第281話 ベンチから
毎年恒例のことであるが、この時期になるとシーズン勝率の計算が、本格的に話題になったりする。
まだ試合は半分以上も残っているが、おおよその戦力は出てきたと判断するのだ。
その中でトップなのは、当たり前だがレックスである。
五月までも充分に高い勝率を維持していた。
しかしこの交流戦の六月に入ってからは、完全に飛びぬけている。
勝率68.7%の脅威。
だが時期的な話をするなら、70%を超えていたシーズンもある。
最終的にシーズンを、どの順位で終わることが出来るのか。
ペナントレースを制することが出来るなら、勝率などはどうでもいいのが本当なのだ。
ライガースも余裕で六割は勝っている。
そして五割キープがぎりぎりといったあたりに、スターズとカップスがいる。
タイタンズはここ数試合はマシになってきたが、やはり四番のいないのが大きい。
フェニックスは超低空飛行で安定しているのが面白かった。
野球は飛び切り弱くても、一定以上は勝てるスポーツであるらしい。
レックスは福岡、千葉という強いところが残っていて、ライガースは東北、埼玉という弱いところが残っている。
ただ相手の実力に関係なく、レックスというチームは今のスタイルで勝っていく。
中核となる選手がいる限り、これはそう崩れることがない。
逆に言うとその選手が崩れれば、一気に崩れかねない。
直史からすると、それは自分ではなく。
クローザーの平良だ。
国吉が離脱ししばらく、勝率がある程度低下した。
最近は色々とやりくりして、どうにかしているところだ。
ただここでクローザーの平良が抜けたら、ものすごく痛い。
一応大平も、クローザーとしてある程度去年は投げた。
しかしフォアボールの多さから、クローザーとして使うには怖すぎたのだ。
プレッシャー自体には強いのだが、デッドボールがあれば一発でランナーが出てしまう。
それが許されるのはせいぜい、セットアッパーまでであろう。
もっとも勝ちパターンのピッチャーというのは、本来はいずれもK/9、BB/9、K/BBの三つが重要となる。
大平が許されるのは、K/9が極めて高いからだ。
交流戦残りのカード、レックスはホームで迎えることが出来る。
ただそれはライガースも同じである。
果たしてどれだけ、ここで勝ち星を伸ばすことが出来るか。
強いところと当たる、レックスの方が不利なはずではあるのだ。
福岡は資本力のチームであり、育成契約で多くの選手を青田買いすることで有名だ。
一時期は確かにそれで、大きな結果につながっていた。
だがここ最近は、上手くいっていないように見える。
実際に取った人数に対しては、成功して一軍に到達する確率は低下している。
それでも福岡は、成功体験から自分たちの正当さを信じてやまない。
今はなにか、ちょっとおかしいだけなのだ、という考えでもしているのだろうか。
直史からすると一時的なもの、とするにはもう問題が起こりすぎている。
単純に育成選手を増やしすぎて、それを育成するキャパがなくなっているのだ。
名馬はあれども、名伯楽は常にはあらず。
実は本当の名コーチというのは、才能のある選手以上に、その数は少ないのである。
コーチと選手の相性もあるし、年頃によって必要なコーチも違う。
もちろんそれらを全て兼ね備えた、とんでもないコーチもいる。
初めてジンに出会った時、直史はキャッチャーがまともなことに驚いた。
色々な技術を持っていて、それを使ってリードをしてくるのだ。
それだけ直史の住んでいた世界は、当時は狭かったわけである。
今でこそ世界中で、そのピッチングを見られるようになったが。
高校一年生時点でも、直史のポテンシャルは充分に高かったのだ。
中学軟式ではなく、シニアにいたとしたら、おそらくどこかで目を付けられていた。
ただ本人に、そこまでしてやるものではない、という野球に対する意識があったのだ。
基本的には金がかかるスポーツの一つだ。
ユニフォームからして、何着もあったりする。
最近はトレーニング限定の時には、ユニフォームなど着ないチームもあったりするらしいが。
今回の福岡を見て、直史は色々と考える。
まずは先発オーガスで、どこまで抑えられるのか。
そう思っていたところ、立ち上がりで捕まってしまった。
