第305話 ひたひたと

 レックスとライガースの差が、少しずつ縮まってきている。

 直接対決の連敗の後、直史がその連敗を止めた。

 しかし今やエース格と言ってもいい百目鬼が、微妙な采配のミスで敗北している。

 もっともあれをミスとするのは、それこそ事後孔明というもので、判断などは難しい。

 それでも勝敗に関しては、首脳陣に非難が向くのは当たり前である。


 そんな中で木津が、しっかりと勝ち星を得たのは、嬉しい材料であったろう。

 勝敗だけでピッチャーの価値を決めるのは時代遅れ。

 だがそれでも、チームを勝たせてこそエース、という風潮が残っているのだ。

 もちろん木津はエースクラスとは、とても言えないピッチャーではある。

 ただ相手の打線が強くても弱くても、あまり取られる点数に関係がない。


 ピッチャーは最適解を求めてくる。

 一番速いボールを投げられるフォームこそが、最適解であると考えるのだ。

 実際のところそれは、ある程度は正しいと言えるだろう。

 だが速いボールだけでは、簡単に打たれるのが野球だ。

 上杉でさえプロの世界では、ストレートだけというピッチングはしていない。

 少し動かして打たせるボールの他に、球速差はそれほどでもないが、落ちるチェンジアップを持っていた。

 武史はそれに加えて、大きく曲がるナックルカーブを使っている。


 タイタンズ戦は結局、勝ち越して終わることが出来た。

 しかし次がここのところ恐ろしい、カップスとのカードになっている。

 流れが悪いと感じるのは、直史の投げるローテと、カップスが当たらないことだ。

 逆にカップス側からすると、流れがいいということでもあるのだろうが。

 さすがにペナント争いにまでは、食い込んでくることはないと思う。

 だが第三のチームとして、ペナントレースの際どいところを左右するかもしれない。


 野球は比較的、連勝や連敗が少ないスポーツだ。

 ピッチャーの登板タイミングで、上手く勝敗を左右できる。

 カップスはもう確実に、ポストシーズン狙いではきているだろう。

 そのカップス相手に、レックスは塚本、三島、オーガスという並びで勝負する。

 雨天の試合中止によって、直史などの勝てるピッチャーはそのままスライド。

 しかし塚本などはまだ、それほど期待されていないので、ローテを飛ばされてしまうのだ。


 大卒即戦力と言われながらも、9先発の3勝2敗。

 須藤と六人目の座を争っていたのだから、これでも一年目としては充分な数字であろう。

 データを重視する大学野球であっても、プロはさらにその上を行く。

 一年目からローテにはいって15試合も投げれば充分なこと。

 それにどの試合も、六回までは必ず投げているのだ。


 先発ローテの仕事は、六回までを投げること。

 三失点までであれば、試合を壊したことにはならない。

 これが五回で降りたり、五点以上も取られていたりすると、ベンチの判断が難しくなる。

 彼我の得点差を考えて、試合を捨てるか拾うか、考えなければいけないのだ。

 レックスの場合はライガースとのゲーム差を、意識して戦わなければいけない。

 基本的にはリードしている方が有利なのだが、それでも首脳陣の胃は痛くなる。




 塚本はサウスポーで、持っている球種も豊富。

 球速でも直史を優に上回る。

 だがそういったプラスの要素が、結果に結びついていかない。

「やっぱりコントロールなんでしょうか」

「コントロールとコマンドの違いは分かるか?」

 さすがに今の時代、この二つを分けて考えられないと困る。


 コントロールというのはもちろん、そのままボールをコントロールする能力である。

 どのコースに投げるかということを、このコントロールと考えている人間はいる。

 コマンドというのはもっと積極的に、狙ったところにしっかりと投げる能力だ。

 アウトローとインハイだけはしっかりと投げて、他のコースは大雑把。

 この二つのコースをしっかりと投げられれば、他のコントロールというのはゾーン内に投げられればいい。


 直史も昔は、コントロールをとにかく磨いたものだ。

 今でも野球では普通に、ストレートをしっかりと投げることを、一番と考える指導者はいる。

 だがアメリカであれば、最初からクセ球であったりするピッチャーでも、体に負担がかかっていなかったら、そのまま育成して行くのは確かだ。

 直史の場合は狙ったところに投げないと、キャッチャーが捕れないという段階から始まった。

「コントロールはアウトローの出し入れだけで、充分に通用する」

 直史のコントロールは、もっと違う意味を持っている。

 スピン量やスピード、そして変化球をゾーンに投げるか外して投げるか、といったところである。


 大学まで野球をやっていたのだから、色々と考えることも多かったはずだ。

 しかし大学野球はいまだに、白富東レベルのことを、教えていない指導者もいる。

 高校に比べれば、ちゃんと専門家なだけに、まだしもマシとは言えるのであろうが。

 塚本の場合はカーブで緩急差を作り、逃げるスライダーで空振りを取り、ツーシームで打ち損じを狙う。

 普通に球種があって、それぞれの役割が足りているものだ。

 試合前に軽く、肩を暖めるピッチング練習。

 カーブはしっかりと、抜く回転がかかっている。


 多くの変化球は基本的に、ストレートに比べてホップ成分が少なかったりして、結果的に落ちていく。

 だがカーブは抜くことによって、落ちる回転をかけているのだ。

 スプリットやチェンジアップも、ホップ成分が少ないから落ちていく。

 意識的に落とすのはカーブだけである。

(緩急差をもっと使えればな)

