第293話 スラッガーの本領
野球の華はホームラン。
たとえチームが負けたとしても、主砲の一発を見ることが出来たなら、ある程度は諦めることが出来る。
ホームランを見たいがために、野球を見るという人間は少なくない。
バットでボールを打って、遠いところまで飛ばすというプレイ。
単純ではあるが、これが人々を魅了するのだ。
短時間での興奮では、かなり大きなものがある。
大介は基本、毎打席これを求められるほど、プレッシャーを感じている。
感じてはいても重荷にならないあたり、闘争本能が強い人間であるのだ。
プレッシャーを感じない人間はいない。
直史でさえ意識してしまえば、プレッシャーは感じるのだ。
だからどう投げるかを決めてしまえば、あとは体の動きを自動化させる。
それだけたくさんのボールを投げてきたからこそ、出来ることではある。
またプレッシャーを感じると、逆にアドレナリンが分泌され、フルパワーをさらに上回るタイプがいる。
大介や上杉がこのタイプで、チャンスでもピンチでもバフがかかるのだから、対戦する側とすれば厄介である。
武史はプレッシャーを、基本的には感じない。
野球の試合の勝ち負けに、あまり執着をしないからだ。
しかしその試合において、誰かの視線を感じたりすると、ある程度のプレッシャーを感じることはある。
普段のピッチングであれば、ノンプレッシャーで投げられる。
たとえばそれが、パーフェクトまであと1イニング、といった状況でもだ。
武史も複数回のパーフェクトを達成している。
それに直史が何度も達成しているため、基準がバグっている。
たいしたことじゃないと考えるから、ノンプレッシャーになる。
この性格や考え方も、かなりスポーツでは有利だ。
しかし本来の武史のスペックは、この歴史に残るほどのものでありながら、さらに上を目指せたものであったろう。
競い合う相手がほとんどいなかったため、より自分を磨くことが少なかった。
ポカミスが多いのは、そういうことも理由である。
最初の打席でホームランを打った大介は、そこからは勝負を避けられる場面が多くなった。
カップスとしてもそう点差が離れていないため、追加点を許したくはないのだ。
シーズンを通じての戦略としては、三位を確実に狙うということ。
まだ七月ではあるが、二位のライガースとの勝率差はかなり大きなものだ。
主力ががっつり怪我で抜けることでもない限り、二位に追いつくことが難しいだろう。
そして今年は、クライマックスシリーズまで進めれば、それでいいと考えているのがフロントだ。
フェニックスほど極端ではないが、カップスもここしばらく、Bクラスが常連となっている。
たまにAクラスに入ったりする場合、どこかのチームの主力が不調であったりすることが多い。
ここ20年ぐらいを基準に考えれば、一番Aクラスが多いのはライガースである。
バッティング優先主義であり、しっかりとピッチャーの育成も出来ていた、というのがこの好調の原因になっている。
一時期は本当に、暗黒時代であったのだが、若いファンには信じられないだろう。
ライガースとカップスの差は、単純に言えば資本力と人気だろう。
選手の補強に、ライガースは大きな金を使うことが出来る。
それだけ地元人気が高く、グッズなども大きな収入となっている。
これによって補強が可能になっており、また歴史の長いチームだけに、コーチ陣にも往年の名選手を呼びやすい。
人気においても関西では、完全に一強と呼べるものがある。
先祖代々ずっとライガースファン、という人間がそれなりにいるのだ。
甲子園での試合はおおよそ、地元のテレビ局が流してくれていた。
今でこそ変遷しているが、過去の試合の再放送などをやっていたこともある。
ライガースファンであるために、FAなどでやってくるのにも躊躇がない、という選手は多い。
ただライガースファンは、味方であっても平気で野次る、という文化が根付いてしまっているが。
もっとも人気だけを言うなら、地元人気ではカップスは、ライガースをも上回るかもしれない。
しかしあくまでも地元人気であり、ライガースほどの広域人気ではない。
