第295話 事業
野球がなくても人間は生きていける。
ただ精神的な豊かさのためには、娯楽が必要だと直史は思う。
それでも昨今のスポーツの、とんでもない巨額の年俸など。
まあ選手に還元されているなら、それはそれでいいのだろう。
しかし直史はあくまでも、実業の人間。
なのに農業法人の次に手を入れたのが、ゴルフ場であったというのは、周囲の人間から見ても意外であったろう。
直史からすれば言い分がある。
確かにゴルフもスポーツの分野であり、ならばそれまた虚業であろう。
しかしゴルフというスポーツは、政財界のお偉方に、愛好家が多すぎる。
バブルの時代は人口の10%がゴルフ人口であったという統計もあったとか。
今でも普通に、数百万人は競技人口がいる。
だが直史の目的は、そもそも千葉にはたくさんあったゴルフ場が閉鎖されるのを買い取り、そこを社交場とすることだ。
千葉県のゴルフ場の数は、北海道よりも多いのである。
ただそれはそれで、全力を傾けるわけにはいかない。
「やることが、やることが多い」
そう言っても人を探して、それに任せることを直史はやっている。
基本的に金銭のチェックさえしていれば、それほどの大問題にはならないものだ。
もちろん粉飾決算をしていないか、ということは定期的に調べていくべきだが。
いよいよ高校野球も、夏の県大会が始まる。
白富東は春の大会で優勝しているので、Aシードである。
それでも七回勝たないと、甲子園には行けないのである。
ただ昇馬のピッチャーとしての安定感は、同じ年齢だった時の、自分以上だとも感じている。
今ほどのコントロールはなかったし、球速も20km/h以上は遅かった。
母校がまたも甲子園に行きそうなので、早くも学校側は寄付金集めをしだす。
もっとも公立でありながら進学校であった白富東は、意外なほど成功者がいたりする。
それこそ大介がポンと寄付をすれば、それだけで問題なくまかなえてしまう。
直史の資産は、むしろ法人などに投資しているため、自由に動かせる金が少ない。
あるいは瑞希の方が、コンスタントに印税収入が入ってきたりする。
白い軌跡の続編を、また書いてみませんかという話は来ているのだ。
昇馬を擁して甲子園を制覇したことで、その声はさらに大きなものになっている。
もっとも現役の高校球児のことを書くのは、かなりタブー視されている。
アマチュアであると同時に、学生野球憲章などで、縛られつつも守られているのが高校球児。
瑞希にしても商業流通に乗せる方の改訂には、かなり注意を払ったものだ。
直史の大学卒業から、プロ入りまでの資料というのは、ほとんど瑞希の書いた文章のみである。
さすがにクラブチーム時代は、スコア程度しか残っていない。
当時のことを取材しようとした、野球のライターは多かった。
それこそ出版社の単位で、野球専門ライターに話を持っていくことまであった。
だが結局は瑞希以上に、当時の裏事情までを知っていて、さらに直史と話し合える人間がいなかった。
周囲の人間に対しても、基本的に直史は寡黙である。
野球に対して饒舌ではないというだけで、普段から秘密主義なわけではない。
そもそもプロ入りに関しては、過程が色々と複雑なため、真相のままに書いてしまうと、大介の性格が悪いとか言われかねない。
事実だけを捉えて、その奥にある心情に思い至らないということは、どんなフィクションにもノンフィクションにもあることだ。
この場合はノンフィクションだったので、注釈でも入れるべきであったのかもしれない。
また甲子園に向けた日々が始まる。
しかしそう思っているチームでは、甲子園には行けないだろう。
それを一番理解していないといけないのは、やはり監督である。
本番直前になって、それに備えるなどということを、他のスポーツでもゲームでもするだろうか。
そうではない。普段からそれに備えることによって、普段通りの力で甲子園に向かって戦える。
実際の試合のためには、まず練習をしているだろう。
甲子園に行くためには、逆算して日程や手順を考えていかないといけない。
春季大会などシードを取れればそれでいい、というぐらいに思い切った考えのチームもいるのだ。
実戦こそが練習に優るもの、という考えもあるだろう。
しかし春にあまり勝ち進むと、手の内を曝け出すことになる。
直史は正直なところ、秋は関東大会の決勝、春は県大会の決勝まで行けば、それ以上は必要ないと考えている。
もっともこれぐらい考えるようになったのは、プロの試合も経験したからだ。
プロのシーズンというのは、最終的にペナントレースに勝っていればいい。
目の前の一試合の勝敗のために、リリーフ陣を酷使するのは間違いである。
ペナントレースにしても、NPBだからこそ必要なのだ。
アドバンテージがないと、短期決戦でライガースに勝つのは難しい。
実際にレックスは、国吉離脱後はやや勝率が下がった。
しかしプロの世界は、機会さえ与えられたならば、それに食いつく人間が多いのだ。
プロ入りはゴールではなく、やっとここからがスタート。
