第297話 トラップ
思い出すとレックスがペナントレースで負けた年は、雨天での延期が多かった。
そのため直史を無理に使えなかった、という面があるだろう。
今年も二試合の雨天中止はあったが、一つは交流戦のため、予備日に既に消化している。
とにかくピッチャーを順調に運用することが、レックスの勝利の鍵である。
オールスター明けの対戦相手は、まずタイタンズである。
そして充分に休養しながら本業の仕事をした直史は、その第一戦で投げる。
ホームゲームだから神宮、となるはずであった。
だがプロ野球には地方開催というものがあるのだ。
今回は長野の球場で、第一戦が行われる。
三万人以上入る地方開催であるのに、チケットは余裕で売り切れていた。
直史の投げる試合のチケットの完売は、もうずっと長く続いている。
なかなか悪くないな、と直史は思った。
球場としての大きさはそれほどでもない。
だが神宮はまさに、東京都心のど真ん中にある球場だ。
それに比べるとナイターであると空が暗い。
照明があっても、それは同じこと。
まだ日が完全に没する前に、試合は始まる。
夕暮れ時はむしろ、照明と日光でフライのボールがエラーになったりもする。
この試合は地方開催だが、ホームがレックス側となっている。
つまりタイタンズが先攻ということだ。
(タイタンズも試行錯誤してるな)
主軸の助っ人外国人は、それなりに長打力はある。
しかし打率が微妙であり、連打による得点というのがないのだ。
打線が上手くつながらないのは、統計的な偶然性によるものだ。
三割以下の打率でヒットが打てるのに、それが二度も連続で続くこととなると、一割以下になってしまう。
重要なのはアウトになっても、ランナーを前に進めること。
そして点につながれば、ビッグイニングにもなりかねない。
ピッチャーにとってはランナーが残るというのが、一番嫌なのである。
ソロホームランであれば、ランナーがいない場面から、試合が再開される。
点の取られ方としては、連打よりもいいと感じるピッチャーもいる。
もちろんホームランを打たれて、平気なピッチャーの方が少数派だが。
いつもと少し違う環境ではあるが、直史はいつも通りにバッターに対する。
ただ今日はオールスター明けであり、打線も少し勘が鈍っているか、逆に疲れが取れていたりするだろう。
おおよそ野球選手は、毎日試合がある。
NPBはまだしも週に一度、原則的には休養日がある。
それも移動日になってしまえば、疲れが完全に取れることがない。
どちらか、と直史は考える。
同じくこういうことは、よりバッターに近い位置の迫水も考える。
彼はオールスターに行ってきたが、特に大きな活躍をしたわけではない。
そもそも交流戦のある時代、オールスターの役割は減ってきた、と考えてもいいだろう。
ただお祭り騒ぎに、相変わらず騒ぎたい人間がいるのは確かだ。
あってもなくてもいいのではなく、あった方がいい。
タイミング的にも休みになるし、スタープレイヤーが一同に会したところが見たい。
日本代表などもWBCには見られるが、あちらよりも毎年あるので身近である。
またWBCと違って日本代表を背負っているわけでもないので、プレイが伸び伸びと出来る。
いいことづくめなので、直史はあえて若手に譲っているのだ。
タイタンズはあまり、オールスターに出た選手はいなかった。
理由としては普通に、中途半端なスラッガーが多かったからだ。
やはりランナーがいる時に、しっかりと長打を打つのがスラッガーと呼べる。
確かにリーグの中でも、得点力が高いチームではある。
だが打てる野手に金をかけている割には、ライガースほどは打てていない。
レックスは完全に、守備のチームである。
短期決戦では投手も含めた守備力が、重要であるのは間違いない。
しかしペナントレースを戦う中でも、安定して相手を抑えて勝っている。
この炎上しないという安定感が、レックスの強みと言えるであろうか。
たまには大量点を取られることもあるが、基本的にはロースコアに持ち込む。
今年はいまだに二桁失点のないことが、安定感をよく分からせる。
もっとも九点取られている試合はあるのだが。
相手がライガースであったりして、それは相手の打線が強力だからだ。
もう一つ言えるのは、序盤で先発が炎上し、すぐに諦める試合が少ないということだろうか。
それなりに大量点を取られている試合も、先発が六回ぐらいまでは投げていたりする。
