第277話 パーマダ

 なかなか面白い結果が出た。

 今季二度目のパーフェクトピッチングである。

 最近は普通にやっていたのでスルーされることが多かったが、五試合連続のマダックスでもある。

 そして14奪三振は、今季の試合では最多となる。

 球数の88球というのは、今季の完投した試合の中では、二番目の少なさ。

 両リーグトップの、最速での10勝目ともなる。


 もはや恒例のヒーローインタビューであるが、質問する側も何を質問すべきか分からない。

 ちょっと他とは違いすぎて、またおめでとうございますとも言いにくいいのだ。

 ただ直史の投げる試合は、常にノーヒットノーランやパーフェクトでなくても、完封勝利用花束は用意されている。

『今日はストレートの質を、いかに変えるかということに集中しました』

『ストレートの質、ですか』

 ストレートの質という言葉自体は、普通にプロも使うものだ。

 しかしそれを変えるとなると、ちょっと意味が分からない。


 直史が普段よりも、今日は饒舌になっている理由。

 それは自分のピッチングが上手くいって、パーフェクトが達成できたから……ではない。

 自分の言葉によって、他のチームのピッチャーたちが、悩んで調子を崩してくれれば幸いだからである。

(まあタケはそんな繊細なところはないだろうが)

 ピッチャーというのは常に、自分のピッチングを高めることに、貪欲な存在であるのだ。

 そこに毒入りの餌を置いてやった。


 コーチのように味方のピッチャーには色々とアドバイスすることもある。

 だが単純にスピンレートを高める手段は教えても、それらを複合的に組み合わせることは教えない。

 一度に色々と変えようとしたら、必ずピッチングの基本フォームすらぐだぐだになってしまうからだ。

(おそらくこれで、神戸は今年のペナントレース優勝はないな)

 福岡が最有力で、それに次いで千葉ということになるのだろうが。


 千葉との試合も直史は、投げる予定となっている。

 去年の日本シリーズでは、意外なほどに苦しめられた。

 チーム力では全体的に、福岡の方が優っていると言われている。

 だがチームの相性というものもあるだろう。


 実際に去年、日本シリーズに進んできたのは千葉の方であった。

 福岡も主力が揃っていれば、充分に勝てた可能性は高い。

(日本シリーズはこのピッチングを使って、次の試合も打てなくする)

