第301話 流れと勢い

 野球には流れと勢いがある。

 どちらも曖昧に使われるものだが、少なくとも後者は分かりやすい。

 首位攻防戦で三連戦のうち、第一戦は雨で流れた。

 そして二戦目をライガースが、圧倒的な得点で制したというのが、勢いである。

 ただ流れになると、これはやや難しい。


 もしも第一戦が雨で流れていなければ、この第一戦の勢いで一気に、三連敗していたかもしれない。

 それが最悪でも二連敗で済むというのは、勢いのあるライガースが、その勢いを活かしきれていない。

 つまり流れが決定していないということだ。

 またこの直接対決で、全てライガースが勝ったとしても、まだレックスが勝率で上回るということ。

 これも勢いが流れを上回りきらない、という見方であろうか。


 レックスから見れば連敗してチームの空気が多少は悪くなっても、次のカードの第一戦が直史の登板である。

 こういうものを流れがいい、というのだろう。

 スポーツには偶然性がどうしてもあるが、それを上手く流れと解釈し、そこから動いていくこと。

 不運が続けば人間は、集中力が落ちてくる。

 逆に幸運が続けば、集中力が増してゾーンに入ってくる。

 ただし野球は集団競技であるので、一人だけのパフォーマンスで試合が決まることはあまりない。

 そして指揮官というのはデータ野球だけではなく、こういった流れを言語化して、選手たちの意識を変えていく必要がある。


 貞本が育成はともかく采配でいまいちと言われるのは、このあたりに理由がある。

 西片はリードオフマンとして一番を打っていた経験が長いので、この流れというものをかなり意識している。

 第三戦は試合前から早々に、豊田と確認している。

 おそらく今日の試合も、勝ちパターンのピッチャーは必要ではなく、敗戦処理が重要になってくるだろうと。

 大平や平良といったリリーフ陣は、基本的にイニング数ではなく登板数が年俸に反映されやすい。

 なので少しでも試合に出たいのだが、そこを止めるのがコーチ陣の仕事とも言える。


 プロ野球選手の中でも、特に若手は試合に出たがる。

 自分のポジションを確定させなければ、不安で仕方がないのだ。

 大平も平良も、まだ20代の前半。

 なので豊田としても分かるのだが、分かっていても分かるわけにはいかない。

 チームの方針として、ここは休ませながら使わなければいけない。


 ピッチャーの肩肘は消耗品。

 昔からよく言われることである。

 だがちょっと違和感がある程度なら、投げてしまうのがリリーフの思考パターン。

 ローテに定着したなら、少しは待ってもらえる。

 それでもエースクラスでなければ、常に入れ替わりの危機感は持つ。


 三島や百目鬼であれば、そんな意識は持たなくても済む。 

 しかし木津などは、実績を残せなければまた、二軍に落とされるだろう。

 そして木津のピッチングは、二軍ではなかなか実績を作りにくい。

 大きく崩れることはないが、ある程度は点を取られる。

 特にバックスピンのかかったボールは、スピードの割には反発力があり、スタンドにまで飛んでいくのだ。

 バックスピンのあるストレートを持つピッチャーの職業病。

 それが一発病と俗に言われるものだ。




 オーガスの投げた二試合目も、終始ライガースが試合の主導権を握った。

 ライガースがしっかりと勝利を目指していけるのは、畑と津傘に加え、FA移籍の友永と、大卒一年目の躑躅。

 もっとも躑躅の場合は、完全に打線に助けられた試合が多い。

 去年はものすごく良かったフリーマンは、オフの間に相当研究されたのか、ぎりぎり勝ち星が上回る程度。

 友永の場合はライガースに来て、ものすごく打線に援護されている実感がある。


 ライガースは攻撃は大味で、守備は繊細。

 どちらにしろ強いボールの処理に強い、とでも言えるだろうか。

 大介は二打席も勝負を避けられたので、盗塁を一度決める。

 そしてランナーが二人いるところで、歩かせることを前提のボールを叩いて、長打にしてしまう。

 ツーベースを打って、打点が一つ増える。

 この時点で打撃三冠は、全て大介がトップである。

 そして盗塁王は微妙だが、23個を成功させている。

 また今年も、普通にトリプルスリーが狙えそうな位置にいる。


