第310話 乱気候
今年の夏は暑いと言われている。
夏は暑いものだが、特に八月は例年よりさらに暑い、などと言われているのだ。
そこまで暑いと高校野球も、シニアのように七回まで、という案が出てきたりする。
ピッチャーをはじめ選手にも悪くないように思えるのだが、日本人は野球というスポーツに対して、かなり保守的な考えを持っている。
直史は自分が保守的な人間だという認識があったが、意外なほどに反発する内心に、ちょっと驚いたものだ。
高校野球でさえ、継投がメインとなっている。
現代の時代に合わせて、短縮も悪くないと理性は言う。
だが感性の部分で、なぜか反発する理由を探す。
日程を楽にするなど、そういったものには賛成してきた。
それなのに短縮案については、納得できないものがあるのだ。
まあこの数年は、おそらくそれも通らないであろう。
なぜなら去年の夏、昇馬が全試合を完投し、完封してしまったからだ。
あれは例外的な化物と言っても、将典なども同じように完封や完投をしている。
もっとも向こうは楽な試合は、二番手以降のピッチャーをかなり使っていたのだが。
高校時代の直史は、とても上手いピッチャーではあったが、怪物とまでは思われていなかった。
甲子園デビューでノーヒットノーランなどをしたが、その後に大阪光陰に完敗していたので。
むしろホームランを打ちまくった大介の方に、注目が集まっていた。
ただ二年の夏には「こいつちょっとやべーやつなんじぇねえか」というようには思われ始めていた。
その後のワールドカップでも、確かに大介の方が目立ってはいたが、直史も派手にパーフェクトセーブ記録などがあったのだ。
ただワールドカップも、さらに言うならプロ選手の出るWBCも、現在は球数制限が存在する。
しかしながらMLB自体には、球数制限はあくまで目安としてしか存在しておらず、ポストシーズンはエースが平気で100球以上投げるのだ。
直史は高校三年の夏には、15回まで一人で投げきり、翌日にも完投している。
だからこそ「行けるだろ」と感覚的に思ってしまうのだが、直史が高校生の頃と比べても、今は夏が高温となっている。
猛暑日の上の酷暑日、などというのがそれなりに囁かれて、実際に使われるようになるのでは、という噂もある。
確かに昔も既に猛暑日というのはあったが、猛暑日が当たり前、というほどひどくはなかったはずだ。
(老害にはなりたくないな)
保守的であることは、改革に対して慎重になる傾向はある。
ただ直史は自分で企業の方針を決めているため、勝負師的な勘所を抑えている。
なのでただ慎重になるのではなく、しっかりと資本を投下するところがある。
もっともこれらは、莫大な資本を持つ白石家のバックアップがあってこそ、直史も安心して勝負出来るところがある。
野球で一試合負けても、それで死ぬわけではない。
だが会社を一つ潰せば、死人こそ出ることはないかもしれないが、多くの人の人生を滅茶苦茶にすることはあるかもしれない。
責任感のある人間というのは、自然と保守的になっていくものか。
つまりよほどの資本力がない限りは、頭のネジが外れていないと、起業などは出来ないのかもしれない。
外食の店をオープンしても、三年もつのは五割もなかったはずだ。
しかし直史としては失敗してでも、何度も挑戦する必要はある。
とはいえ副業が忙しいうちは、あまりそういったことを主導的に行うことは出来ない。
この夏をどう乗り切るかで、ペナントレースは決まるだろう。
年齢を重ねてからはやはり、体力は落ちているのを感じる。
だからこそ逆にピッチングの技術を磨いて、楽に勝たなければいけないのだ。
必要に迫られて、直史はさらに成長しているわけだ。
普通ではない。
酷暑となるとむしろ、子供たちの方が心配になる。
直史などは年齢を重ねているので、むしろ自分の限界を弁えている。
しかし真琴や聖子などの女子は特に、体力の限界を読み違えるのではないか。
キャッチャーはさほど動かないように見えて、あれでプロテクターが重かったりするのだ。
心配性なお父さんは、娘の夏を気にかけている。
ドームでやれなどと言われるが、高校野球の聖地は甲子園である。
それはもう、保守的だが合理主義者でもある直史さえ、どうにも変換できないものだ。
