第273話 要の価値

 野球において一番、試合に対する貢献度が高いのは、先発ピッチャーである。

 しかしローテで回らなければいけない先発と比べ、全試合に出るとしたら一番重要なのが、キャッチャーとなる。

 これはあくまでも野手のポジションの話で、打力は別の問題とする。

 マリンズとの第一戦、大介はキャッチャーのリードした、高めのストレートとアウトローのストレートを、スタンドに放り込んだ。

 分かっていても打てないだろう、とキャッチャーがリードするようなところを、しっかりと打っていったのだ。

 自分のリードが間違っていたのではないか。

 普段から対戦しているセ・リーグのキャッチャーならともかく、パ・リーグのキャッチャーはそんなことを考えてしまうのだ。


 一発勝負でなくても、交流戦は三試合まで。

 なので対戦経験は少ない。

 だからこそ注意して、組み立てていかなければいけないところである。

 しかしこうやってリードを完全に砕かれては、自身の配球に頼ってしまうことになる。


 配球は理論上の最善。

 実際はその打席までにどう試合が流れているかで、投げてもらう球は変わる。

 そもそもピッチャーには、キャッチャーの求めたとおりに投げる能力などはない。

 そこまでも含めて考えて、そしてサインを出すのがリードである。

 結果としてはピッチャーの責任も、キャッチャーの責任もある。

 また単純に実力不足もある。


 重要なのは経験として蓄積しても、下手な後悔はしないこと。

 そして自分の都合のいいようには考えないこと。

 もっとも強気のリードをしなければ、いけない場面というのはある。

 だが大介を相手にした場合、ちょっと人間としてのレベルが違う。

 ようやくそれを実感してきたのかもしれない。


(三打数二安打だったけど、実質的には全部ヒット性の当たり)

 フライではなく、ライナー性の打球も多かった。

(スイングスピードは確かにあるけど、あの体重でどうやったら)

