第308話 スローペース

 神奈川スタジアムにおける、スターズとの三連戦。

 この第一戦に直史は先発する。

 七月最後の登板であり、これに勝てば七月も、四戦四勝となる。

 月間MVPも当然のように取るだろうな、という今年の直史。

 ただこの数にしても、上杉を上回ることは出来ない。

 NPBでずっとやってきた上杉は、それだけ票田となる地元民に顔を売ってきたわけだ。

 さすがに晩年はパフォーマンスは落ちていたが、それでも直史が更新するまでは、史上最高齢の沢村賞受賞者でもあった。

 治療とリハビリの二年を除けば、22年の実働期間に、全ての年で二桁勝利をしていたこととなる。

 22シーズン二桁勝利など、今後破られることはないだろう。

 ただMLBも含んだ連続記録だと、武史が破っている。


 武史も故障離脱したシーズンがあるが、それでも二桁は勝っていた。

 今年も離脱した時点で、既に10勝はしていたのだ。

 九月には復帰できるであろうし、来年もまだやる予定ではある。

 今年が19年目のシーズンであるので、わずかだが更新の可能性も残っている。

 この19年連続二桁勝利というのは、NPBの歴代一位タイである。

 途中でMLBの記録が混じっているので、そのあたりをどう評価すべきか、という話にもなってくるが。

 衰えたなどとはいっても、勝ち星は常に負け星の倍はあった。

 これは上杉も二桁負けのシーズンはなかったし、真田などは短めの選手生活であったが、五敗したシーズンが一度もなかったりした。

 ……まあ直史の場合は、全シーズン20勝以上という、他の誰もやっていない記録がある。

 ただそれはまだ9シーズンだけであり、上杉は通算13シーズンで20勝を記録し、武史も14シーズンで20勝以上を達成している。

 真田は最高で19勝であり、20勝に到達したシーズンはなかった。


 引退した年に20勝している上杉は、やはりおかしい。

 同じだけ直史や武史がプロで働いたら、という過程は成り立たない。

 直史は明らかに、大学時代に完成形になっているからだ。

 また武史は相棒のキャッチャーが、樋口である期間がそれなりにあった。

 レックス時代は故障した一年を除いて、5シーズン20勝以上しているのだ。


 違うチームや違うリーグでの、投手の比較は難しい。

 特に上杉などは、弱小チームを一気に強くしたという、カリスマ性までも含めて評価されている。

 直史もそれは認めていて、WBCで上杉が怪我をした時など、日本代表全体が悪い雰囲気に包まれていたものだ。

 そんな時に空気を壊してしまうのが、直史と樋口のコンビであったりしたが。

 チーム事情も考えれば、どのピッチャーが一番かなど、勝手に評価出来ようはずもない。

 ただそれでも、力の上杉に技の直史という、この二人はほぼ間違いない。


 今のスターズは、そんな上杉に唯一、力で対抗できたピッチャーが、エースとして君臨していた。

 しかし故障して抜ける前から、上杉ほどの影響力はない。

 今年にしても一軍に戻ってくるのは、シーズンの終盤予定となっている。

 おそらくAクラスとBクラスがはっきりしてから、ようやく戻ってくるのではないか。

 下手に使うよりはいっそ、今年はもうこのままでいいのではないか。

 スターズの首脳陣は、来年に武史が復活出来るなら、そんなことも考えたりする。




 来年も立て直せるかは疑問だな、と直史は考えている。

 実際に今日、バッターと対峙していても、打たれるという感じが全くしない。

 そんなバッターにあえて打たせて、それでアウトの数を稼いでいく。

 ゴロばかりを打たせるので、内野にはいい練習になっただろう。

 だが直史もしっかりと、ピッチャーゴロを処理しているのだ。


 スターズの打線が淡白なものになっている。

 ライガースの打線も雑なところはあるが、あちらは力に満ちた打撃があった。

 この次の直史は、いよいよそのライガースと対戦する。

 これまで通りにライガースがやってくるなら、また厳しい試合になるだろう。

 本当ならばポストシーズンを意識して、ここでは手の内は見せたくない。

 しかしこのままのローテであれば、ライガースは直史に友永を当ててくる。

 