毎回得点を許しながらも、ビッグイニングだけは防ぐ。
ブルペンはロングリリーフなどのために、大忙しになっている。
爆発力のないレックス打線は、守備の方に力をかけている。
ピッチャーが駄目な日なのだから、それは仕方がないだろう。
しかしそれによって守備重視だと、点差を近づけることも出来ない。
(これは終わったな)
こういう日もあると思っても、負けたくはないのが普通なのだろう。
そのあたり直史は、自分の投げる試合だけに、こだわって投げていたりする。
だからクローザーをやらせれば、短い間なら無双するのだ。
確かに直史は残っている数字からだけで判断すれば、クローザー適性が高いと分かる。
だが気分の問題で、クローザーというのは好きではないのだ。
高校時代などであれば、別に問題はなかった。
またWBCの短期決戦でも問題はない。
大学時代にもクローザー的に使われたことはあった。
短期間のクローザーなら問題はないのだ。
MLBで二ヶ月使われた時も、どうせチームに帯同するのが基本だったため、あれはあれで問題はなかった。
しかしNPBでクローザーをするならば、間違いなく時間の使い方が変わっていく。
いつ必要とされるか分からない状態を、ずっと続けていくには、精神の体力が続かない。
逆に短期間であれば、フルイニング連投することも出来なくはない。
実際にやったことがあるため、ここは断言できる。
だらだらと点を取り合う試合となった。
それが爽快にならないのは、レックスは点が取れる場面では、確実に一点を取りにいったりするからだ。
打力のある福岡打線であるのに、一気に爆発するビッグイニングもない。
これもこの間の、直史のパーフェクトの影響であるのか。
やはりパの優勝候補であるのなら、致命的なダメージを与えておくべきであった。
それが可能なローテでなかったという時点で、今年の福岡は運が良かったのである。
一人一人を、仮想して打ち取っていく直史。
やや注意すべきは、やはり和製大砲である。
外国人助っ人は、なんだかんだで振り回しすぎる。
そこ投げたら駄目だろう、というコースに首を振って投げる、お互いのチームのピッチャーたち。
迫水も成功しているのだな、と思う。
おそらく彼のサイン通りに投げたら、逆手も可能であったかもしれない。
いっそのこと一点を取られるまでは、迫水に絶対服従とかでもいいのではないか。
ただそうなると今度は、ピッチャーの思考力が育たなくなる。
迫水にしてもそこまでの責任を与えられるのは、プレッシャーとして重すぎるだろう。
坂本や樋口などは、面白そうに頷いただろうが。
策士である樋口と、ギャンブラーである坂本は、相手の裏を書くという点については似ている。
ただ計算で勝つのと、相手を翻弄して勝つのとは、やり方が違ってくるが。
「ようやく試合が動かなくなってきたか」
後半になって、福岡がリードした展開で、得点が止まる。
すると向こうはしっかりと、勝ちパターンのピッチャーを使ってくるのだ。
ここで勢いのままに、相手のリリーフを打ち崩せば、それは貴重な勝利となる。
しかし試合の動きが止まってから、ちゃんとリリーフを投入してきたのはさすがだ。
レックスも点は取れたのだが、結局は福岡が逃げ切る。9-8というスコアでもって、まず第一戦は福岡の勝利なのであった。
勢いが止まった、と思った人間もいるだろう。
だが既に直史の作った勢いは、埼玉戦で一つ負けて終わっているはずだ。
野球というのはカードを全て勝ち越せば、自動で優勝出来るようなスポーツ。
残りの二試合をどう過ごすかが、日本シリーズにつながっていると思う。
交流戦の中の他の試合ではなく、このカードこそが優勝に近づく。
こんなことなら昨日のうちから、もう少し考えておくべきであったかな、とも思ったが。
翌日のレックスのベンチメンバーは、奇妙なことになっていた。
ローテーションの日でもないのに、ベンチに直史が入っていたからだ。
これはデータ班の持ってきてくれたデータに加え、昨日の試合を見た結果、直史がリードを考えたもの。
ベンチからならばブルペンからより、簡単にサインを出すことが出来る。
ミーティングの段階で、これは異常事態であった。
ただ直史も、今日の先発が百目鬼だからこそ、出来ると判断したのである。