 一応説明は色々としてある。

 たとえば他のバッターよりも、ずっと重く長いバットを使っていること。

 もっとも重くて長いバットは、それだけ扱いづらいということでもある。


 大介のスイングは、そもそもおかしいのだ。

 普通にホームランを打っている場合には、まさにお手本のようなアッパー気味のレベルスイングを行っている。

 しかし外角の、それこそボール球を打っていると、腰の回転だけで打っていたりする。

 前後の体重移動の力が、かなり消されてしまう。

 それでも体の捻りだけで、スタンドに運ぶのだ。


 ボール球を完全に無視していったら、五割を打てる。

 しかしボール球であっても、打てそうなら打ってしまう。

 つまりキャッチャーが考えるのは、大介が打てると判断して、手を出してくるようなボール球。

 そこまで極端に考えなければ、勝てるものではないのだ。


 それでもまだ、単打なら簡単に打ってくる。

 ゾーンの球だけに絞るか、ボール球でもケースバッティングに徹すれば、どれだけのヒットが打てるか。

「ホームランや打点のことは考えるけど、打率は考えない方がいい」

 これは大介の言った台詞である。

「ホームランや打点は積み上げていくだけだから、常に攻めるバッティングが出来る。だけど打率を考えると、急にバッティングが難しくなる」

 これは他の選手も言っていることだ。


 三冠王の中で、どの部門が一番難しいか。

 それは打率を維持する首位打者であるという。

 ホームランや打点の数は、減ることが絶対にない。

 しかし打率は落ちることがあるので、どこか振り切れないスイングが出てくる。

 なおそんな繊細なところは、大介のバッティングにはまるで見られない。

 そこそこの期間離脱して、三冠王のうちの首位打者が取れなかった時、ホームランと打点を優先したのだ。

 もっともその年も、普通なら首位打者であっても不思議ではない打率であったが。




 相手のエースを叩き潰す。

 それによってキャッチャーのリードを消極的にする。

 そういった神経戦でもって、カード自体をチーム優位にする。

 交流戦を見た場合の、大介の考えた戦略である。

 そんな都合のいいバッティングが出来るのは、大介ぐらいであろうが。


 第二戦も、大介のバッティングは奮っていた。

 ただマリンズのピッチャー古川が、かなり攻撃的であったとも言えるだろう。

 一試合に一度はフォアボールがあって当たり前、下手をすれば三打席歩かされる大介。

 それに対して全打席勝負してきたのである。

 だがこの攻撃的なピッチングは、むしろ大介の意表を突いた。

 そこから切り替えて、やっぱり打ってしまうのが大介であるのだが。


 これで六月に入ってからは、四試合連続ホームラン。

 打ったヒット七本が、全て長打という化物具合。

 こういう爆発的なバッティングをするから、また敬遠が増えてしまうのだ。

 試合に勝つぐらいの点を入れたら、あとはむしろ凡退した方がいい。

 理屈ではそう考えてもいいだろうが、打てるボールは打ってしまうのが、大介の野球なのである。


 ただ、古川の攻撃的なピッチングは、マリンズを勇気付けるものではあったろう。

 第三戦はライガースのバッティングを、のらりくらりとかわしていく。

 上手く継投で、打線の狙いを外していくのに成功していた。

 もっともここは、キャッチャーを代えたというのも、マリンズのベンチの判断の正解であったろう。

 キャッチャーを一人で固定しているチームは、最近ではそれほど多くはない。

 もちろん本来ならば、一人でやってしまいたいのだろうが。


 交流戦だけに、データ分析などは首脳陣も実感ではなく、データなどから行っていく。

 そして狂ってしまった歯車は、即座に代えておくのだ。

 次の他のチームとのカードまでに、ちゃんと調子を戻してこれるかどうか。

 一番手キャッチャーと二番手キャッチャーの、役割が入れ替わる可能性は充分にある。

 特に守備を重要と考えるなら、ベテランキャッチャーの方がいい。

 大介ほどではなくとも、交流戦でリーグの違う、強打者との対戦は多くなっているのだから。


 まずはライガースは、交流戦最初のカードを勝ち越した。

 次は甲子園に戻り、北海道ウォリアーズとの対戦である。

 大介の連続ホームラン記録も途切れたが、それでも58試合消化で28本というペース。

 やはり前年を上回り、またも60本を打ってくるか、という具合になってきた。

 もちろん個人成績だけではなく、チームの成績も重要。

 しかしこれに関しては、首位のレックスがある程度、落ちてきてくれなくてはどうにもならないのだ。




 そのレックスの動向である。

 敵地である北海道で、まずは三連戦のカード。

 直史はこれに帯同していない。

 二軍の方の練習に混じって、味方のピッチャーを色々と物色していた。

 球速ではなく球質。

 今さらながら、ピッチングの本質に迫っている。

 もっとも速い球というのはそれだけで、ある程度の球質を担保するものだ。


 フィジカルがなくてもいい、などとは思わない直史である。

 実際に木津などは、しっかりと筋量などは豊富な選手だ。

 ただそのストレートが、球を前に押すのではなく、スピンをかけるようになっている。

 どういう理屈なのかと考えるが、比較的指が短いというのが、スピンを増やしているのかもしれない。

 直史などはむしろ、指が長いピッチャーである。

 なので色々と投げられるわけだが、木津の場合はどうであるのか。


 一応持っている球種としては、カーブにフォーク、スライダーがある。

 ただカーブはともかくフォークは、それほど落ちるわけではない。

