第315話 プライドとプロ意識

 直史にはプロ意識もなければ、プロとしてのプライドもない。

 あえて言うなら勝負に徹することが、プロと言えるであろうか。

 客を熱狂させてこそプロ、という価値観もあるであろう。

 そういう価値観の持ち主からであると、直史のこの行為は、ちょっとプロとしていただけない。

 もっとも大介が苦笑いをし、直史が平然としているので、おかしな感触にはならないのだが。

 甲子園でやっていたら、また大きな騒動になっていたのであろうが。


 試合は五回に入ってきた。

 ライガースはここは下位打線であり、直史も素直に投げてきている。

 だがライガースの打線の方は、かなり上手くカットしてくるようになっていった。

 直史の申告敬遠に対する、報復行為であるのは気付いていた。

 しかしこんなことをやっても、直史にはさほどの影響もないのだ。


 ピッチャーは集中と弛緩を、上手く切り替えて投げていかないといけない。

 昔の先発完投型ピッチャーは、下位打線などには抜いた球を投げていたものだ。

 直史はその点、何段階かに集中力を分けている。

 だからこそ集中力が過剰になることもなく、プレッシャーとも無縁である。

 三人で抑えて、次はいよいよ大介の第三打席がやってくる。

 そしてレックスの得点も、三点のまま変わっていない。


(想定の範囲内)

 直史の疲労度は体力も気力も、充分に完封するぐらいには残っている。

 ただ完投で済ましていいのなら、もっと楽であるだろう。

 しかし野球にはどうしても、不確定要素が出てくる。

 それは味方だけではなく、敵である側からしても、同じことは言えるのだ。


 空振りしてキャッチャーの後逸を願うよりも、バットに当たったボールがイレギュラーしたり、内野の間を抜けていくことを信じる。

 実際にそちらの方が、ずっと可能性は高くなる。

 本当に直史が全てをコントロール出来るなら、復帰一年目で早々に、パーフェクトを達成していたであろう。

 あの年ほど切実に、パーフェクトを欲していたシーズンはなかった。

 だがトランス状態になり、涅槃の境地に至ったと思っても、まだ足りない。

 相手が同じステージに来れば、打たれてしまうものなのだ。


 その相手の大介が、六回には回ってくる。

 先頭打者が和田であり、これをしっかりとしとめないといけない。

 もしもランナーとして出たら、友永とは比べ物にならない厄介さだ。

 しかしそういった考えは、直史も予想している。

 珍しくボール球から入ったが、そこからはゾーンに三つで内野フライ。

(初球のボール球で、同じことをやろうと考えただろ?)

