第284話 二度あることは

 現在の直史は調子がいい。

 悪かったと明確に言えるような試合など、高校以降は一度ぐらいしかないであろうが。

 フォアボールでランナーを出しては、ダブルプレイで消していたあの試合。

 それでも失点しないあたり、フォアボールの危険さを感じさせない。

 本人としてはフォアボールは、投げる球数も多くなるため、なんとか避けたいものであるのだが。


 基本的にはボール球は投げない方がいい。

 投げる場合はそれを、振らせるか当てさせることを目的とする。

 確実なアウトに近い三振であるが、球数が最低でも三球は必要なところは弱点である。 

 三回ボールを投げて、全て一回で打ち取ったなら、一番効率がいい。

 実際には不可能であるが、27球で試合を終わらせる。

 これはまさに最高のピッチングなのだが、机上の空論である。


 三振を奪っていくことと、打たせて取るということ。

 これをバランスよく行っていくことが、ピッチングを楽にすることである。

 140km/h台の半ばを上限にするなら、他の変化球もそれに合わせて、全力のフォームで投げなくてもいい。

 力感がないのに、140km/h台の半ばは投げてくる。

 そして同じフォームから、しっかりとチェンジアップを投げてくる。

 直史としては力感のないフォームから、一瞬で加速することを考えている。

 体の各所の連動を、ほんの一瞬で合わせてしまうのだ。

 もちろん実際は、順番で体の部分は動いていく。


 二巡目の相手に対して、直史はストレートとチェンジアップを上手く使う。

 ボール球は必ず振らせる、と決めて投げているのだ。

 そもそもボールのコースに、投げることが少ない直史である。

 それでもボール球になるのは、外に逃げていくボールか、高めに外れたボールの二種類がほとんどだ。

 カーブなどはゾーンを通っていても、ストライクカウントにならなかったりするが。


 二巡目に入っているということは、他のバッターよりも誰よりも、把握出来ている存在がある。

 それは審判である。

 審判も人間であるのだから、どうしても失敗はある。

 高速で動く球を、全て正確にコールすることなど出来ない。

 なので試合の途中で、その審判のこの日の判定を見極める。

 これは自分だけではなく、相手のピッチャーと対戦してきたバッターからも、情報はもらえる。


 相手のピッチャー対策だけではなく、その日の審判対策。

 これをやれば成績が上がるのは、むしろバッターであったりする。

 またチーム全体で共有し、この日の審判の攻略法を考える。

 相手のピッチャーは代わったとしても、審判が変わることは滅多にない。

 それにデータを取っていけば、その判定がどういう傾向にあるのか、それも分かってくる。


 落ちる球と落ちない球を、緩急をつけるだけでおおよそ活用して行く。

 あとは逃げる球を少し使うぐらいか。

 わずかに沈めて、ゴロを打たせるならカットかツーシーム。

 しかしツーシームと、シンカーを明確に、直史は使い分けている。




 スピードはあればあるほどいいわけではない。

 もちろんそれによって、バッターの対応力の限界を超えてはくる。

 だが野球は思考のスポーツだ。

 思考の限界を超えてくれば、それも打てない球になる。

 条件反射で手が出ても、わずかにミートをずらしてやる。

 するとフライになったりゴロになって、上手くアウトカウントが増えていく。


 昨今は高校生であっても、150km/hオーバーは珍しくなくなった。

 この20年間で、5km/h以上の平均球速がアップしている。

 ただ緩急というのを、どれだけ使えているか。

 重要なのは速度ではなく、体感速度なのである。

 より速く感じさせるために、遅いボールを混ぜていく。


 高校野球レベルなら、インローを上手く使えるピッチャーは、かなりの強力打線でも封じることが出来る。

 実際はやはり、アウトローが重視されてはいる。

 もっともバッターが体感的に一番速く感じるのは、目から近いインハイのボールである。 

 むしろアウトローのボールであれば、遠心力を使って遠くへ飛ばしやすい。

 そういうことを言うスラッガーは少なくないのだ。


「よし」

 四回の表が終わって、しっかり80球ペースで投げている。

 パーフェクトやノーヒットノーランも、確かにショックを受けることだ。

 しかし直史はバッターに、何もさせないことを考えている。

 六つ目の三振を奪って、味方の打線の援護を待つ。

 既に二点が入ってはいるが、援護点は多ければ多いほどいい。


 いっそのこと10点ぐらい点を取ってくれれば、若手のリリーフを鍛えるのに役立つ。

 もっともレックスのリリーフ陣は、大平と平良が充分に若手なのだが。

 色々と工夫している須藤も、まだまだ若手である。

 むしろベテランと言えるピッチャーが、直史を除けばオーガスぐらいというのが、今のレックスであろうか。


 ここでもレックスは一点を追加した。

 三点差となった五回、直史は相手の四番からの打線を迎える。

 思考するための糖分を、しっかりと補給している直史。

 なにせ脳という器官は、一番エネルギーを多く使うのだから。

(4イニング投げて、おおよそもう分かったかな)

