第311話 酷暑の月
プロ野球はあんな暑い中、屋外でやっていて大変だな、と言われる。
ドームのチームもあるが、確かに野天だとものすごい熱になる。
だが選手からすれば、そこまで大変でもない、という発言があるのだ。
確かにデーゲームである甲子園などは、高校球児も大変であろう。
だがその高校野球や大学野球を経験してプロに入ってくると、ナイターの方が圧倒的に多い。
また野球というスポーツは攻撃の間は休めるのだ。
昨今の高校野球はもう、暑さ対策もしっかりしている。
昔に比べて確かに気温は上がったが、水を飲むなという馬鹿はさすがにいなくなった。
しっかり水分補給をしろというのが、平均よりやや上の監督である。
いまだに水を飲むなと言っている馬鹿が存在するのが、ちょっと信じられない本当の話だ。
プロではもう本当に、ほとんどの馬鹿は駆逐された。
ウエイトを否定してピッチャーは走れなどとも言っている馬鹿も、いることはいるがいるだけである。
科学的なトレーニングによって、間違いなく選手のパフォーマンスは上がっている。
だがその科学的なトレーニングをしている選手たち自身も、完全にメンタルを無視しているわけではない。
昔の根性論を否定しているだけで、むしろメンタルトレーニングも現代のものとなっている。
体調管理にしても、昔のプロ野球選手は、朝まで遊んでその次の日に、普通に試合に出ていたりした。
今はもう自分のことは、自分で管理するようになっている。
少しでもプロの世界に長くいたかったら、節制は必要なことだ。
直史がプロ入りした頃には、まだわずかだが遊び人の選手というものはいた。
だが今では完全に、そんな者は見ることはない。
まともな時代になったが、破天荒な人間はいなくなった。
もっとも成績の部分で充分に破天荒なので、人格までは求められない。
(昇馬が入ってきたらどうなるのか)
甲子園でもポロポロと、ホームランを打っている昇馬である。
決勝まで勝ち進んでいるからとも言えるが、それでも11試合で五本のホームランだ。
そしてセンバツまでと違って、和真が加わったことにより、昇馬を敬遠しにくくなっている。
破天荒と言うよりは、常識や基準が一般人と違うのだ。
直史からしても野生的に見えるが、昇馬は別にそう見せているわけでもない。
普通に生きているつもりであるらしいのだから、個性としてはかなり派手なものになるだろう。
六月は交流戦、七月はオールスターで、やや試合数は減っている。
四月度は三月から始まったので、28試合があった。
五月は26試合があり、この八月は27試合の予定。
延期がなく消化されていくと、九月は21試合になる予定である。
やはりこの酷暑の八月をどう過ごすかで、ペナントレースの行方が決まりそうだ。
そして基本的に、八月のライガースは弱くなる。
ライガースは弱くなるが、大介のホームラン量産ペースは変わらないだろう。
元々甲子園をホームにしていて、ホームラン王というのが、ちょっと珍しい存在であるのだから。
そんなところで毎年ホームラン王を取っていた大介と、その大介の後に何度か取った西郷は、やはりおかしいのである。
大介の場合はスタジアムごとのパーファクターに関係なく、とにかくどこでもホームランを打っている。
ジャストミートすれば入る、というぐらいの感覚でやっているのだ。
それが通用してしまうところに、異常さがあると言っていいだろう。
直史は自分の体力を過信していない。
コンディション調整にはかなり気を遣っていて、そして結果が出ている。
どうして結果が出ているのかは、自分でも分からないことである。
直史にしても全てのボールを、完全に思い通りに投げられているわけではないのだから。
可能性を少しずつ、小さく小さくしていく。
その結果として、無配という現象に到達する。
いかなる天才であっても、不可能であると言えそうな無失点記録。
パーフェクトに常に近いピッチングをすることにより、これが発現していく。
ほんの少しずつ、可能性を積み重ねていく。
そして不可能とも思われる場所に、直史は立ってしまうわけだ。
八月のフェニックスとの三連戦。
ホームの神宮で行われる試合では、どこか楽観的な空気が漂っていた。
なにしろフェニックス相手には、レックスはとんでもなく相性がいい。
ここまで14試合を行って、一度しか負けていないからだ。
このフェニックスとの試合が一つ、雨で延期になって、シーズンの終盤にあること。