 ライガースは今、直史に完全に虚仮にされていて、冷静な判断が出来ていない。

 もちろんその怒りが、逆に上手く働くこともある。

 そんな相手の感情さえも、コントロールしてこその直史である。




 六回の表、ワンナウトランナーなし。

 大介との三度目の対決であるが、二打席目は完全に最初から申告敬遠をした。

 しかしここは勝負を選択している。

 打たれるという確信があったら、また歩かせてしまうだろう。

 だが野球には99%や1%はあっても100%や0%はないものである。

 それこそでたらめな目標でも設定しない限り。


 全試合をパーフェクトなど、直史でも設定しない目標だ。

 元から出来れば、一点も取られたくはないし、そのためには一人でも出したくないとは思っているが。

 パーフェクトとはそういったものの延長にある。

 目標とすべきではなく、積み重ねの結果に、自然と達成しているもの。

 そういったものであるが、途中で意識してしまうと、積み重ねのピッチングが出来なくなる者がいる。


 意識して腕が縮こまってしまう、というタイプもいる。

 下手に積極的になって、無理に力勝負をしかけるタイプもいる。

 それまでと同じように淡々と投げればいい、というわけでもない。

 なぜなら相手のバッターも、意識してしまって固くなっているかもしれないからだ。

 そこで見下ろして投げられると、一気に達成は近くなる。


 ここで大介にホームランを打たれても、それはそれで構わない。

 ランナーがいた方が、守備陣は考えることが多くなるからだ。

 下手にヒットなどでランナーが残るより、一発の一点だけのほうがいい、という場合が野球にはある。

 もちろん本質的には、点を取られるのがいいはずはないのだが。


 大介をランナーとしたらいいのか、それとも一発を打たれた方がいいのか。

 今年はまだ一度も、ホームランを打たれていない直史である。

 この状況を変えたいライガースとしては、ヒットでもホームランでも、どちらでもありがたいだろう。

 直史が考えているのは、単打までならOKとすることだ。

 しかしそういう考えをしていても、予定通りにはいかないのが野球である。

 直史のピッチングを見ていると、全てが予定通りと想像されてしまいそうだが。


 大介は野球の不確実性を、バッティングにおいて考えている。

 いい当たりの打球であっても、野手の正面でキャッチされることはある。

 だから野手というものの存在が無視されるホームランというのは、実は案外目指すべきものとしては適切なのだ。

 あの広いスタンドに放り込む。

 飛距離さえあれば、範囲はとんでもなく広いものだ。

 飛ばすだけならどこまで飛ばしても構わない。

 そういう快感が、ホームランにはあるのだ。


 しかしここで大介は、野球の偏りを感じた。

 直史のボールを、それなりにミートすることは出来たのだ。

 だが鋭いボールでありながら、その打球はセカンド正面。

 緒方が問題なくキャッチして、大介の打席が無事に終わってくれた。

(あと一打席)

