第271話 新技術

 ホームランを打つ方法というのは、基本的に一つだけである。

 いや、大前提というべきであろうか。

 ランニングホームランという例外はあるが、まず一つにボールの下を打たなければいけない。

 上を打てばゴロにしかならない。

 もっともボールは高いマウンドから、重力も含めて落ちながら進んでくるため、タイミングさえ合えばダウンスイングでもボールの下を叩くことは出来る。

 そしてアッパースイングというのは程度の差こそあれ、ゴルフスイングに似ている。


 ホームランバッターはダウンスイングをしていても、それはトップから入ったところまで。

 フォロースイングは必ず、アッパースイングに抜けている。

 こんな当たり前のことに、ずっと気付かないダウンスイング信仰というのはあったのだ。

 また特に金属バット時代、昔の高校野球であれば、ゴロを打てば内野を抜けるかファンブルすることが多かった。

 だからこそ守備の強いチームが、甲子園に来られる条件になったわけだが。

 21世紀枠のチームなどは、確かに公立が多い。

 しかしそれでも、守備力が高いことも前提となる。

 甲子園で大差の試合など、見たくはないのだから。


 大介はレベルスイングの鬼である。

 ジャストミートして、人を殺す打球をスタンドに打ち込む。

 実際に怪我人程度ならば出しているが、それよりも座席を破壊したり、モニターを破壊したりした回数の方が多い。

 しかし最近、漠然と振っていることが多くなっていないか。

 そう思った大介は、ほぼ実家となっている直史の実家で目を覚まし、カロリーのある野菜ジュースを飲んでから、ランニングに出ようとした。

 するとなんだか、砂をしゃくっている音がする。

 何かと思って見てみれば、百合花がバンカーの中でクラブを振っていた。

「早いな」

「おはよう、お父さん。ちなみにゴルフは七時スタートとかの場合、四時には起きて準備を始めるんだよ」

 なんと、夜更かしが多いプロ野球選手とは、随分と違うではないか。

 まあゴルフは競技の特徴から、そうせざるをえないのだがあ。

 野球と違って基本的に、ナイターの設備などはない。


 目が覚めてから体が完全に動くようになるのに、時間がかかるとは野球でも言われていることだ。

 なので高校野球、特に甲子園においては、第一試合だと早めに起きることを徹底していた。

 プロになるともう、そういうことはほとんどない。

 デーゲームであってもそこまで、早くからは動かないからだ。


 グリーンのすぐ傍に、穴が空いているというのは、ちょっと危険ではないのか。

 だがそこには砂のバンカーがあるので、そこまでの怪我にはなりにくい。

 砂を切るような音と共に、小さなボールが出てくる。

 そしてその先の籠の中に、かなりの数が入っているのだ。


 球技ではあるが、野球とは全く違う。

「野球と違って偶然性が、あんまりないスポーツだな」

「そんなこともないよ」

 そう言って強く打ち出したボールが、籠を越えてグリーンのカップに向かう。

 入ったかと思ったものが、ピンに弾かれて飛び出してしまった。

「ゴルフも偶然性があるよ。たとえば風の動きなんか、時間帯によって差があるし。それに同じ300ヤード打っても、左右に1mずれただけで、フェアウェイかバンカーかの違いがある」