 カーブに二種類あれば、より使えるボールになるだろう。

 直史などはもっと何段階にも、カーブは投げ分けているが。


 スプリットなどでも、色々と変化はつけられる。

 リリースの抜く瞬間に、どちらの指に当てるのか。

 それによってスピードはそのまま、左右のどちらかに落ちる。

 変化球の使い方としては、そういうものもあるのだ。




 プロは実践の中で、自分のボールを磨いていく。

 毎日ピッチングの練習などをしていれば、本番までに消耗してしまう。

 単純に肩を作るのと違って、集中して投げなければいけないからだ。

 ただ投げるのと、集中して投げるのは、気力の消耗度合いが違う。

 同じように練習するのでも、集中して投げるならば、球数が少なくてもちゃんとした練習になる。

 とは言っても直史は、普通に300球ぐらい投げていたが。


 塚本はローテの投手なので、基本的には中六日で投げる。

 ただまだ一年目の新人なので、ローテを飛ばされることもある。

 そういう時にこそ、ピッチングを集中して行う必要がある。

 直史の目からすると、色々と改善する点は多い。

 しかし直史に出来ることは、他人には出来ないことであるのだ。


 ローテの飛ばされた日に、休んでいる若手は大成しない。

 直史などはいまだに、登板翌日や前日などを除けば、守備練習などには参加しているのだ。

 投内連携をしっかりしていると、それだけで一試合でアウトが一つぐらいは増えるだろう。

 たったの一つとバカにしてはいけない。

 それこそパーフェクトをやっている時など、その内野ゴロの処理によって、達成出来るかどうかが決まるのだ。


 一試合に一個というのを、毎試合続けていればどうなるか。

 単純に年間、20個以上はアウトが取れるということになる。

 こんな積み重ねというのは、選手生活を通算で見れば、大きな差となる。

 実際に役に立つかどうかではなく、ここまで徹底できるかというのが重要なのだ。


 直史は一試合において、ピッチャーゴロを平均で三つは捌いている。

 もちろん他のピッチャーでも処理できるような、普通のピッチャーごろも多いが。

 しかし守備をしないピッチャーがいれば、バントなどでも慌ててしまうことがある。

 そういったことを考えなくては、どこか隙が出来てしまうのだ。

 直史は一度引退したし、プロ入りした年齢も遅かった。

 それなのにこういった技術は、他のピッチャーの中でもトップクラスである。


 よくコントロールや、変化球の球種の多さが、直史の才能だと言われたりする。

 しかし本当に才能と言える部分があるとすれば、この部分ではないだろうか。

 つまり一度習得した技術を、なかなか忘れないということである。

 普通は体幹や体軸などに依存する技術は、毎日のたゆみないトレーニングによって、維持されるものである。

 そう考えると忙しかった直史が、そういったものをしていないのに、技術をさび付かせていなかったというのは、なんとも不思議なことである。

 確かに人間には、ある程度の動作を自動で、出来るようになる能力が備わっているが。


 ピッチングというのは、とても繊細なメカニックである。

 だからこそ完全に、自動化して再現出来るようにしておくべきなのだ。

 直史はこのあたりのことに、まだ気づいていない。

 自分の脳が特殊であるとは、思ってはいないのだ。

 実際に復帰の時も、半年は時間をかけて、元に戻していった。

 普通の人間であれば、その時点で不可能だったのだ。




 塚本の投げる第一戦、カップスの強さが見えた。

 レックスと打率などは、さほど差がない。

 ただ得点力が高いのは、チャンスでしっかりと打っているということだ。

 この試合は塚本が投げることを考えれば、レックス打線はもっと点を取っていかなければいけなかった。

 だがカップスの方は、それをしっかりと把握していたのであろう。


 試合は序盤から、カップスのペースで進む。