ただ球団側も地元球団として、長年の愛される努力を続けている。
もっと資金力があれば、とは思うが仕方のないことだ。
新人の育成能力では、相当に高いという自負が、カップスにはある。
戦後の復興期、広島を支えた一つが、プロ野球チームのカップス。
資金難で消滅の危機に陥った時には、市民が寄付までしていたという過去がある。
現在ではさすがに、そこまでの危機からは遠い。
しかしファンに愛される努力を、一番考えているチームであるかもしれない。
ライガースファンほど、過激なわけでもないのだし。
カップスは今年、粘り強い試合が多い。
レックスもだがライガース相手でも、一方的に負けるということがない。
ただ格下とも言える相手であっても、一方的に三連勝することもない。
まさに野球といった勝率で、安定した成績を残している。
超人野球が展開される中、しっかりと地力をつけているのだ。
直史と大介、そして武史が引退するのも、そう遠くはないはずだ。
これに加えて上杉がいたのが、この時代の特徴と言えるのかもしれない。
もっともキャリアのほとんどを、NPBで送ったのは上杉だけ。
他の三人は半分ほどは、MLBで活動している。
そのキャリアの最後にNPBに戻ってきて、穏やかに引退を迎えるのであれば良かった。
一度は引退したはずの直史の復帰から、NPBへの弟と義弟の帰還が、今のNPBをとんでもない戦乱期にしている。
もっと普通の野球をしようよ。
そう言いたがっているのは、一般的な範囲での、プロとして成功を収めた人々である。
むしろ人気としては、これらのスーパースターがMLBで活躍したことが、NPBにも強く波及したと言える。
人生の勝利者となるには、プロに行ってそこからMLBへ。
巨額の契約を手にして、それで上がりというのが野球人生。
さらには球団にポストがあれば、もう言うことはない。
MLBで実績を残した人間が、あちらでそのまま引退すると、NPBにポストを求めることはあまりない。
その豊富な財産を活かして、日本の球界全体に、貢献していくことはあるが。
上杉は一年MLBにいただけだが、そのセカンドキャリアは野球の世界からは離れた。
もちろん実績からして、完全に無関係になるはずもないが。
現在はついに代議士にまでなったが、40代でまだ若造という世界である。
もっとも金を集めることと、世間を動かすことは、政治の世界において力である。
こういった人間は、特別なメジャーリーガーの中でも、さらに特別である。
カップスの場合は資金力に乏しいので、ポスティングというのも基本的には容認している。
それによってさらに、育成の能力を上げたいというのが、カップスのフロントの方針であるらしい。
ただし金にならないポスティングは、容認するはずもない。
ならばFAを取ってから出て行ってください、というのが基本方針だ。
あるいはトレードなども、最近では珍しくなってきたが、活用しないわけでもない。
豊富とはいえない資金の中からも、どうにか外国人などを補強したりもする。
ただカップスでは上手くいっても、他に移籍してしまうと上手くいかない、という選手は不思議と多い。
MLBでの話になるが、ピッチャーがFAとして移籍した場合、その成績が急降下することは確かにある。
その理由についても、MLBは各種の数値を使って、色々と判断しているのだ。
もっとも直史や大介レベルとなると、全く計算は不能になる。
大介の打ったホームラン記録は、もう人類が塗り替えることは、永遠に不可能であろう。
第一戦と違い、試合の流れはライガースにある。
カップスもそれは承知の上で、大介を歩かせる判断をしていた。
ただ昔に比べれば、盗塁の数は減ったとはいえ、今でも走る時には走ってくる。
それに長打一発で、一塁から帰ってくるほどに、走塁の判断は正しい。
大介がランナーにいるというのは、それだけで充分なプレッシャーとなる。
ここから三人長打を打てる選手がいるのが、ライガースの大きな得点源だ。
また下位打線も、打率はさほどではないが、パンチの効いた打撃の持ち主が多い。
フルスイングを重視するのが、ライガースの打線ということか。
