第282話 ピッチャーの世界
圧倒して勝った百目鬼の試合であるが、翌日の木津に関しては、そうも上手くはいかない。
そもそも木津は計算して投げる要素が、かなり少ないピッチャーであるのだ。
ピッチャーとしての特徴が、おおよそは分かってきている。
それなのに打てないというのは、普段は普通のピッチャーを相手にしているからだ。
おそらくイニングが進んで、五打席目まで回ったとしたら、充分に打てるようになるだろう。
あるいはコントロールの、特別に悪い日なのである。
迫水としても木津は、なかなか使い方が難しいピッチャーなのだ。
下手をすれば素人がリードをしても、それなりに抑えてしまう。
現在の防御率は、おおよそ4といったところ。
一応はローテを張っていてもおかしくはないが、エースクラスとはとても言えない。
しかし7イニングまで投げるのもそこそこ多いため、そういう意味でも計算できるピッチャーだ。
扱いは難しいが。
第三戦の先発においては、当然のように福岡は、序盤からこれに手こずった。
普通のプロのスカウトならば、これがプロで通用するとは、とても思わなかっただろう。
サウスポーという希少性は確かにあるが、ストレートの球速が球界最低レベル。
アンダースローでもこれ以上は出す、という選手はいるだろう。
ただ近年、アンダースロー投手が減ったことを思えば、希少性というものを考える余地がある。
木津のストレートは、130km/h半ばがMAXである。
しかし実際には、もう少しだけ上限がある。
ただしそうしたストレートは、明らかに普通のピッチャーの球。
サウスポーであっても140km/hのただのストレートなら、プロでは打たれるものなのだ。
プロこそまさに成績を上げるため、データを活用はしている。
しかしその中で一番重要なのは、経験の積み重ねなのだ。
その経験が、データから出る結論と合致しない。
もちろんプロであるからには、試合中にアジャストしていく。
そもそもピッチャーというのはマシーンではないので、打席はおろか一球ごとに、微妙にアジャストして行く必要がある。
それが大きく違うと、対応するのが難しくなる。
直史はバッティングを全くしないが、木津のピッチングの攻略法は、はっきりと分かっている。
ただ木津一人のために、そんなことをするべきであるのか。
またそれをやったために、次の試合への影響が残らないのか。
そういったことを心配すると、やはり対策をしすぎるのも問題だ。
木津の投げた後のピッチャーが、本格派であると苦労する。
一回の表から、ソロホームランを打たれる木津。
だがそもそも、被本塁打率は、かなり高い木津であるのだ。
三振も奪うが、フォアボールも多い。
なんだかひどくアンバランスであるが、だからこそピッチャーとしての価値がある。
直史にははっきりと分かる。
サイドスローやアンダースローに変えてでも、ピッチャーにしがみつこうとした人間。
そういう人間が持つ特異性を、木津のピッチングは持っているのだ。
チームはすぐにおいついてくれた。
ただビッグイニングになりそうなところで、一点だけに抑えられるものでもあった。
木津の今日の調子は、あまり良くないように思える。
あるいは昨日完封されたことで、意地になっているのかもしれない。
しっかりと対処をすれば、おおよそは打てるのが木津である。
それを打たせまいとするなら、リードは色々と考えていかなければいけない。
カーブとフォークでひたすら、カウントを稼ぐことに集中する。
ストレートは生命線であるが、今日は上手く合わされているのは確かだ。
少なくとも試合前のピッチングでは、スピードが出すぎたりもしていなかった。
百目鬼に完封されてへにょへにょであった福岡の打線が、木津に上手く合う状態になっていたのだろうか。
木津のピッチングというのは、相手の状態によっても左右されるのか。
ただ連打を食らって炎上するほどではない。
七回までを投げて三失点。
やや球数は多めになったが、充分な役割を果たしたと言えるだろう。
ここまでにレックスは、四点を奪っている。