 調子もいいし、ここからはさらに球数を減らすことを考えていこう。

 さらにひどい事態が待っているとわかっていたら、マリンズの打線陣は泣いてしまったかもしれない。




 140km/h台半ばでも、わずかに落ちるボールがある。

 正確には落ちる成分を減らさないボールなのだ。

 ピッチャーの投げるボールというのは、絶対にどんなボールでも落ちるものである。

 ホップするボールというのは、あくまでも錯覚でそう見えるだけだ。


 直史のボールは、普段はしっかりとしたバックスピンをかける。

 だがそれに慣れたところに、スピン量の低いボールを投げたらどうなるか。

 単純に、スプリットになるという理屈である。

 ジャイロボールを投げれば、落ちる上に伸びてくる。

 空気抵抗を切り裂いてくるからだ。

 これとチェンジアップを組み合わせれば、タイミングを崩すことが出来る。

 ピッチングで当てられても、飛ばされない極意というのは、タイミングを外すことなのだ。

 誰かさんのように、腰の回転のスピードだけで、スタンドに持っていく化物もいるが。


 直史はインハイストレートを、効果的に使っていった。

 そしてアウトローの遅い球でも、上手く見逃し三振を奪う。

 そこは外れているだろう、とバッターが思うのも無理はない。

 ただそのスピードならばそのコースでも、打てると審判が判断してしまう。

 これが審判を騙すということである。


 アウトローのボールは打たないといけない。

 そう判断したところに、ボール球に逃げるスライダーを投げる。

 当然届くことがなく、完全に腰を伸ばした状態で、当てるのが精一杯である。

 だがカット出来たならば、まだしもいい方だ。

 問題はそれが、内野ゴロなりフライになったりした場合である。


 上手く球数を減らして、しかし追い込んだらしっかりと三振を奪う。

 体感的に速いストレートを、インハイに投げられて振ってしまう。

 それこそまるで、ボールがホップしたように。

 ただそれはあながち、間違いということでもない。

 抑えたボールを、しっかりと高めに投げ込む。

 即ちリリースポイントは、普段と変わらないかより前になっているわけだ。

 そこから投げられたボールであるなら、内角のボールは高めに見えても不思議ではない。

 そして思った以上に、ボールはしっかりと高めに投げられている。


 理屈の上ではしっかりと分かるのだ。

 だが実際に投げられていると、本当にそうなのかが分からなくなる。

 直史のボールは、コントロールに優れている。

 そしてこの日は、アウトローへのストライクゾーンを、ボール半分ほどは広くしてしまっていた。

 プレートのどこに立つかでも、球筋は変わってくる。

 一塁側ぎりぎりに立って、ツーシームやシンカーを投げる、

 すると左バッターに対しても、逃げていく球が投げられるのであった。




 色々と考えたことを、実践できることは喜びである。

 趣味のスポーツで、直史は相手を抑えるピッチングをしていた。

 あくまで趣味の延長なのだから、壊れるほどの無茶はしない。

 肘の負担を出来るだけ逃すため、最後には手首を返す。

 これによって投げられたボールには、ちゃんと回転が加わるようになるのだ。


 試合の中盤には、比較的三振が奪えている。

 マリンズの首脳陣がこれまた、どうにかしようとしてくるからだ。

 ど真ん中のボールを、ツーストライクから投げていく。

 これが意外なほど、空振り三振を取れるのだ。


 下位打線が手を出してしまうのは、あの遅いカーブである。

 スローカーブであるので、本来なら緩急をつけるための球である。

 だが直史はしっかりと、このボールの意味を考えている。

 落ちてくる遅い球を、どうやったら上手く打てるのか。

 基本的に直史ほどの落差のカーブは、他のピッチャーは使わないのだ。


 落ちる球に種類をつける。

 基本的にホップ成分さえ少なくすれば、ボールは全て落ちていく。

 そうするとたまにホップ成分の強い球を投げると、これがまたよく空振りが取れるのだ。

 決め球であったはずのスルーは、相手にゴロを打たせる球になっていたりする。

 普段ならちゃんと、決め球として使われているのに。


 試合全体のマネジメントを考えると、序盤からどうやって組み立てていくか、それを念頭に置く必要がある。