「バンカー脱出の練習なのか」

 そう思って改めて見てみると、ほとんど大介の身長ぐらい、バンカーが掘られている。


 まったくこんな練習の設備を、よくも短期間で作ったものだ。

 もっともそれは、高校時代のセイバーの所業を思い出す。

 あの人も金に糸目をつけず、豪勢な設備を作っていった。

 設備がないなら工夫をして練習をする。

 それが日本人的な考え方であるが、セイバーは設備がないなら作ればいい、という人間であった。

 金があればそうするのだ。


 直史が役員となっている農業法人は、重機も扱っている。

 そこでごっそりと地面を削って、砂を入れればバンカーの完成。

「ちょっとそれも俺にやらせてみろよ」

「お父さんの身長だと、やりづらいんじゃないかな」

 サンドウェッジを借りた大介であるが、確かに長さが足りない。


 なんとなくゴルフのコツが分かってきた大介である。

 要するにボールのどこに、どうクラブのフェースを当てるかが重要なのだ。

 それによってどういうボールになるのか、ある程度は決まってくる。

 だがバンカーを打ったスイングは、大きく砂を飛ばした。

「うべっ」

 打ち出した砂が頭の上から降ってきたが、それでもボールはグリーンに上がった。

「すごっ! エクスプロージョンじゃん!」

 爆発ショットとは、確かによくいったものだ。




 この日はナイターであるので、大介が練習に向かうには、充分な時間があった。

 百合花だけではなく、他の子供たちも色々と頑張っている。

 その中では長女である里紗が、高校になったら直史のマンションか、恵美理の家に下宿させてもらえないか、と考えている。

 バレエをやっていて、やはりレッスンをさせてもらうにも、もっと本格的な所の方がいい、と猛烈に先生の方がプッシュしているらしい。

 ツインズの時も同じことを言っていた。

 そしてあの頃とは違い、実際に環境は整えられる。


 子供たちが成長している。

 そう感じると大介も、若かった頃の感覚を思い出す。

(昔はとにかく、凡退しにくいホームランを打つ方法を考えてたなあ)

 フライ性のボールを打つのが、ホームランの基本である。

 しかしフライ性であると、フェンスの手前に落ちる場合、外野が間に合ってしまう可能性がある。

 だからライナー性の打球でホームランを狙うと、距離が足りなくても外野の間を抜いていきやすい。


 年を重ねて大介は、フライ性のボールでもホームランにすることが増えてきた。

 だがジャストミートすれば弾道はともかく、打球速度は一番速く出るのではないか。

 むむむ、と考える大介はその日、千葉のマリンズ練習場にやってきた。

 そしてバッティングピッチャーの生きたボールを打つのでもなく、ティーバッティングをしてみた。

 さらにそれを撮影する。


 スローで見てみると、スイングのフォームは昔とほぼ変わらない。

 ただプロに入ってからは、積極的に外のボール球も打っている。

(上半身が突っ込んでることがあるな)

 大介はそれが、しっかりと分かっている。

 しかしこれを元通りに修正してしまうと、もうボール球に届かなくなる。


 ゴルフのスイングと野球のスイングは、やはり違うものである。

 前方に120m飛ばせば、おおよそはホームランになるのだ。

(だけどミートポイントが違う)