つまり勝利投手の権利を持ったまま、七回まで投げぬいたということなのだ。
わずか一点差である。
福岡は打線に、隙のない選手を揃えている。
それでも守備重視のポジションは、ある程度の打力を犠牲にしていると言っていいだろう。
キャッチャーが打てるチームというのは、本当に昨今は少ない。
むしろキャッチャーこそ、データを活用してバッティングもよくしないといけないのに。
配球とリードの両方が、変化しているというのもある。
かつてからもちろん、リード論とでも言うべきものはあった。
しかしデータ分析の手法が発展し、コンピューターで統計がしっかりと出てくると、キャッチャーのやることも増えていく。
MLBのキャッチャーなどは、リードよりもとにかく壁と言われる。
そして今では日本のキャッチャーより、たいがいは打てる選手が揃っている。
MLBで樋口が使われたのは、坂本が先にキャッチャーをやっていたというのもあるが、打てる選手であったからだろう。
直史が完全にそのリードに頷くので、統計から出た最適解よりも、樋口のリードを信じることになる。
それでも負ける時は負ける。
MLBにおいてはサインがベンチから出るというのは、バッテリーの関係性の悪化も懸念したものなのか。
昔からMLBは、ピッチングの主導権はピッチャーの方にあったものだ。
キャッチャーがどういうリードを組み立てても、ピッチャーが自信を持って投げる球には及ばない。
MLBの考え方というのはそういうもので、それは別としても打たれた原因に関してを、選手のものとしないのはいいことだろう。
適当に投げていても、打たれない時は打たれない。
その適当さのさじ加減をどうするか、それが問題なのであろう。
リードした状況で終盤を迎えれば、レックスは勝てる。
完全な勝利の方程式であるが、今は一枚足りていない。
それでも七回まで持ってきたら、ほぼ勝敗は決まる。
しっかりと休んだレックスのセットアッパーとクローザーは、福岡の打線をも封じた。
レックスのホームでやっているので、福岡が代打をどこで使うのかなど、迷えるポイントはいくつかあった。
だが結果として、その4-3のまま、試合は終了したのである。
レックスは完全に、終盤の投手陣が安定している。
ほどほどに負けていて、そして直史が完封などをするから、余裕を持った運用が出来るのだ。
リリーフの運用は、未来を考えてのことになる。
次の千葉戦にも、出番があることは間違いない。
ただ二戦目に直史が投げるので、そこで休むことは出来るだろう。
連投は長くても二試合まで。
この基準で投げさせていると、失点の確率がものすごく減る。
パフォーマンスを充分に発揮するために、しっかりとした休養は必要なのだ。
連投は二日までに、また一日1イニング限定となれば、かなり余裕を持った運用が出来る。
中継ぎピッチャーは便利に使われて、早々に故障することが多いが、本来ならば重要なポジションだ。
クローザーもともかく、セットアッパーは出来れば三枚ほしい。
そうすれば五回を終えた時点で、計算できるピッチャーにつなげられるのだ。
シーズンの終盤には、またもつれ込むのかもしれない。
さすがに今年は、もう少し楽な展開であってほしいが。
レックスとしては交流戦、無難な結果に終わらせるのが優位。
しかし実際には、それよりもさらにいい結果となっている。
交流戦に入ってから10勝4敗。
勝ち越しは完全に決定している。
千葉を相手に直史が投げれば、また恐ろしいことが起こってしまうかもしれない。
第二戦であるのがまだしも幸いか。これが第一戦であったなら、残りの二試合も落としていたであろう。
しかしそんな幸せ探しなど、プロのチームとしてはやっていられるわけがない。
なおこの時点で、ライガースも5カード目は終わっている。
東北相手には、2勝1敗で勝ち越した。
大介の打ったホームランは、三試合でわずかに一本である。
しっかりと打点が増えていく。
この調子で打っていくのなら、またホームランの数は60本に達するだろう。
NPB復帰の一年目こそ、69本を打っていた大介。
その翌年は55本を打ってホームラン王になっていても、かなり衰えたなどと言われていたのだ。
