第318話 明日のための敗北と勝利
敗北から得られるものがある。
勝利から得られるものがある。
敗北からしか得られないもの、勝利からしか得られないもの、どちらもある。
とりあえず大介に挑んで、一発を打たれたのは糧とすべきだろう。
もっともこの試合、大介は当たりがいい打球はあったが、ヒットになったのはホームランが一本だけ。
最後にはやはり敬遠されたので、四打数の一安打という具合になった。
あの一発がなかったら、とは確かに言えるであろう。
もっともあそこで勝負を避けて、また次で打たれていたら満塁ホームランである。
大介に打たれたからこそ、集中が途切れてしまった、とも言えるのだろうが。
一番の敗北要因は監督の交代が遅かったこと。
大介に打たれた直後に代えていれば、次の勝ち越しホームランは、かなり確率が低かったであろう。
バッテリーだけではなく、監督である西片にも、学ぶべきことはあった。
警戒すべき時に、強打者と勝負してはいけない。
それにホームランを打たれてもまだ同点と思っていたのなら、すぐに気分を変えさせるか、ピッチャーを代えるべきであったのだ。
それだけ大介のあっさりとしたホームランに、ショックを受けていたのであろうが。
最初の前提としていたことを忘れたのが、ベンチの最大の失敗であった。
ブルペンから確認もするべきであったのかもしれないが。
ともかくライガースの試合をしてしまって、そして敗北した。
この形での敗北の後の第三戦は、ちょっと投げにくいものである。
しかしこの第三戦は、先発が木津である。
相手の打線の強さに限らず、自分のピッチングをすれば結果が伴うピッチャー。
事実今年はこれまで、ライガース相手に三先発しておいて、勝ち越しているのだ。
内容もクオリティスタートとハイクオリティスタートで、充分な結果を残していると言える。
もっともピッチングの内容が、去年よりも研究されているのは確かだ。
プロのピッチャーはシーズンごとに、あるいはシーズン中であっても、進化か変化をしていかなければいけない。
ここ最近の木津のピッチングは、また少し変わりつつある。
レックスのピッチャーはそのいずれもが、何かを直史から吸収している。
単純なパワーピッチャーでないだけに、技術的に特別なことを色々としているのだ。
誰もが身につけたいと考えるのは、あのコントロールである。
たださすがにコントロールは、完全に教えることなど出来ない。
ピッチャーの、しかもプロで投げるレベルであると、そのピッチングはもう特殊技能なのだ。
木津の遅い、しかもそれほどコントロールのよくないストレートでも、充分に器用な部類に入る。
見習うべきところと、見習ってはいけないところがある。
世の中にはこれを、区別するのが大変に難しい。
なぜならば本来、それはどちらも武器であるのだから。
しかしそれは直史だから武器に出来ることであって、本質的には絶対的な価値があるものではない。
コントロールがいいというのは、たった一つの場面では役に立つ。
ただ統計的に投げていくなら、そんなものは必要ない。
実際にライガースとの第三戦、木津は上手く噛み合った。
ライガースの打線が、木津と噛み合わなかったと言うべきであろうか。
(ヒットまでなら普通に打てるんだけどな)
基本的に反応型の大介でも、全く頭を使わないというわけではない。
だが木津は下手に考えると、逆に打てなくなるピッチャーだ。
それはひとえに、コントロールが悪いため、絶好球が来てしまったときに、力んでミスショットなどをするからだが。
第三戦、木津はちゃんとコーチ陣から、アドバイスをもらっている。
「普通にやれ」
直史のそれは、ものすごくシンプルなアドバイスであった。
「普通に……」
「迫水に組み立ては任せて、あとはボールをしっかり投げることだけを考えればいい」
もちろん相手のチームによっては、こんなアドバイスはしない。
おそらく今、木津にとって一番相性が悪いのは、カップスの打線である。
ライガースの打線相手も、それほどいいとは言えない。
だが強力打線であっても、それなりに通用するのは間違いない。
本格派ピッチャーが長打で崩されるのが、ライガース打線。
