのだが。
レックスは正直なところ、貧乏というほど貧乏ではない。
もちろん無限に選手の獲得に、金をかけられるというものでもないが。
ただ出来るだけ獲得する選手は絞り、そこからしっかりと育成をしていく。
このあたりの選手を絞るのと、しっかりと育成をして行くのと。
これが上手くいかないのなら、チームとしても機能しなくなる。
レックスは直史が現役であるうちに、もっとチームとしての体制を強化したい。
せっかく増えたファンなのだから、それを継続的なものにしたいのだ。
確かに直史目当てで来たとしても、他の選手の活躍に、目を奪われることはあるだろう。
そういう場合に新たなファンとなり、球団に金を落としてくれる存在になってくれれば嬉しい。
ピッチャーは比較的若手とベテランが揃ってきた。
何よりも扇の要のキャッチャーが固定化されているのが大きい。
ただ野手に関しては、さすがに緒方の後継者をどうにかしないといけない。
守備力などの他にも、とにかく打席に立ったとき、無駄にアウトにならないのだ。
それが緒方の職人めいたところである。
ショートは内野の中で、最も身体能力が必要だという。
緒方はショート経験も長く、そして今はその経験を活かして、セカンドをやっている。
セカンドはやはり重要で、判断のスピードが一番求められる、とも言われる。
ここを上手く新戦力に移行できたら、レックスはしばらくAクラスを維持できるであろう。
もっとも優勝争いにまで食い込めるかは、絶対的な核となる選手が必要になるが。
直史はチームの核ではない。
戦力の核ではあるが、チーム全てを引っ張っているのは、今の時点では緒方であろう。
また今後は迫水が、内野へのサインなども出していかなければいけない。
ただそうすると迫水に、考えることが多くなりすぎてしまうのか。
直史の圧倒的なピッチングは、強力な武器であるのは間違いない。
しかしそこに、人間性というものはない。
相手の心を折る悪魔のようなピッチングであっても、直史自身は機械的。
常に一番勝てるパターンを、分析した上で投げているのである。
エゴがないわけもないが、それを勝利のために最優先している。
今日などはのんびりと家にいたわけでもなく、週末なので用事が入っていた。
だから悟の復帰の打席も、リアルタイムで見ることはなかった。
代打で出てきた悟は、その打球がフェンスを直撃。
二点を追加したことで、この試合の勝敗は決したのである。
この敗北はまだ、想定の範囲内。
むしろタイタンズはここで、強いピッチャーを当ててきたのだ。
そこで負けたのだから、仕方がないとは言える。
復帰したばかりの悟を、敬遠して満塁というのも、ありえない話だ。
重要なのは残りの二試合。
ここをしっかりと勝っていけば、ライガースとのペナントレース争いを制することは出来る。
シーズンもこのあたりになってくると、首脳陣は駆け引きを行っていくのだ。
個人タイトルに関しては、もう直史が全部取ってくれて、あとはセーブ王も平良が取る勢いだ。
中継ぎにしても大平が、相当にいい数字なのは間違いない。
他の球場でやっていた、各チームの結果も更新されていく。
その中ではライガースも、カップスに負けているのが分かったのだ。
可能性としてはともかく、実質的にはペナントレースは、もうこの2チームだけの戦いとなっている。
差を縮められないのなら、ピッチャーを温存するのも、作戦の内なのだ。
明日からの二試合、三島とオーガスでしっかりと勝つ。
そのためにもちゃんと、リリーフ陣を休ませているのだから。
なおこの日、直史は翌日の甲子園のことを、かなり綿密に考えていた。
一回戦で桜島と当たるというのは、自分たちの二年の夏を思い出す。
そおしておそらく二回戦も、名徳になりそうなのは確かである。
問題は昇馬のピッチングに対して、全国規模でどういう作戦を、立てているかということだ。
あのピッチャーから点を取れなければ、優勝はないのだ。
その一点をとるということを、酷く難しくしてしまっている昇馬である。
桜島は鹿児島県大会でも、全試合二桁安打で、代表となったチームである。
そんなチームに対しても、昇馬は通用するのか。
(いくら打撃が強くても、平均的には帝都一や尚明福岡の方が上だ)
圧倒的な長打力は、今でも健在であるらしいが。
のんびりと試合を家で見てから、練習には参加すればいい。
そのあたりローテのピッチャーとして、直史は最大限に己の特典を利用する。
データの分析などを、鬼塚はどうやっているのか。
少なくともバッティングに関しては、去年よりもかなり、恵まれてきたと言えるであろう。
懐かしい記憶を、強い感情と共に思い出す。
また甲子園が、始まっているのである。
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