14章 夏野球

第288話 投手運用

 七月が始まる。

 首脳陣が投手運用に悩まされる時期である。

 問題となるのはオールスター。

 レックスからは結局、三島と平良、そして左右田と迫水が出場することになっている。

 四人も選ばれて、良かったと言うべきなのかどうなのか。

 出来ればこのクソ暑い季節は、そのまま前後の休日を合わせて、休養にあてたいというのが正直なところだ。

 ただ三島は個人的に言えば、ポスティングのためにもアピールするチャンスではあったろう。


 他には百目鬼なども選ばれそうになっていたが、こちらはファン選出でもないので、さすがに拒否している。

 まだ若い百目鬼であるが、今年は故障もあったのだ。

 そこで休みの大切さを理解したことであろう。

 もっともオールスターに選ばれたりした場合、チームの査定には加えられる。

 しかし真剣に優勝を目指せる場合であれば、チームでの貢献を選ぶこともある。

 そもそも実際にオールスターに出なかったとしても、選手間投票や監督推薦で選ばれた時点で、充分に評価されていることになる。


 レックスの首脳陣は、とにかく直史と平良の二人を、投手陣の中でも特別扱いにする。

 そもそもリリーフが必要ではなく、一人で勝ってしまえるピッチャー。

 そしてもう一人は、勝っている状態から確実に勝ちを確定させるピッチャーである。

 また平良の代わりにクローザーが出来るピッチャーとしては、大平がいる。

 もっとも平良に比べると、明らかに安定感では落ちるが。


 首脳陣が考えなければいけないのは、とても多いのだ。

 目の前の試合で、一喜一憂してはいられない。

 戦力的に主力の欠落がなければ、日本一が狙えるチームである。

 ならば目の前の試合ではなく、まずは主力が欠けないように、しっかりと休ませながら使っていく。

 もちろんそれで、ペナントレースに敗退してしまったら、元も子もなくなるのだが。


 二つの条件を、同時に満たさなければいけない。

 ペナントレースに優勝することと、投手の主力を温存することだ。

 この二年は共に、直史が頑張ってくれたが、本来はここまで一人の選手に任せてはいけない。

 野球は集団競技だ。

 いくら直史が勝ってくれても、他のピッチャーで負けたからこそ、二年前は日本シリーズに進めなかった。

 それもまたアドバンテージがなかったため、直史の酷使にも限度があったからだ。


 42歳のピッチャーなのである。

 無理をさせたら壊れる、というのは上杉が証明したことだ。

 もっとも上杉は最後の年こそ、往年の輝きを取り戻したが、その前の二年ほどはかなり、既に数字を落としていた。

 直史の場合は上杉と違って、勤続疲労が少ないのもある。

 高校からいきなり入ったわけでもなく、また大学時代にも無理をしていない。

 大学時代は無理をしなくても、簡単に勝てる試合がほとんどだったのだ。


 ただそれでも、壊れることは考えないといけない。

 直史よりも先に、武史の方が離脱したのであった。

 七月の頭の話である。




 パワーピッチャーの寿命は短い、と言われていた。

 ピッチャーの肩肘は消耗品、とも言われていた。

 実際に勤続疲労などはあるが、それも程度問題である。

 上杉は一度肩を壊したが、最先端医療の治療を受けた結果、完全には元に戻らなかったものの、充分すぎるほどには復活した。

 対して武史は同じパワーピッチャーではあるが、肩肘に問題を抱えたことはない。

 普通の怪我ならばしたことはあるが。


 スポーツ選手は怪我をするものである。

 故障してある程度の戦線離脱をしたのは、大介でもあることだ。

 しかしこの年齢までパフォーマンスを保っているということで、鉄人と言われたりもしている。

 上杉も復活して、やはり鉄人と言われたことがあった。

 武史も体の頑健さにおいては、球界トップクラス。

 それでも肘を故障したのである。


 ピッチャーは肩を壊したら、ほぼ致命傷である。

 昭和の野球というのは、とにかく肩を壊すことが多かった。

 投げさせすぎが主な理由で、実際に今でも肩を壊すと、ほぼそこから復帰することは出来ない。

 肘ならば種類にもよるが、復帰することは可能だ。

 特に今は靭帯であれば、トミージョンで復活する確率は、九割ほどもあると言われている。

 リハビリの大変さから、結果的には放出されてしまう場合もあるが。


 今ではチームも復帰の確率が高いので、そう簡単に切ってしまうことはない。

 ただ武史の場合であると、年齢が問題となる。