大介を下手に歩かせると。三番から五番でホームランを狙ってくるからだ。
初回の大介の打球は、大飛球でフライアウトになった。
ミートがあと1mm違っていれば、スタンドに入っていたであろう。
だがそのわずかな攻防が、バッティングの技術の極みである。
(遅いのに打てない、という苛立ちがむしろ、バッティングに邪念を入れてくるんだろうな)
若い頃の自分であったら、確かにまだ打てなかったであろう。
だが経験の蓄積により、大介は対応出来るようになっている。
MLBにもここまで極端ではないが、同じ系統のピッチャーはいたのだ。
もっともあちらは本当に、球速の段階でピッチャーから排除する、という動きが固定化しているが。
いずれまたトレンドが変化する時がくるだろう。
フィジカル全盛の流れが、変化するとは思えない者が多いだろうが。
フィジカルをどう高めていくかが、これからのスポーツ全般の課題。
技術競技でさえも、まずアスリートとしての能力が必要、という時代になっている。
つまらない標準化の時代ではある。
自分が活躍することが、野球という世界のピッチングという分野を、小さくしないように食い止めていると、直史は理解している。
だがさすがにもう、数年が限界ではあるだろう。
その後にこういった、技巧派と言うよりは変則派として存在してもらうために、木津の役割は大きくなる。
フィジカルを鍛えるのは、確かに圧倒的に効率的だ。
しかしそれぞれの個性を活かすというのも、必要なものであるのだ。
速くて、動く球が投げられて、決め球となる大きな変化球もある。
そういったピッチャーばかりになるのは、つまらないものである。
あとはもう、どれだけ最高速度を上げていくか、という話になるのだろう。
緩急も重要なのだが、これが投げられる器用さを、持っていないピッチャーも多い。
武史などもチェンジアップを投げるが、140km/hオーバーのチェンジアップであるのだ。
木津のようなピッチャーが、プロで活躍しているということは、重要な事実である。
出来れば200勝は無理としても、100勝ぐらいはいってくれないか。
今のNPBにおいては、昔の100勝とはまったく勝利の価値が違う。
完投がメインの昔であると、勝ち星と負け星がどちらも多くなるのだ。
そんな中で400勝してしまう上杉は、間違いなく化け物である。
復帰して1シーズン投げれば、並びそうな武史も化物であるが。
もちろんこの二人を化物呼ばわりする直史は、それ以上の何かである。
(人は自分のことが一番分かってないって、よく言うよなあ)
木津はそう言うが、プロでこんな球を投げている木津も、相当の異端者ではある。
この木津のピッチングは、バッター一巡目は上手く抑えられることが多い。
二巡目以降はキャッチャーとバッテリーで、色々と工夫しなければいけないのだ。
キャッチャー迫水の場合、その日に組むピッチャーによって、バッター迫水のパフォーマンスが変わってくる。
前日の百目鬼がパワーピッチャーであった、というローテの並びもいいのだ。
そうすると木津とのイメージの差で、より打ち取りやすくなる。
相手のピッチャーを見ていても、自分はこいつと組んだ場合、どうリードするだろうと考える。
打てないキャッチャーが増えている現在、迫水はそうやって打率を高めている。
これで長打もそれなりに打てるのだから、オールスターにも選ばれるというものだ。
だが他のキャッチャーも、同じ事は考えているはずなのに、なぜ打てないのか。
組まされるピッチャーが直史だから、ということはあるだろうか。
より深く考えなければ、キャッチャーとしてのリードが出来ない。
いまだに直史はある程度、自分でサインを出している。
だからこそ迫水は、持っている球種の中から、どういったものが投げられるのかを考える。
そして失投は逃さないのだ。
実際のところ一打席の中に、本当のチャンスになるボールなど、一度ぐらいしかないのだ。
それを逃してしまえば、あとは出塁を考える。
大介にしても打てないボールを、無理に打っているから打率が五割に届かない。
しかし四割を打っているあたり、本当に性能がおかしいのである。