野球は大逆転のあるスポーツだが、それでも大半は序盤の大差で試合が決まる。
逆転の印象が強いのは、そういった試合がたまにしかないからこそ、より目立つものであるのだ。
なので直史は、初回の入り方にはより気をつけている。
いや、お前が油断していない試合なんかないだろう、と言われるかもしれないが。
先制点を取ってからと、それまでとではピッチングの傾向は変わるのだ。
地方開催だけに、直史のピッチングを生で見られる。
そして直史が投げると、パーフェクトをする可能性が出てくる。
あるいはそれに失敗しても、ノーヒットノーランが残る。
とにかくランナーを出さないし、相手のバッターに粘らせることなくあっさりとアウトにする。
それは間違いなく、ピッチャーにとって理想のスタイルだ。
タイタンズとしてもこの試合、あまり勝算がないのは分かっている。
悟が離脱してからこっち、ここぞという時の打点が取れていないのだ。
スターズが少し落ちてきたが、三位にはしっかりとカップスが上がっている。
Bクラス内で順位争いをしても、あまり意味はない。
三位争いをしてぎりぎりの四位なら、まだしも言い訳もつくのだが。
タイタンズはとにかく、歴史の古いチームである。
それだけに次の監督の座を争う人間も多い。
純血主義というのか、FAなどで他から移籍してきた選手や、他に移籍した選手というのが監督になることはまずない。
格式を重視すると言うか、やたらとチーム内のルールが多い。
昔はそれがイメージのために必要だったのだろうが、今ではもう人気の一極集中もない。
テレビで放送されていた時代が、やはり強い時代であったのだ。
初回から三人で抑えることに成功した。
投げた球数は、丁度10球である。
まだ始まったばかりであるが、三人で終わらせたことによって、期待度は増してくる。
パーフェクトやノーヒットノーランが期待出来る唯一のピッチャー。
もちろん他にもいいピッチャーは世の中にいるが、基本的には完封が狙って出来れば超一流なのだ。
ベンチの中での直史は、相手を打ち取ることに集中する。
余計なことは考えないのだ。
味方の打線の援護も、今は特に考えない。
変に期待をしてしまうと、当てが外れた時には、メンタルを消耗することになる。
(桶に入れた水のような感じで)
どんなバッターが相手でも、プレッシャーにだけは負けない。
それが通用しないのが大介なので、そこだけはプレッシャーを押さえつける、メンタルの力が必要となる。
投げている間は、常に平静でいたい。
緊張したり、逆に闘争心に包まれるのも、どちらも精神的な体力を削られる。
身体的な体力ならば、翌日にはどういう影響が出てくるかは分かりやすい。
だが精神的な体力となると、下手に使い切ってしまえばスランプに陥る。
肉体の操作性に、脳が上手く追いついていかなくなるのだ。
無理にパーフェクトを目指してはいけない。
パーフェクトなどというのは、出来なくて当たり前、というものであるのだ。
実際に直史が達成したパーフェクトは、MLBで35先発したシーズンの、七回というのが一番多い割合だ。
二割の確率でパーフェクトを達成しているのは、とんでもなく高いものではある。
だがよく考えてみれば、半分をはるかに超える、八割は達成できていないのだ。
変に期待していると、失敗した時にメンタルへのダメージが大きい。
それはさすがの直史でも、ある程度は確かなのだ。
揺さぶられない精神、というのはさすがに維持するのは難しい。
逆にゆらゆらと揺れて、バランスを取る方が現実的だ。
三振ばかりを狙うのではなく、確実にアウトを取れるように、打球の勢いを殺す。
フライでもゴロでも、勢いを殺すことが出来ていたら、それはピッチングとしては正解である。
ポテンヒットや内野安打になったとしたら、それはただの結果であって、重要なのは過程なのだ。
プロなら結果が全て、というだろう。
しかし未来を見ていくには、過程を重視しなければいけない。
自分の考えていたことは正しかったが、考えていた通りに投げられたか、そして結果としてはどういう打球になったか。
ポテンヒットは許容範囲内だ。もちろん内野フライの方がもっといいが。
ポテンヒットなら長打にはならないのだから。
フライを打たせるより、ゴロを打たせる方がいい。
それも出来るだけ、勢いの消えたゴロだ。