 なにせもう41歳なのだ。

 ここから手術してリハビリしてと考えると、復帰するのは43歳のシーズンになるか。

 年齢も年齢なので、治癒にもリハビリにも、長い時間がかかるであろう。


 しかし肘は肘でも、靭帯ではなかった。

 いわゆるネズミと呼ばれる、遊離軟骨である。

 肘の軟骨の一部が、剥離して関節の動きを妨げる。

 これは程度にもよるが、内視鏡手術で治療するもので、国吉と同じ故障である。

 加齢によりどうしても、軟骨や腱や靭帯は、脆くなっていく。

 普通の筋肉は案外、どうにかなるものなのだが。


 直史としても腱や靭帯は、事前の準備運動野ストレッチなどで、どうにか柔軟性を保つことが出来ると考えている。

 しかし骨は、準備運動ではどうにもならないだろう、というのが持論だ。

 せいぜいやることと言えば、カルシウムを摂取したりという、栄養をしっかりと取ること。

 やらないよりはやった方がいいのだろうが、自分ではいまいち効果を実感出来ない。

 ただうっかりミス以外で、武史が故障するというのは珍しい。

 手術自体はするが、復帰できるかどうかは微妙なところである。




 もう41歳なのだ。

 普通のピッチャーならば、とっくの昔に引退している。

 また本人のモチベーション的にも、リハビリして復帰というのは、果たしてどうであるのか。

 遠征しているレックスに、直史は帯同していなかった。

 なので息子の顔を見がてら、神崎家にお邪魔する。

 とりあえず放っておくと普通に痛いので、手術をすることだけは決まっていた。


 武史の今年の成績は、14先発10勝2敗。

 去年に比べると、負けた試合が増えつつある。

 もちろんこれでも、立派に貯金を作っている。

 それに奪三振率は、直史よりもずっと上だ。

「明日には手術なのか」 

「全治三ヶ月ぐらいってとこかな」

 40代の人間が、それほど早く復帰出来るのか、という疑問はある。


 もうちょっとだけ頑張れば、通算400勝に達する。

 高卒ではなく大卒投手が、投げる登板数の多いMLBにいたといっても、400勝に到達するのだ。

 現時点で397勝。

 上杉の記録を超えられるかどうか、そこに注目は集まっていた。

 もっとも上杉の記録は、一年の治療と一年のリハビリが含まれている。

 そしてその勝利数は、436勝なのである。


 現代野球においては、もう絶対に更新不可能な数字と言われていた。

 だが去年、武史はNPBに復帰して、21勝している。

 あと二年、今のペースを維持できれば、更新するかもしれない。

 数字の上ではそうだが、年齢的にはいつ引退してもおかしくない。

 上杉も二年間の調子を落とした後に、直史や大介と張り合って、致命的なダメージを受けた。

 実はまだ150km/hぐらいは出るのであるが、もう上杉のピッチングは出来ない。


 直史はそれに対して、最速までを出さないことによって、壊れないようにしている。

 あとは変化球において、肘をどう使うかだ。

 スルーなどは実は、相当に負担がかかるボールである。

 高校一年の夏、それでしばらく休むことになった。

 今はもう、とにかく無理をしないこと、を大前提に考えている。


 武史は果たして、もう引退するのか。

 年齢的に言っても、引退しておかしくはない。

「でも引退して、何をするんだ?」

 直史の問いに対して、答えを持たない武史である。

 単純に生活のために働く、という選択は必要がない。

 MLBで稼いだ金が、どれだけあるというのか。

 稼動年数が長かったため、直史よりも生涯年俸は多くなっている。

 サイ・ヤング賞の最多取得記録保持者なのだから、それも不思議ではない。




 武史はセカンドキャリアを、全く考えていない。

 いわば流されるままに生きてきた男だ。

 ただその流れに完全に乗って、成功者としての人生を送ってきた。

 もはや単純に生きるために生きるのではなく、自分の生み出したものをどう使うかが、人生の後半の課題となっている。

「暇なら社長でもやってみるか?」

 直史は現在、農業法人の重役にある。

 社外取締役であるが、他の事業にも手を伸ばしていきたい。

 さすがに自分一人でやるのは無理のため、今は実家に戻ってきている、桜にもやらせるつもりではいる。


 不動産屋をすることは考えている。

 あとは千葉県からキョンを一掃するために、本当の意味での自然保護を目的とした会社を作ろうともしている。

 他には土木関連に加えて、金融関連にも手を出していく予定だ。