ほどほどに動いていく試合であった。
先制点はレックスが取って、大介もホームランは出ないが打点はつく。
そして終盤に入っていくと、レックスがリードしていた。
ここから磐石の勝ちパターンリリーフであるが、ライガース打線相手だと、それが上手くいくとも限らない。
もっとも下手に悩むことなく、あっさり投げてしまった方が、結果は良くなるというのはある。
ブルペンではしっかりと準備をしていた。
今日は必要になるな、という流れがなんとなく見えていたのだ。
4-3というスコアから、七回に国吉を投入。
ここでまずは抑えて、その裏にレックスが一点を追加した。
八回の表は、大平がマウンドに登る。
パワーピッチャーとしては、日本でも今や五指に入るスピードは持っている。
球のコントロールが荒れるのも、むしろ長所として考える。
素質だけならばメジャー級だが、メジャーで通用するためにはもう少し、頭を良くしなければいけないだろう。
最終回において二点差というのは、まず平良にとってはセーフティリードだ。
それでもここは大介の打席で、フォアボールを出してしまった。
無理に打ちにいけば、ミスショットになったかもしれない。
ボール球にもしっかりと、力を入れて投げるあたり、平良は性格がクローザー向けだ。
そして後続のバッターの進塁打などの間に一点は取られたものの、なんとか一点差で逃げ切る。
この時期のライガースを相手に、勝ちこしてカードが終わった。
木津はある程度、ほぼ間違いなく点を取られる。
だがプロの世界ならそれでいいのだ。
高校や大学などの、アマチュア世界では無双していたかもしれない選手たち。
だがそれでもプロに来れば、平均より少し上、という性能になってしまったりする。
怪物と言われる選手で初めて、ルーキーイヤーからエースになったりする。
なおMLBではそういうことはまずない。
そういった怪物たちは、確かに客を呼ぶのだろう。
だがピッチャーが全員、怪物であるのはありえない。
そもそもピッチャーが今は優位だ、と言われる時代である。
143試合のうち、30試合も先発は出来ない。
他のローテを埋めるため、絶対にピッチャーはたくさん必要だ。
そのため毎年、一位でピッチャーを指名するのが多いのだから。
木津のようなピッチャーが、三年ほどもローテを守ってくれれば、編成としては充分なのだ。
もちろんさらに長く、ローテの五番手あたりにいればなおいい。
守備に助けられている面もあるが、クオリティスタートは充分な数字なのだ。
もっともまた野球において、何か革命的な発見がされるかもしれないが。
木津の高めのストレートは、かなりの威力があるのだ。
直史の場合はもっと、考えてから高めのストレートを投げる。
だが木津はもっと少ない球種なのに、ストレートの威力が高い。
奪三振率は、去年は直史よりも上であったのだから。
もちろんピッチャーは年を経るごとに、研究されて丸裸にされていく。
その時に球速があれば、自分を信じられるのかもしれない。
ともあれこれで、また少し差をつけた。
直接対決で勝ち越すということは、単純にリードを取るより、重要なことである。
もっともこれでも、まだ今年全体としては、ライガースの方が一つ勝ち越している。
そのあたりが野球の相性というところだろうか。
木津は去年もポストシーズン、決定的な試合で勝っているのだ。
勝負運もあると言っていいのかもしれない。
次は東京ドームでの、タイタンズとの三連戦。
なおタイタンズは主砲の悟が、そろそろ二軍の試合には出てきている。
もっとも今年はもう、調整程度に一軍に、出してこないのかもしれない。
もちろん現場としては、今の五位からどうにか上がるために、必要な戦力ではある。
しかしフロントからすると、もうクライマックスシリーズが見込めないのなら、ドラフトを少しでも優位にしたいのだ。
ドラフト一位は、全ての球団による指名であり、そこからクジで選ばれるという方式だ。
だが二位以降はウェーバー制であり、成績の悪かったチームから、優先して指名することが出来る。
三位目は逆ウェーバーになるが、それでもやはり順位を下げていた方が、わずかに指名では有利になる。