いつかは徐々に、そんな気分が変化して行くのかもしれないが、今のところはその兆しは見えない。
それならまだしも、甲子園に臨時の日除けドームを作るなどという方が、まだしも納得出来る。
ただ個人的なことを言うのなら、青空の下で甲子園で投げるのは、ピッチャーとして上がる。
高校時代に神宮でも投げたが、やはり球場としての格が違うのだ。
理屈ではなく感情の部分である。
プロ入り時に関東の球団がいいなと言っていた大介が、ライガースに決まってにっこりと笑っていた。
高校野球とプロは違うと言っても、そんな魅力が甲子園にはある。
単純にもっとホームランの出やすいチームの行っていれば、さらに記録は伸びたであろう。
それでも甲子園で良かった、と言えるのが大介であり高校球児なのだ。
意外と甲子園でやることに、否定的なのが昇馬であったりする。
平然と決勝まで投げ抜いていながら、ちょっとこの環境は酷いな、と思える人間らしさがある。
逆に生物的であるがゆえに、酷暑には素直に反応したとも言えるか。
アメリカにいた頃には、父の出るワールドシリーズを、何度も見ていた昇馬である。
しかしそれに比べても、甲子園の空気は尋常ではない。
日本で一番、サポーターやファンと呼ばれる中で、過激なのがライガースファンと言われる。
それでもフーリガンの本場に比べたら、ずっとおとなしいものなのだが。
今はどうかは知らないが、アレクの子供の頃でも普通に、サッカーで死者が出ていたのがブラジルである。
またワールドカップではイギリスのフーリガンが、とんでもないことをしている光景がニュースになっていた。
ライガースファンはその点で言えば、単に暴れたいだけの存在ではない。
真の意味で野球を楽しめる、数少ない存在なのだ。
そんな甲子園での試合が少ないと、大介はホームランの数が増えるのか。
実は案外増えないのである。
フライ性のホームランは、左中間や右中間の広い甲子園では、スタンドに入らない可能性が高くなる。
しかし大介のライナー性のホームランは、人を殺す打球である。
これは距離よりもむしろ、高さが問題となる。
実際にMLBでは、スタジアムの構造によって、ホームランの打ちにくいところがあったのだ。
それに対応するため、今ではフライ性のホームランも打つようになってきているが。
大介は現時点で、打率四割をキープしている。
打点やホームランと違って、積み重ねるものではないのが打率であり、三冠王でもその中の、打率をキープするのが難しいと言われる。
打点と打率の二冠王は少なく、打点とホームランの二冠王は多い。
NPBに復帰してからの2シーズンは、打率が四割に至らなかった。
それでも三冠王に加えて、盗塁王なども取っていた。
今年は打率は四割に達するかもしれないが、今度は盗塁数が微妙なところである。
30盗塁は余裕であろうが、40盗塁は難しい。
ホームランと打点は、既に七月の時点で二冠のペースである。
四割などというのも、過去に日本でも三回やっている。
当たり前のように、三冠王ではなく四冠王になっていく大介。
もっと敬遠を増やさなければ、ホームランの数を減らせないだろう。
NPBに復帰して、年齢を重ねているのに、むしろパフォーマンスが上がっているのはなぜか。
もっとも単純な答えとしては、日本を離れている間に台頭してきた、若手のピッチャーに慣れたから、ということにでもなるのだろうか。
特に相手のエースクラスのピッチャーは、簡単にホームランを打ってしまう。
むしろ微妙なピッチャーの方が、抑えているという傾向すらある。
これはやはり、スラッガーとしてのモチベーションの問題なのか。
あるいはもっと単純に、エースクラスは勝負を避けにくい、というものもある。
規定打席には既に到達している。
ライガースが大味でボコスカ打つだけに、打席はそれなりに回ってくるのだ。
そして異常な数で敬遠されるため、異常な出塁率が記録される。
ボール球でも打てる球は打っているのに、打率が下がることはない。
MLBでもそうであったし、首位打者を取れなかったのは、キャリアを通じて一度だけ。
これと同じ時代に生きたピッチャーは、それだけで不幸であるのか。
むしろタイトルが取れない分、バッターの方が不幸であるだろう。
