第302話 単打まで
直史はピッチングを行う時、マネジメントを考える。
基本的には全てのバッターを、塁に出さないのが一番だ。
そんな試合を実際に、何度もやっているのが直史である。
しかしそこにもまた、思考する余地があるのだ。
野球には偶然性が存在する。
雨によって足場や指が滑るのは、その偶然性の中でも強いもの。
また単純なフライが、浜風に乗ってスタンドに届いたり、逆に戻されたりもする。
偶然性は直史の敵だが、不思議と直史はその偶然性の高い、野天型球場の方が好きなのだ。
合理的な直史でも、幾つかは説明のつかない部分はある。
単純に考えるなら、幼少期の原体験から、野天でのプレイを好むのであろう。
神宮という野天型の球場。
千葉のマリスタもそれなりのものだが、神宮は大学時代にずっと使っていた球場だ。
甲子園もそれなりに投げたが、大学野球の全国大会は、神宮を使って行われる。
プロ入り後のことを考えても、一番慣れた球場である。
ユニークなスタジアムというなら、アナハイムの本拠地も明るかったものだ。
この季節は高校野球の東西東京都大会も、決勝などは神宮で行われる。
東京の学生野球の人間にとっては、特別な場所であるのだろう。
球場ごとの特徴も考えて、ピッチングを組み立てていく。
あとは神宮は、ホームランが出やすいということも特徴だろう。
ゴロが長打になる可能性はあまりない。
一塁線や三塁線を抜いていくパターンはあるが、それでも長打は基本がフライだ。
フライボール革命の大前提として、フライを打たなければホームランにはならない。
もっとも大介などはライナー性の打球でホームランにすることが多いのだ、フライを打つというよりは、ジャストミートしたバッティングをする、というべきなのだろうが。
一二塁間や三遊間を抜けていくのが、ゴロでのヒットの基本だ。
ただライナー打球でも普通は、内野の頭を越えて外野の前、という程度にしか飛ばないのだが。
ほんのわずかに沈むボールで、バッターにゴロを打たせる。
打たせて取るタイプのピッチングなら、それが基本なのである。
フライではなくゴロを打て、というのは現代では高校野球でも通用しなくなりつつある。
ゴロは確かに、アウトになるプレイの過程が一つは増える。
また地面というイレギュラーになりうる要素も含む。
それでもアスリートタイプの選手がバッティングをすると、スイングスピードが上がるのだ。
打ち上げれば遠くに飛んでいく確率も、当然ながら上がっていく。
当たり前のことをちゃんと、前提として考える。
ピッチングは、特にコントロールに絶対の自信があるピッチャーのピッチングは、配球の中にどれだけリードのリスクを取り入れるか、というものだ。
可能な限り絶対に近づける。
だがこの世に絶対というものはない。
簡単なゴロの処理のはずが、イレギュラーとなることもある。
正面で取る、という昭和の指導法では、その場合グラブの動きが制限される。
三振を奪うのが一番いい。
今のタイタンズは長打力の確実性がなくなっている。
打つときは打つが、それがつながらない。
ツーベースを二本打って一点、というパターンが少なくなっているのだ。
ホームランを打つ確率は、それなりにある。
すると逆に高めに投げれば、掬い上げるアッパースイングが追いつかない。
スイングは基本的に、全てダウンスイングで入り、そしてアッパースイングに抜けていく。
高めのストレートなどそれこそ昔は、打たれるコースの代表であった。
しかしそれは、高めに浮いたストレートである、というのが昨今の研究で分かってきている。
最初から高めをしっかりと狙っていけば、それはちゃんと空振りが取れるストレートになるのだ。
タイタンズの大振り打線を、まずは三者凡退で終わらせた。
三振を二つ奪った上で、あとはファーストゴロである。
フルスイングというのはホームランを含む長打が増えるが、三振も増えていくものだ。
ただ中軸は前に、ランナーがいる状態で、打席が回ってくる可能性が高い。
ならばゴロを打つよりも、フライや三振でアウトになる方が、まだマシというものだ。
チャンスを活かせないことは罪だが、チャンスを潰してしまうことはそれ以上に罪であるからだ。
多くのスポーツがそうであるように、野球もまたホームゲームが有利。
応援が完全にこちらの味方だから、というのは理由の一つだろう。
