第296話 作業

 オールスターなど一切見ないと決めていた直史である。

 正確に言うなら見るという選択肢自体、思い浮かばなかったものだ。

 家にいると真琴なども、夏の県大会にいよいよ入っていくというタイミング。

 白富東はとりあえず、昇馬に怪我でもない限りは、甲子園までは堅いだろう。

 それから先となると、運もかなり重要になる。


 高校野球は大変だな、と直史は考える。

 自分もそれを経験してきて、そして最後の頂点にまで立ったのに。

 全国4000校近くのチームから、最後まで負けずにいられるのはたったの1チーム。

 なお甲子園が終わった後には、国体まであったりする。 

 甲子園の中でもベスト8にまで残ったチームによる対決。

 神宮から始まり、センバツに夏、そして国体まで勝てば本当に四冠。

 最強時代の白富東でも、そうはなかったものだ。


 ただ甲子園が終われば、後はおまけのようなものである。

 全国の高校球児が、そういう認識でいるだろう。

 白富東の場合は、三年生は国体に興味がないし、下級生は秋の大会のために準備が必要だった。

 また女子野球もあったため、国体などは出場できない。

 直史たちの時代は、どうにか日程を取って優勝していたものだが。


 直史は新しく色々と事業を始めようとしている。

 重要なのは不動産会社と土木会社、そして建築会社あたりであろうか。

 ゴルフ場経営なども含めて、全て自分で行うのは無理がある。

 ただ大学時代に伝手や、高校時代の伝手を使えば、経営の経験がある人間は見つかったりするのだ。

 下手に有名人を頼むのではなく、伝手によって紹介してもらう。

 下手な人間を紹介すれば、紹介した側も信頼を失うので、こういって伝手というのは大切なものなのだ。


 事業は実業が多いように思えるが、するとゴルフ場だけが浮いている。 

 しかしゴルフで回る間に、政治の問題が決まっていたり、取引が決まっていたりというのは、実際にある話なのだ。

 野球など存在しなくても、人間は生きていける。

 だが野球によって直史は、功成り名を遂げた。

 この知名度があってこそ、色々と話が通りやすくなっている。

 また実際に事業を行う上で、あまり銀行からの借り入れなどが多くなくて済む。

 それでも直史はある程度、銀行との関係を作っていた。


 自前の資金だけで、充分に会社の経営が出来る。

 それなのに銀行からの融資を受けるというのは、ちゃんとしたメリットがあるのだ。

 銀行というのは当たり前だが、無条件で金を貸してくれるわけではない。

 ちゃんとした事業計画があったところで、融資をしてくれるわけだ。

 つまり計画書などの、採点をしてくれるわけである。

 あとは銀行からの融資があると、ちゃんとしているのだなという社会的な信用も出来る。


 本来は銀行など、そういう機関であったはずなのだ。

 それがかつての日本以外でも、あちこちで無理な融資がなされていた。

 そしてそのツケは国民に回ってくる。

 また現在では融資が降りず、消費者金融が手の届かないところに資金を回している。

 かつてグレーゾーン金利と呼ばれたもの。

 弁護士は一時期、あれで随分と食えたものだと、直史は瑞希の父から聞いていた。

 なにせ町の商工会議所の店が、多くは顧客であったからだ。




 少子化などと言いながらも、実は首都圏では人口は増加している。

 この千葉県も、その例に漏れるわけではない。

 とにかく東京で仕事が見つかれば、それはそれでいいだろう。

 だが実際には東京では、給料は良くても生活は厳しい、という場合があったりする。

 物価が高いのは、特に住居において言えること。

 不動産屋の数というのは、ともかく多いものであるのだ。


 直史は大学でしっかり勉強した人間なので、人間にとって何が重要かは分かっている。

 食料、インフラよりも、さらに一つ上回るものがある。

 それは安全というものだ。

 治安が悪くなれば、それこそ農家から果物や野菜を盗む人間が多くなる。

 特に言われるのは、アジア圏からやってきた人間が、窃盗団を作っているということだ。

 獣害にも悩まされるが、基本的に人間はそれより、さらに頭がいい。 

 もっとも熟す前の果物を盗まれても、それを捌くルートは難しいであろうが。


 警備会社に関しても、直史としては弁護士である。

 そして弁護士は検察ともつながりがあり、そして検察は警察とつながりがある。

 元警官が警備会社に再就職するというのは、普通にあることだ。

 またお偉いさんであれば、役員として天下りしていたりする。