もっとも出塁率を、ちゃんと考えて打線に入っている選手も、ちゃんといるのは間違いない。
大介はこの試合、三打席に立って一本のホームランを打っただけであった。
しかしランナーとして出た二回の中で、両方ともホームを踏んでいる。
これによってカップスは、ある程度の勝負をせざるをえなくなったのだ。
そして実際に勝負してみれば、ミスショットをすることもある。
ただし大介はやはり、三振はしなかった。
点の取り合いになる前に、ライガースは先発の友永がカップス打線を抑える。
そして試合の終盤まで有利に展開すれば、あとはリリーフに任せる。
ライガースはこのリリーフが、イマイチ安定していないところはある。
しかしそれでも、ここまで来ればリードもあって、勝てる可能性の方が高い。
最終的なスコアは7-4と、そこそこ楽な采配が取れた。
だが大介は地味に、七月に入ってから打率が下がっている。
五試合を消化したところで、二割台の打率である。
もっとも出塁率は四割を超えている。
そして打ったヒット四本の内訳は、ホームランが二本と二塁打が二本。
単打が一本もないので、OPSが普通に1を超える。
もちろん六月までは、それをさらに上回る数字であったのだが。
バッティングにおいて重要なことの一つは、打率にこだわりすぎないことだ。
ヒットの数やホームランの数は、積み上げていくもの。
つまりここから下がることはないわけである。
しかしながら打率というのは、ヒットを打たなければ下がっていく。
もちろん大介の場合、出塁率は高いままであるが。
三冠王を取る人間にしても、一番難しいのは首位打者だという。
実際に三冠のうち、ホームランと打点には、かなり密接な相関がある。
しかし打率に関しては、なかなかそれとは関連しない。
イチローなどが首位打者と打点王を取っていたが、あれは珍しい例なのである。
だいた二冠を取った場合、ホームランと打点の二つになっている。
イチローはその年、ホームランを25本打って、リーグでは三位であった。
大介も全く取れていないタイトルがある
最多安打である。
強打者の宿命と言おうか、せっかく二番打者になったというのに、回ってくる打席に対してあまりにも、敬遠や四球が多すぎる。
こんなつまらないことをしていていいのか、とも世間では言われたりするが、もうあの人は例外でしょう、というのがリーグでの認識だ。
そもそもNPBでは、メジャーに行くまでは年間のフォアボールが200を超えるということはなかった。
試合数が違い、打席の数が違うとはいえ、MLBでは300のフォアボールを経験したのが大介である。
そのせいかNPBに復帰以降の二年間は、敬遠も含むフォアボールは200を超えるようになっているが。
大介はNPB時代とMLB時代、そしてNPBに復帰してからの二度目のNPB時代とで、数字の傾向が変わっている。
単純に言えば、NPBよりも平均値が高いはずのMLBであれだけ実績を残してしまったため、NPBでは勝負を避けることが許される、という傾向になってしまったのだ。
フォアボールのほぼ六割が敬遠。
ここまで危険視されても、興行であることを考えれば、それなりに勝負せざるをえない。
大介の長打力が失われれば、もっと対戦の機会は増えるかもしれない。
しかしそれよりも先に、打率が落ちてくるだろう。
バッターの衰えというのはそういうものなのだ。
MLB時代は打席数が増えたため、200本安打を五回達成した。
しかしNPBでは、一番多いのがNPB復帰した、その年の186本である。
これでも運がよければ、充分にタイトルには届いたであろう。
だが大介はほとんどの年で三冠王を取った代償とばかりに、このタイトルには縁がない。
今年も80試合を消化した時点で105本。
200本に届くかはかなり難しく、またリーグに二人ほど大介よりヒットを打っている選手がいる。
積み重ねていくという点では、ヒットも立派なものである。
だが大介はもう、ヒットの数にこだわることをやめて、ただボールを強く打つことを意識するのだ。
それによって充分に、OPSの数字が上がっていく。
今では打率や安打よりも、出塁率とOPSが重視される。