甲子園だろうが神宮だろうが、アマのトップでは一銭の稼ぎにもならない。
それを理解せず、プロ入りの段階で熱量が冷めてしまう人間がいる。
ハングリー精神が足りないとでも言えるのだろうか。
あるいは単純に、プロだけで食っていくのは難しいと分かっているのかもしれない。
元プロという肩書きは、ある程度の名刺代わりにはなる。
大介のように目の前のことを、全力で楽しむというのも違う。
目標の設定をしっかりとしていないと、本当に入っただけとなるのだ。
野球村の中で生きていくのに、元プロという肩書きで、仕事が取れることはある。
もっともプロ野球選手というのは、基本的に自分が上手くなった人間だ。
他人に教える能力とは、またちょっと違った能力が必要となる。
実際に昔の野球選手は特に、自分なりの野球をやっていた。
もちろん今は効率化されているが、だからこそ打ちやすいし打ち取りやすいと、考えているのが直史である。
多くのスポーツが、アスリートタイプの選手が増えていっている。
技術よりもまずフィジカル、というものである。
直史もこれを否定するわけではない。
ただ世間で言うところのフィジカルを、誤解している人間は多いだろうな、と判断するだけで。
直史は完全に技巧派と思われているが、それでも150km/hは出るのだ。
それでも直史をアスリートタイプという人間はいない。
圧倒的なパワーとスピード、というのも確かに見栄えはするだろう。
だが素人には不可能な、絶対的なテクニック、というのも魅了するはずだ。
最低限の力、というのは必要なものだ。
しかし投球術と、相手の思考の裏を書くということにより、強打者でも打ち取ることが出来る。
最後に必要なのは、狙ったボールをそのままに投げきる勇気。
星などはそういうタイプのピッチャーであった。
野球というのは通常、三割打てれば好打者なのだ。
残りの七割のミスショットを信じて、しっかりと投げていく。
打たれるか打たれないかよりも、腕が縮こまっていないかが重要。
星はその点で、とんでもなくメンタルの強い選手であった。
技術のあるスポーツの方がいい。
野球においても当然、技術は重要である。
しかし160km/hあればまず打てず、170km/hは人外の領域。
確かにそれはそうなのだが、そんなスピードボールをホームランにするバッターを、直史は三振で打ち取る。
単純なパワーやスピードに、テクニックで魅せる。
フィジカルだけで通用するなどと思われては、その競技は観戦者から遠いものになってしまうだろう。
日本でイマイチ、サッカーが普及しきらない理由。
それは色々あるのだが、攻撃や守備がはっきりしないことにあるのではないか。
野球などはその点、ものすごくはっきりとしている。
あとは一度、国民的な競技になったから、というのもあるだろうが。
都道府県にとんでもない数の野球場があるだけではなく、私立なら普通に部活用のグラウンドを持っていたりする。
それも一つではなく、二つあったりもする。
サッカーの競技場は、それよりは少ないであろう。
また野球と違って、天然芝であるとメンテナンスの費用が大きい。
一説によれば日本の野球場のかずは、5000を超えているのだとか。
環境が競技のレベルを左右する。
その点ではストリートで出来たり、学校の体育館で出来る、屋内競技の方が有利であろう。
実際にバスケットボールのプロリーグは、日本でも企画され始めている。
かつてはメジャーリーガー以上に遠かったNBAの世界に、日本人選手がいるのだ。
野球というのは二つのラインがあって、その間をうろうろとしながら、最終的には高まっていくのだと思う。
単純化による強さを求めるラインと、技巧を凝らしてその単純さを翻弄するラインだ。
今は単純化されている野球を、直史の技巧が翻弄している。
だがやがて技巧とはまた違うが、個性によって単純なバッターを打ち取るピッチャーが増えるかもしれない。
それこそ星はそうであったし、今なら木津がその傾向を見せている。
直史からするとフィジカルやテクニックというのではなく、もっと日本語で基礎体力と技術、と呼んだ方が分かりやすい。
基礎体力を鍛えることは、一番であろうか。
体力と言うよりは、まさにフィジカル。
ここで勘違いしてはいけないのは、パワーだけを指すのではない。
それよりも体幹の強さと、体軸をしっかりと感じられることが重要なのだ。
オールスター前の最後のレックスのカードは、神宮においてスターズとの対戦であった。
スターズは武史の離脱後、あまり元気がない。
ローテーションの中の一枚に過ぎないと言っても、この時期に既に10勝していたのだ。
しかも直史と同じく、リリーフを休ませることが出来る先発だ。
それがいなくなったことは、確かにチームにはショックだったのであろう。
ただ昔からスターズは、何かがあったら脆いところがある。
上杉以前にも暗黒時代があった。
また上杉が離脱していた時にも、暗黒の2シーズンと呼ばれていたのだ。
直史がプロ入りした年に、上杉は肩を故障。