 このあたりも直史は、既に存在する警備会社などと、話し合ったりしたものだ。


 直史が今、困っているのは林業の問題だ。

 正確に言えば、山林環境の保全である。

 以前に比べれば外国の建築木材などは値上がりし、日本のものでも需要があったりする。

 ただ山をしっかり管理しているところは、昔に比べても少ない。


 意外と言っていいのか、山林をちゃんと管理しているところでは、松茸が相当に採取できて、これが儲かったりしている。

 今は中国産が多いのだが、基本的には日本のものよりも匂いなどが少ない。

 ただ匂い松茸味しめじなどと言われるように、松茸はそれほど本来が美味いとも言えるものではない。

 それこそ直史の父の時代であっても、普通に弁当の中に入っていたものらしい。


 山林にある松の木を、ちゃんと手入れしていれば普通に生えてくる。

 松茸というのはその程度のものである。

 直史の祖母などは、うちの裏の山でも普通に、松茸は取れていた、と言っていた。

 ただ手が回らなくなってからは、取れなくなってしまったが。


 直史は保守的な人間で、郷土愛を持つ人間だ。

 少なくとも自分の代までは、先祖代々の墓に入ると考えている。

 今どきの若者にしては珍しい、と昔から言われていた。

 そろそろ年齢的には中年になっているが、そのあたりの考えは変わらない、

 むしろ昔よりも強く意識するようになってきたと思われる。


 故郷というものを、軽く考える人間が多すぎるのだろう。

 もっとも直史も、日本の中心都市東京はおろか、アメリカの第二の都市圏ロスアンゼルスに住んでいたものだし、ニューヨークにも短期間は住んでいた。

 今も千葉に住んではいるが、東京にはそれなりに出やすいところのマンションに住んでいる。

 実質的な都市圏であることは間違いない。




 日本が明治維新後、あるいは戦後に上手く発展した理由。

 それは江戸時代の幕藩体制にあると直史は思っている。

 政治の中心である江戸と、経済の中心である大阪、そして天皇の在所である京都。

 これ以外にも数多くの、藩の都があったのだ。

 それこそ地方都市でありながら、日本の文化の最先端、という場所があった。

 藩の殿様が学者を招聘すれば、そこが大きな学問の中心となったりもしたのだ。


 水戸学、という幕末に大きな影響を与えた思想がある。

 尊王思想であり、これはまさに徳川御三家の水戸において中心となった。

 薩摩や長州などが、維新のために藩を発展させたことはある。

 長州の場合は萩が藩の都であったが、維新の時代は山口が政治の中心になっていった。


 城下町、というのが日本の各所にあった。

 そして特産品がにほんのあちこちにあった。

 この特産品によって、日本はあちこちに人間の集中地を作った。

 維新後から戦後のしばらくまでは、各地の炭鉱などが大きく発展したものだ。

 今ではそれが、東京に一極集中。

 関西の大都市部でさえ、人口は減少しつつある。


 ネットの時代になって、地方で受信することと、発信することが可能にはなっている。

 確かに野球中継も、ネットの野球チャンネルで、ほとんどが見られることになっていた。

 それでも東京が文化の中心になっている。

 アメリカを見て思ったのは、地方の大都市圏が、それぞれちゃんと発展しているということだろうか。

 日本もかつては、四つの大都市圏があった。

 ただし政治や文化の中心は東京だ。


 中京、関西、北九州。

 他にも大都市圏は形成出来なくはなかった。

 それこそ日本など交通のインフラは整っているので、日本の各所に工場などを誘致すべきではあるのだ。

 そういう意味では千葉というのは、まだまだ東京から近すぎる。

 直史の実家は田舎ではあるが、実は車を使えば都心からよりも早く、成田空港に行けたりする。

 基本的には首都圏の衛星都市として、工場を誘致したりすることが出来るだろうか。

 ただせっかくならば、もっと千葉ならではの特徴がほしい。


 考えるのはどうにかして、日本全体を活性化させること。

 過去のことを学んでいけば、日本企業が海外に、工場を移転してしまったことが失敗なのである。

 それによってアジア圏が発展した、というプラスの結果もある。

 だが中国の力を強めすぎたのは、本当に失敗であろう。

 ただ韓国と並んで、日本から地理的に近いことは間違いない。

 だから当時の人件費を考えれば、仕方のない選択でもあったのだろうが。


 直史は地元の雇用を守りたい。

 そのためには農業だけではなく、もっと産業を分散させて成功させることが重要だ。

 ただ千葉県は半島部が、かなり山岳となっている。

