第291話 老いてなお
プロ野球選手の平均的な引退年齢は、29歳であるという。
ただこれはどの範囲までをプロとしたか、によってある程度は変わってくる。
27歳という説もあるし、年齢ではなく実働期間で計算する場合もある。
すると30歳を超えればベテランであり、これはおおよその人間が同意するだろう。
そして40歳を過ぎてまだやっていれば「おっさん元気だな」という話になる。
実際のところ人間は、個体によって老化のスピードが異なったりはしている。
分かりやすい例でいうならば、若くてもハゲの進行が早かったり、白髪になったりしている。
40歳を超えていても、まだ肉体年齢はせいぜい30歳、という人間もいる。
そしてスポーツの中でも、技術要素が強い場合は、単純な衰えを技や経験で補うことが出来る。
本格派のピッチャーは、そういう意味では寿命が短いはずだろう。
しかし上杉もそうであったし、武史も40歳を超えてなお、一線級の成績を残していた。
直史は身体能力の維持は、無理をしない程度に行っている。
そして工夫すべきは、技術や駆け引きに、洞察と分析といったところである。
152km/hはブルペンで出せるし、おそらくもうちょっと速くは投げられるだろう。
すると全盛期と、やはりパワーは変わらないように思える。
しかし体の耐久力は、確実に落ちているはずだ。
だから直史は、経験を色々と考えて蓄積していく。
バッティングは放棄しているし、味方も直史にそれは求めていない。
それでも一本や二本、ヒットは打っていたりする。
一応は構えておいて、分かりやすい変化球を投げてくれば、それにバットを当てていくのだ。
遅い球にであれば、今でもそこそこ通用はする。
ピッチングは技術だ。
その技術に対して直史は、色々なことを加味して投げている。
今年の直史が扱ったのはゴルフであった。
正確に言うと前から考えていた推論が、確信に変わったというものであるが。
野球は三振を取ればいいというものではない。もちろん取れればそれに越したことはない。
だがピッチングの究極の課題は、点を取られないことだ。
付け加えれば、出来るだけ自分のみで、試合を進めた方がいい。
ただそれはもっと高度な戦略となってくる。
先発のピッチャー一人で、どれだけのイニングを埋めていくか。
目の前の試合一つだけを見て、無理な負担を強いてはいけない。
直史が自分なりに持っている戦略。
それはひどく単純なもので、ペナントレースを制しないと、レックスは苦しくなるというものだ。
NPBでは今年が五年目。
過去の四年間のうち、三年は日本一になっている。
そして日本シリーズでは、三度の中で七試合も投げて七勝している。
特に伝説的なのは、プロ入りして最初の年の、ジャガースとの対決であろうか。
四勝を一人でやってしまったため、次の年の福岡は、直史を過剰に恐れていた。
そのためストレートで負けてしまったが、直史がクローザーとして出てきてはどうしようもない。
基本的に直史は、ペナントレースではほどほどのピッチングをしている。
しかしそれでも、勝つべき試合というものはある。
ほどほどのピッチングをしていても、試合の中の重要なポイントでは、集中力を増していく。
それは緊張するとかプレッシャーがかかるとかではなく、脳を活性化させるということ。
プレッシャーとは無縁なのである。
普通のピッチャーの中には、むしろプレッシャーから力を得る人間もいる。
直史もそういうことが、出来ないわけではない。
しかし高いスピンがかかっていて、ホップ成分が強烈であっても、ストレートには限界がある。
アドレナリンをコントロールして、下手な真っ向勝負は避ける。
それこそが賢いベテラン技巧派の技なのだ。
翌日の第二戦も、百目鬼がしっかりと投げていった。
いくらパーフェクトは免れたと言っても、その緊張感に晒され続けた約三時間。
それはフェニックスの打線陣には、大きなメンタルの負荷になった。
ほとんど毎日試合があるのが、プロのシーズンである。
しかしそれは気分の切り替えが、なかなか出来ないということにつながる。
もちろん切り替えが出来てこそプロ、ということも言える。
だがそのための時間も、ある程度は必要になるのだ。
百目鬼は七回までを投げて無失点であった。
レックスはそこから、勝ちパターン以外のリリーフを使っていく。
三連投がなかったとはいえ、六月まではかなりの過密日程であった。
それが国吉が離脱している今、逆に他のリリーフもある程度休めている。
不思議なことにある程度、打線の援護が多くなった。
やはりこれは意識の問題であるのだろう。
四点差の勝利というのは、一応はセーフティリードであるのか。
ただこれでフェニックスは、二試合連続無得点だ。
百目鬼も七回を投げて、打たれたヒットは三本であり、二桁の奪三振を奪っていた。
シーズン序盤の離脱から、復帰してさらにピッチャーとしてはレベルが上がった感じがする。
これは三島の次は、百目鬼がメジャーデビューということになるのか。
直史の視点からすると、確かに通用するかな、と思えなくもない。
百目鬼は今のローテで、七回まで投げることが少なくないのだ。
三振も取る割には、球数を抑えることも出来ている。
ゾーンの中で勝負していけば、そういう結果がついてくる。
むしろ今は三島よりも、調子がいいぐらいである。
レックスの現場としては、困ったところではあるのだ。