こういう流れもまた、レックスには有利に働いている。
ただ野球というのは、本当に偶然性の強い、逆転のスポーツであるのだ。
連勝記録がなかなか出ないのは、常に強いピッチャーを使えるわけではないから。
それはレックスにも同じことが言えるが、代わりと言ってはなんだが強力なリリーフ陣を作り上げている。
リードして終盤に入れば、九割がたはこちらの勝利。
まさに勝利の方程式を、リリーフ陣で成立させている。
もっともそこに持っていくまでの、先発の力も必要なのだが。
直史と武史の兄弟が揃っていた時代、今から逆算して考えてみれば、優勝できないほうがおかしい。
ただ怪我などもあって、直史が一人で踏ん張ったりもしたものだ。
武史の離脱があったからこそ、日本シリーズ一人で四勝などという、たわけた記録が作れたわけでもある。
他のピッチャー全て、それこそ味方までも含めて、プライドを粉々にされる出来事であったが。
大学時代から特例で日本代表に選ばれたりと、それでもまだ箱庭の王様で済んだのだ。
それがプロの世界に解き放たれると、なんとも酷いことになってしまう。
プロの世界では、もう何も言い訳がきかないのだ。
大介が召喚しなければ、内心のわずかな希望を抑えて、一般人のふりをして一生を過ごしただろう。
ただそれを呼び覚ますのも、自分の役目と大介は思っていたのかもしれないが。
直史がいなければ、白富東が甲子園に行くことはなかった。
大介の評価もその体格からして、かなり低めに見積もられたであろうから。
それでもどうにか、社会人でも経由して、プロには行けたであろうが。
そしていよいよ八月、フェニックスとのカードである。
神宮で行われるホームゲーム、第一戦は塚本が先発だ。
塚本は一応ローテーションのピッチャーになったが、日程的に中六日が取れるとスライド登板などをされる。
順番を抜かされて、10日以上投げないこともあるのだ。
ただ須藤との先発ローテの六枚目対決は、おそらく勝っていると言えるだろう。
大卒の即戦力とは、しっかりと球団も思っていたのだ。
サウスポーで150km/hが投げられて、カーブにスライダーにツーシーム。
球種的には充分であるので、あとは経験を積んでいくのみ。
またプロの野球は大学野球よりも、さらにデータの分析が重要である。
それだけにピッチングの幅を広げなければ、バッターには読まれてしまう。
プロ入りして一年目がキャリアハイ、というピッチャーが多い理由である。
ただ塚本は、一年目はそれほどの成績になりそうにない。
ここから投げていっても、二桁勝利は無理なペースだ。
そもそも現時点で、10先発の3勝3敗。
新人としてローテーションを埋めるにしても、ぎりぎりの成績であろうか。
ただ10試合のうちの五試合が、クオリティスタートではあるのだ。
もちろんレックスの守備にも助けられているが、ライガースの援護があれば勝っている試合は多いだろう。
六大ではないが、塚本も大学野球では、この神宮がホームであった。
比較的ホームランが打たれる球場なので、ここでこの成績は及第点であろうか。
直史が投げれば投げるほど、貯金を作ってくれる。
三島と百目鬼、そしてオーガスも相当の貯金を作っている。
そして木津と塚本が、どうにか五分の星を保つ。
これでレックスは、圧倒的な勝率が残せるのだ。
フェニックス戦はボーナスステージ、などとひどいことを言われたりもする。
しかしフェニックスも比較的打力の低いレックス相手には、ローテーションを調整してきているのだ。
エースクラスの木暮が先発してきて、試合はフェニックスの有利に働く。
レックスは残り二試合が三島とオーガスなので、最低でも一勝とは見越している。
フェニックス相手ならば、当然のように勝ちこしてはおきたいのだが。
リリーフを使うタイミングとしては、昨日のスターズ戦で機会がなかった。
そのため今日の試合では、使ってもいいであろう。
ただしそうすると、残りの二試合をどうするかという問題が発生する。
この試合で負けたとしたら、残りの二試合に同点の展開でも、使っていいかもしれない。
夏場は肩が暖まりやすく、比較的故障が少ないのだ。
もちろん限界を超えてしまったら、やはり故障するのは間違いないであろう。
国吉が戻ってきたことで、先発陣はかなり、精神的に楽になってきた。
出来れば七回まで投げてほしい、そうしないと勝ち星が付かないかもしれない。
そんな状態で投げていれば、メンタルへの負担も大きなものとなる。