実際に大介は、最高出塁率のタイトルも、獲得を逃したことがない。
首位打者だけは一度逃したが、その年にもなぜか、ホームラン王と打点王には輝いている。
第三戦、この試合は重要である。
ライガースの先発は、助っ人外国人のフリーマン。
ただ去年と違って今年は、あまりいいシーズンを送れていない。
助っ人外国人あるあるであるが、カップス相手に勝ち越せないと、クライマックスシリーズで困ったことになるかもしれない。
ライガースには直史のような、ほぼ自動的に勝利を手にしてくれるピッチャーがいないのだから。
(そう思うと真田って、やっぱり過小評価されてるよな)
怪我もあった中、実働14年で203勝。
勝率は上杉ほどでないが、えげつないものがある。
この試合は打撃戦になった。
カップスとしてもライガースを相手に、どうにか勝ちこすことが出来れば、クライマックスシリーズのファーストステージでの逆転はありうる。
そのために必要なことは、レギュラーシーズンでも勝ち越すカードを作るということ。
カップス相手ならばありうる、と相手に思わせることが重要なのだ。
ただそのために、大介との勝負を避けなかったところが、カップスの強気になりすぎた部分と言えるだろうか。
スポーツというのは基本的に、強気でなければ勝てないものだ。
しかしその強気を、ある程度コントロールしなければいけない。
ここは勝負していい場面なのか、それとも悪い場面なのか。
そういった判断をするのが、ベンチの役割なのである。
五打席、大介には回ってきた。
そしてさすがに五打席目は、敬遠に等しいフォアボールとなった。
ピッチャーが完全に逃げてしまったのである。
四打数の三安打で、単打と二塁打とホームランを一つずつ。
スリーベースがあればサイクルヒット達成であるが、実は大介はサイクルヒットを達成したことがない。
なぜなあらば一試合のうち、ほぼ確実に一つは歩かされて、下手に打てていると二つ歩かされるからだ。
一般的にどんなスラッガーを相手にしても、勝負をした方が失点の確率は下がるという。
ただランナーが多い時に、スラッガーと勝負した場合は、どれだけの失点になるかを考えないといけない。
ランナーが二人いる場面、二点ほどリードしていたら、大介と勝負するかどうか。
これは勝負しない方が当然である。
大介はホームラン数の割りに、やや打点が少ないのは、そういうところに理由があるのだ。
7-5の打撃戦で打ち勝った。
ライガースの野球をして、大量点での勝利である。
もっともベンチからすれば、二桁得点でもして、カップスのメンタルにダメージを与えられれば、さらに良かったのだ。
さすがにそれは都合が良すぎると思うべきであろう。
大介はこれでまた、打率が四割を突破した。
直史と違ってさすがに、大介は今が最盛期、などとは言われない。
昔に比べれば走らなくなったことが、やはり大きいであろう。
走ることによる得点の期待値向上よりも、怪我などの可能性を考えるようになったからだ。
最初のNPBにいた頃は、むしろ盗塁の方がホームランよりも多かった。
しかし今ではもう、ホームランの方が普通に多い。
どちらにしろトリプルスリーはしている。
だが今年は現時点で22個の盗塁なので、達成しない可能性も少しだけある。
盗塁王のタイトルは、MLB時代の終盤は、取れなくなっていたものだ。
もっとも重要な、盗塁成功率は高いままであったが。
「37本で100打点か……」
本日の時点での、大介の数字である。
下手をしなくても、このぐらいの数字でタイトルを取ることは、普通にあったりする。
残りの試合は62試合。
このままの調子でいけば、普通に達成できそうではある。
もっとも盗塁王は、カップスになかなかいい一番がいて、他にも争っている選手はいる。
しかし大介は圧倒的に、歩かされることが多い。
二塁にランナーが詰まっていれば、さらにその確率は高くなる。
一人で五打席分、観客に期待させる大介のシーズン。
果たしてこれがどこまで続くのか、本人にももちろんそれは分からないことである。
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