第289話 三位争い

 武史の故障については、むしろ大介の方が先に知った。

 なにしろ武史が投げる予定の対戦試合で、緊急交代と決まったからである。

 大介はその豪快すぎる実績からは、ちょっと創造できないほどの普通さで、身内のダメージには弱い。

 祖父が病気になり亡くなった時にも、動揺して成績は低下した。

 低下していてなお、他と比べられるものではなかったが。


 大介からすると直史のメンタルこそが、本当に謎なのだ。

 確かに田舎で育ったため、親戚や近所の葬式に出る、という経験は多くしている。

 そこから人の死に対しては、耐性があると言ってもいいだろう。

 だが自分の子供たちのために、どれだけのことが出来るのか。

 五年以上のブランクがあったのに、いきなり沢村賞を取って、パーフェクトピッチングも達成。

 直史の精神は間違いなく、他の誰よりも怪物である。


 武史のことが心配になって、やや打撃成績が落ちる。

 このあたり大介は、間違いなく人間臭い。

 それが悪いはずもなく、むしろそれでこそ人間のはずだ。

 直史は自分をコントロールする。

 しかし大介は逆に、自分の限界を突破して行く。

 そうでもなければ甲子園で場外ホームランなど、打てるはずもないのである。


 神奈川での試合であったため、直史とは違う日に、武史のことは見舞っている。

 そして直史との話し合いで、とんでもないことを伝えられたりもした。

「大介さんにはそういう話、何かあったりしない?」

「俺に野球以外のことが出来るはずないだろ」

 それは確かにそうである。

 死ぬまで生涯野球小僧。

 それが大介の生きる道であるのかもしれない。


 ただ武史が引退しないというのは、大介としてもモチベーション的に助かる。

 若手もそれなりに面白いピッチャーは出てきている。

 だが時代に突出したピッチャーというのは、そうそう出てくるわけがないのだ。

(うちの息子がプロに来るのかどうか)