 レックスも守備は堅いのだが、それでもカップスの方が上回る。

 塚本のピッチングはやはり、色々と試行錯誤の色が見える。

 開き直って投げたほうが、むしろいい結果を生みそうなのだが。

(大卒即戦力とは言っても、まだ一年目だからな)

 これが普通のピッチャーである。

 ブランクがあっても平気で勝てる、直史などの方がおかしいのだ。


 ピッチャーが豊作の年と言われていた。

 実際に一年目からローテに定着したのなら、それは確かに充分な力だ。

 しかし一年目から、完全にローテを守るというのは、まだまだ難しいであろう。

 今ある戦力を、どう使って勝っていくのか。

 それを首脳陣は考えていかないといけない。


 塚本が本格的に使えるようになるのは、おそらく来年からである。

 今年のオフにどう過ごすかで、来年だけではなくプロ野球選手としての将来が決まるかもしれない。

 質をとことん上げた練習で、どれだけ鍛えることが出来るか。

 直史にはもう完全に不要のものだが、合同自主トレや秋キャンプなど、鍛える場面はあるはずだ。

 もっとも日本シリーズまで進んでしまえば、それも難しくなるだろうが。


 塚本はポストシーズンの戦力としては、試合を消化する程度にしか使えないと思う。

 直史と三島、百目鬼とオーガスあたりが、先発として勝てるピッチャーだ。

 木津も去年は活躍したが、今年は計算には入れにくい。

 この中で決定力を持つのが直史。

 他の三人もやや貧打のレックスの中では、充分な力がある。

 しかし重要なのは、やはり国吉が戻ってくることだ。


 カップスとの対戦で、リリーフ陣の出番が来なかったのは、むしろ良かったことだろう。

 大平と平良は、前半ややはり働きすぎていた。

 安全に勝てることを優先しすぎて、他のピッチャーを使うというリスクを取れなかった。

 ここで敗戦処理のピッチャーを使うことは、二人を休ませることにつながる。

 次の二戦目から連続で使っても、月曜の休みで三連投は防げる。


 もちろんそれで完全に、休養になるとは限らない。

 ただリリーフの中でも、勝ちパターンの二人に関しては、絶対に欠いてはいけないものなのだ。

 国吉が離脱してから、何人かに七回を任せている。

 成功もすれば失敗もするが、1イニングだけならなんとかなることが多い。

 しかしその成功の確率が、もっと高くなければセットアッパーにはなれない。

 ただのリリーフと違うのが、セットアッパーという存在なのだ。




 初戦を落としたカップスとのカード。

 だが残りの二戦は、問題なく勝ちパターンの二人を使っていける。

 今は七回になると、使われるのは須藤であることが多い。

 ピッチャーが毎年入ってくる世界では、それだけ去って行く者もいる。

 ここでのチャンスを掴み取れなければ、そうやって業界から消えていくのだ。

 まだしもポストを用意してもらえたら、それはそれで幸いである。


 ある程度の実績を残したら、球団に残ることが出来る。

 しかし20代の後半ぐらいで、特に活躍することもなかった場合、球団に残ることは難しい。

 野球選手は逆説的だが、野球選手である間に、セカンドキャリアを考えておくべきだ、と直史などは思う。

 その考えの背景にあるのは、MLBの破産したスタープレイヤーたち。

 プロ野球の世界では、なんだかんだ言いながら、それなりに必要経費もかかってしまう。

 見栄を張る選手が多いというのは、確かな事実なのだ。


 カップスとの試合が終われば、一日が休養日で、次は神奈川に移動しスターズとの試合となる。

 その第一戦の先発は、直史というローテーションだ。

 高い確率で完投してくれて、あとは打線がある程度援護すれば、勝ちパターンのリリーフは必要ない。

 つまり二日間は休めるということだ。

 それだけこのカップスとの二戦目と三戦目、どうにかして勝ちたいという気持ちにはなる。

 