 ただしライガースと当たれば、大介は平然と見抜いてくるだろう。

 直史と大介は、距離が近すぎる。


 直史はヒーローインタビューをたっぷりと使って、タイミングのことについて話した。

 もちろん他の野球関係者も馬鹿ではないので、言ってることは分かるのだが、習得可能な技術ではないと、あっさりと見抜く者もいる。

 しかし若手のピッチャーなどは、どうしてもこれが頭に染み付いただろう。

 実際にこれを使って、パーフェクトを達成しているのだから。


 そもそも言っていることは、昔から存在しているテクニックではある。

 それを今、あえてこんなように言っている。

 確かに昨今は技術や理論についても、単純化してその伸び代で勝負している。

 直史の時代でさえ、アンダースローは少なかった。

 しかし今のような規格化された時代にこそ、アンダースローの復権はあってもいいだろう。

 現実には普通では通用しないピッチャーが、最後に挑戦するのがアンダースローであったりする。




 直史は奥義を説いていた。

 それを知れば誰もが、高みに登れるのが奥義であるのか。

 あるいは知っていてもなお、実際には出来ないものが奥義であるのか。

 本来なら隠されるべき、という意見には直史は賛同する。

 どうやらこれは自分以外には、出来ないピッチングだと分かってきたからだ。


 翌日、神戸オーシャンとの第三戦の前。

 直史は一軍の練習場にも来て、ピッチャーたちに言っていた。

「俺の真似は絶対にするな。むしろ調子が落ちるだけだし」

 自分のフォームを忘れてしまう、というのが直史の見ているところである。


 あの境地に至ったのは、直史が自分で研鑽した結果だ。

 肉体に染み付いた大前提がなければ、真似をしようとしても無様に失敗するだろう。

 だから味方のピッチャーには、こうやって説明しておく。

 なぜ真似出来ないかということを、詳しく説明する。

 直史は160km/hは投げられない。

 それと同じことで、直史のようなピッチングは、他の人間には出来ないのだ。

 出来るとしたらそれは天才か、幼少期からの育成をしっかりと受けている人間だけである。


 プロ入りしてから目指すのでは、もう遅いのだ。

 むしろ野球を始める前の段階から、やっていかないと身に付かない。

 もちろん技術の一部は、それなりに使うことが出来る。

 比較的簡単なチェンジアップが、上手く投げられないピッチャーがいたとする。

 それに直史のフォームの、わざと球速を抑えるテクニックをいくつか加えたら、投げられるようになったりする。

 もっとも少しだけ、フォームが違っていたりはする。


 それぞれの選手には、やはり最も球威の上がるフォームというのはある。

 しかし多くのコーチが、自分の成功体験で教えてきたというのが、NPBの長い期間であった。

 名選手が名コーチや名監督になるわけではない。

 またコーチにしても特定の分野のピッチャーしか、育てられなかったりする。

 下手をすればサウスポーを育てられなかったり、今ではアンダースローの育成は多くのコーチが忘れていることだろう。

 そもそもアンダースローなどというのは、一人一流派というきらいもあるので。


 自分のピッチングにこだわること。

 それは大事なことではあるが、そこに何かを積み上げなければいけない。

 今のままで、というのはプロのとっては後退である。

 人間というのは常に、変化し続ける存在であるのだから。


 球速の上昇というのは、分かりやすい成長変化だ。

 新たな球種の獲得というのも、バリエーションが増えていく。

 直史の場合は緩急とスピン、そしてタイミングをどうするかが変化となる。

 MAXが出ないというのも、仕方のないことなのだ。

 最もボールにパワーが伝わるものではなく、イメージしたボールのためにパワーをかけていく。

 球速は二の次というわけである。




 この直史のピッチングは、予想の通りに神戸オーシャンの打線に悪影響を与えた。

 まさに呪いとさえ言えるものであったのだ。

 雨天で一戦目が延期となったため、三戦目でいったん途切れる。

 この第三戦の先発が、三島なのであった。

 直史によって上手く焼きあがっていた、神戸の打線。

 随分と楽に打ち取ることが出来たものである。


 七回までを投げて、フォアボールは一個もなし。

 散発三安打に抑えて、リリーフ陣も勝ちパターンを使う必要がない。

 結局は最後まで、点が入ることはなかった。

 あとは次のカードまで、この状態が続くのかどうか、レックスのデータ班も追っていく。

 プロであるのだから、スランプに陥ったところからの脱出法も、ある程度は身につけているはずだ。 

 もっとも一人のピッチャーが、チームを丸ごとスランプにさせたのなら、それはえげつのないことである。


 4-0とあっさり、三島は八勝目である。

 ある程度の運もあるが、武史と投げ合って勝っているなど、自力を感じさせる試合も多い。

 来年はメジャーに行くのだ。

 そういう意志が空回りせず、しっかりと結果につながっている。

 運だけではないのは、防御率やWHIIPを見ればはっきりと分かる。

 国吉が離脱したこともあるが、なんとか球数を調整してでも、七回まで投げている試合が多い。

 この安定感も、アピールポイントの一つであろう。


 直史の目から見ると、メジャーで大成功するには、まだ足りないと思える。

 しかし数字だけで判断すれば、今年はキャリアハイになりそう。

 去年の時点で無理に行くより、一年待って良かったということになりそうだ。

 そして三島が抜けると、レックスはまた先発を必要とするようになるのだが。


 三島は変に直史の影響を受けることがなかった。

 来年にはメジャーという、違うステージで戦うことを目標としている。

 同じチームの味方であってさえ、怪物としか言いようがないのが直史。

 メジャーの方が楽じゃないか、と思えてしまうのは、他に大介と年間25試合も戦わなければいけないからだろう。


 神戸との雨天延期は、交流戦の終盤に入れられる。

 次の相手は東北ファルコンズ。

 また相手チームのホームでの試合となる。

 直史は当然のように帯同しない。

 二軍に混ざって調整をして、あとはコーチの真似事などもするのだ。


(二軍であってもプロ入りしているような選手は、一定のレベルを超えている)