メジャーにいた頃直史は、そのホームとアウェイの勝率の差を調べたことがある。
やはりホームの方が、勝率が高いのは確かだ。
ただメジャーではより、スタジアムごとの特色というものがあった。
有名なところではボストンや、サンフランシスコのスタジアムであろうか。
左右対称ではなく、フェンスの高さも違ってくる。
日本の球場にしても、たとえば甲子園はセンターラインはともかく、右中間と左中間が膨らんでいるのは有名だ。
随分と昔の話だが、タイタンズが初めて人工芝を導入した時など、一気にホームでの勝率が上がったという事実がある。
しかしアメリカの他のスポーツだと、NBAなどは屋内競技でそれほど施設の差はないであろうに、野球よりもさらにホームゲームが有利であったりする。
まあ試合を見れば分かるが、フリースローの時などは完全に、アウェイのチームはものすごいブーイングを受けているものだ。
ゴルフで言うならばショットの瞬間に、静かでいるかブーイングがあるか、これはそもそもブーイング自体がゴルフでは禁じられているが、なんらかの音が出ただけで、ミスショットをするという例はあるらしい。
直史は神宮で、本当に何度も投げてきた。
なので球場の特徴についても、ちゃんと理解している。
ただピッチングに関して、そこまで色々と考えているのは、本当に直史ぐらいであろう。
そもそもどれだけ考えたとしても、それに合ったボールをちゃんと投げられなければ意味がないのだ。
直史のコントロール、緩急差、そして変化球の種類。
これらがあって初めて、ピッチングというのは組み立てられる。
他のピッチャーはおおよそ、球威だけに頼る場面も多い。
直史も球威で攻めることはあるが、それは本当に少ない機会である。
球威が有効な場面を作り出して、そこでならば使うというものだ。
レックスは初回から一点を先制している。
これでおおよそ勝敗は、もう決まったと考える者もいるだろう。
直史の各種数値を調べてみると、基礎体力などは別として、ピッチャーとして一番完成されているのは、今である。
まだまだ野球が上手くなる余地がある。
肉体の出力には限界があるが、経験の蓄積と思考による洞察は、年齢を重ねるごとに鋭くなる。
これが単純に、完全に思考力を問題とする、将棋などではまた違うのだろうが。
野球は単純に局面を見るのではなく、相手の思考も洞察していかなければいけないスポーツだ。
その場面がどういうものであるのか、直史は正確に理解する。
直史が先発で、先に一点だけ取られたということで、タイタンズの打線は一発狙いになってくるだろう。
単打を二つ重ねるより、一発を狙った方が、まだしも確率は高いと思うのだ。
実際に直史は復帰の初年度、過去で一番ホームランを打たれたシーズンになった。
ローテーションをほぼ完全に守って、たったの五本だったのであるが。
タイタンズのバッターは基本的に、ピッチャー以外は下位打線であっても、ある程度の長打力がある。
打率よりもOPSというのは、確かに現代野球の常識だ。
メジャーにも打率が二割もないのに、ホームランを30本以上打っていたバッターがいたりもした。
直史にとってはそういうバッターは、完全にカモでしかなかったが。
二回の表から、タイタンズのバッターの傾向を観察する。
四番から始まるので、当然ながら強い素振りをして、バッターボックスに入ってくる。
果たして本当に、長打を狙っているのか。
ここで役に立つのが、高めのストレートなのだ。
ほとんどのバッターは、高めのストレートには手を出してくる。
少し高く外れていても、それでも手を出してくるのだ。
ここで手を出さないというのは、そのバッターの特徴と言えるのかもしれない。
直史は過去のデータから、そのバッターの特徴はしっかり記憶している。
だが直史相手には、過去通りのバッティングをしてこない、そういうバッターもいるのだ。
お互いの読み合い、ということになる。
そしてそうなると、完全に有利なのは直史だ。
なぜなら相手のバッターは、普段はそこまで複雑なことを考えてはいない。
変に考えすぎるよりも、スイングをしっかりすることが重要なのだ。
対して直史は、常に考えている。
ただし考える時間もまた、どんな状況でも短い。
メジャーはもうピッチクロックを導入しているが、それとは関係のない話である。
確かに時間を置いたほど、ピッチングはピッチャーに有利になるものだが。