もちろん実際は、球数が増えれば六回で交代していた。
ただ勝ち越しはしたものの、ライガースに差を縮められたのは、そのあたりに原因があるのかもしれない。
だがそうすると六月の好調の意味が分からない。
強いて理由を探すとなると、やはり七月は暑くなってきて、六月よりもコンディション調整が難しかったということか。
例年六月も暑くなってくるが、今年は比較的そうでもなかった。
気候のことまで計算して、色々と考えないといけないのが、プロの世界であるのだろう。
塚本は大学野球で、夏場も過酷なトレーニングをしている。
だからこそ自信を持っているのだが、直史などは大学時代、夏場は勉強やゼミで時間を取られたものである。
プロに行く気もないのだから、公式戦の勝利にさえ貢献すればいい、というのが直史の大学時代であった。
特待生ではなく一般入試で入り、ただし一般の寮を費用免除で入ったり、返却不要の奨学金をもらったりした。
実質的に野球の成績で、大学生活をしていたということである。
多くのアマチュアはまだ、根性が精神論となっている。
しかし本当の精神論とは、理不尽に耐えることなどではない。
ポジティブなメンタルを持ちながらも、ネガティブな想定も範囲内とする。
そうすれば味方がミスをしても、自分の責任ではないし、どうしようもないことだと納得するのだ。
日本人はプレッシャーに弱い、と言われていた時代があった。
今でも特定のスポーツでは、そう言われることがある。
しかしどんなスポーツであっても、民族の習慣的に、メンタルの働き方というのはあるのか。
あるいは育ち方によって、メンタルの強さは変わってくる。
例えば直史などは、基本的にメンタルの強弱を気にしない。
それはあれだけ投げられれば、と他の人間は思うだろう。
だが逆であるのだ。
メンタルが安定しているからこそ、安定したピッチングが出来るのだ。
塚本は大卒で入って、それなりのピッチングをしている。
ドラ1ドラ2というのは、完全な即戦力枠なのだ。
高校生の場合は、素質がずば抜けていて取られる、という選手もいたりする。
しかし昨今は高校野球でも、科学的なトレーニングを、メンタルにまで導入しているところが多い。
そうするとどういった野球IQを育んできたかで、プロ入り後も見えてくるのだ。
プロで成功するかどうかというのは、フィジカルにメンタル、というのも確かに重要だ。
しかしそれ以上に重要なのは、人格というものである。
性格ではないのかというと、微妙に違う。
プロにも弱気なピッチャーや、弱気な選手というのはいるのだ。
だがそれをいい方に活かすか、悪い方に活かすかで、結果が変わってくるのである。
塚本はどうであるのか。
少なくとも直史の見る限りでは、悪くはないといったところだ。
負けん気に加えて、ある程度の鈍感さがあれば、プロの世界で通用しやすい。
プロの試合は毎年、負け越すのが当たり前のピッチャーもいる。
ただ勝敗というのは自分だけの数字ではなく、チームとしての数字なのだ。
一年目でクオリティスタートが半分というのは、先発として充分である。
もっともまだ二ヶ月、レギュラーシーズンは残っているが。
ポストシーズンでは塚本は、落とす試合のための先発になるだろう。
よほどの投手格差がない限り、クライマックスシリーズも日本シリーズも、全勝というのは難しいのだ。
特にクライマックスシリーズのファイナルステージは、六試合が行われる。
あえて相手のエースと当てて、落としていく試合も出てくるだろう。
木津もどうやら、相手のチームがある程度、その独特さにマッチしてきている。
もっとも実質的に一年目に近く、それでいながら研究映像を提供してしまっていた木津は、ある程度この時期、打たれるのは予想されていた。
一方的に打たれて負け続き、ということさえ予想していたのだ。
野球は二年目のジンクスなどというものがあり、木津は去年の終盤に一軍で投げたので、今年が二年目ではある。
一年目がキャリアハイではないにしろ、二年目に数字を落とすことはよくある。
その中で勝ち負け五分でローテを回せば、問題なく給料は上がるだろう。
塚本は当初、やはり須藤を意識していたようだ。
木津も含めてあの三人と、あとは若手から誰が、先発のローテに選ばれるか注目されていたのだ。
そして須藤は結局、リリーフへと回されている。
もっともローテの誰かが離脱すれば、また先発に戻ってくるかもしれない。