ただあまりに消えすぎると、内野安打になることもある。
しかし内野の間を抜けていく勢いがあるよりは、結果的には内野安打の方がいい。
結果を見るというのは、どうしてその結果になったのかを見ることだ。
すると案外悪く思えたものも、内容自体は悪くなかったりするのだ。
ノーヒットノーランや、パーフェクトが達成できそうだからといって、体と頭に力が入ってしまうのは間違っている。
重要なのは完投して勝つことだ。
それも後日に疲れが残るような、球数を投げてはいけない。
1-0ならば別であるが、それ以外なら点を取られても構わない。
リリーフのピッチャーには休んでもらい、自分一人の力だけで守備の面では最善を尽くす。
もちろん直史にしても、守備陣がいなければパーフェクトもノーヒットノーランも、それどころか完投勝利も出来ない。
上手く打たせて取ることが、ピッチャーとしての直史のスタイルだ。
技術が違うと言うよりは、まず思考が違う。
思考が違うことによって、精神も変わってくる。
あまり人に説教臭いことは言わないが、精神力が最後には、ピッチングを支えていると思っている。
狙ったボールを投げられれば、ピッチャーはそれでいい。
実際にそれが打たれるかどうかは、選択が合っていたかどうかにもよる。
あるいは相手が決め打ちをしてきたか、にもよるだろう。
直史のピッチングは、ゆったりとしていたり、スムーズであったり、クイックであったりする。
とにかくタイミングを狂わせることは、なんでもやってくるのだ。
ただ基本的にバッティングのタイミングは、ピッチャーが足をつけたところから取ればいい。
それでも一打席に一球ぐらいであれば、充分に通用するものだ。
そこまでして打ち取りたい、と思えるバッターは今のタイタンズにはいない。
普通の投球メカニックによって、普通のアウトが取れていっている。
序盤の3イニングは、ランナーを出さなかった。
イニングごとに一つずつ三振を奪っているが、打たれているボールは内野フライが多い。
二巡目からはゴロを打たせることを増やすか、と考えてもみたりする。
直史にとってピッチングは、思考するところから始まるのだ。
タイタンズとしてはたまったものではない。
レックスもそう大量点を取るわけではないが、序盤で二点を失っている。
そこまで悪いピッチングではないのだが、それぐらいは取られるのが野球だ。
レックスは小さなチャンスでも、そこをなんとか一点につなげる努力をする。
スモールベースボールであるが、それが悪いわけではない。
チームが徹底してやるのなら、充分にそれは怖いものになる。
中盤に入っても、直史からはランナーが出ない。
四回を終わって、測ったようにイニングで一つずつの三振を奪っている。
これぐらいの三振の数でいい、と直史は思っているが、後ろに任せている野球というのは、どうしても運に頼るところがある。
守備がいくらよくても、イレギュラーぐらいはする。
また少し飛びすぎただけでも、内野の頭は越えていくのだ。
それでも五回まで、直史はこのスタイルを変えなかった。
だが六回を迎えて、感覚的に変えた方がいいな、と思い始める。
直感と言うと、思考とはまた別のものと言えるのかもしれない。
だが直感的に出てくる結論は、思考の先にあるものなのだ。
直史は六回から、スタイルを変えていった。
わざわざ下位打線のところから、スタイルを変えていったのである。
微調整というレベルではない。
そして七番八番と打ち取ったのだが、ここでタイタンズは代打を出して来た。
ベテラン代打は試合の終盤ではなく、中盤の流れを変えたいときに出してくるバッターだ。
もっともここまでレックスは、さらに一点を加えて3-0というスコアになっている。
今から逆転というのは、難しいものであろう。
直史の球数も、充分に完投の範囲内になっている。
ただベテランであると、試合の一打席への執着が違う。
ベテランなどと言っても、直史よりは年下であるのだが。
直史の弱点というか、それがあればもっと簡単に野球が出来るのに、というものはある。
ピッチャーにとって最大の武器とも思われている、球速である。
特にベテランのバッターであると、まず速球に目がついていかなくなる。
しかし直史のスピードは、MAXでも150km/hまで。
粘り強いベテランというのは、ストレートはなんとかカットしていって、狙い球を待つのだ。
直史もそれぐらいは分かっている。