七月の試合で、少しはレックスとの差を縮めた。
だが並ぶぐらいでなければ、八月の不利を逆転できない。
野球は比較的、ホームでなくても勝てるスポーツだ、というのは事実である。
それでもホームゲームの方が、勝率はいいのは間違いない。
母校が甲子園に出場しても、あまり気にしない大介である。
他のいいおっさんになってきた友人たちは、色々と野球以外のことに手を出している。
だが永遠の野球小僧は、とにかく勝つことを考えている。
八月はホームゲームが少なく、それも大阪ドームを貸してもらうことが多い。
ただしこれによって、九月にはまた甲子園でのホームが多くなる。
今は七月に、あまり差を詰められなかったことを、嘆いている声の方が大きい。
しかし八月に決定的な差をつけられなければ、九月の残り試合で逆転の可能性はあるのだ。
一流のスポーツ選手は、心のあり方がポジティブであることが多い。
大介でさえもほんの短期間、スランプらしいものはあった。
だが自分に対する、絶対の自信を持っている。
自信と言うよりはもう、それが出来るという確信だろうか。
多くのスポーツにおいては、自分が不調になった時、どれだけそこで焦らないかが、重要なことはある。
もっとも野球においては、直史がどうやってメンタルのコンディションを整えているのか、納得は出来ない大介だ。
直史は「結果を捨ててしまえばいい」と言った。
確かに結果は重要であるが、そこまでに自分がどういう過程を経てきたのか、そちらの方が重要である。
野球は偶然性の高いスポーツであるので、結果ばかりに目をやっていると、どうしても焦りが出てしまう。
特にバッターの方は、打率が五割には達しないのだ。
大介が打率のみにこだわり、ゾーン内のボールだけを打てば、かなり近くなるかもしれないが。
直史もパーフェクトを何度もしているが、惜しくもパーフェクトを逃したという試合の方が多い。
そういう時に下手にがっくりとくると、パーフェクトどころか試合を落とすことさえある。
打たれても当たり前、点を取られることもある。
ただそれを避けるための努力や工夫を、どこまでしてきたか。
単純に力勝負というのは、直史がやらないことだ。
しかし世の中の多くのピッチャーは、真っ向勝負をしたがったりする。
それは潔いように見えるが、直史としては思考停止なのではないか、とも考える。
ピッチャーは試合への貢献度が高いのだから、打たれない工夫は極限までするべきなのだ。
直史のピッチャーとしての根本には、必要な球を投げる、ということがある。
これはもうピッチャーを始めた時から続けているものなので、ピッチャー直史の基盤になっているのだ。
キャッチャーが捕れる球を投げるというのが、直史の意識の根本にある。
ちょっとスピードが出ただけでも、捕れないということはあるのだから。
そして捕れるキャッチャーがいれば、今度は打たれないことを考える。
優先して考えるのは、長打を打たれないことだ。
そのためにはどういうボールを投げればいいのか、自然と出てくる答えがある。
もっとも自然すぎる答えは、逆にとんでもないバッターが相手の場合、読まれてしまうことがあるのだ。
結果的に打たれても、そこで発生すべきは後悔や反省でもなく、分析である。
どうして打たれてしまったのか、ということが重要になるのだ。
そこに感情が混じると、立ち直るのに時間がかかる。
全力で投げただけで打ち取れる、そういうピッチャーではないのだ。
だからこそ直史は、色々と考えていくのである。
現代の野球はとにかく、圧倒的なフィジカルが必要になっている。
ただその流れを、一人で止めているのが直史だ。
基礎的な体力は、もちろん必要である。
だが自分のフィジカルだけで、全てのバッターを打ち取ることは出来ない。
あらゆる要素をコントロールする技術。
また経験に、投げ込む勇気を持つメンタル。
経験からなる駆け引きも、対戦するにおいては重要だ。
そして目の前の相手だけではなく、試合全体やシーズン全体を通じた、総合戦略も必要になる。
直史は一度も負けていない。
だがそれはあくまで、結果論なのである。
彼は大学でまともに勉強をして、さらには経営のことまで学んでいる。
ビジネスのことを野球に当てはめると、なかなか面白いことが分かる。