ミーティングの段階で、相手の打線の弱点をどんどんと解説していく。
ここまで分かっているなら、事前に教えてくれていれば、もっとリードが簡単になるのに、と迫水は思った。
確かにそれはそうかもしれないが、それは投げるピッチャーによる。
またバッテリーの思考力を、育てることにならないではないか。
重要なのは直史一人で、どうにか勝ってしまうことではない。
チーム力を固めるためには、やはりキャッチャーの成長が必要なのだ。
なお二軍でよく直史の球を受けている若手キャッチャーは、ものすごい勢いで成長している。
ただバッティングで迫水がはるかに上回っているので、まだまだ追いつかれることはないだろう。
福岡としては、ベンチに直史を見つけただけで、ムンクの叫びのような状態になる。
「いる~!」
幽霊じゃないのだから。
「サイン出してる~!」
これは実は、ダミーサインが多かったりする。
野球は心理戦の要素がかなり大きい。
バッターが対決するべきは、基本的にピッチャーのボールである。
しかし状況も考えないといけなくなると、脳が色々と考えすぎてしまう。
直史がベンチにいること。
そしてさらにサインを出していることは、それだけで大きなプレッシャーとなる。
味方にとっては厄除けのお守り。
だが対戦相手にとっては、呪いの壷のようなものではないか。
初回から三度、直史はサインを出していた。
もちろん攻撃時には、完全にベンチに任せる。
ただ事前に必要な情報を、既に共有してある。
ピッチャーはあまりベンチを見ずに、キャッチャーだけが確認すればいい。
(まあいくらサインを出しても、その通りの球が投げられるわけじゃないしな)
そのあたりはちゃんと、事前のミーティングで共有していることなのだ。
初回から奪三振を含む三者凡退。
なんだかバフをかけてもらっているか、相手のバッターがデバフにかかっているかのような、好調なスタートである。
百目鬼はよくやったと肩を叩かれるが、迫水とはすぐにお勉強というか、確認に入る。
初回からレックスの方は、二点を先制する。
これでまた状況は変わったのだから、ピッチングの内容も変化させていけばいい。
そう、単純に点を取られないだけでいい、というわけではないのだ。
もちろん普段ならば、そして自分ならば、点を取られないピッチングを重視するのが直史だ。
しかしそれが難しい場合は、主に二つに分かれる。
球数を使ってでも点を取られないか、わずかな失点を覚悟して球数を節約するかだ。
たとえばど真ん中のストレートなど、ピッチングの組み合わせの中で使えば、案外打たれない。
だがもし打たれたらホームランになる可能性もあるのだ。
ど真ん中に投げても意外と打たれないというのは、百目鬼も実感している。
自分のコントロールミスで、そういったところに投げることはあるからだ。
しかし印象は強いが、実際にど真ん中にストレートが入ってしまった場合、やはり統計では打たれていることが多い。
どういう状況であれば、ど真ん中のストレートでも打ち取れるのか、それが問題なのである。
またど真ん中のストレートに、ツーシーム回転をかけておけば、いざという時の保険にもなる。
二回の表も、福岡はランナーが出ない。
一応今の回は、失点率がやや高くなるバリエーションを増やしていた。
しかし同時に、少ない球数で相手を抑えられる効果もあったのだ。
それなのに一人もランナーが出ていないのは、状況に応じた正しい選択であるからだ。
今日の百目鬼の調子はいい。
逆球がないので、迫水もリードが楽である。
そもそも球威があるため、ある程度は適当なリードでも、ちゃんと抑えてはくれるのだ。
心配すべきは球数と、相手の中軸に相対した時。
しかし向こうの打線にはデバフがかかり、百目鬼のプレッシャーは薄くなって投げられている。
プレッシャーが少ない時、基本的にピッチャーは楽に投げられるのだ。
直史はプレッシャーをパワーに変換するタイプである。
プレッシャーがかかればかかるほど、逆に集中力が増していく。
それはいいことなのだが、この変換というものには、それなりのエネルギーが必要になる。
体のエネルギーではなく、脳が思考するエネルギーだ。
だから試合中でも、糖分をしっかりと取るのである。