 パからFAで移籍してきた友永は、ライガースの現在の勝ち頭である。

 既に二桁勝利をしていて、あるいは20勝に届くのではといった間隔。

 投げた試合のほとんどに、しっかりと勝ち負けがついている。

 エースらしい結果と言えるだろう。

 ただ普通に試合をすれば、それでもレックスが勝つ確率の方が高くなるだろうが。


 直史にとって大介は、天敵のようなものである。

 勝率だけを見るならば、直史のほうが圧倒的に勝っているように見えるだろうが。

 ただ純粋な事実として、直史は全盛期を迎えて以降、大介にだけは負けている。

 自分が負けた時もあれば、チームが負けた時もある。

 だがとにかく確かなのは、大介ならば直史に勝てるかもしれない、という可能性が高いことだ。


 大介を相手にすると、自分も限界に近い力が出せる。

 いや、出してしまうと言うべきであろうか。

 本当ならもっと、計算高く戦うべきなのだ。

 チームをシーズン全体で見ると、そういうやり方が正しいのは分かる。

 しかし大介相手には、そういう計算では分けられない、複雑な感情が存在するのだ。


 あまりにも近い存在である。

 ただ精神性は、かなり遠い存在だ。

 ピッチャーとバッターとして、戦うスタイルが決定的に違う。

 だが共にチームの主力として、決定的な役割を果たすのは同じなのだ。


 こうやって次の試合を考えているあたり、直史も気が抜けている。 

 だが抜いてもいいほどの集中力は、まだ保っている。 

 試合の勝利を狙いつつ、失点を避ける。

 ピッチャーゴロをしっかりと処理するというのが、地味に直史の堅いところである。

 だが試合の中盤に入ると、単打を打たれてしまった。

 内野の間を抜けていくゴロである。




 ゴロにもいいゴロと、悪いゴロがある。

 いいゴロというのは、あまりにも勢いがなさすぎて、内野安打になってしまうものだ。

 これは直史としては、バッターにミートされていないので、許容範囲内なのである。

 だが悪いゴロは、強い打球が内野の間を抜いていくというもの。 

 今日のヒットは二本とも、この悪い方のゴロであった。


 ベンチとしては悩ましいところである。

 既に味方の打線が、二点を取っている。

 この二点というのは、直史ならばセーフティリードだ。

 ただ今日は比較的、スターズの打線が当たっている。

 また日程的な問題もある。

 この火曜日の試合は、六連戦の初日である。

 二点差ならば継投する場合、勝ちパターンのリリーフを使わなければいけない。


 三連投はさせないという原則は、この時期ならば絶対に守るべきである。

 だが今日は比較的、打たせて取るピッチングをしているのに、直史の球数が多い傾向にある。

 ファールを打たれている数が多く、そこであっさりと三振が取れていないのだ。

 もちろん球数はともかく、球威は落としたボールが多い。

 なので球数ほどには、疲労していないというのは確かだ。


 国吉は今日から、ベンチに入っている。

 だがリリーフに出すにしても、あまり厳しい場面で投入はしたくない。

 復帰の初戦では、絶対に緊張するものなのだ。

 緊張しないメンタルお化けもいるが、あくまでもそれは例外である。

 それにプロはプロだからこそ、プレッシャーがある。

 直史などはプロではなくなっても、生業が普通にあるのだ。

 だからこそむしろ、ノンプレッシャーで投げられるというところはある。


 国吉は二軍の試合では、しっかりと調整してきた。

 だが一軍のプレッシャーを、思い出せているだろうか。

 一時期よりはライガースとの差も、縮まっている。

 スターズの打線はそれほど強力でもないが、それでも打順によってはしっかりと点を取ってくる。

 国吉を甘やかすわけではないが、復帰戦では楽に投げさせてやりたい。

 そう思うと打線がもう少しリードを取ってから、直史の後に送り出したいのだ。


 直史としてもその、首脳陣の気持ちは分かっている。

 ミーティングには参加しなかったが、普通に豊田からは相談を受けていたのだ。

 だがそんなことを言っていたら、もっと厳しい場面で、復帰初戦を投げることになるかもしれない。

 一点までなら問題ないという試合で、リリーフとして投げさせるべきか。

 ただ明日からの日程を考えると、やはり直史には完投してほしい、というのが正直なところなのだ。


 六連戦の初日というのは、直史の使いどころとしてはあまり良くない。

 やはり四戦目というのが、上手くリリーフを休ませることが出来る。

 ライガース戦を見越して、ずっとこのように調整してきている。

 登板間隔をそう簡単に変えることは出来ないのだ。

(せめてもう一点あれば、最終回に投入するか?)