 大介の場合は、四割50本60盗塁を普通にやっていたのが若い頃。

 この数年はようやく、盗塁の数が減ってきた。

 それでもプロ入り以来、盗塁の数が30を下回ることはない。

 走れなくなった時は、ホームランの数も落ちていくだろう。

 出塁率はある程度、維持できるであろうが。

 大介は自分のストライクゾーンを、勝手に広げてその範囲の中を打っている。

 本当ならばもっと、フォアボールの出塁は多いのだ。


 盗塁数も重要であるが、盗塁は成功率の方がもっと重要だ。

 そして成功させることで、よりピッチャーにはプレッシャーを与えることが出来る。

 ランナーとしているだけで、ピッチャーのリソースはそちらにも振られてしまう。

 そういうことにさえなれば、あとはもういるだけで得点のチャンスとなる。

 あくまでもチャンスではあるが、即ち得点の平均を上げることにはなる。


 打点よりも、自分がホームを踏む回数の方が多い。

 しかし最初のNPB時代は、打点の方が多かったのだ。

 三番打者を打っていたことが、関係しているのは間違いないだろう。

 二番を打つことが多かったMLBでは、圧倒的に得点の方が多くなっていった。


 NPBに復帰後も、その傾向は強い。

 一番にはリードオフマンの和田がいるので、二番に入ってもそれなりの打点がつくのだ。

 しかし復帰後は、完全にフォアボールや敬遠の数が多くなった。

 全盛期を過ぎているのに、20代半ばの時期よりも、勝負を避けられることが多くなった。

 MLBでのOPSを見て、勝負をしてはいけないバッターだというのを、改めて感じたからだろうが。


 MLBでは出塁が重視される。

 それでも大介は、打てる球ならボール球でも打ってしまう。

 だから選球眼が悪い、とデータ上はなってしまう。

 選球眼が悪いのに、とんでもなく打率も出塁率も高い、というおかしな現象が発生するが。

 和田が二塁で大介が一塁という状況では、ダブルスチールなどが何度かなされた。

 さすがに試行数は少ないが、それなりに結果は出ている。

 盗塁は効率が悪いとは言われるが、ピッチャーのクイックやキャッチャーのスローなど、要因はいくつにも分かれている。

 かつては三盗までたやすく決めていたのが、大介であるのだ。




 42ホームラン、110打点、打率0.411。

 これがまだ七月の試合を残している、大介の数字である。

 とにかく長打を打つと決めていて、どこからでもジャストミートしてくるスイングのテクニックを持っている。

 長いバットを使っているのだから、むしろ内角の方を攻めればいいのでは、と思われたりもする。

 短い腕なのであるから、上手く腕を畳んで打ってしまうのだ。

 ホームランにまではならなくても、外野の頭を抜くぐらいのことは出来る。


 レックスはライガースの打撃を前に、直接対決を二つ落とした。

 しかしライガースはレックスに比べると、勝てるところで落とすのが多いチームだ。

 基本的に野球の試合など、味方が点を取ってくれなければ、面白いものではない。

 ファンのそういった心情に、ライガースの選手はしっかりと応える。

 ただピッチャーはもう少し、殴り合いを回避する能力に長けた方がいいだろう。


 レギュラーシーズンは殴り合いでいいのだ。

 だがポストシーズンは戦い方が変わる。

 それこそ高校野球のように、一試合の勝利が大きい。

 ここを理解していないと、そのチームは日本一になれない。


 ライガースは首位を争うレックス相手に、二連勝した。

 その次のカードは、スターズとのものである。

 武史が復帰するまでに、まだまだかかるスターズ。

 その成績はずるずると、落ちていってしまっている。

 しかもまた舞台は甲子園。

 一気に三連勝してしまえ、と思うのも当然であろう。


 ただスターズはようやく、一人のエースに頼るという体制を、改善しつつあるのだ。

 スターズのその雰囲気に気づいたのは、去年まではむしろあまり接触のなかった友永である。

 今年からライガースのローテに入った友永は、打線の援護をしっかりと受けて、エース級の勝ち星を稼いでいる。

 ピッチング自体は去年と比べて、さほど良くなったとも本人は思っていないのだが。

(これだからプロ野球はな)