だから速くはなくても、速いと感じるボールを考えて投げる。
インハイのストレートを、決め球に投げるべきか。
出塁を目指して粘っていても、直史はゾーン内だけで充分に、ピッチングを組み立てる。
ストレートではなく変化球で、カットさせてストライクカウントを稼ぐ。
だが最後の空振りが取れない。
スルーを使うか、カーブを使ってからのストレートでいいだろう。
それが直史の考える、このバッターに対する攻略法だ。
当たり前のように誰もが、そうすれば打ち取れると考えるものあ。
だからこそ逆に直史は、その選択をしない。
(アウトロー)
これもまた、泳いだようなスイングで、どうにか打たれてしまった。
しかしこれは布石なのだ。
インハイのボールを投げる。
それで仰け反らせるか、フライを打たせる。
避けられてしまったら、アウトローへ投げればいい。
そう考えた直史のストレートに、しっかりと踏み込んでくる。
スイングを途中で止めて、上手く背中を見せる。
上腕の部分にボールが当たって、これはデッドボールのコールである。
しかしすぐにベンチから西片が出てきた。
今のはストライクのゾーンに、腕を置いたままではなかったか、という抗議である。
(どちらに捉えられても仕方がないな)
直史としてはストライクゾーンは、不変のものだとは考えていない。
審判によってわずかな誤差があると、ちゃんと気付いて投げているのだ。
今のコースはボール球である。
だがこの審判は、ストライクと取ることが多い。
だからこそ投げたのだが、当たってしまった。
いや、当たりにいったというべきか。
そして当たったという事実でもって、デッドボールが宣告されている。
ここまでパーフェクトを続けているのだ。
それなのにデッドボールの判定をするなど、審判もいい度胸をしている。
おそらく今頃既に、ネットではボロカスに言われているのだろうな、と直史は考えたりする。
しかしマウンドを降りて、抗議する西片を止めにいった。
「監督、もうツーアウトですから」
パーフェクトをしているのに、そうあっさりと諦められるのか。
このあたり西片は、一応ピッチャー経験もあるだけに、どうも理解の出来ないところがある。
まだノーヒットノーランは続いている。
スタンドのざわめきは多いが、直史はタイタンズベンチの方を確認していた。
出たランナーに対して、代走を出す気配がない。
確かにここで代走を出しても、一点を取れるとは思えないが。
もしも出すとしたら、次のバッターも出塁出来たときだろうか。
直史は迫水と、しっかりとサインの確認をしていた。
迫水もだいたい、直史の思考には慣れてきている。
直史から出したサインにも、思わず苦笑が出そうになった。
そして投げられたボールは、大きくゾーンを外れたところ。
あわや大暴投という感じで、キャッチした迫水は背中から倒れた。
これに対して一塁ランナーは、判断に時間がかかった。
二塁へ進む隙があるのではないか、と思ったのだ。
本職の代走であったなら、判断は早かったろう。
しかし一塁ベースに戻るにも、やや動きが緩慢である。
迫水はそこを見逃していない。
ファーストのついた一塁ベースへ、膝立ちのまま強肩の送球。
慌てて戻ろうとしたランナーを、ボールキャッチしたミットで叩くファースト。
ツーアウトから出たランナーであったが、それを一球で消してしまったのである。
結局六回が終わった時点で、まだ18人しか直史と勝負していない。
それにコントロールがいいはずの直史の暴投は、次のプレイと合わせて考えれば、明らかな罠であったろう。
二塁に進もうとしていたら、実は既にセカンドが、そちらのカバーをしていたのをカメラは捉えていた。
ファーストも一塁ベースに後ろから戻るのが早かった。
どちらにしても今のボールは、判断は早くするべきであったのだ。
結局は迷いがあったため、せっかくのランナーも消えてしまった。
これがまだワンナウトやノーアウトなら、普通にダブルプレイを狙う。
そちらはそちらで、狙っていっただろう。
そもそもここでボールカウントから入るのは、どちらにしてもピッチャーの不利になる。
しかしたったの一球で、アウトを一つ取った。
それもランナーをアウトにしたというのが、結果としては素晴らしいものになったのであった。
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