 当たり前の話であるが、一軍と二軍の差はそれほど大きくない。

 ただのスタメンと主力の間には、それなりの力があるが。

 そして二軍にしても、ポテンシャルは主力級だが、細かい技術が必要な選手もいる。

 バッティングしか出来ない選手など、昔はファーストに入れていたりした。

 しかし現代野球において、守備力が必要ではないポジションなどない。

 それこそ大昔は、ライトなど守備がザルでもいい、などと考えられたりもした。

 左打者が少なかった、大昔の話であり、さらにプロではない次元の話だが。




 昔は高卒野手が戸惑うのは、バッティングと守備であったという。

 特に高反発の金属バットを使っていた時代は、適当に当てても飛んでいく。

 同じ金属でも低反発バットを使うようになって、それなりに時間が経過している。

 球が飛ばなくなったと高校野球では言うが、そもそも飛ぶ金属バットを使っているのが、高校野球ばかりであったのが異常とも言える。

 どうせプロに入るのならば、木製バットなどに早々に慣れておいた方がいいのだ。


 高卒野手はバッティングで、どうにか球を飛ばそうとする。

 直史からするとそれは、無理なフルスイングにつながっていると思う。

 高校時代は普通に四割、あるいは五割打っていたバッターが多い。

 しかしその感覚では、プロでは全く通用しない。

 単純にピッチャーの質が、全体的に上がっているから、というのは確かである。

 プロには全国レベルのピッチャーしか来ないからだ。

 ただ球速が上がる、というそれだけの問題でもない。


 プロに来るピッチャーは、絶対に何か一つ、自信のある球種を持っている。

 もちろんそれがストレートであってもいい。

 そういったボールを打てずに、苦心しているバッターはいる。

 今日の直史のアドバイスは、珍しくそちらに向けたものであった。

「難しい球を打とうとしすぎてる」

 そうはいってもプロの世界で、そうそう甘い球など来ないものではある。


 プロのバッターは打率が三割あれば充分。

 長打が多いのであれば、二割五分でも問題はない。

 ただしこれに、出塁率も考えないといけない。

「狙い球を絞って、それを打つ。チャンスは一打席の中で一度ぐらいしかない」

 この間パーフェクトをしたばかりのピッチャーが、何か普通のことを言っている。

「その狙い球を見事に打てればいいが、ミスショットでファールになったりはするものだ」

 実際にファールを打たせるのは、ツーストライクまでは有効な手段なのだ。


 追い込まれたからといって、狙い球を変えていくのか。

「変えなくていい」

 追い込まれればさらに、狙い球にのみ絞ること。

 またゾーンのボールはカットしてしのげばいいのだ。

 そして相手の失投か、フォアボールでの出塁を狙う。

「プロは数字が生活に直結してくる」

 バッティングでは全く稼いでいなくても、直史はバッティングの指導が出来る。

 メカニックの面ではなく、ピッチャーとの対峙の点において。


 野球はメンタルの部分が、かなり大きな要素を占める競技だ。

 もっともほとんどメンタルなど関係なく、無神経にピッチングする武史などもいるが。

 直史の場合は優勝がかかろうがパーフェクトがかかろうが、それらはもうプレッシャー慣れしているので、集中力に変換する。

 バッティングの場合は、ピッチャーよりもずっと、試合における機会が少ない。

 四打席回ってくるのがおおよそで、一つの打席で多めに見て10球。

 実際のところは30球以内というのが、ほとんどであろう。


 ストライクとボールのカウントにおいて、打率がどう変化するかなども、注目すべきポイントだ。

 ツーナッシングからの打率は、平均でも二割を軽く切っている。

 基本的には積極的に、ファーストストライクから手を出していった方がいい。

 しかしカウントが悪くなれば、カット狙いで球数を増やし、失投でもあればそれを打つ。

 一打席における一度のチャンスをミスショットしたら、基本的にはもうヒットではなく、出塁を狙っていくべきだ。




 緩急についていけていない、若手のバッターのバッティングピッチャーなどをしたりする。

 ここから直史が投げるのは、ストレートとチェンジアップ、そしてカーブの三つだけである。

 重要なのはどれに狙いを絞るか。

 そして他の球種であれば、どのように対応して行くか。


 基本は一番速い球に、タイミングを合わせておかなければいけない。

 速い球を待って遅い球をどうにかカットするより、遅い球を待って速い球に対応する方が、はるかに難しいからだ。

 直史の投げるボールは、ここではストレートが140km/h前後。

 コントロールされたこのストレートと、遅い二種類の球を上手く混ぜていく。

 重要なのは遅い球を打つことではない。

 遅い球はどうにかカットして、狙った速い球を確実に打つことなのだ。


 本気で直史がこれをやれば、二軍の若手はまずついていけない。

 なので本当に苦しんでいる場合、速い球と遅い球を交互に投げたりする。

 分かっていれば打てる、という成功体験を積むことが重要なのだ。