 確実に九回に回ってくるが、それはそれとして目の前のバッターに集中する。

 ライガースの中軸のバッターであるのだ。

 それでも大介以外から打たれていたのでは、全く直史にとっては、意味の違うホームランになるのだった。




 友永は最低限の役割を果たした。

 六回までを投げて、三失点のクオリティスタート。

 普通の試合であれば、これで充分に勝機はある。

 ライガースの打線ならば、平気で五点や六点は取ってくる。

 もちろん上手くいかない試合もあるが、おおよそはそれぐらい取るのがライガースの打線だ。


 しかしこの試合、快音までしか聞かれない。

 隅にはいながらもしっかり応援するライガースファンだが、まるで点の取れる流れとは思えないのだ。

 せっかく打ったボールであるのに、野手の守備範囲内。 

 それもおおよそは内野のゴロになるもので、フライでさえ外野にはほとんど飛んでいかない。

 こんなにつまらない野球もない、というのは正直なところであろう。

 たとえ負けるにしても、大介のバッティングが三度も見られたら、充分に満足なのに。


 もっとも別に直史に限らず、大介は勝負を避けられているのだ。

 チャンスであれば最初から、申告敬遠になることを考慮する。

 バットを持たずに打席に入る、というパフォーマンスをしたであろうか。

 三打席目は、単打になるように組み立てられてしまった。

 セカンド正面のライナーであるが、グラブでキャッチ出来る程度のものではあったのだ。

 もし左右のどちらかに抜けていても、単打にまでしかならない。

 それが分かっていて、投げている直史である。


 アッパースイングかレベルスイングでないと、打球はホームランにならない。

 あるいはわずかなダウンスイングでも、なる時はなるのだが。

 コンタクトはどうあれ、フォローは絶対にアッパースイングにならないといけない。

 それを考慮の上で、正面のライナーにしかならないボールを、大介に打たせたのである。


 七回の表も、三人で抑える。

 このあたりから、現実的になってくる。

 ノーヒットノーランが見えてきたのだ。

 しかもこの試合、出したランナーは全員、申告敬遠によるものだ。

 打席に入ったピッチャー相手に、申告敬遠などされた例はあるのだろうか。

 あった。上杉のプロ入り後すぐの時に、しっかりと記録が残っている。

 まああの年は、先発ローテで投げていて、七本も打っていたシーズンなのだが。


 ちなみにフォアボールで出ている選手自体は、上杉以外にも普通にいる。

 武史などもフォアボールで出ているし、真田などもそうである。

 直史の今回の場合は、完全に友永がコントロールで自滅している。

 こういったフォアボールを出すのは、首脳陣に対して相当に印象が悪くなる。

 もっともギリギリで立て直しているため、致命的とは言えない。


 だが七回の裏は、さらに試合を決定付ける、レックスのツーランホームランなどが出た。

 やや球数が多くなりつつある今日の試合、直史を降板させてもいいだろうか。

「最後まで投げますよ」

 ライガースの打線が強力で、残り2イニングで五点差を逆転する可能性もある。

 しかしそれ以上に、レックスはリリーフ陣が、心の準備が出来ていないと思うのだ。

 同じ勝つにしても、申告敬遠を使って翻弄し、ノーヒットノーランを達成すれば、ライガース打線にとってはかなりのダメージを与えるだろう。

 敬遠をしたのは、大介以外に敬遠などする必要がないはずのピッチャー。

 大介の足を封じるためであるが、つまりバッターボックスの中軸などより、ランナー大介を注意したわけである。




 直史にはちゃんと言い分がある。

 あの時点ではまだ、試合は0-0という状況であった。

 友永と和田をアウトにしてしまえば、四回の表は大介からの打順となっていた。

 先頭打者大介というのは、ある意味ではチャンスでランナーのいる大介より、勝負をしたくない状況である。

 前にもランナーがいて走れない状況にし、さらに歩かせる。

 和田であればダブルスチールの可能性もわずかにあったろうが、友永が二塁ランナーではその選択はリスクが高すぎる。


 そして味方が点を取ってくれてからは、ちゃんと勝負に出た。

 単打までならノーヒットノーランも消えて、変な気負いも守備陣からなくなるかな、と思っていたのだが。

 緒方が反応できる程度には、大介の打球も強くなかったということだ。

(それにこれで、ライガースの打線の心を折れたかもしれない)