 交通の便を考えると、なかなか全体の活性化などは難しいものなのだ。




 オールスター期間中、大介たちが千葉に帰って来ている。

 そう、大介にとっても、千葉が故郷であるという意識が強いのだ。

 住んでいた時間ならば、東京が15年と長い。

 特に幼少期を住んでいたので、それは間違いない。


 あとはニューヨークも長い。

 オフには日本に戻ってきていたが、12年間をMLBでプレイしてきたのだ。

 そして関西の、兵庫県で過ごしているのも長い。

 これもオフには千葉に戻ってきているが、合計で12年はあちらで戦っている。

 千葉にいたのは高校の三年間だけ。

 加えてオフに戻ってきているだけなのだが、それでも魂の故郷は千葉県になっている。

 やはり高校時代の、最も充実したのがこの頃であった、というのはあるだろう。

 日本人の郷愁を感じさせる場所だから、というのも間違ってはいないと思うが。


 引退したらこちらに戻ってくるのだろうな、と大介は考えている。

 母もこちらに住んでいるし、このあたりには独立リーグのチームもある。

 果たしてその独立リーグを加えたとしても、あとどれだけ現役でいられるのか。

 もっとも引退しても、あまり指導者になろうとは考えないのが大介である。

 それこそライガースなどは、顔としても大介を、監督などに欲しがるだろうが。


 野球自体は確かに好きである。

 だが自分が野球をするのが、一番好きなのだ。

 独立リーグでも無理になれば、クラブチームに入ってもいい。

 バッティングが通用しなくても、守備や走塁はまだいけるのではないか。

 そうやって一生、野球はやっていきたいのだ。

 永遠の野球小僧と言われる所以である。


 その大介は、昇馬が夏の大会を控えているのを知ってはいても、あまり干渉しない。 

 そもそも昇馬自身が、そこまで野球と甲子園に憧れていない。

 ただ特に夏は、どうしてハイスクールの野球などに、あそこまでの集客力があるか不思議ではあった。

 しかしそれはアメリカの、カレッジスポーツと対比させれば分かりやすい。


 アメリカでは高校からプロ入りする者もいるが、基本的には大学にスカラシップで進み、そこでドラフト高位で指名されれば、中退してプロ入りというパターンだ多いのだ。

 日本の甲子園は、アメリカのカレッジスポーツに近いところがある。

 バスケットボール、アメリカンフットボール、そして当然ながらベースボール。

 こういったものを全米の規模でやるので、人気が出てくるのである。

 日本でそこまで人気のある高校スポーツは、そうそうないであろう。

 サッカーの国立競技場や、ラグビーの花園というのも、それなりに人気はあるが。


 昇馬には間違いなく才能がある。

 野球の才能と単純に言うのではなくて、戦う才能である。

 本当に好むのは狩猟であり、獣の命をいただくことに喜びを感じる。

 だからといって暴力的かと言えば、そういうわけでもない。

 もっとも危険を感じれば、すぐに攻撃する人間ではあるが。




 ライガースにとって甲子園期間中は、調子が落ちる時期である。

 なにせ甲子園が使えないので、アウェイでのゲームが続くか、大阪ドームを借りることになる。

 大阪ドームの場合は、大阪のライガースファンが来るので、あまり変化はない。

 それでも甲子園でやれないことは、モチベーションに影響してくるが。


 直史がやっていることを見て、大介は呆れたものである。

 現役のプロ野球選手が、やっていいような仕事量ではない。

 もちろん実際は、現場を任すのは他人である。

 しかし最終的に、財務収支は確認しなければいけない。

 こっそりとリモートで、これは手伝っているツインズである。


 直史は法律が専門であるが、同時に経営に関してもある程度の知識はある。 

 会社を運営して行く上では、法律が重要になるからだ。

 それに弁護士になった時には、地元の小さな商工会や、中小企業を顧客とする予定であった。

 なのでやろうと思えば、社長をやれなくはない。

 だが直史がそれをしないのは、自分が弁護士であるからである。


 会社を運営するにおいては、グレーゾーンを通ったり、明らかにしないだけでブラックなところも、必ず存在するだろう。

 弁護士がそういったルールを違反するのは、当然ながらアウトである。

 あまりないことであるが、弁護士資格の停止はおろか、剥奪さえも考えられる。

 やはり基本的には、経営者には専門の人間を置くべきなのだ。

 直史としては役員や、団体によっては理事などになればいい。


「お前、バカじゃねえの?」

 その仕事量に呆れる大介だが、そこまでやっていても勝っているのが直史なのである。