 野球のバットは先で打っても、なかなかホームランになるということはない。

 大介の長いバットであっても、それは変わらないのだ。


 ゴルフクラブのミートポイントは、先端にあった。

 しかし一番パワーが乗るミートポイントの中でも、どこで打つかで飛距離が違うという。

 今の大介はまた、スイングスピードだけで打っているところはある。

 だがスイングスピードは、昔と比べても落ちていないのだ。


 今年はこのペースで打っていけば、果たしてどうなるのであろうか。

 55試合が終わった時点で、既に25本。

 故障でもしない限りは、とりあえず50本は確実なペースである。

 ただ四月に比べると、明らかに五月度は長打が減っている。

 四月は三月と一緒になって、試合数が多いというのはあるだろう。

 だがそれを加えても、四月は長打率が落ちていたのは確かだ。

 打率と出塁率は上がったのに、である。

 そしてOPSも長打率の低下を反映して、四月までに比べれば落ちてきている。




 置きティーのバッティングで、大介は自分のスイングを確認する。

 そしてどういう軌道で、ボールのどこを叩いているかも考える。

 本格的に対応するのは、ホームに戻って分析をしてからだ。

 だがおおよそ自分の感覚で、どうやって打てばいいのかが分かっている。


 ボールのスピンというのは、バッティングのスイングの衝突で、ある程度は問題ないほどまでに減らせる。

 バックスピンの強くきいたストレートなどは、ミートすれば遠くまで飛んでいく。

 だがスイングの軌道は、ボールのどこにどう入れるべきか。

 元々チームにおいても、こういうデータはちゃんと取っているのだ。

 しかし大介は分析ではなく、感覚でボールを打っている。


 高校野球以前の、転がせと言われた野球。

 そこでも足でヒットを稼ぐ以外に、内野の間を器用に抜いていったものだ。

 高校ではセイバーの指導もあり、転がせなどとは一度も言われていない。

 フライを打つのが主流であると、一応は聞かされていた。

 しかし大介のスイングを修正しようとは、全く思わなかったのだ。


 大きく振るのではない。

 今のフルスイング信仰は、これも三振の増大という、マイナス面を持っている。

 もちろん統計の結果によると、それでも長打を狙った方がいいらしい。

 だがピッチャーにとっての奪三振の価値を考えれば、相手のエラーや内野を抜いていく可能性もある、ミートも重要ではないのか。

 状況によってはダブルプレイを避けるため、進塁打を打つことは重要だが。


 大介が、あのホームランの神様が、今さら置きTをやっている。

 基本的にはボールを打つのが、それも人間の投げるボールを打つのが、バッティングの技術を上げるには一番早い。

 しかしそれ以上に重要なのは、純粋なスイングスピードを高めることだ。

 スイングスピードが速くなれば、懐のぎりぎりにまで、投げられたボールを見極めることが出来る。

 速いボールが有効であることに間違いないのは、このギリギリの瞬間を減らすためである。

 だがいくら直前まで見極めても、直史の遅いストレートは捉えられない。


 大介は当然ながら、あの試合の録画を後から見ている。

 そしてやっていること自体は、けっこう簡単に分かった。

 スロー再生すれば、しっかりとバックスピンのかかっていることが分かる。

 球速を下げつつも、スピン量はそのまま。

 元々直史のストレートは、スピン量が多かったのだ。

 だから150km/h後半が普通の現代でも、右腕のストレートで空振りが取れる。

 現在の三振奪取率は、五月末の時点で9.70である。


 直史はもう一つ、分かっていても打てない球を持っている。

 それがスルーだ。

 落ちていくのに、キレながら伸びていく。

 落ちる球は普通、減速するものなのだ。

 ただ落ちる幅は少ないながらも、確実に沈みながら伸びていく。

(あのストレートと組み合わせれば、さらにとんでもないものになるな)