どのタイミングで投げるかというのも、ピッチャーの持つ主導権の一つ。
ピッチクロックにしても、直史はその打席だけではなく、前のバッターの段階から配球を考える。
どれだけ先まで配球を考えているか。
そしてどれだけ執着なく、それを捨てることが出来るか。
野球の流れには、必ず偶然性がある。
だから投げるボールについては、その都度もう一度考え直さなければいけない。
そういう時に球威以外、どれだけの引き出しを持っているか。
直史はとんでもない数の引き出しを持っている。
ただし下手にこの引き出しが多いと、投げるボールに迷うこともある。
ストレートとスプリット系だけで、メジャーで通用したピッチャーがいた。
リリーフではカットボールしか投げないピッチャーというのもいた。
投げるコースなどを考えれば、球種は二つで充分とも言われる。
リリーフピッチャーなどは特に、ストレートに球威があるのが前提だが、他の変化球は一つでいいとも言われる。
先発はさすがに、もう一つ緩急をつける球が、あった方がいいであろうが。
二回はまず、内野フライで打ち取るところから、直史のピッチングは始まった。
フライは控えるべきという直史の考えだが、バットの上を通る三振は、比較的たくさん奪っているのだ。
そして内野フライまでは、自分の読みと合致すると考える。
追い込んでしまえば、ピッチャーの圧倒的な有利となる。
ファールでストライクカウントを稼ぐのも、直史のやり方なのだ。
このイニングも結局、三振を一つ奪っている。
あとは内野ゴロで、これは完全に計算の通り。
何も考えない直感型のバッターとは、どちらかというと相性が悪い。
たからそういう場合は、どうしても相手を考えさせる、こちらの土俵に引きずり込むのだ。
これで凡退してしまった場合、バッターはしばらくスランプになることさえある。
タイタンズは現在、中軸に外国人を二人入れている。
それを二人とも打ち取ったのが、この二回のピッチングであった。
スタンドからの圧力を感じる。
レックスのメンバーはもう慣れていたが、タイタンズ陣営は慣れてなどいない。
直史が投げると、どうしても相手チームのバッターは、パーフェクトの可能性に怯える。
実際のところはパーフェクトなど、そうそう出来るものではない。
ただし直史に関しては、充分にありうることなのだ。
去年はなんだかんだ言いながら、パーフェクトの数は一つだけであった。
少ないと言われるかもしれないが、普通はパーフェクトなど、一生に一度も縁がないものだ。
今年は既に、三度も達成している。
さらにパーフェクトには失敗しても、まだノーヒットノーランの可能性は残っていたりする。
加えてヒットを打たれても、まだまだマダックスというものがあるのだ。
今年の直史は、完投していない試合というのもある。
ただまだ二回が終わったばかりだが、完投ペースで試合は進んでいる。
なんとか100球以内に抑えれば、完封試合となる。
まったく相手の打線が打てないのを、楽しむことが出来るのがレックスファンだ。
熱狂的なファンと言うよりは、狂信的なファン。
大介もバッティングの神様などと言われるが、直史はピッチングの神様の技巧担当である。
一瞬の興奮を味わうスポーツの中で、直史のピッチングはかなり珍しい種類の楽しみ方が出来る。
9イニングが終わるまで、どのように相手のバッターを抑えていくか。
玄人めいた楽しみ方というか、独特の楽しみ方とは言えるだろう。
そして三回の表も、いまだにパーフェクトピッチング継続。
この裏にはレックスが珍しく、ある程度の点を一気に取った。
三点も差があれば、勝負は決まったようなもの。
こうなるとレックスのベンチは、リリーフを使うかどうか、そのあたりを迷うようになる。
もっとも球数的に考えれば、充分に完投の範囲内。
それどころかアメリカで勝手に作られた「サトー」の達成まで可能性が残っている。
勝ちパターンのリリーフである大平と平良は、もう六日間も出番がない。
大きなビハインドの試合であったり、また雨で試合が延期されたりと、悪いことが色々起こっているのだ。
リリーフは投げなければ給料が上がらない。
ただ今年は七月に入るまでに、既に充分に投げすぎていた、というのがレックス首脳陣の考えなのだが。
ブルペンにいる豊田は、今日も事故がない限り、問題なく試合は完投されるだろうと思っている。