治療とリハビリで二年間アメリカに渡っていたが、その2シーズンはスターズは最下位。
上杉が入団して以来、スターズはずっとAクラスであったのにだ。
どれだけ上杉に精神的にも、頼りすぎであったかを示すものである。
その上杉が戻ってくると、いきなりまたAクラスに浮上。
復帰後二年目はペナントレースこそライガースに負けたが、クライマックスシリーズで下克上をして、さらに日本一になった。
その後も上杉がいる間は、どうにかAクラスをキープし続けたスターズ。
上杉が引退し、また武史もいなくなって、いよいよBクラスに落ちるらしい。
タイタンズと共に、主力が離脱したのだ。
それも無理はないなとは思う。
だいたい確実に、15個は貯金を作ってくれる武史。
それがいなくなれば確かに、チームがBクラスに落ちても仕方がない。
ただ一人のスターに、チームの行方がかかっているというのは、あまり健康ではないだろう。
もっともレックスは明らかに、直史のおかげで30勝分ぐらいは、プラス査定がついている。
自分の勝ち星だけではなく、リリーフを休ませることが出来ている分の評価だ。
また直史の投げた次の試合は、おおよそ相手打線の調子も悪くなる。
ここで直史と当たらないローテであったことを、幸いと思えばいいのだ。
しっかりと勝ち星を稼いで、ポスティングに備えたい三島が、第二戦で投げる順番になっているが。
第一戦は木津で、第三戦はオーガス。
今年の木津はさすがに、去年ほどは勝ち運に恵まれていない。
だが打線の援護の少ないレックスでは、勝敗が半々になっていれば、それで充分であるのだ。
そしてクオリティスタートが50%ほどもあれば、さらに充分すぎる。
木津のクオリティスタート率は、それよりもずっと高い。
レックス首脳陣は、長期的な戦略で物事を考える。
この時期はまだまだ、勝負をかけるタイミングではない。
国吉が戻ってきてからが、本当の勝負になるだろう。
だが今の元気がないスターズからなら、出来れば勝ち越しておきたい。
七回までを投げる。
今のレックスの先発には、それが求められていると言っていいだろう。
あるいは試合に勝つことよりも、それを優先している。
もちろん実際には、勝つことが一番いいのだが。
リリーフによって、ピッチャーを試すことが出来る。
僅差で勝つことが多いレックスには、このリリーフでのプレッシャーが大きいのだ。
プレッシャーがかかった場面でこそ、高いパフォーマンスを見せてほしい。
ベンチはそう期待しているが、そう都合よくもいかないものだ。
リリーフ適正というのは、ピッチャーなら多くが持っているもののはずだ。
とにかく負けん気が強いのが、ピッチャーの条件だからだ。
俺が世界で一番凄い。
少なくともプロ入りしてくるまでは、多くのピッチャーがそんなことを考えている。
もちろんプロの世界では、基本的に即戦力以外はチーム内で底辺。
大卒の塚本なども、負けが先行していないだけで充分、と思われているのだ。
リリーフ一枚で、ここまでチームを悩ませることになる。
勝利の方程式というのは、本当に難しいものなのだ。
かつて直史がレックスにいた第一期は、まさに圧倒的な勝利の方程式が存在した。
六回までリードしていれば、まず勝利を逃すことがない。
豊田はその中で、セットアッパーとクローザーをしていた。
結果としてスターズ相手には、勝ち越すことは出来た。
確かにこれでレックスは、ライガースとの勝率差を、ある程度は保つことが出来る。
ライガースはクローザーを除けば、先発のローテが多少くずれようと、どうにかしてしまうチームだ。
レギュラーシーズン中はやはり、打撃で勝ってこそプロ野球と言える。
しかしこれがポストシーズンとなると、ピッチャーの価値が一気に高くなる。
直史は神宮のブルペンで、豊田と一緒に試合の推移を見ていた。
スターズ相手に、微妙な試合であったと言えるだろう。
せっかく勝ち越してもリリーフを酷使すれば、あまり意味がないことになってしまう。
もっともオールスターで、リリーフは休める期間となる。
選ばれた平良は、少しぐらいは投げるかもしれないが。
基本的にオールスターになどは、選ばれたくはない。
それはピッチャーの本音であろう。
同じようなことが、WBCなどでも言うことが出来る。
トップレベルのピッチャーを出さなかったから、アメリカは優勝出来なかった。
そういう言い訳もあるだろうが、そもそもトップレベルのピッチャーのかなりの部分が、国籍がアメリカでなかったりする。
いずれにせよこれで、本格的にシーズンの前半は終わったといっていいだろう。
残り試合数は少ないが、むしろここからが重要なのだ。
試合を上手く消化しつつ、ペナントレースの制覇を目指す。
しかしながら戦力を、無駄に消耗はさせない。
平良が離脱したらかなり痛いな、と豊田などは思っていた。
口に出すと現実になりそうなので、さすがに言わない豊田であった。
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