 国吉はセットアッパーであり、おそらくクローザーになることはない。

 だが三点差あれば、他のリリーフ陣で最終回を抑えることは出来そうだ。




 スターズは直史が相手であるが、それでもしっかりとヒットは打ってきた。

 ただしゴロになるヒットであり、一発では一点も入らない。

 打順によっては送りバントもしてきたが、これはアウト一つを取ればそれでOK。

 単打ではどうしても、ランナーを帰す事が出来ないのだ。

 二塁までは行ける。

 しかし得点のパターンが増える、三塁ベースが遠い。


 試合も終盤に入ってきたが、ベンチの方針もまだはっきりしない。

 コーチ陣は色々と話しているが、最終的には西片が決めるのだ。

 こういう場合は豊田の意見が聞きたい。

 あとはベンチにいる直史にも、アドバイスがほしいであろう。

 まだレギュラーシーズンは、40試合以上も残っている。

 そこでどのように投手を運用するかが、レックスだけではなく他のチームも、重要になってくるのだ。


 西片の視線を感じてはいた。

 直史としては、今日は球数はそこそこ投げているが、負荷はそれほどのものでもない。

 微妙な感じのチェンジアップが、それぞれ打たれてしまっていた。

 ピッチングの練習ではなく、実戦での最終確認。

 その加減もおおよそ、分かったと思うのだ。


 まだこの試合で、確認しておきたいものだ。

 だから西片には、自分が行くと視線で伝える。

 ライガース戦までに、実戦練習は終えておかないといけない。

 プロ野球というのはある程度、リスクを取って新球種を使っていかなければいけない。

 オープン戦で試せるのが、本当は一番いいのだろうが。

 このタイミングであっても、どんどんと変化していくことは必要だ。

 今年無失点のピッチャーが、さらに手札を増やそうとしている。


 終盤に入ってくるが、今日のスターズの打線は、なんとか直史のボールを、ファールグラウンドに飛ばしていたりはする。

 普段ならばツーストライクに追い込めば、一気に三振も狙っていく。

 そのため案外三振も増えるのだが、今日はゴロでのアウトが多い。

 ストレートの割合が少ないというのも、今日の試合の特徴だ。


 実戦こそが最大の練習になる、という説はある。

 ただそれはアマチュアにおける、練習試合などの話だろう。

 もっともプロはシーズンになれば、二軍戦で試すぐらいしか、打たれてもいい状況などはない。

 そしてその二軍戦にしても、本来は相手をしっかりと抑えて、アピールする場所である。

 だから一軍戦で試すしかないというのは、確かにそうなのだろうが。




 変化するというのは、怖いことではあるのだ。

 実際に今の時点でも、充分すぎる内容が続いている。

 しかし変化は常に行い、相手に対応される前にまた、さらに変化して行く。

 それが直史の思考であるし、バージョン更新は重要なことであろう。

 逆に昔のスタイルを、ここで出してきても悪くはないのだ。


 中盤までにヒットを二本打たれている。

 だから終盤は、それをアジャストしていく段階である。

 二点差というのはワンチャンスであるため、試すにも限度はあるが。

 直史はそれでも、中軸から始まるこの回も、しっかりとゴロを打たせていった。

 今日はカーブの割合が少ないと、相手もそろそろ気付いているだろうか。


 データ戦である現代野球は、当然のように試合の序盤と終盤で、変化して行くものだ。

 たとえば基本的に、ピッチャーとバッターの対戦は、試合の後半の方がバッター有利になっていく。

 ピッチャーのボールに合っていくからであるが、だからこそバリエーションが必要なのだ。

 球数で継投するにしても、ピッチャーの疲労以外に、バッターとのアジャストもまた問題であるだろう。

 それをさらにずらしていくのが、バリエーションの豊富な直史だ。


 終盤こそがチャンス。

 そう思っていた頃がありました。

 最終回を迎えた時点で、レックスの点数は動いていない。 

 2-0という少し厳しい状況で、九回の表が始まる。

 ここでもう一点取ってくれれば、さらに直史としては楽になる。

 裏のスターズ打線は、間違いなく代打から始まるのだ。


 スターズの代打にしても、出来るだけ情報は集めてある。

 二軍の試合に出ているにしても、そこまでしっかりスコアラーが見に行っているのが今の情報野球。

 もっとも直史はその情報の見方を、そのまま受け取ったりはしないが。

(三点差になれば、スターズの打線のほうからして、ある程度士気が落ちると思うんだが)