 昇馬が高卒でプロ入りするのかどうか。

 単純に勝負するだけなら、今でも普通に打ててしまう。

 だが試合での対決となると、さすがに違うであろう。


 バッターの選手寿命は、平均ではピッチャーよりも長い。

 しかしピッチャーの方が、高齢選手は多かったりする。

 とにかくバッターは、打てなくなったら終りなのだ。

 それに対してピッチャーは、速い球でなくてもバッターを抑えられる。

「俺は引退しても、ずっと野球は続けていくつもりだけど、お前はもっと趣味を持つべきだと思うな」

「趣味かあ」

 武史にも色々と、やっていることはある。

 ただ趣味と言うよりは、娯楽を楽しむといった方が正しいか。

 とりあえず今の一番の楽しみは、まだ言葉もろくに話さない、末っ子を可愛がること。

 プロ野球選手として、特にMLBで投げていた頃は、子供たちとの関わりが薄かった。

 今は子供たちも、将来を考え出す年齢になっている。

 そんな相談に乗ることも、父親としての役目であると思うのだ。




 武史はあっさりと手術を終わらせた。

 ネズミは昔から、プロ野球のピッチャーの職業病のようなものである。

 以前から手術での復帰率は、それなりに高かった。

 今では内視鏡手術により、さらに成功率も上がり、復帰までの時間も短縮できている。


 手術をした翌日からもう、ある程度は動かしている。

 いくらなんでも早過ぎないかとも思うが、アメリカなどでは普通のことらしい。

 日本は安静にして、治癒してからリハビリをする。

 アメリカの場合は治癒するのを待ちつつも、同時にリハビリも行ったりする。

 もちろんケースバイケースだが、この方が復帰は早いらしい。


 武史が復帰するまでに、二ヶ月から三ヶ月。

 もうシーズンは終わってしまうではないか。

 これをもってして、今年のスターズはAクラス入りが難しくなった、とは言われている。

 もちろん可能性は0ではないが。

 タイタンズもスターズも、主力を欠いたチームは脱落していっている。

 ライガースも大原が離脱しているが、そもそもローテとしては六枚目ぐらいの重要度だ。

 それと比較すると、レックスの異常さが分かる。


 開幕して早々に、ローテの百目鬼が離脱している。

 そして次には勝ちパターンのリリーフである、国吉が離脱している。

 この国吉の離脱直後は、調子が悪かったと言える。

 だが六月には、圧倒的な戦績を収めている。

 これにはちゃんと理由がつけられる。

 百目鬼が離脱した時、レックスは様々なピッチャーを、ローテで試そうとした。

 そこで試されたピッチャーが、百目鬼が戻ってきてからは、リリーフで投げることが多いのだ。

 さすがにリリーフに入った直後は、まだしっくりときていなかった。

 しかしそれも一ヶ月が過ぎれば、定着してくるというものだ。


 今のレックスは、投手陣の内部競争が、かなり激化している。

 競争は同じチームの中でも、絶対に必要なことなのだ。

 三島がポスティングをほぼ確実としていて、直史もそう長くは投げないだろう。

 他にはオーガスも、やや成績を落としつつある。

 百目鬼はエース格になったと言える。去年は25試合に先発し、15勝7敗という結果なのだから。

 また意外と言ってはなんだが、木津が今のところはローテに定着している。


 ただどうしても、レックスは得点力に不足がある。

 投手陣と守備によって、失点は低く抑えているのだ。

 しかし流れの途切れない打線でありながら、ビッグイニングが作れない。

 これだけがレックスの弱点とは言ってもおかしくない。

 後半戦がどう展開していくのか。

 主力をしっかり運用して行くことが、ペナントレースの結果を左右するであろう。




 七月に入ってから、レックスはカップス相手に三連戦で負け越した。

 ちょっと意外な結果ではあるが、カップスの調子が上がってきていると見ることも出来るだろう。

 首脳陣があまり気にしていなかったのは、リリーフ陣を休ませることが出来ているからだ。

 それと次のカードが、完全に相性のいいフェニックスを相手に、直史が第一戦を投げるからである。