もし何か事故が起こっても、点差を考えれば大平や平良は必要ない。
なので今日も出番はないと、二人には話しているのだ。
直史は同じピッチャーから見れば、果たしてどういうものであるのか。
単に怪物とか言うならば、上杉や武史の方がそれに相応しい。
よく言われるのは、名状しがたき何か、というものである。
究極の技巧派、ともよく言われた。
ならば大介は至高のスラッガーなのであろうか。
色々と言いたいことはある。
魔球を投げるという時点で、既に現実の存在とは思えない。
もっとも女子の野球であると、柔軟性があるためであるのか、これを投げるピッチャーがいたりする。
また偶然にこの回転になる、というのもそれなりにあることなのだ。
ロジックで投げるピッチャー、とはよく言われる。
打たれないために、打たれても点がとられないように、全てを計算しているピッチャー。
だが単純な計算ではなく、バッターの心理を読み、駆け引きもしてくる。
そういった読み合いが強い、というのも確かにあることであろう。
さらにはメンタル的に、そんなところには投げられないであろう、というボールも投げてくる。
このあたり涼しい顔をしていても、とんでもなくメンタルの強いピッチャーなのだと、そういうことも分かる。
レックスのピッチャーは、小さなアドバイスはよく受ける。
特に多いパターンは、体の開きが早いとか、つま先の踏み込みがずれているとか、そういった細かいメカニックだ。
あまり見ていないようでいて、実はしっかりと見ているのだ、と勘違いする。
しかし直史からすると、どうすればコントロールが安定するのか、ちゃんと考えているので指摘も出来る。
多くのピッチャーがいまだに、メカニックには無関心なのだ。
体の動きのそれぞれに、どう連動しているのか。
これぐらいは分かっていても、根本的な体幹を鍛えられていない。
体幹を鍛えるのと、体軸を意識するのと。
この二つが出来ていれば、コントロールは自然と身に付くものだ。
もっとも直史の求める基準は、あまりにも高いものである。
メジャーでサイ・ヤング賞を取るためのピッチングは、そう簡単に教えられるものではない。
だから直史は、徹底的に基礎を教えるのだが。
木津のようなピッチャーは、確かに教えても面白い。
あれは自分の遅いストレートを信じられなくなれば、もう終りになるであろう。
また大平のような素質だけでやっているピッチングは、ちょっと指導するのも難しい。
セットアッパーであるのに、かなりフォアボールが多いのだ。
平良はそのうち、メジャーに挑戦してもいいだろうな、というぐらいには考えている。
もっともメジャーで成功するかどうかというのは、素質だけではないのだ。
能力や技術だけでも足りない。
バックアップ体制があって、ようやく成功するのがメジャーの世界。
直史にしてもセイバーの古くからのコネクションは、よく利用させてもらったものだ。
序盤においては既に、4-0の点差となっていた。
普通ならこの時点で、もう勝ったなと思うところだ。
直史はこういうところで、油断をしない人間である。
そもそも性格的に、油断というのが出来ないものだが。
ただこの点差になっていると、色々と試すことは出来るようになる。
ヒットを打たれても単打まで。
それが今日の課題であったが、もう失点しても勝てそうな流れになっている。
しかし気になるのは、その点ではない。
出来ればこのカード、三試合とも勝ってしまいたい。
ライガースとの直接対決で、二つとも落としたのが痛かった。
この試合はレギュラーシーズンの終りに、また行われることになる。
出来ればそこまでに充分、差をつけてペナントレースの優勝を決めておきたいものだが。
直史としては出来るだけ楽に、ポストシーズンも戦いたい。
今年のパはどうやら、福岡が出てきそうである。
まだ50試合以上も残しているが、かなり二位に差をつけだした。
一昨年はライガース相手に、日本シリーズで勝った福岡である。
もちろんライガースは、その前のクライマックスシリーズで、直史に打線をボロボロにされていたのだが。
(出来るだけ楽に、勝てるようにしよう)
とりあえずタイタンズを潰せば、確実に勝てる試合が増える。
三位のカップスの動向が、少し不気味な直史であった。
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