 三島とオーガスが投げる試合は、勝率がかなり高い。

 他には百目鬼も高くて、直史を含めてこの四人が、勝てる先発となっている。

 木津もこの間で、勝ち負けの数字を同じにした。

 もっともピッチャーの価値は、そういうところにあるのではない。

 数字で評価しなければ、チームは強くなれない。

 木津はとにかく、クオリティスタート率で評価すべきだ。

 ひょっとしたら他のチームに行けば、もっとフィットして大活躍するかもしれないのだ。


 現場とフロントの間は、悪くない関係にあるレックスである。

 貞本などは基本的に、フロントの注文通りに育成をしていたつもりだ。

 もっともそこに直史が入ってきて、優勝出来るような戦力になったのが、むしろ不幸であったのか。

 監督としての契約が切れた時、それとなく来期の打診もされていた。

 しかし今の勝てるチームには、自分ではない指揮官の方がいいと思ったのだ。


 豊田をやがては監督に、という方針もある。

 またその後には、緒方という選択も見えている。

 二人ともレックス一筋であり、豊田はブルペンワークが分かっていて、緒方はチームキャプテンとして長い。

 ショートを長く守っていたので、選手の動きを見るのにも優れている。

 このあたりはまさに、勝つための人事になるだろう。


 もっとも本当に監督にしたかったのは、鬼畜眼鏡の樋口である。

 MLBで引退してからは、完全にNPBの世界とは縁を切った樋口。

 確かに向こうで稼いできた金額を思えば、NPBの金ははした金に見えるだろう。

 何よりも樋口は本来、野球以外の道に進みたかったのだ。

 代議士の政策秘書という、かなりそれに近かった道に、樋口は進んでいる。

 あの圧倒的な配球と、リードの能力を捨て去って。


 直史にしても、現場を見てほしいという要望はある。

 だが直史は現時点でも、法人の幹部としても働いていて、その動きを隠そうともしていない。

 野球は好きだがプロでやるほどではない。

 それが直史の、昔から一貫した姿勢なのである。




 カップスとの残り二試合、落とすのは苦しいところである。

 ライガースは着実に、カードの三連戦があれば、勝ち越してゲーム差を縮めてきている。

 もっともまだまだ、その差は厳しい。

 レックスは国吉が離脱しているという、そういう状態で戦っているのだ。

 あちらも大原がまだ戻っていないが、重要度ではレックスの国吉の方が上である。

 もっともあちらの大原は、精神的な支柱ではあるだろうが。


 ライガースはバッティングのチームである。

 だからこそピッチャーは大切なのだ、とも言える。

 友永が入ったことによって、去年よりは先発の力も増している。

 そしてクローザーの力は、レックスにも見劣りするものではない。

 160km/hを投げるヴィエラは、セーブ機会の95%を成功している。


 大介のバッティングに、世間の注目は集まる。

 他のバッターに対して、大介の優れたところは、スランプらしいスランプがないということだ。

 五試合ほどホームランがなかっただけで、スランプ扱いされてしまう。

 七月の試合がまだ残っているのに、既にホームランは43本も打っているのだ。


 直史は目標に対して、逆算して考える。

 重要なのはライガースを相手に、アドバンテージのある状態で、クライマックスシリーズを戦うこと。

 甲子園で戦うとなれば、単純なアドバンテージ以外に、応援の圧力が大きい。、

 それに比べると神宮ならば、いくら熱心なライガースファンがいても、その影響は限定的だ。

 もちろん直史自身に限れば、そういった逆境も関係ないのだが。


 カップスとの対戦成績が、案外今年のペナントレースを左右するのでは。

 そう考えると残りの二試合も、しっかりとチェックしておく必要がある。

 直史は投げないが、神宮の試合ではチェックを行う。

 重要なのは連敗につながるような、そういう試合をやってしまわないことである。

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