 こういったものを一元的に纏めるため、親会社を作る予定である。

 名称は今のところ、SSホールディングスというのを考えている。


 その社長については、やはり身内にやってもらおうか、という考えである。

 定年退職した父には、既に農業法人の方で、働いてもらっている。

 そしてさらに大きな会社としては、やはり顔になれる人間が必要なのだ。

 武史はこんなではあるが、基本的に頭が悪いわけではない。

 補佐する人間がいたならば、しっかりと仕事も出来るはずなのだ。

 そもそも社長という仕事は、顔の広さなどが必要になってくる。

 本当は直史の方がいいのだが、直史は引退したら本格的に、知事か代議士を狙っていく。


 地元で仕事をやっていく上で、本当に面倒なことがあったのだ。

 いっそのこと都知事を狙っても勝てるのでは、と言われることもある。

 確かに知名度は高い直史は、東京暮らしもそこそこ長い。

 レックスの浅いファンに尋ねてみれば、直史は東京の人間だという答えが返ってくるだろう。


 社長業。

 本格的な拠点は、東京に置いた方が便利だ。

 ならば東京に住んでいる武史は、出勤するにも便利であるだろう。

 実際に直史と違って、武史の住所は東京なのだ。

「社長って面倒そう……」

「まあ下げなくてもいい頭を、下げたりすることにもなるだろうな」

 直史は地元の農家や、それとつながっている商店などに、しっかりと顔を売っている。

 普通の知名度もあるので、これで票田を確保出来るのでは、という目論見がある。


 上杉も先日の選挙で、本当に代議士になった。

 ただ彼は現時点で、最終学歴が高卒となっている。

 政治家として働きながらも、大学にも通っているのが上杉だ。

 学者の意見を聞いてみて、一般とはどう違いがあるのか、そういうことも確認しなければいけない。


 結論として武史は、まだ頑張ってリハビリに挑戦することにした。

 野球界における武史の地位は、アンタッチャブルに近いものである。

 400勝間近の300勝投手に、つっかかる人間はさすがに少ない。

 監督やコーチや、果ては評論家などがいても、でもこいつ俺よりは下だしな、と自然な自信を持つことが出来る。

 本当ならキャリアの最後には千葉にでもやってきて、野球ファンの票をまとめてほしいのだが、それは実際に千葉に住んでいる直史がすべきことだろう。




 日本を動かすというのが、冗談ではなく現実的になっている。

 もっとも直史にしても、ここまでのことは考えていなかった。

 最初から考えていたのは、上杉である。

 本当ならほどほどでプロを引退し、新潟の地盤を親から受け継ぐはずであった。

 しかし圧倒的な名声を、神奈川で自力で獲得してしまった。

 またそもそも地元の新潟では、初めての真紅の大優勝旗を持ち帰ったのは、弟の正也である。

 その正也は一足先に、新潟で代議士になっている。

 親の地盤を元にはしたが、そこからさらに広げていって、樋口を相棒に国政に参加しているわけだ。

 元々樋口は、官僚になる予定であったのだから、知識などもブレーンとしては充分なのだ。


 直史の場合は、まず田舎の人付き合いということで、とりあえず県議になれるぐらいには、票を集められただろう。

 また瑞希の父の伝手からいっても、小さな商店街などの、票をまとめることが出来る。

 そして今は農業法人に関わることによって、その人脈はどんどんと広がっていく。

 本質的に直史は、地元愛の強い人間である。

 なのでそこに無茶なことをさせようという人間には、徹底して反対するのが当然である。


 政治家などというのは、40代ではまだ小僧である。

 頭の働きが遅く、悪い意味でも保守的であることが多い。

 ただ保守的であることは常に、無謀な改革からは遠い、という利点もある。

 もっとも直史や樋口の考えとしては、今から改革をやっていて、間に合うのかという疑問はあるが。


 田中角栄は土建屋の社長でもあった。

 そして直史は実業においても虚業においても、実益を与えたり、知名度を稼いだりしている。

 自分が政治家に向いているとは思わない。

 だがこいつに任せたら駄目だろうと思い、そして代わりになるようなものが見つからなければ、自分でやるしかない。

 千葉は東京に近く、その衛星都市というか、東京の大都市圏に含まれている場合がある。

 直史は基本的に、本質的な意味での保守派だ。


 プロ野球をしながら、農業法人の役員もして、また会社も作ろうとしている。