 しかしいくら練習でも、この時の遅い球をフェアグラウンドに打っていてはいけない。

 分かっている遅い球を打つという、誤った成功体験が蓄積されるからだ。


 別に遅い球を狙って打つなら、それはそれで構わない。

 速球は当てるのが精一杯で、変化球を待って打つしかないというピッチャーもいるからだ。

 武史などがそうなのだが、手元で動くボールを投げられれば、まともにカットすることも難しい。

 それでも今年、既に負けた試合はあるし、勝ち星がつかなかった試合もある。

 直史も味方の援護がなく、引き分けた試合があるのだ。


 そういったことを考えると、直史が打線の力を強化したい、と考えるのは全くおかしくない。

 レフトやサードなどの、比較的守備貢献度の低いポジションに、打てる選手を入れたい。

 日本の場合は名門出身であると、高卒でもそれなりに最初から、しっかり守備は仕込まれていたりする。

 もっとも守備と走塁が雑魚であると、代打要員になってしまう。

 レックスはファーストの近本と、ライトのクラウンは打撃力に期待している。

 しかし二人とも、充分な守備力もあるのだ。特にクラウンは肩があるので、タッチアップを防いだりする。


 レフトはライトに比べれば、肩もそれほど強くなくていい。

 また守備範囲の広いセンターが、かなり守備で侵食しているのだ。

 ここに打てるバッターを置ければ、かなりいいのではないか。

 もっとも今も別に、打てていないわけではない。

 問題は統計的には無視される、チャンスでの打撃などになるのだ。


 チャンスで打てるかどうかというのは、メンタルの問題だと思われるだろう。

 しかしそのメンタルをコントロールするのも、技術としては存在するのだ。

 MLBではそのあたりも、かなり意識していた。

 重要なのはチャンスにおいて、フライ性の打球が打てるかどうか。

 ゴロだと三塁ランナーは突っ込んでこれるかもしれないが、ダブルプレイの可能性も大きくなる。

 逆に俊足のランナーが三塁にいれば、意地でもこれを帰すのが、いいバッターの条件であろう。

 クリーンな得点の仕方を考えるなら、外野の深いフライでタッチアップが一番いいのだろうが。




 プロでもいまだにフィジカル頼みで、通用している選手はいたりする。

 だがプロの世界に入ると、思考力が重要となる。

 アマチュアの世界においては、状況から判断し指示するのが、指揮官の役割であった。

 しかしプロともなるとボールが止まっていない時に、どのように動いていくのか。

 一瞬の判断が大きく出てくるのが、走塁であったりする。


 レックスはこの点、走塁で稼いでいる点は多い。

 実際のところ走塁で点を取られると、ピッチャーは苛々してくる場合が多いのだ。

 対戦しているバッターだけではなく、ランナーも気にしなければいけない。

 そうなると集中力を、二分させて投げてしまったりする。


 大介は昔ほど、多くの盗塁をしていない。

 しかし高確率で成功する走力を持っていると、ピッチャーのメンタルの体力を削っていく。

 二塁にランナーがいて、一塁が空いていると、ほぼ敬遠されてしまう大介。

 ただしこれによって、長打一発で帰ってくるランナーが、二人に増えるわけなのだ。

 大介のデータを見てみれば、単純に申告敬遠をするよりも、届く程度のボール球を投げた方がいい。

 それでもある程度はスタンドに放り込むが、ゾーンで勝負したことと比較すると、比べ物にならないだろう。


 直史がピッチャーに語るのは、主導権は常にピッチャーにある、ということである。

 ピンチで強打者を迎えれば、プレッシャーを感じることになるだろう。

 しかし勝負するかしないか、その根本的なところで、まずはピッチャーに選択肢がある。

 ピッチャーが投げなければ、プレイが始まらないのが野球である。

 それを忘れて打たれる球を投げることが、一番悪いのだ。


 直史の言っていることは、思考のテクニックである。

 基本的に一流のアスリートは、思考力が高くないと大成功はしない。

 武史などはあまり考えていないように見えるが、あれは思考を他の誰かに任せているから。

 この誰かに全面的に任せる、ということで思考による消耗を避けている。

 二軍の若手ピッチャーなどは、もちろん純粋なフィジカルトレーニングも重要だ。

 しかし二軍戦やその他の練習試合では、実際にどう投げるのかを実践する。


 この日の直史は、三人ほどのバッターに対して、100球近くを投げた。

 しかし球速はせいぜいが、140km/h台の前半である。

 肩や肘と違い、指先というのはそれほど、大きく故障する場所ではない。

 また直史はピッチングの中で、手首を上手く使えないか、また試していた。


 ピッチャーが投げる場合、その利き腕は鞭のように撓る。

 手首の動きで、上手くボールを抜くことが出来ないかどうか。

 少しでも肘の負担を軽くしようとする、直史の工夫はまだまだ終わらない。

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