 甲子園に戻ってしまえば、そこでまた復活するのがライガース。

 だがここからは大阪ドームの試合はあっても、ずっとアウェイの試合が続いていくのである。


 八月の試合を、ライガースの勝率を五割程度に抑えられないものだろうか。

 もちろんそんなことを、本当にコントロール出来るはずはない。

 だが策を仕込む程度のことは、ちゃんとしておくべきなのだ。

 炸裂した時に、相手に与えるダメージがとても大きくなる。

 レックスとしても暑い八月を、どうにか悠々と乗り越えたい。

 そのための布石にしておきたいのだ。


 直史はそれなりに、人間的に殊勝な範囲で考えている。

 だが実際に現象として現れているのは、悪魔の所業である。

 大介以外には一本もヒットを打たれていないし、例外的に敬遠したのも友永のみ。

 大介以外はその他大勢として、楽に打ち取っているように見える。

 しかし今日の直史は、100球では終わらないぐらいに、球数が増えているのだ。

 これはライガースの、元ピッチャーである山田が、自分がされたらいやなことを、必死で考えて出した作戦だ。


 難しい球はカットして行く。

 直史はゾーンの中だけでも、充分に勝負が出来るピッチャーではあるのだが。

 ツーストライクまで追い込めば、ゾーン外に逃げるボールでも、空振りなりボテゴロなりにするため、それなりに投げてくるのだ。

 そういうボールを見逃す選球眼、そしてカットする技術。

 クリーンなヒットを打つのではなく、パワーで持っていくのが今の流行。

 だがそれでは直史には通用しないのである。


 まったくたった一人のピッチャーが、こうまでも打つために研究されるということ。

 これは非常に珍しいことであるのは間違いない。

 しかしここまで研究しても、やはり打てないのが奇跡である。

 壊すぐらいの覚悟で、他のチームとも協力し、とにかく直史に負担を強いる。

 そこまでやってもレックスは、リリーフ陣が強い。

 それに球数が増える試合ほど、奪三振が減っていく傾向にあるのだ。


 本来なら奪三振能力の高いピッチャーは、球数も増えていくものなのだ。

 逆に球数の少ないピッチャーというのは、打たせて取るというピッチングをしていることになる。

 三振以外のアウトを取ろうと思えば、守備でのミスなどが機会的に増える。

 キャッチしてさらに送球という手間が、介在するためである。

 しかし追い込んだら、確実に三振を取ることが出来るとしたらどうなのか。


 ファールなどでストライクカウントを稼ぎ、追い込んだら三振を奪う。

 それまでは相手のミスショットを誘発する、そういうボールを投げていく。

 結果的に球数も少なく、三振もかなり多いという、ピッチャーの理想を体現した姿になる。

 だが今日は球数が多くなり、その割には奪三振が増えてはいない。

 むしろ奪三振は少ないのだ。




 これぐらいの報復はするだろうな、と直史も分かっていた。

 プロ野球でみみっちい、カットなどで球数を増やすということ。

 これはもちろんルール違反ではないし、マナー違反でもない。

 ただ試合が冷えるという、興行で重要な要素を持っているのだ。


 直史が大介に友永を敬遠したので、そこからの報復と言える。

 難しい球でも最低、カットしてどうにか次のボールにつなぐ。

 それで球数は増えたのだが、直史はあまり、力のいるボールを投げていない。

 チェンジアップやカーブのように、上手く力を抜いていく。

 球速も遅いのは、表示を見ていればわかることだ。 

 そこまで分かっていたなお、打てていないのがライガースの屈辱なのである。


 ただライガースは意図していないことであろうし、直史も表面に出さないようにしているが、全く効果がないわけではない。

 この試合、直史が投げている試合の割には、試合の展開が遅くなっている。

 ファールが増えたり、またサイン交換が長くなったりと、時間をかけているのだ。

 普段から試合などは、さっさと終わった方がいいと考えている直史である。

 時間がかからないほど、他にやれることがあるからだ。

 しかし長時間の試合を嫌う、と知られればそれを逆手に取ってくるだろう。

 プロというのはそういう、シビアな面も持っているのだ。


 直史はベンチの中で、上手く集中力をコントロールしている。

 自分に打順が回ってくる時は、最低限でもボール球がデッドボールにならないよう、それだけは注意する必要があるのだが。

 自軍の攻撃に関しては、むしろ相手のベンチを見ている。

 そうした方が相手の状況が、はっきりと見えてくるのだ。


 こちらが守備の間、直史の感覚的には、攻撃をしているのである。

 どれだけバッターを翻弄して行くか、そして0に封じていくか、それが直史にとっての攻撃なのだ。

 0に封じるということは、相手のバッターやチームのメンタルを、全力で殴っていくということである。

 それでこの試合だけではなく、続く試合にまでダメージを残すことが、最高のピッチングと信じている。

 確かにそうかもしれないが、人の行うべき所業ではなく、プロの姿勢としては正しいが、スポーツマンシップには激しく欠けている。


 八回の表も三人で終り、この点差ならとレックスの打線も淡白なものになってくる。

 直史が気になるのは、こういうあたりである。

 確かに試合としてみた場合、もう勝敗の趨勢は決まっている。

 だがバッターはもっと、個人の成績にこだわるべきではないのか。

 大介ならば試合が決まっているような場面でも、相手のピッチャーがヘボかったなら、全力でホームランを狙っていくだろう。

 そこで単打は狙わないあたり、大介らしさと言うべきかもしれないが。




 いよいよ九回の最終回となる。

 この表の攻撃を封じれば、裏のレックスの攻撃はない。

 ヒットの数や打点など、打線は本来そういうものを、もっと欲しがるべきなのだ。

 レックスはチームプレイが出来すぎている。

 もちろんチームプレイは、勝負所の一戦では、必ず必要なものであるが。


 もっとエゴを出していっていいのだ。

 さすがにここから、引き分けて九回の裏を期待するなど、単純に非現実的なだけである。

 しかし八回の裏、なぜ三人であっさり終わったのか。

 確かに普段の直史の試合より、長めの時間にはなっている。

 またノーヒットノーランもかかっているので、守備の方に意識がいっているのだろう。


 最終回のバッターの中には、大介も入っている。

 三人のランナーを出したのだから、それは当然の話である。

 この試合の見所は、もうあと二つだけである。

 一つは当然ながら、ノーヒットノーランが達成されるか。

 そしてもう一つが、直史と大介の四打席目の対決である。


 もしもノーヒットノーランが破れるとしたら、それは大介の打席であってほしい。

 そう考えている人間もいるであろう。

 またここで大介にホームランが出たら、試合には負けてもそれだけで、他のことは全て許せるのがライガースファンだ。

 そして直史自身、大介を確実に抑えようとは考えていない。

 運がよければ、という程度の考えである。

 全力で投げて、少しでも故障の可能性があるようなことは、絶対にしないのがこういう場面の直史だ。


 その二人の対決の前には、当然ながら和田の第四打席もある。

 今日のライガースで、最も虚仮にされたのは、三番のアーヴィンか、一番の和田だ。

 だからこの場面、なんとしてでも出たいとは思っている。

 しかし普段から、その集中力を持っているのが大介だ。

 ここでの直史は、下手に集中力を使ったり、思考力を使いすぎたりはしない。

 既に考えてある、和田の攻略方法。

 迫水のサインに従って、その通りに投げていくだけである。


 もしもここで直史のノーヒットノーランが途絶えたら、それこそ逆に顰蹙を買ったかもしれない。

 圧倒的な強者というのは、圧倒的なままでいてほしい。

 そしてこちらの圧倒的な強者と、勝負をかける戦いをするのだ。

 直史からしてみれば、そんな特別なことは考えていないが。

 和田を抑えて、まずはワンナウト。

 残り二人で、またノーヒットノーランが決まる。



×××


 本日はBの投下もしております。

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