 チェンジアップ的に使えるが、スプリットに入れる人間もいるかもしれない。

 もっともスプリットとフォークは、変化の原理は同じものである。

 アメリカではフォークボールというのは存在しないのだ。


 フォークボールは昔から、肘に負担がかかりやすいボールだと言われてきた。

 それだけが理由ではないが、直史は確かにスプリットはあまり使わない。

 人差し指と中指にボールを挟み、投げるときに開けてスピンの少ないボールにする。

 その空気抵抗によって、落ちるボールとなるわけだ。

 無理に指で挟んで、遠心力で指の間から抜くように投げると、その負荷が主に肘にかかる。

 そのため投げすぎは故障につながる、というのは間違いではない。


 スプリットは浅く握るというか、親指やあるいは薬指も使って、固定したところから投げる。

 これもボールを抜くように投げるのだが、指の稼動範囲が広いため、比較的投げやすい。

 なんなら誰かのフォークよりも、誰かのスプリットの方が落ちたりもする。

 しかしおおよその日本の認識では、よりスピンが少なく大きく落ちるのがフォークで、少しスピンはかかるが速度差のないのがスプリットだ。

 原理的には、スピンがかからないように抜く球、ということで間違いはない。

 さらにリリースの瞬間、最後にどの指で触れているかで、右に落としたり左に落としたりすることが出来る。

 直史はあまり使わないが、左右の変化に加えて、変化量の大小まで投げ分けることが出来るのだ。

 いや、最近は練習でもあまり、フォークの方は投げていないが。


 木津の武器は、あのストレート。

 間違いなくピッチャーの、投げる割合が多いのが、ストレートという球種である。

 ただ投げるボールが全て、カットボールの変化になるというピッチャーもいた。

 さらにカットボールの変化度に、差をつけて投げているピッチャーもいたのだ。

 何か自分が、中心として投げられるボール。

 それがあれば、プロの世界で少なくとも三年は、生き残ることが出来る。




 直史の場合は、魔球と呼ばれるスルーがある。

 ジャイロボールであり、確かにこれは打ちにくいものだ。 

 しかし投球全体に占める、投げる割合はそれほど多くはない。

 基本的なバリエーションは、ストレートとツーシームとカーブというパターンが多い。

 ただ球種などよりも、ずっと打つのを難しくするもの。

 それがリズムであったりする。


 直史の本当の武器は、バリエーションの広さだ。

 同じストレートであっても、足を上げてからリリースするまで、違うタイミングで投げることが出来る。

 あまり足を上げなくても、あまりタメを作らなくても、ストレートが150km/h出る。

 逆に普通に足を上げて、タメを作ったとしても、150km/hをずっとオーバーなどはしない。


 ランナーもいないのに、クイックで投げたりもする。

 普通ならさすがに、足を着地してからは、どんなピッチャーもほとんど同じタイミングで投げるのだが、直史はリリースのタイミングを変えることが出来る。

 早いタイミングで投げたはずなのに、ボールがなかなか来ないチェンジアップ。

 基本的にタイミングを崩せば、どんなバッターでも打ち取れる。

 大介などはスイングの中で、そのタイミングを修正する能力を持っているが。


 スイングスピードの速いバッターというのは、それだけ球種を見極める時間が多くなる。

 大介は動体視力に優れるが、それもスイングスピードがあってのこと。

 速球にタイミングを合わせておいて、他の球種ならバットを止めるかカットする。

 そういった能力に優れているからこそ、打率と出塁率が残せるのである。


 直史がうろうろとしていると、鉄也に会ったり青砥に会ったりする。

 今の時期は夏を前に、あちこちを忙しく動き回っているはずだ。

 しかし鉄也の場合、二軍でプレイする選手の様子は、ある程度見に来たりもする。

 そしてコーチ陣が、おかしな指導をしていないか、それをチェックするのである。

「選手の完成形と、そこに至るまでの成長を見ておけ、って言われてるんですよね」

 青砥は千葉県出身であるが、今は東京に住んでいる。

 そして実は子供たちも、かなりの素材と言って良かったりするのだ。


 高卒でプロ入りした青砥は、けっこう早くに結婚している。

 相手は高校の同級生で、スタンドで踊っていたチアの女の子だった。

 チアリーディング部は実は、野球部よりも有名であったのが、青砥のいた高校である。

 そこで踊っていた彼女との間に、三人の男の子がいる。

 三人のうち一人、プロに行けるかどうか。

 そういうレベルでも充分に、プレイヤーの中では上位層の素材だ。


「自分の子供を教えられないっていうのが、日本の野球の問題点だと思いますよね」

 青砥はそう言っていて、実際にこれは言われているのだ。

 プロ野球関係者が、学生野球の選手に指導してはいけない。

 青砥は引退した身ではあるが、立派なプロ野球関係者。

 なのでもどかしいが、自分の手で教えることが出来ないのだ。

 もっとも小さな子供の頃の、キャッチボールなどは問題にならないのだが。


 直史はその点、完全にプロアマ協定を無視している。

 なぜならばこれは、法律ではないからだ。

 法律に準ずるもので、罰則というか違反に対するペナルティもある。

 しかし世界的に見れば、アメリカにはそんなものはない。

 また直史としても、身内にしか指導はしない。




 青砥もピッチャーであっただけに、やはりスカウトとして見ても、まずピッチャーに目が行くらしい。

 しかしプロに来るようなピッチャーであれば当然だが、高校時代は上位打線を打っていた。