 ここまで11勝1敗。

 負けた試合は国吉が離脱し、七回のリリーフを模索していた時期である。

 最低でもここは、2勝1敗の勝ち越しが狙える。

 ピッチャーは直史から始まって、百目鬼に木津と続くので、三連勝をしてもおかしくない。

 もっともフェニックスがここまで負け続けていたのは、直史以外にも三島にオーガスと、表ローテに近いピッチャーが続いていたからだ。

 とは言っても今のレックスには、捨て試合の先発というのはいない。


 直史に百目鬼の二人はもちろん、初対決ではなかなか打てない、木津が第三戦の予定なのだ。

 アウェイのゲームではあるが、あまりプレッシャーは関係がない直史である。

 ただこの三連戦は、ちょっとおかしなこととなった。

 第一戦が地方開催であったのが、よりにもよって雨天順延になってしまったのだ。

 先に入っていた直史は、そのまま第二戦の先発にスライドする。


 一昨年の記憶が蘇る。

 わずかにライガースには負けたペナントレースだが、その原因とも言えるものは、雨天中止が多かったことだろう。

 それだけが原因ではないが、間違いなくそれも関連して、レギュラーシーズン終盤に、レックスは上手く勝ちきれなかった。

 夏の始まりのこの時期は、突然の大雨で試合が中止になることはある。

 だがそれが直史のローテにぶつかると、ずっと調整してきたコンディションが、わずかに崩れてしまうのだ。


 フェニックス相手なら大丈夫だろう、などとは直史は考えない。

 それよりも自分の調整が、わずかにずれてしまったことを問題視する。

 フェニックスもフェニックスで、エースクラスのピッチャーを出してくる。

 年齢としては直史よりも、15歳ほどは下になる。

 こういうわずかでも予定が狂うと、万全のパフォーマンスは発揮しにくい。

 そういう自分の弱点を認めつつも、そこから勝ち筋を考えていくのだ。


 逆に考えれば、試合が出来る程度の雨ではなくて、よかったと思うのだ。

 個人的には野天型の、それも昼間のデイゲームが好きな直史である。

 ただしドーム球場には、雨の影響がないという、他にはない利点もある。

 そういう点では雨という、イレギュラー要素がなくて、良かったと思う直史だ。

 幸運であったか不運であったかは、人の受け取り方によって決まる。

 そして直史は終わってしまったことには、もう興味を持たない人間である。


 地方としてはプロ野球の開催がなくて、寂しかったのであろう。

 もっとも同じ中部地方なので、それほどの意味もなかったとも思うのだ。

 直史は未来に対して、自分の都合の悪いことも考える。

 しかしそれに対処できれば、悪いことではなくなるのだ。

 フェニックスとの13回戦。

 直史は100%どころか95%も調整出来ていない状態で、これに挑むことになったのであった。




 先取点がほしいな、と直史は思っている。

 せっかくの先攻なのであるから、その程度の期待はしている。

 もっとも極悪なまでに弱小な今年のフェニックスだが、ピッチャーがいい試合では、五割をしっかりと超える勝率を持つ。

 それでもせいぜい五割ちょっとなのは、リリーフ陣が固定出来ていないからだ。


 打線はちぐはぐで一発頼み。

 先発のローテーションも固定化出来ていない。

 リリーフ陣に安定感がなく、継投後に試合をひっくり返される。

 そんなことが続いていたら、勝てる試合も勝てなくて当然だ。

 ただごく一部には、いい選手もいるのだ。


 今日の試合はしっかりと、勝てるピッチャーを当ててきたフェニックスである。

 せっかく雨で延期になったのだから、勝ちやすいところに当てればよかったろうに。

 それをしないというのは、どうせ小賢しいことをしても、勝率はほとんど変わらないと表いるのだ。

 ならば直史のピッチングを見て、衝撃を受けてほしい。

 プロというのはどんな怪物でも、慣れれば打たれてしまうものだ。

 その中で打たれないことを続けているのだから、直史のピッチングの凄まじさと言えるだろう。

 