 これらはさすがに、自分一人で回していることではないが。

 おそらく自分が生きている間に、どうにかなることではないとも思っている。

 ただ息子の明史が、普通に東大を目指すルートで、中学進学を果たしている。

 次の代も、さらにその次の代も考えていかなければいけない。

 目の前の一票に左右される政治家よりも、本来は官僚の方が重要なのだ。

 しかし実際には、前例と慣例によって、動きようがないというのも本当の話。


 明史が官僚にでもなってくれれば、それを全面的にバックアップできる。

 ただ直史から見ても、明史はそういうタイプの人間ではない。

 もっと論理的で、そして俗物的であるため、自分の力で何かをしようと考える人間だ。

 おそらく学生時代に起業でも考える、そういうタイプに見えている。

(平均寿命まで生きるとして、あと35年ぐらいか)

 人生の半分を、直史はもう終えていることになる。


 あと何年野球をやるのか、ということはずっと考える。

 全国の野球ファンを、どれだけ動かすことが出来るか。

 自分でもあまり考えないうちに、影響力はとてつもなく強くなっていた。

 またそれは日本だけではなく、アメリカにおいても同じことが言える。

 どうしてこうなった、とはずっと前から思っている。

 しかし今さらこじんまりと収まるのは、むしろ許されないだろうなと考えている直史であった。




 武史の手術は、問題もなく終了した。

 上手くいけば今年のシーズン終盤に、戻ってくることが出来るであろう。

 しかしここで大エースを失ったスターズは、負けが込んでいくことが予想される。

 タイタンズも悟が離脱し、その数字は悪くなっている。

 そんな中で安定しているのが、カップスなのである。


 大々的に調子がいい、というわけではない。

 だが不調な選手がほぼいない、というのがカップスの現在の強さだ。

 スターズとはほぼ並んでいるが、武史が戻ってくるまでにどれだけ、スターズが今の位置をキープ出来るか。

 調子が戻ってきたならば、普通にライガース相手でも、投げて勝ってしまうのが武史である。

 レックスが相手でも、直史以外とならば、ほぼ勝ち星を拾ってくるだろう。


 不思議なことがある。

 レックスは今、勝率がほぼ七割ほどもあるチームだ。

 そして六月の終了までに、カップスとは10試合があった。

 その勝敗はどれだけのものであるか。

 なんと5勝5敗の五分なのである。


 もちろん理由は色々とある。

 この10試合のうちに、直史の投げた試合が一度もない。

 つまり他のピッチャーを相手にすれば、ほぼ互角に戦えるのがカップスなのである。

 他のチームとの結果を見てみれば、ライガースとも6勝6敗。

 直史の投げた試合は一試合だけである。


 一番ひどいのはフェニックスで、なんと11勝1敗。

 直史がなんと四試合も投げているのだ。

 他のピッチャーであっても、おおよそは勝てるだろうというのがフェニックス。

 やはりライガース相手に、直史を当てられるように、オールスター前後で調整すべきか。

 しかし直史が投げなくても、ほぼ互角なのがライガースなのだ。 

 ならば直史には、強いところと当たって勝ってもらうより、確実に勝てる相手に勝ってもらう。

 ライガースが相手となれば、大介を敬遠にでもしない限り、直史が確実に勝てるとは言いにくい。

 それを別にしても、ライガース相手では消耗すると思われるからだ。


 レックス首脳陣は、そんなことを考えていた。

 そして七月の冒頭には、そのカップス相手の三連戦が待っている。

 そこそこのスタープレイヤーもいるが、地味に地道に強くなってきた。

 それがちょっと不気味な、カップスの強さと言える。

 結果としてこの三連戦は、負け越して終わってしまった。

 ピッチャーの出来が悪かったとか、打線が一点も取れなかったとか、そういう極端な試合内容ではなかった。

 だがほんの少しずつ、カップスに運があったと言えようか。


 問題になったのは、七回である。

 同点や僅差のリードで、七回を迎えた試合が二つ。

 ここで七回のピッチャーが完全に固定されていれば、そのまま勝てたかもしれない。

 しかしリードしていない、同点の状況では、勝ちパターンのピッチャーを使わない。

 レックスの投手運用が、見事にマイナスに働いた。

 ことに野球というのは、采配の難しいスポーツである。

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