 自分のスタイル、などというものは必要ない。

 その日の相手の対応を見て、打たれない球を投げればいいのだ。

 ピッチングというのは極端な話、打ちにくい球を投げればそれでいい。

 それがヒットになるか凡打になるか、それはかなり運が左右する部分である。


 重要なのはとにかく、長打を許さないことだ。

 そして長打を打つコツというのは、ジャストミートである。

 加えてフルスイングである。

 直史は球を動かして、ジャストミートを防ぐ、

 緩急差を使うなら、フルスイングも難しくなってくる。


 どうすれば打たれないのか、ということを常に考える。

 速い球を投げる方法などは、これっぽっちも考えない。

 必要な球を投げられるようにする。

 スピードが出ないのであれば、他の選択肢を考えていけばいいだけだ。

 そもそも高校野球で、平気で150km/hがぽろぽろと出てくる時代になってきた。

 しかしそういうピッチャーであっても、甲子園にいけるとは限らない。




 ピッチングは思考である。

 バッティングはそれに対する対応で、読みであると言える。

 常識的な範疇であれば、相手の打ちにくいボールを投げればいい。

 しかしバッターというのは人間であるのだ。

 そこに思考があることを想定し、自分の投げる球を決めていく。

 バッターボックスの中のスタンスなど、そういうことは考えない。

 純粋にその状況で、打てないであろうボールを投げていけばいいのだ。


 中盤も終り、終盤に入っていく。

 点差は4-0となっていて、もう試合の流れは決まったようなものだ。

 このままなら、リリーフに、誰かを投げさせることも考えていいのではないか。

 しかしいまだにランナーが一人も出ておらず、球数も90球を切る割合で投げている。

 いくあらもう勝てると思っても、パーフェクトのピッチャーを交代させるのはまずい。


 七回もしっかりと、三振を奪ってアウトを重ねていった。

 出塁率の高い、一番から三番を、しっかりと打ち取ってきたのであった。

 四番や五番というのは、打率よりも長打を期待されていることが多い。

 三塁にランナーがいる場合などは、深い外野フライでもいいのだ。

 とにかく点を取るのが、クリーンナップのお仕事のはずである。


 八回の表が終わる。

 球数はまだ70球台と、簡単に完投出来る割合である。

 投げているボールに関しては、今日はまた違った顔を見せている。

 だが今日の狙い球は、今から思えばインハイであったのだ。

 これで九回、代打に何を狙わせるか、おおよそ決まったことになる。

 ただバッターが代わったならば、こちらの配球も変えていけばいい。

 それがリードというものである。


 既に今年、二度のパーフェクトを達成している。

 特に二度目のパーフェクトは、ひどく内容が壮絶なものであった。

 代打がどんどんと、送り出されてくるラストイニング。

 直史はここで、思考をまた変えていくのである。


 ここで重要なのは、バッターがまともに打っていくことが出来るか、というものである。

 既に点差は四点となり、もう試合は決まったようなものである。

 ただ代打で出てくるというような選手は、その一打席の重みが違う。

 よって直史は、まともに当たらないことを選択する。

 ボール球を振らせることに、かなり集中していくのだ。


 先頭を三振に抑えて、残りは二人である。

 遅いカーブから入って、ほどよく当てさせる。

 しかしそれがファールになったので、次はチェンジアップを使う。

 チェンジアップといっても、それなりにスピードのあるタイプだ。

 これで上手く空振りを取って、最後にはストレートを投げる。

 ボールの下をバットは振って、これでまたも三振。

 残りはあと一人である。


 そして奇跡は起きない。

 平凡な内野ゴロを、ピッチャーの直史自身が処理した。

 これにてシーズン三度目の、パーフェクト達成。

 交流戦の中だけで、二度目の達成である。

 もはや多くの人間が、呆れるしかない大記録。

 ヒーローインタビューのインタビュアーは、大変なことであろう。

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