 今の時点でも既に、勘弁してくださいというレベルなのだが。


 大介はそう考えている。

 実際にそうなのだが、投げている直史としては、そう都合よくはいかない。

 全身の筋肉を、効率よく使うのが直史のピッチング。

 だがあの遅いストレートを投げるには、肩につながる背中の筋肉を、かなり酷使する必要がある。

 弱点ではないが、まだ多用は出来ない。

 それを大介はまだ知らない。




 直史は平日、普通に実家にまで帰ってくることがある。

 会社の役員もやっているからには、地元に挨拶をする必要があるのだ。

 直史は実務も出来るが、基本的には人脈を活かすのが仕事。

 そして接待をする方にも、あるいは接待を受ける方にも、ゴルフという手段が本当に出てきた。


 まあ日本人もマスターズで勝つようになって来た時代である。

 女子に関して言えば、男子よりも世界ランキングに、名前がたくさんある時代。

 華やかさというか、ゴルフの競技人口をおっさんが占めるだけに、おっさんがスポンサーになりやすいのだろう。

 大介と入れ違いで実家に戻ってきた直史。

 接待のために会社の経費で買ったゴルフクラブで、少し練習をしてみる。


 やはりゴルフはピッチングである。

 ボールを打つインパクトの瞬間が、リリースする指先の動きと同じなのだ。

 一つだけ、基本となるフォームを作っておく。

 そこからどうフォームを変えたり、あるいは握りを変えたりするのが、直史のピッチングだ。

 ゴルフも最初のドライバーショットを、基本のスイングと考えるべきなのか。


 ただ本質を言うのであれば、直史のピッチングはドラーバーショットではなくパッティングである。

 投げるコースに投げる球種を、全くミスせずに投げる。

 握りを変えるのが、クラブを変えるということ。

 球種の角度などを変えるのが、スイングの仕方を変えるということ。

 ストレートだけでは難しいのが、ゴルフというスポーツらしい。

 小さなカップにボールが入るまで、勝負は決まらない。


 元々体の使い方は、自分で色々と工夫している。

 ただ重要なのは、下手な投げ方をしたりしていると、肩や肘に負担がかかる。

 あのストレートに関しては、背中の筋肉が必要であった。

 そして直史はピッチング練習の代わりに、バッティングの練習を行ったりする。


 今さらバッティングをするのか。

 確かにセ・リーグではピッチャーにも、バッティングが必要である。

 ただプロ入り初年度は.050ほどは打っていたバッティングだが、復帰してからはごの五分の一も打てていない。

 はっきり言ってしまえば、たまたまスイングしたところに、たまたまボールがある。

 それにびっくりした内野の動きが遅れたり、たまたま頭の上を越えて、ヒットになるのだ。

 直史の投げる試合がロースコアになるのは、直史が完全にアウト一つを献上しているからでもある。


 今さらバッティングはやらなくても、ピッチングだけでいいと、レックスの首脳陣は考えている。

 下手に打ちにいってデッドボールになったり、あるいはそれよりマシでもボールに当てて手が痺れたり。

 そういうことになるよりは、普通にアウトになってくれればいいのだ。

 いっそのこと申告三振でもあれば、万一のデッドボールも防げるのに、と首脳陣は考えていたりする。


 ただ今回の直史のバッティング練習は、打撃力を向上させるためのものではない。

 一応バットに当ててみたりはするが、マシンの球質を変化させて、それを自分で確認するというものだ。

 ピッチャーはどういう球を投げるか、だけを考えていたのではいけない。

 バッターの目にはどう見えているか、も意識しなければいけないのだ。




 直史の魔球ストレートには、重大な欠陥がもう一つある。

 味方のバッターに対して投げて、その効果を確認するのが難しいのだ。

 普通のストレートと合わせて、またスルーなどとも合わせて、ようやく効果が正しく出てくる。

 そして出来れば試合の終盤、相手が球威の低下を認識したところで使いたい。

 試合の中でこそ、効果が最大に発揮されるのだ。


 また下手にこのボールに合わせてスイングするようになると、普通のボールが打てなくなるかもしれない。

 自軍の一軍や二軍のバッターを、スランプにするわけにはいかない。

 少なくともスターズは、翌日の試合ではまともに打てていなかった。

 三試合目になると、それなりに戻してこれていたが。


 ピッチングについて、直史は色々と考える。

 10球ほどをブルペンで投げてから、その都度ボールのデータを確認して行く。

 遅いストレートの価値。

 基本的にはスピン量が、これだけ出ているストレートの持ち主は、リーグを見れば他にもいる。

 それこそ遅いのにスピンがかかっているなら、木津のデータと差異がない。

 ただもちろん、それだけが重要なわけもない。


 自分の普段のフォームと対比する。

 そして比較対象として、木津のフォームとも比べてみる。

(遅い落ちないストレートは、理屈の上ではチェンジアップか)

 ただあれは落ちるボールだが、これは落ちないボールだ。

 いわばホップするチェンジアップ。

 さすがにそこまで、極端なものではないが。


 このストレートだけではなく、他の球種も確認していく。

 中でも一番確認してみたのは、普通のストレートである。

 152km/hが出たストレート。

 再現性も高く、152km/hがコンスタントに出る。

「どうやったんです?」

 トレーナーがそう質問してくるが、直史としては体の使い方を少し変えただけである。


 基本的に球速を出すには、腕力はあまり必要ない。

 せいぜいが肩までの力で、上腕から先の部分は、球種を投げるための筋肉になるのか。

 背中の筋肉を意識して、そこを絞めながら、最後にボールをリリースする。

 肩から指先まで、最後には一本の直線となって、そしてボールにパワーが伝わるのだ。


 野手投げという言葉がある。

 あれは肩の力で投げるものだ。

 しかし投げるという行為は、基本的に全身を使って行った方がいい。

 キャッチャーの刺殺などは、テイクバックをいかに早くするか、というところが重要であったりするが。

「球速は出たか……」

 だがこれで満足する直史ではないのだ。




 実戦において重要なのは、速度ではなく体感速度である。

 ぶっちゃけどんなスピードボールでも、目で追う事は出来るのだ。

 だから本当に重要なのは、バッターが見極める時間の、少ないボールを投げること。

 何人かのバッターに、ちょっと実験台になってもらった。

「150km/h、出てましたよね?」

「いや、144km/hだぞ」

「ええ!? それはないでしょ。150km/hは出てるように感じましたよ!」

 つまりこういうことである。


 これはゴルフではなく、弓を意識している。

 強く後ろに引くことによって、投げる瞬間には強く前に出る。

 そしてそのスピードが、ボールを投げたと見えた瞬間から、どう動いているのか。

 体の他の部分が、ゆっくりと動いていたとしたら。

 その速度差で、より速く感じるものなのだ。


 以前からやっていたことではある。

 しかし今回は、それを大げさにやってみたのだ。

(試合で試すにしても、最初はリードした場面じゃないと危険か)

 ためてためてためて、そこから投げる。

 タイミングがずれることによって、バッターは対応する時間が減らされる。

 それが体感速度の差となるのであろう。


 球質の改善。

 それは別に、実際に投げるボールでだけ、行えるものでもない。

 普段のフォームを少し変えるだけで、バッターにはより打ちにくくなる。

 ピッチングの質の向上、とさえ言える実験の、犠牲となるのは神戸のはずである。



×××



 本日はBも更新しています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る