 友永の投げた第一戦は、どうにか勝つことが出来た。

 しかし続く第二戦と第三戦を、なんと落としてしまったのだ。


 今年は分析されて、研究されたフリーマン。

 そして大卒一年目の躑躅である。

 打線もある程度の援護をしたが、序盤からしっかりと点を取っていったスターズ。

 上手く逆転を許さず、ライガースを相手に勝ち越したのだ。

 プロの世界というのは、この程度の番狂わせは普通にいくらでもある。


 大介はこの三連戦でも、ホームランを一本増やした。

 打点はそれ以上に増やしているし、得点はさらに多い。

 打率はわずかに下がったが、それでもスランプというほどではない。

 直史ほどではないが、大介の調子の波がないタイプだ。

 個人的な事情があれば、また影響はしてくるのだが。


 野球におけるスランプを、野球の中に求めない。

 メンタルの強さというのは、大介にはある。

 それよりも重要なのが、故障などでチームから離脱しないこと。

 この40歳を過ぎた選手を、球団はいまだにショートで使っているのだ。




 レックスはかなり、ライガースにボコボコにやられた。

 普通ならば確かに、ダメージが少し続くようなやられ方であった。

 もっとも普段は、相手の打線にトラウマを与えているのが、直史のピッチング。

 甲子園で大きく負けた後、本拠地神宮へ戻ってくる。

 そして相手は落ち目のタイタンズ。

 第一戦の先発は直史である。


 今日はどんなピッチングをするのか。

 同じ東京のタイタンズが相手なだけに、当然ながら満員御礼となっている。

 直史はこれが、今シーズン17度目の先発。

 散々に怪物扱いされているが、今年が一番おかしいであろう。

 なにしろここまで16試合に投げていて、敗北はもちろんのこと0である。

 そしてそれ以上に、失点がない。


 MLBで一度、失点のないシーズンがあった。

 最もおかしな一年、とも言われたシーズンである。

 だが今年もまだ、一点も点を取られていない。

 直史は勝利にはこだわるが、無失点にこだわるほどの、無茶なピッチャーではないのだが。

 ただ勝利を追及していった結果、無失点の試合が続いている。


 七月は二試合に投げて、ヒットを一本しか打たれていない。

 他にはデッドボールでランナーを出したのみ。

 二試合を完封して、ヒットとデッドボールを一つずつのみなのだ。

 これはそろそろ来るのではないか、と満員の観衆は期待している。

 そして対戦するタイタンズも、その異様な空気を感じている。


 パーフェクトを達成することは偉大だが、達成されることは恥である。

 その点で言うならレックスの打線も、相当にパーフェクトではないにしろ、完封はされたことがある。

 直史が投げても勝てないのなら、その原因は打線にある。

 普通に考えて一点を取れば、試合に勝ててしまう。

 どんなピッチャーが相手でも、一点ぐらいは取ってほしいものだ。

 もっともレックスの打線も、直史を相手にしてしまった場合、勝てるとは全く思わないが。

 唯一の希望があるとすれば、キャッチャーが致命的なミスをするぐらいである。


 レックスの迫水はまだ、プロに入って三年目。

 社会人出身とは言え、キャチャーはそれでも時間がかかるものだ。

 それが一年目からかなりの試合にスタメンのマスクを被る。

 打撃が良かったからというのもあるが、直史がこの若手を、集中的に鍛えたのだ。

 それが続いて三年目。

 迫水は疲労がたまらない程度には休むが、他はずっとスタメンのマスクを被る。

 キャッチャーの中でも正捕手は、クローザーと同じぐらいに代えの利かないものである。

 なのである程度は、一軍の試合でも二番手を使っていくべきだ。




 そろそろ迫水は、独り立ちしてもいいだろう。

 実際にキャッチャーとしての能力も、相当に高くなっている。

 何より迫水がいいのは、バッティングに優れている点だ。

 他のピッチャーもリード出来れば、もう迫水を完全に固定することが出来る。


 打てるキャッチャーであれば、今の年齢からであっても、10年は働けるだろう。

 ただ直史の目から見たならば、まだいくらでも改善の余地はある。

 キャッチャーというのはとにかく、情報の蓄積が重要。

 その情報を逆に活かせば、バッティングでも数字が出せるのだ。


 今日のスタメンのマスクを被るのも、迫水である。

 直史としては外部計算機が、ようやく役に立つようになってきたな、という感じである。

 高校と大学では、直史はキャチャーに文句を言わなかった。

 NPBとMLBでも、長らくはいいキャッチャーと組めていた。

 ただクラブチーム時代などは、さすがにそういうわけにはいかない。

 そこでは過去のキャッチャーのリードを思い出し、自分で組み立てる必要もあったのだ。


 ほとんどのキャッチャーは、直史の正確さの異常さに戦慄する。

 本当の意味で対等に考えられたのは、樋口と坂本ぐらいであろうか。

 樋口は悪辣な思考もするが、基本的には忠実なキャッチャーの思考をする。

 坂本はともかく、相手の裏を書くことを重要視していた。

 MLBでのキャッチャーというのは、あまりそういう役割はないのだが。


 神宮のマウンドに、直史は登る。

 ホームなので当然ながら、相手のチームは先攻になるわけだ。

 ここで完全に三人で終わらせれば、まずは相手の出鼻を挫くことが出来る。

 そういったこともまた、流れの一つではあるし、相手に勢いを与えないことなのだ。

 一発勝負などであれば、むしろランナーを出しても点には結び付けない。

 そういった試合の展開も考えるのだが、基本的にはそんな安定感のないピッチングはしない。


 本日の目標は、当然ながら完封である。

 しかしただ完封と言っても、内容が色々とあるだろう。

 タイタンズは現在、順位が五位となっている。

 主砲が抜けても他のところから、ちゃんとチームを強化してくる。 

 選手層は厚いのだが、どうにも詰めが甘い。


 長打ばかりで勝つ野球は、直史も好きではない。

 なのでこの試合においても、相手に長打を打たせないことを、メインの課題として考える。

 他のピッチャーでは考えないような、直史だけの達成可能な目標であった。

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