リリーフとしても六回を任されるか、あるいは同点や僅差のビハインドが、須藤の投げるタイミングであるからだ。
この試合は塚本も、悪い立ち上がりではなかった。
だが向こうの打線が一巡したあたりで、普通に捉えられるようになってくる。
逆転不能の大差になれば、また話は別であろう。
試合を壊さない程度であれば、まだまだ投げさせられる。
敗戦処理のリリーフというのはいるが、逆転を諦めるわけではないのだ。
ピッチャーは何枚あっても足りないし、何かの拍子で化けることがあるのだから。
問題はこの試合、打線の方にある。
序盤に点が取れない、貧打というわけではないが、ロースコアになってしまうレックスの試合。
野球というのはなんだかんだ言いながら、点の取り合いの方が面白い。
直史ぐらいの頻度で、パーフェクトが目指せてしまって、普通に完封をしていても、三振が多くなければ面白くないと思われてしまう。
直史以前はそうであった。
今はピッチャーのピッチングの、楽しみ方が変わっている。
特に直史の投げる試合は、スタンドの雰囲気がおかしいのだ。
世間で言われるところの、ナオフミストたち。
その完璧に近いピッチングを信奉すると共に、直史が弁護士であったりもすることなどから、人格まで含めて大肯定してしまう狂信者。
崇められる本人は、はっきり言って大迷惑である。
かといって人気商売であるので、物理的な支障が出ない限りは放っておく。
気にするだけ負けなのだ。
直史の投げる試合以外でも、レックスの試合はファンが多くなっている。
それは同じ東京の、タイタンズが奮わないから、というのもあるだろうか。
ファンと言うのは俄か以外は、選手ではなくチームに付くものだ。
だがタイタンズはさすがに、今は順位が悪すぎる。
最下位でこそないが、とにかく勝てていない。
悟もまだ復帰していないので、スタープレイヤーがいないと、見るのも面白くないのだ。
そんな時に近くに、とにかく勝つチームがいる。
勝利の喜びを与えてくれるチームは、それだけで応援のしがいがある。
さらに直史が投げれば、何かの記録が生まれるかもしれない。
もっともその点で言うならば、やはり今はライガースが一番人気だ。
大介はホームランや打点を増やすごとに、歴代の記録を伸ばし続けるのだから。
おそらく今後はNPBでもMLBでも、この記録を抜く人間は出てこないだろう。
ただ直史は直史で、不敗神話がいつまで続くか、それが注目はされている。
いや、ポストシーズンの試合では負けているではないか、と本人は素直に言ってしまう。
だがレギュラーシーズン無敗というのは、これまた本当の話である。
もしも負ける時がきたらその時は、神話が崩壊する時である。
その瞬間がやってくるとしたら、テレビでやっている試合であるなら、視聴率は限界突破するかもしれない。
このテレビ離れが言われる時代でも、だ。
この試合は問題なく、ロースコアのゲームになった。
そして珍しくも、フェニックスが分かりやすい勝ち方をする。
塚本もそこまで悪い数字ではなかったのだが、六回を三失点で同点。
この状況から勝ちパターンのリリーフを出さないのが、今のレックスである。
国吉に限っていうならば、ここで少し投げて調子を見てもいい。
だが逆に考えれば、ここで今さら故障したら、もう今年のシーズンは絶望である。
残りの3イニングで、フェニックスは主砲の本多に決勝打が出た。
そして追いつくことが出来ず、そのまま試合は終了である。
これでレックスは今年、フェニックス相手に二度目の敗退である。
ただこの試合に限って言えば、レックス首脳陣も覚悟はしていたのだ。
フェニックスは唯一まともな、守備に加えてエースを使って、ようやく一点差で勝ったのだ。
ここでクローザーなども使っているため、残り二試合が厳しくなっている。
基本的に全てのカードに勝ち越せば、ペナントレースでは優勝出来るのが野球なのだ。
残りの二試合を落とさないことを、首脳陣は考えている。
このあたりプロの試合は、強いチームでも負けることがある。
あまりに強いチームでもいいのだろうが、ある程度は負けていかないと、どこかで無理が出かねない。
かつてのレックスに比べれば、今のレックスはまだ弱いであろう。
黄金期を知る西片としては、直史が本格的に衰えるまでに、どこまで日本一を狙えるか。
故障引退だけは避けることを考えて、直史を運用して行くのである。
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