野球だけをやっていては、むしろその幅が狭くなる。
ピッチングというのは、確かに投げることではあるが、何を投げるのか考えることであるのだ。
今はアスリートタイプの選手が、どの競技にも増えている。
だが本当に重要なのは、メンタルであろうと直史は考える。
単純にアスリートタイプの選手は、自信が自分のメンタルも、強くしているというわけだ。
もっともそれまで挫折のなかったエリートが、プロでぽっきり心を折られることはあるが。
NPBでもMLBでも、直史は相手の心を折るのが上手かった。
一度勝てないと思わせてしまえば、実際以上の実力差が発揮される。
ただ中には、勝てないからこそ戦いたい、という戦闘民族がいたりもするのだ。
大介はその筆頭である。
自分が衰えても、どうにか工夫して数字を残そうとする。
それが大介という人間なのだろう。
実際に盗塁の数は、明らかに落ちてきている。
成功率を重要と考えるなら、数が減るのは当然なのだ。
直史は残りの二ヶ月を考える。
正確にはレギュラーシーズンは、二ヶ月よりは少し短いか。
もっとも延期された試合があるので、その分を含めれば二ヶ月になる。
出来ればその延期の試合の分の前に、ペナントレースの優勝は決めておきたい。
そうすれば残りの試合を、まさに消化試合にして、コンディションを整えることが出来るからだ。
ただこれには難しいこともある。
あまり期間が空きすぎると、メンタルの方の緊張感がなくなってしまうのだ。
ペナントレースを圧勝したチームが、足を掬われるというのは、これが理由の一つではあるだろう。
タイミングの問題もあるし、これこそがまさにシーズン全体を見た戦略というものだ。
またポストシーズンの試合は、レギュラーシーズンの試合とは別に考えるべきだ。
直史は今年、去年よりも球速を戻してきた。
だがそれだけにパワーに、肉体の他の部分が耐えられるか不安はある。
車で言うならエンジンは立派でも、シャーシの部分が弱いということだ。
そこを懸念して直史は、腱や靭帯のストレッチを忘れないのだが。
こういった心構えについては、直史は他の選手に、教えることはあまりない。
木津のようなタイプには、ある程度教えてはいるのだが。
また三島に対しても、MLBの話の時に、少し話してはいる。
八月の初戦は、残ったスターズとの試合であった。
ここは木津の投げる第三戦である。
この間の試合で、勝敗自体は五分に戻した木津。
だが彼を評価すべきは、安定感にあるのだ。
とりあえず登板した試合の50%を、クオリティスタートすればそれで充分だ。
もっともレックスの場合、守備の貢献によって、防御率は下がる傾向にある。
六回三失点は、それなりにこなせるノルマだ。
しかし防御率にしては、4.5ということになる。
これはあまり、一流ピッチャーの数字とは言えないであろう。
またレックスは得点力が、やはり低い。
どうしてこうなるのかとも思うが、打率などはほぼ近いカップスよりも、得点力が低くなっている。
もっともこれはカップスが、打率の割には得点力が高い、と言うべきなのかもしれないが。
この試合においても、ロースコアとまでは言わないが、六回を終えて3-3というスコア。
木津はここでノルマを達成し、あとはリリーフ陣に任せた。
同点の展開からは、勝ちパターンのリリーフを投入しないレックス首脳陣。
ライガースとのゲーム差を考えて、どこで勝負をかけるかを考えているのだ。
試合は5-4という、スターズの勝利に終わった。
九回まで4-4となっていたが、最後にホームのスターズがサヨナラ勝ちしたのだ。
カードとしては2勝1敗であったが、どうせならここも取りたかった。
レックスの首脳陣はそうも考えるが、ここからは我慢の季節になる。
夏場は肩が軽くて、パフォーマンスがいつもより高まることがある。
肉体自体が最初から、暖まっているということだ。
そういう時こそ逆に、限界を超えて肉体を酷使してしまうことがある。
その夏の疲労が、九月のペナントレース終盤で、故障に至ることがあるのだ。
選手たちをどう起用して行くか。
首位を走るレックスは、そこまで考えて試合を運んでいくのである。
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