 変わらない部分、変わってはいけない部分もある。

 しかし変わらなくてはいけない部分も必ずあるのだ。

 プロの世界であれば、ちょっと異常なナオフミ=サン以外は必ず、スーパーエースも負けてくる。

 単純に調子が悪かったのならばともかく、何か明確に打たれた理由があれば、そこは工夫していく必要があるだろう。

 直史が負けないのは、対応される前に先に変えてしまうから。

 上手くいっているのに、あえてすぐに変えてしまう。

 だからこそここまで勝てている、とも言えるのだ。


 一回の表に、まず一点を取ってほしい。

 今シーズンは無敗どころか、無失点という直史である。

 そんな数字を残していると、相手にはとんでもないプレッシャーを与えることになる。

 つまり一点でも取られてしまえば、もうこちらは勝てないのでは、という錯覚である。

 いくら直史でも、完封をずっと続けられるわけではない。

 また今シーズンは完投していない試合さえ、幾つかはあったりする。

 現代のプロ野球においては、むしろそちらが当然なのだ。

 当たり前のように球数を100球以内で終わらせてしまう。

 直史のようなピッチャーが異常であるのは、誰だって分かっている。


 だからこそまずは、初回のレックスの攻撃を抑える。

 フェニックスのバッテリーも首脳陣も、そこははっきりと分かっているのだ。

 だがいくら頑張ったところで、打線が点を取ってくれなければ、試合に勝つことは出来ない。

 もっとも今年、直史は一試合勝てていない。

 今から思うとなるほどとも感じるが、カップスがしぶとく0-0で終わらせたのだ。

 ピッチャーが点を取ることは、現在のセ・リーグではほとんどない。

 江夏豊の時代ではないのである。




 しぶとくフェニックスは、三者凡退でレックスを抑えた。

 一人もランナーが出なかったというのは、あまりいいことではない。

 直史としてもこの一回の裏、フェニックスがどういう想定でいるのか、探っていかなければいけない。

 まずはセオリーを外して、先頭打者にインハイを投げてみた。


 どんなピッチャーでも試合の最初の一球は、ちょっと意識してしまうものである。

 だからこそ強気に投げる、という手段もあるにはある。

 しかし直史のスタイルからすると、ちょっと例外的なものになる。

 常に冷静であることが、相手を封じることにつながるのだから。

 つまりは冷静に、強気の初球を投げていった。


 ファーストストライクを最初の一球で取れるか。

 これは先発ピッチャーにとって、かなり重要な問題である。

 適当に投げてもクセ球になって、ホームランにはならないというピッチャーもいる。

 だが今はそのクセ球の変化量すら、アッパースイングのバレル角によって、消してしまうホームランがあるのだ。

 150km/h台の後半で、動かしていく球ならば、対応は難しい。

 しかし直史の場合は、140km/h台の半ばとなる。


 MAXのストレートと、他の球種のスピードを合わせる。

 それによって直史は、球種を見破らせないように出来る。

 しかしたまには、あえて見え見えの球を投げてみることもある。

 心理的な死角によって、バッターは対応出来なかったりするのだ。


 インハイにストレートを投げられると、次には外の球を意識してしまう。

 それで逃げる球を使えれば、とても有利にはなるのだ。

 ただフェニックスもやはり、一番バッターには左打者を置いている。

 ツーシームかシンカーを投げるか。

 しかし大きく変化し、それでいてスピードもあるシンカーは、肘にそれなりの負担がかかる。

 そしてツーシームならば、強く踏み込んで打ちにいけば、ゾーン内の変化なら打ててしまう。


 直史がここで選択したのは、カットボールであった。

 最初の球よりは真ん中寄りと思えたところから、内角に突き刺さってきた。

 完全に懐の球であり、上手く腕を折りたたんで打つことが出来ていない。

 かろうじて当てた球は、キャッチャーフライ。

 まずは迫水がしっかりと捕って、ワンナウトである。


 先発ピッチャーはやはり、初回の先頭打者には、プレッシャーを感じるのだ。

 直史にもプレッシャーが、全くないわけではない。

 しかしそれがあると認めた上で、全力で投げ込んでくる。

 それにバッターは対応しきれない。




 初回は両ピッチャー共に、三者凡退で終わらせた。

 直史にとってはいつものことである。

 ただ序盤に単打を許してしまうのも、悪いことばかりではない。

 野手が変に緊張することなく、余裕をもって守ることが出来るからだ。

 そうなるとバッティングに割くリソースも増えて、援護点も増えてくる。


 守備は基本的に、もちろんミスしてはいけない。

 だが絶対にミスしてはいけないと思い込むのと、普通にやって普通にアウトを取ろうと考えるのでは、後者の方が逆にミスはしにくくなる。

 プレッシャーというのは体を固くするものだ。

 そういう状態で守備をすれば、考えすぎて普段の動作が出来なくなる。

 ミスをしてはいけない場面こそ、ミスは起こるものであるのだ。


 最初のアウトは出来れば、三振かファールフライで取りたい、と考えるのが直史だ。

 ミスをしようがないことと、ミスをしてもランナーが出ないこと。

 三振とファールフライは、そういうタイプのアウトになる。

 ゴロを打たせてアウトにするのが、本来の直史のピッチングスタイル。

 しかしそんなスタイルに固執していては、逆に攻略されやすくなるのだ。


 直史のプロ生活は、今年でまだ10年目。

 またその内の五年は、アメリカに行っていたのだ。

 最初にNPBにいた時の情報は、もうあまり参考にならなくなっている。

 それでもピッチャーとしての根本的な部分は、あまり変わっていないのだ。

 まさに変わってはいけない部分である。


 試合は進んでいくし、レックスは点を取る。

 防御率が1というピッチャーがいれば、それはとんでもなく有能なピッチャーである。

 リリーフ陣でさえ、なかなかそんな防御率の者はいない。

 だが今年の直史は、いまだに防御率が0のままである。

 いつになったら点を取られるのか、例年であればもう少し、点ぐらいは取られてもおかしくないのだが。


 二巡目には入ったものの、まだ完全にパーフェクトピッチングは継続中。

 もういつものことだ、とレックスの守備陣も慣れてきた。

 直史がパーフェクトをしていても、緊張することがなくなってきている。

 もちろんこれはいい意味で、緊張しなくなっているということではあるが。

 それに三振を取ることと、イージーなフライでのアウトが多い。

 そして内野ゴロであっさりとアウトになる。


 自分に打たれた球であっても、フィールディングで捕ってしまう。

 ピッチャー返しはバッティングの基本だが、それを意識していては直史は打てない。

 もう当たったら上手く野手のいないところに飛んでいけ、と強く引っ叩くしかないのだ。

 それでもなかなか、単打にすら至らない。


 二つ前の試合で、パーフェクトを達成したばかりである。

 一つ前の試合でも、ヒット二本に抑えている。

 そして今年は武史が離脱したため、おそらく投手五冠も狙っていける。

 直史としてはあまり、奪三振にはこだわらない。

 それでも確実なのが、三振というアウトの取り方だ。

(おいおい)

 試合は中盤を過ぎていくが、いまだにパーフェクトは継続中。

 またネット配信の視聴率が上がり始める、サトーの時間が始まっているのであった。

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