 プロ野球は個人事業主なので、たとえチームが負けてしまっても、自分の成績にはこだわるべきだ。

 そう頭では分かっていても、実際にはベンチの空気が重くなり、バットのスイングにも影響が出るだろう。

 しかし代打であれば話は別である。

 代打のバッターというのは、一打席ごとに自分の評価がされる。

 スタメンと違い一試合に、三度も四度もチャンスはないのだ。

 九回の裏、結局は無得点のまま、スターズの最後の攻撃を迎える。

 ピッチャーの打順には、当然だが代打が出てきた。


 今日のここまでの試合の中で、直史は多くの布石を打ってきている。

 しかし代打に対しては、あまりそれが役に立たない。

 もちろんそれまでの試合から、傾向は見えているだろう。

 そもそも直史のボールは、打てるほうが珍しいのだ。

 ただ打率もそれほど高くはならないはずの代打が、直史相手であるとそこそこの打率になる。

 直史が代打に弱い、などという話ではないのだが。




 代打の選手というのは、基本的には代打でしか使えない、とでも思うべきであるのか。

 それはちょっと悪い見方と言えるかもしれないが、スタメンでは使われない理由がある。

 あとは左のピッチャーに対して、とんでもなく強いバッターなどがいたりする。

 あるいは逆に左のピッチャーが全く打てないために、予告先発やローテーションから、スタメンを外れる選手もいる。

 直史は右のピッチャーであるだけに、特にこれを苦手とするバッターはいないだろう。

 だが一応は数字の上であれば、左バッターの方が対戦成績はいい。

 大介や悟のような、一部の左バッターが平均を上げていたりするのだが。


 今はとにかくバッターに、左が増えている時代である。

 右の大砲がほしいというのは、多くの監督やフロントが言うことだ。

 ただ子供の頃から、わずか一歩の差を詰めるため、左バッターに矯正することはある。

 ピッチャーを兼任していて、しかも右のピッチャーであるのに、左にしたりする選手もいるのだ。

 左殺しの右バッターがいれば、それだけでそれなりに需要があるという、おかしな時代になっている。

 バッターは代打の代打をすることが出来るが、ピッチャーは必ず一人には投げなければ、交代できないのがNPBであるのだ。

 MLBはまた、少し違っているのだが。


 せっかく出てきた左の代打を、直史はあっさりと片付けていた。

 プレートの位置を上手く使って、最短距離のアウトローを決めて、最後はインハイを振らせて終わったのだ。

 これで残りはアウト二つとなって、そして打順は上位に戻ってくる。

 直史はスターズの上位打線、特に一番と二番には、それなりに注意している。

 なにせ足があるので、ランナーとすれば厄介であるからだ。


 それでも打たれる確率は、一割もあればいい方だ。

 スタメンの選手でありながら、今シーズン一本も直史からヒットを打っていないどころか、出塁さえしていない選手はたくさんいる。

 注意深く投げられていれば、逆に打つのは難しい。

 そんな酷いピッチャーが直史である。

 もっともさすがにこの年齢と実績になれば、対戦した相手が悪かったのだ、と開き直れる選手も増えてきたが。


 打てなくて当たり前、と思ってもらうと直史としては困るのだ。

 なんとかして打ってやろう、と肩に力が入っている方が、ピッチャーとしては打ち取りやすい。

 もっともたまに、ガチガチに緊張している方が、スイングがいいというバッターもいたりする。

 そういう選手は状況に応じて、ボール球を振らせたりする必要がある。

(今日はそれなりに、球数が多くなったな)

 肩肘以外、全身の負担はそこまで、重いものではない。

 だが試合時間そのものが、少し長くなったのは確かだ。


 お互いにあまり、ランナーの出ない試合であった。

 それなのに時間がかかったというのは、少し不思議な感じもする。

 基本的に直史は、ピッチングに時間をかけない。

 間合いを取るとバッターの方が、準備が出来てしまうと考えるからだ。

 今日の試合はチェンジアップを試すため、その思考の時間が少し長かった。

(試合時間を長くするのは、それだけ他に使える時間が短くなるということだ)

 直史は時間の浪費に、人一番敏感である。

 たかが野球、されど野球。

 短く考えて早く投げる方が、バッターは集中しきれない。

 こういった点まで考えて、直史はピッチングをしている。

 今日は少し間合いが長かった、とは反省している。

 それでもMLBのピッチクロックにさえ、全く引っかからない時間であったろうが。

 野球のピッチングというのは、相撲の立ち合いに似ている。

 けたぐりを入れる気満々の直史は、だからこそ打たれないとも言えるのだ。

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