ピッチャーは野球の中では、短いダッシュを何度も繰り返す、一番負担の大きなポジションである。
しかしそれであっても、基本的には思考に最大のエネルギーを使うのが直史だ。
キャッチャーはこれを、どう上手く処理して行くかが問題となる。
事前に準備もしておくが、実際の試合では配球ではなくリードが問題となる。
現実を見てから、しっかりとそれを判断に加味しなくてはいけない。
ただMLBなどでも、球威のあるピッチャーに対しては、ど真ん中にフォーシームとツーシームを適当に投げればいい、などというリードをしたりする。
実際にそれで統計上、優位な数字が残せたりするのだ。
フィジカル偏重からの、ストレートのパワー偏重となれば、そこまで単純化したりする。
ボール球を基本的に投げないということは、直史も賛成することであるのだが。
徐々にレックスは点を積み重ねていった。
それに対して福岡は、ランナーは出ても得点に至らない。
ジャストミートが出来ていない、と思っているバッターが多いかもしれない。
しかし実際は、フルスイングが出来ていないのだ。
考えすぎる結果、スイングに迷いが生まれる。
そんなスイングからでは、長打を打つヘッドスピードが出てこない。
これをちゃんと、理解しているのかどうか。
直史のサインは、しっかりと機能しているように見える。
だが実際のところ、味方に対するサインで一番多いのは「事前どおり」というものである。
他には「今日の昼飯何食べた?」などというものもある。
思わずマウンド上で、笑みがこぼれるようなリラックス具合である。
あまりリラックスしすぎても、それはそれで問題である。
だがリラックスしている状態からでは、少なくとも失投は減る。
伸びのあるストレートというのは、百目鬼の武器ではあるのだ。
元からストレートの力で、注目されていたピッチャーではあったのだから。
これを上手く引き出せば、それだけでも勝てる。
試合展開が一方的になってきたので、緩急も自在に使える。
球数を出来るだけ少なく、アウトカウントを増やしていけるのだ。
今日の百目鬼の出来は、確かに悪くはなかった。
しかし試合の中で、どんどんと良くなっていったのだ。
今年のレックスには、まだ直史の他に、完封をしたピッチャーがいない。
球数が一定に達したところで、交代させるという采配。
それがしっかり機能しているからである。
しかし今日の試合は、球数も上手く節約できているし、点も取られていない。
ランナーも三塁まで行かないという、完璧に近い投球内容だ。
つまり普段の直史のようなピッチングである。
マダックスはちょっと難しいかな、と直史は考える。
100球で交代といっても、どうせなら完封をした方がいいのは確かだ。
自分に対してだけではなく、百目鬼に対しても苦手意識を持ってほしい。
そんな直史の思惑は、しっかりと福岡を侵食しているような気がする。
九回の表が終わる。
百目鬼はこれで、完封勝利である。
7-0というスコアは、かなり一方的なものであった。
1イニングに二点を取るというイニングが、三度あった。
他の一点は単発のホームランである。
数字上は福岡の場合、得点力はかなり高いはずである。
そしてピッチャーも悪いはずもないのに、こんな結果になってしまった。
百目鬼は本日はお立ち台である。
今季初完封であるが、レックスは直史は毎試合のようにやっているので、あまり目立つ記録ではない。
だが完投はともかく、完封はなんとこの試合が、百目鬼にとって初めてであった。
下駄を履かせてもらったのは確かだが、それでも完投など難しいのが、今のNPBのピッチング。
それを無失点にまで抑えたのだから、凄いのは言うまでもない。
あと少しだったな、と直史は思う。
球数が102球であったのだから、マダックスまであと少しであった。
これにダブルプレイが、もう一つぐらいあったなら良かったろうに。
惜しいことではあるが、想定内の球数によって、見事な勝利を達成した。
これでおそらく、勢いはレックス側に完全に傾く。
第三戦の先発は、直史が参考にした木津であるのだった。
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