「それとゴルフ場って、これだけちょっと特殊だよな」

「兵庫県も確か、日本では五指に入るぐらい、ゴルフ場が多かったと思うぞ」

 そう言われても大介は、ゴルフなどはしないのである。

 確かに野球選手の中には、ゴルフを趣味とする選手もいたりするが。


 ゴルフ場の数の一位は北海道であるが、これはちょっと条件がある。

 北海道の場合は冬場、ゴルフ場の多くが使えなくなってしまう。

 スキー場に変わるという場所もあり、実質稼動している場所を考えれば、千葉県が一位ではないか。

「接待に使うためにも、ゴルフ場をキープしておきたいわけだ」

 日本のゴルフ人口は、かつて一千万を超えていたという。

 今でも大企業のトップや重役には、ゴルフを好む人間は多い。


 ゴルフ政治やゴルフ取引、というものがあるのだ。

 普通に話し合って仕事をするように、ゴルフをしながら仕事の話を進める。

 そんないい加減な、と思うかもしれないが人間関係で仕事の受注が決まるのはよくあることだ。

 それの延長のようなものが、ゴルフになるのだろう。

「つーか百合花、ますますハマってないか?」

 白石家の四女、養子を入れれば五女になる百合花は、実家周りに小さなゴルフ場を作って、そこで色々と練習している。


 せっかく土木業に手を出そうというのだから、ちょっと重機でコースを作ってしまおう。

 また造園業にも手を出すなら、それもやってしまえばいい。

 そんなわけで作っているのだが、そもそも昔は直史も、マウンドとそのプレートを作って、家で練習をしていたものだ。

 そしてそんな環境で練習しているので、どんどんと上手くなっているらしい。

「ゴルフの面白さは分からんなあ」

「あれは見てるよりやってる方が面白いし、それが分かったら見てても面白くなるぞ」

 直史としてはラウンドを回ったことすら、数回しかないのだが。




 実際問題として女子スポーツを考えた場合、女子野球や女子サッカーを考えるよりも、女子ゴルフや女子テニスの方が、まともにプロとして成立している。

 女子野球も昔はプロがあったが、まともなスポンサー企業は一つだけであった。

 ゴルフやテニスの場合は個人競技ということもあるが、ちゃんと成立している。

 特にゴルフなどは日本国内に限って言えば、男子よりも盛んであるとすら言っていい。

 また女子ゴルファーのトップが、男子のツアーに参加した、などということもあるのだ。


 別に大介も、娘がスポーツをやることに、反対というわけではない。

 子供がやりたいことを、やらせてやりたいと思うのが親だ。

 もっとも悪い遊びなどは、さすがに別問題であるが。

「上手くなりそうなのか?」

「才能という言葉を使うのは微妙だが、上手くなる速度は早いとティーチングプロも言っていたな」

 直史も少しやってみて分かったが、ゴルフの才能というのは単純に、身体能力だけではないのだ。


 大介は身体能力では、スピードやパワーで明らかに直史よりも上だ。

 ただゴルフをやってみたら、確実に勝つのは直史であろう。

 野球で鍛えられた集中力もあるだろうし、今からでもプロを目指してみてはどうか、などとも言われる直史だ。

 いやいや、そんなことまでやっている時間がない、と笑うしかないのだが。


 直史から見ても、百合花はメンタル的にゴルフには向いていそうだ。

 ゴルフではなくても、個人競技には強そうだ。

 どうせやるならテニスの方がいいのではないか、と思ったりもした。

 ゴルフはテニスよりも、精度がシビアなスポーツだと感じたからだ。

 白石家の運動能力を活かすなら、テニスはいいと思ったのだ。


 ただ環境というものがある。 

 この千葉県の、実質的には都道府県ナンバーワンという、ゴルフ場の多さ。

 ここをあちこち移動して、実戦でゴルフをやっていく。

 そうすれば他のスポーツよりも、上達は早いだろうと思われる。

「来年のジュニアの大会にでも、出られるとは思うぞ」

「まあ子供が一生食っていくぐらいには、稼いだからいいけどな」

 それでも自分の力で、自分を食わせていくのは重要だと大介は思うが。


 広い庭だった場所が、小さなゴルフ場になっている。

 そこでパットの練習などをしているのを見て、大介は首を捻る。

 サッカーやバスケほどに動くわけではない。

 むしろゴルフは、動かないスポーツであろう。

(これってどう楽しんで見たらいいんだ?)

 全く知らない人間からすれば、仕方のない感想であったろう。

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