 なのでピッチャーが打たれると、その打ったバッターをピッチャーの目で見ていく。

 打ち取るのが難しそうだな、と思うとピックアップするというわけだ。

「そのスカウトの目から見て、一軍に上がりそうな選手はどうかな?」

「いや~、難しいですね」

 練習だけを見ていても、なかなか分からないレベルが多いのだ。

 素質的にはプロに支配下で指名された時点で、充分に選ばれるポテンシャルはあるのだから。


 ただ、練習だけを見ていても、なかなか判断は難しい。

 試合の中で状況を認識し、出来ればそれをコントロールしようとする。

 それだけ野球に対する、深い理解があってほしい。

 そういったものがなくても、フィジカルだけで通用するモンスターはいるが。

 しかし野球というのは、フィジカルだけではなく、技術も重要な競技であるのだ。


 プロの世界の厳しさを、青砥はちゃんと分かっている。

 それでも子供が野球をやりたいと言えば、背中を押したりはするのだ。

 だが目標が、プロ入りするところで止まっているなら、それはもうプロを目指さない方がいい。

 青砥などは甲子園にかすりもしなかったが、大学か社会人を経由して、プロに行く気は満々であったのだ。

 そしてそこで、大打者たちと勝負する。

 実際に20年近く一軍でプレイし、100勝以上した青砥。

 ノーヒットノーランも達成しているのだから、充分にプロの中でも勝ち組なのだ。


 世間的に有名なのは、本当のトッププレイヤーに限られる。

 直史などは一般人であっても、おおよそは知っているというレベルだ。

 青砥はプロ野球好きならば必ず知っているが、一般人の知名度はほとんどない。

 かなりの期間をローテのピッチャーとして投げていても、それだけの差がある。


 また残酷な格差というのは、MLBに行けるかどうか、というところにも存在する。

 直史はその生涯の獲得年俸の、90%以上をMLBの五年間で稼いだ。

 これはここからNPBで五年ほど活躍しても、変わることはないだろう。

 もっとも直史の場合、年俸以外での収入がかなり多いのだが。


 MLBではスポンサーとの契約が、年俸よりも多くなった。

 それでも大介には勝てなかったが。

 アメリカではピッチャーの人気が、日本よりも低めということはある。

 年俸自体は競り合っても、ローテでしか登場しないピッチャーは、それだけ広告塔としての価値が低い。

 それでも直史はピッチャーとしては、圧倒的な存在感を持っていたが。




 現在の青砥は、千葉、東京、神奈川を担当している。

 将来的にはもう少し、この範囲を広げるべきだ。

 彼は千葉の高校から東京の球団に入ったので、アマチュア時代の人脈も関東にある。

 なので関東と東北が担当の鉄也の、人脈などを受け継ぐようにしているのだ。


 ただいくら選手として活躍していようと、スカウトとしての能力は全く別だ。

 それでも一目見れば、すぐにプロに行くな、という選手は見分けられるのだが。

 難しいのは青砥自身もそうだが、技巧派というか軟投派のようなピッチャーであろうか。

 サイドスローの青砥は、強いて言うなら変則派であった。

 今のNPBは確かに、一定のフィジカルで選手を切り落としている。

 だが昔に比べると、社会人の受け皿が減ってしまっている。


 関東の東京近辺には、日本の人口の10%が集中している。

 その中からいかに、効率的に選手を見ていくか。

「今思えば、俺は運が良かったんです」

 そう青砥が言うのは、鉄也というスカウトがいて、樋口というキャッチャーがいるチームに入ったからだ。

 もっとも入ったのは、樋口の方が後である。


 樋口はチームのピッチャー全体を、マネジメントしていた。

 なので比較的、故障するピッチャーが少なかった。

 それでも毎年、何人かは故障するのがプロの世界。

 極限まで鍛えなければ、通用しないという世界である。

 しかし樋口の思考は、そういうものではなかった。

 優勝するための勝ち星を、どう今のピッチャーで確保して行くか。

 当然ながら故障などされれば、計算が立たなくなる。


 樋口がプロ入りしてからMLBに行くまで、レックスは一度もBクラスに落ちることがなかった。

 一年目はそれほど多くの出場でもなかったのに、しっかりと三位までには入ってきた。

 そしてクライマックスシリーズで逆転されることこそあっても、ペナントレースは六連覇。

 もちろん樋口だけではなく、他の選手の働きも大きい。

 しかしいまだに変わらない、ピッチャーのローテを重視するというチーム作りは、彼の時代から始まっている。

 ゲームが始まってしまえば、もう一人の監督がグラウンドにいるようなもの。

 実際に樋口は、レックスの頭脳であった。


 本当なら樋口こそ、現場なりフロントなりに、来てくれればいいのだ。

 しかし引退した樋口は、新潟で政治家の秘書などをしている。

 そもそもMLBを引退する時も、キャッチャーなのだからまだ出来るだろう、と言われてもいたのだ。

 だがチームを優勝させる最強のキャッチャーは、舞台を違うステージに変えた。


 野球バカではなかったのだ。

 だからこそ客観的に、冷徹な判断が出来たのだろう。

 そしてそれは今、直史がやっていることに近い。

 先発として投げない日には、二軍をうろうろと探し回る。

 それでいて他にも仕事をしているあたり、本当の二刀流というのは直史のことを言うのであろう。



×××



 本日は次世代編、パラレルも更新しております。

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