もっとも本当の戦力として狙える選手は、当然のように一位で指名するしかないが。
タイタンズも昔は、タイタンズ以外からの指名であれば、大学に行くなどという人気もあったのだ。
ただテレビ中継の視聴率低下や、ネットでの配信に加えて、内部での派閥などの話が聞こえてくると、球界の盟主などとも思われない。
それでもFAで大金を出すのは、やはりタイタンズであったりするのだが。
金額が合うのならば、福岡もFAを取っていく。
レックスはちょっとお金の問題で、FAでの戦力補強は難しい。
直史一人で、かなりの金額を使っているというのもあるが、それはちゃんとそれ以上の貢献をしているのだ。
MLBなどは昔は、もっとドラフトの順位が明確であった。
一位からウェーバーであったので、最後にはもうわざと負けようとしていたことなどもあったのだ。
もちろんこれは不正であるが、どこからどこまでがそういうものになるのか。
ともかく今年はもう、トレードの期限も終わっているため、今の戦力で戦うしかない。
レックスはやや若手が出てきているが、タイタンズなどはもう若手を試していく段階ではないのか。
フェニックスは何をしているのか。
そもそもあれは現場の問題と言うよりは、育成の問題ではないのか。
実際のところ直史は、そこまで他のチームに興味はない。
今では主力がFAやポスティングで移籍することが多くなったため、常勝軍団を作りにくくはなった。
だが作りにくいとはいっても、育成でしっかりと見極めることを、直史はやっている。
二軍の練習に混じって、自分の調整を行っているからだ。
一軍の首脳陣には言っていないが、次に期待出来そうなのは、キャッチャーにいたりする。
迫水がいるので今は、あまり問題がない。
100試合以上もマスクを被って、今年も完全に正捕手にはなっている。
だがこのレベルにちょっと足りなくても、キャッチャーは絶対にもう一枚必要だ。
ピッチャー六人のローテと違って、正捕手の代わりはない。
それでは困るから、最近はキャッチャーを、併用しているチームが多いのだ。
もっともそれをやると、キャッチャーの打撃成績が落ちてくるのだが。
タイタンズ戦はアウェイではあるし、直史の登板する機会もない。
だが近場の東京ということで、直史はブルペンに入っていたりする。
なお昼の間には、二軍に混じってやはり様子を見ていた。
ピッチャーにも良さそうな選手はいる。
しかしキャッチャーはともかく、ピッチャーは一軍で投げさせてみなければ、果たして使えるのか分からないところがある。
プロの世界では一軍と二軍で、大きな差がある。
それはやはり、応援の差が一番大きい。
プレッシャーなど無縁で、それこそ甲子園や大学野球の応援を経験してきても、プロの世界では通用しないという人格のピッチャーはいる。
多球団から指名を受けておきながら、ほとんど一軍で投げることもなく、五年もせずに引退ということはある。
ただ直史はそういったピッチャーの、性格や人格を込みで見て、向いているのではと思うのだ。
木津もそうであった。
メンタルのトレーニングというのも、今では科学的になっている。
性格が弱気であることが、即ち悪いとも限らない。
むしろピッチャーなどは、本質的には弱気であるからこそ、変に強く見せようという面もある。
もっとも直史からすると、そういう繊細な面は、あった方がコントロールもつくと思うのだが。
敏腕スカウトの鉄也ですら、その成功率は100%ではない。
入ってみて早々に、故障してしまう選手というのもいるのだ。
そんな中でタイタンズは、育成まで含めて大量に選手を獲得している。
数だけ集めても、育てきることが出来るのか。
だから基本的には、支配下契約が重要であるのだ。
直史の眼から見て、今のタイタンズはどうなのか。
監督はさすがに、諦める気配などは見せていない。
ただ悟が上がってこないのなら、それはもうタイタンズの方針と言えるであろう。
このカードでも勝ち越して、貯金をどんどん作っていきたい。
八月にはまだもう一度、ライガースとの直接対決があるのだから。
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