NPBでは70本、MLBでは80本を打ったのが大介である。
前人未到の記録で、おそらくこれは誰も更新できない。
出来るとしたらそれは、ほとんど神のような存在であろう。
東北戦では一本しか打っていないが、それで充分なのだ。
普通なら45本ほども打てば、おおよそのシーズンでホームラン王争いのトップに立つのだ。
日程が半分を終了していないのに、もう30本オーバー。
常識的に考えて、65本ぐらいは打てるであろう。
大介の常識、世間の非常識である。
(うちは最後、埼玉と当たればいいだけだ)
やはりここも、レックスと当たってずたぼろにされている。
10勝5敗で、最後の三連戦となる。
レックスは雨天延期があったので、一試合少なくなっている。
神戸との試合だが、おそらくこれも勝つであろう。
最終的な結果は、ライガースと競ることになるであろうか。
もっとも試合内容を見れば、圧倒的な試合がレックスには多い。
直史の作った濁流の流れは、リーグ全体に影響している気がする。
ピッチャーもバッターも、訳の分からない理屈に振り回されている。
普通ならば一人のピッチャーの理論だと、脇に置いておかれただろう。
だが直史の場合は実績が巨大すぎるし、言っていることも理屈の上では分かった。
問題はそんなもの、普通のピッチャーなら出来ないというものである。
ベテランのピッチャーは、若手にポジションを取られないために、色々と工夫している。
直史のメッセージに関しても、変に踊らされすぎることはない。
だが若手の中で、いまいち覚醒し切れないピッチャーや、また加えてバッターにしても、色々と影響を受けるところはあった。
問題はこれを、コーチ陣まで受け取ってしまったことだろうか。
トレーナーなどはかなり、理論的にピッチングやバッティングを、学んでそれを伝えるものである。
しかしコーチは基本的に、自分の体験からどうすればいいのか、それを引き出していく。
それを上書きしてしまうのだ。
取り入れるべきと、取り入れないべきと、分かれることがあるのは当然だ。
それが上手い人間こそ、コーチとしても成功するのであろう。
もっとも野球の業界、特にプロ野球業界というのは、選手としての実績がないと、コーチになるのは難しい。
これがアメリカであると、普通に女性のコーチさえいるのだが。
直史はやろうと思えば、まともなコーチも出来るのだ。
ただそれは、対象となる人間がそれぞれ、別であった場合の話。
全ての人間に共通するような、そんな基本的なことであると、普通は誰もが既に出来ている。
そこに一本だけ、武器を増やしてやる。
これがコーチの、一般的な姿と言えるであろう。
千葉との第一戦は、明日が先発ということもあり、直史はベンチにも入らない。
なので普通に、千葉の選手も動けるはずであった。
しかし実際のところは、明日はいよいよ試合がある、という前日からのプレッシャーがある。
こんな精神状態では、プレイの質が一段階ずつは落ちるであろう。
そこまでデバフがかかっていると、プレイに精細さを欠くこととなる。
レックスの選手たちは、普通に試合をしただけである。
新人の塚本も、そこまで素晴らしいピッチングをしていたわけではない。
だが相手が凡打を繰り返し、失投が続いていく。
そんな中であると、自然と七回まで投げられたりした。
これは自分だけの力ではない。
しかし結果としては、七回まで投げぬくことに成功した。
二失点というのはハイクオリティスタートであり、今季はこれで三勝目。
大卒とはいえ新人が、三勝目というのは、充分にたいしたものである。
勝敗はともかく、全ての試合で6イニング以上を投げている。
これがシーズンの最後まで続けば、ローテーションピッチャーになれる。
三島はポスティングを申請するのに、もう充分な実績を残している。
このままの調子をどうにか保てば、かなりいい条件でメジャーに挑戦となるだろう。
ただ成功するかどうかは、本当に行ってみないと分からない。
もっともその成功を、経済的な成功とするならば、メジャーに上手く移籍できた時点で、既に成功と言えるだろう。