もちろん編成としては、ポスティングで高額の移籍をしてくれるなら、それはそれでチームの補強に金が使える。
今の日米の関係において、25歳まではメジャー移籍しても稼げない、という状態はいいバランスではないのか。
もっとも現場としては、頑張って使えるようになったピッチャーが、25歳で飛び出してしまう。
特にこの調子であると、百目鬼だけではなく、平良もメジャーを目指してしまうかもしれない。
今年は既に29セーブ。
セーブ失敗自体はあっても、負け星はまだついていない。
むしろ勝ち星がついていて、まさに今年はセーブ王を狙う勢いだ。
もっともそれを言うなら、大平も相当のホールドを稼いでいる。
おそらく来年は、一気に年俸も上がるだろうな、と直史は思う。
NPBがMLBの育成場になっている、というのは別に悪くはない。
それでチームにちゃんと、移籍の金が入ってくるのなら。
MLBの場合はFAというのは、権利ではなく自動で付加されるものであった。
つまり別にFAになりたくなくても、FAになってしまうというものだ。
もっともFAになるぐらいまで、しっかりとメジャーでプレイしていれば、普通に高額の大型契約になったものだが。
大介などは複数年契約に、オプションがついてとんでもないことになっていた。
単純なオプションを除いた額だけでも、5億ドル以上を稼いでいる。
これにインセンティブが加わったり、スポンサーがついたりとして、まず倍は稼いだはずだ。
そしてその運用を、ツインズたちがやっていた。
メジャーに行くのは、もう一つの流れになってしまっている。
真田にしてもボールの変更がもっと早くなされれば、メジャーに挑戦はしていたであろう。
他にも何人か、そういうピッチャーはいるものだ。
また今のNPBには、メジャー志望のピッチャーが多い。
いずれはこれで、ピッチャーのレベルが落ちてくるのかもしれない。
ただNPBはそれでも、どんどんと新しくピッチャーを育ててきた。
また直史と武史がいた頃は、なかなか他のピッチャーが出てきていない。
蓮池や本多は、当時から既にNPBでは間違いなくトップクラスであった。
それでも野手の方は、特に捕手であると、なかなか挑戦の機会がない。
日米ではキャッチャーの概念が、根本的に違うからだ。
その土壌で通じた樋口が異常なのである。
レックスはピッチャーの育成環境が整っている。
ただあの時代、おそらく通じたであろう金原や佐竹は、NPBに骨を埋めることとなった。
直史と武史を身近で見ていて、さらに自分たちの成績が、樋口によって底上げされていると分かっていたからだろう。
今年の新人にしても、他から移籍してきた選手にしても、それなりのものだと直史は思っている。
だがやはりいいのは、高卒で取ってきたピッチャーを、二年ほどで使えるようにすることか。
そこから25歳まで働いてくれれば、メジャーで通用するかどうかも分かる。
直史の目からすると、三島も百目鬼も、通用するかどうかは微妙である。
なにしろMLBは、実力はともかく体力が、根本的にNPBとは違う。
言語の問題もあるし、生活習慣の問題もある。
直史はそのあたり、しっかりと理解していたつもりだ。
それでもなかなかに、苦労はしたものである。
メジャー移籍後一年目、30勝してサイ・ヤング賞を獲得した。
そしてそれが、キャリア最低の数字であった。
途中でクローザーにチェンジした年を除けば、全て30勝以上のシーズン。
35試合に先発して、34試合で勝利するという、ちょっと理解出来ない数字を残している。
そんな基準からすると、メジャーは体力勝負、というのがよく分かる。
とにかく試合が多く、登板間隔が中五日から中四日。
これを100球以内に抑えなければいけない。
いや、普通は七回まででも投げればすごいのだが、直史はひたすら100球以内の完投を目指していた。
MLB最後の年は、年間に七回のパーフェクトピッチング。
またシーズン32試合の完封は、MLB記録として不滅の大記録となっている。
それはもう、五年しかプレイしていなくても、野球殿堂入り確定と言われるのは、おかしな話ではない。
駄目だと判断したら、またすぐに戻ってくればいい。
直史はかなり甘くそんな考えをしている。
挑戦すれば当然、失敗することはあるのだ。
しかし何も挑戦しないよりは、失敗という経験を積んだ方が、人生の役に立つだろう。
あとはぶっちゃけMLBで契約すれば、NPBで契約するよりも、ずっとたくさんの金が稼げる。
もっとも必要経費も、かなり多くなってしまったが。
次はオールスター前ということもあり、月曜日に試合があって、スターズとの対戦となる。
この三連戦が、オールスター前の最後の試合だ。
武史がいなくなったスターズは、かなり士気全体が低下している。
あんなちゃらんぽらんな人間であっても、いるだけで空気を明るくしてくれるところはあったのだ。
(木津、三島、オーガスか)
三島はオールスターにも出るので、そのあたりを加減して投げなければ、故障の危険性もある。
ただ日本のオールスターの場合は、まだ良かったと思うのだ。
MLBではオールスターは、本当に名誉だけしかない。
もちろん選ばれた査定で、年俸は上がったりもするのだが。
(まあ俺は仕事をするか)
副業のプロ野球が休みの間に、直史は本業の方を進めるのである。
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