日米のリーグの年俸の差は、縮まる様子を見せていないのだ。
最終的なスコアは6-3となっていた。
そして既に日中発表されているが、第二戦の先発は直史。
前の試合は点差がついたのと、ヒットも打たれてノーヒッターがなくなっていたので、七回で交代している。
球数も少なく、疲れているはずもない。
実際に家で直史は、全く疲れなど感じておらず、色々と仕事をしていた。
試合中に最もエネルギーを消費するのは、実のところ脳である。
他の選手は違うのかもしれないが、直史は思考力を必要とする。
そのために甘いものを常備しているが、普段は食べないように注意している。
40代とはそろそろ、健康診断で不穏な数字が出てくる年頃だ。
もっとも直史の節制には、そういった危険性は全く見えてこない。
千葉と対戦することについて考える。
去年は日本シリーズで相手をし、そして特に投手陣は、去年とほとんど変わらない。
バッティングに関しても、外国人が入れ替えられたとか、その程度のものである。
今年も日本シリーズに進むなら、千葉の方が与しやすい。
それに福岡ともなれば、移動に時間がかかりすぎる。
同じことは北海道でも言えるのだ。
移動時間も無駄にはせず、色々と書類仕事を終わらせる直史だ。
だからといってそういった時間を、拘束されることは間違いない。
(福岡よりは千葉がいいなあ)
なにしろ、近いので。
しかしそんな理由で、千葉を相手に少し手を抜く、などということは出来ない。
むしろ普段から、相手を普通に抑える程度に、手は抜いて投げている。
だが力を上手く抜いてはいても、計算はばっちりとしているのだ。
その計算によって、直史は実績を残している。
なのでこの日も、千葉を相手とした分析は、しっかりと完了させていた。
他のピッチャーはともかく、一年目の塚本を相手に、ぎこちないバッティングであった。
大平がうっかりとソロホームランを打たれていたが、それ以外は長打もないものだ。
出たランナーを、どうにかして帰すという普通の攻撃。
全体的に打線に、勢いがなかったのは確かである。
神戸との試合以来、直史がNPB全体に呪いをかけた、などと言われている。
ならば同じぐらい勝っているライガースはどうなんだ、という話である。
北海道にしても、レックスを相手に勝ち越しているではないか。
もちろんあれは、神戸戦の前であったが。
直史の考えていることは、常に目標は明快だ。
完封することが、単純な目的の一つである。
しかしそこに色々と、条件を肉付けして行く。
まさに魔法のように、色々な結果が出てくるのは確かである。
ただそれは勝手に、直史が出来るというものでもない。
別に本当の魔法使いなどではないのだから。
この試合を終えると、神戸との延期になった試合の後、数日が休みとなる。
交流戦のために作っておかれた、予備日なのである。
また七月になっていくと、今度はオールスターなども存在する。
直史はもちろん、不参加を表明している。
出来れば出たほうがいいのだろうが、40過ぎのおっさんにそれは厳しい。
それよりは家で色々と、仕事を終わらせながら家族と過ごしたい。
もうすぐ夏がやってくるのだ。
気温だけを言うならば、もう既に夏と言ってもいいだろう。
夏となると甲子園。
白富東はもちろん、千葉県の最有力候補である。
もしもこの夏も制することが出来れば、直史たちでも出来なかった、あの記録を作ることが出来る。
即ち三年連続、夏の甲子園の優勝である。
一年目ははっきり言って、相手がまだこちらを認識しきれていなかった。
だからあの戦力でも、どうにかなったと言えるだろう。
そして二年目の今年、去年よりもずっと戦力は充実している。
それに対して他の強豪は、ほぼ去年と変わらない程度であろう。
上限には限界というものがあるのだ。
(夏だなあ)
本格的な夏になる前に、もう少し勝ち星を積み上げておこう。
さすがに昔に比べると、夏にも弱くなったなと考える直史であった。
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