第269話 呪いのストレート
レックスとスターズの今季11回戦。
レックスの先発である三島は、対戦するピッチャーが武史ということもあり、勝敗自体は諦めていた。
だが重要なのは、自分がどれだけのピッチングをするのか。
(七回二失点以内には抑えたい)
下手に勝とうとはせず、その基準を満たす。
スターズの打力を相手にするならば、五割ぐらいの確立で達成可能だろう。
味方が取ってくれる点数は、多くみても一点。
そう思って投げていた三島であったが、スターズ打線はコロコロと、内野ゴロを量産してくれる。
(今日は調子悪そうだな)
ピッチャーである三島は、直史に打ち取られるスターズ打線を見て、いいイメージを作ってはいた。
しかしそのイメージ以上に、スターズ打線は打ち取られていく。
(楽だぞ)
そしてレックス打線は、相手の守備の乱れに付けこみ、一気に二点を先取した。
どちらもエラーやフィルダーチョイスによるものである。
二点を取られたものの、武史の自責点は0のまま。
そしてスターズ首脳陣は動かない。
否、動けないのだ。
今日の試合前の練習の時点から、おかしいのは分かっていた。
スタメン全員のスイングが狂っている。
ジャストミートすることがほとんどない。
バッティングピッチャーのボールも、でたらめにしか打っていない。
とにかく当て勘が狂いすぎていたのだ。
(多分昨日の試合の影響なんだろうが)
どうやったら直るのか、それが分からない。
またバッティングの不調から、守備の乱れまでもが出ている。
こういう時に苦しくても、平然と投げてくれるから、武史はいいピッチャーだ。
しかしこれが上杉であれば、気合でチームを鼓舞していたかもしれない。
ないものねだりである。
スターズの選手も、なんとなくは分かっているのだ。
しかし頭では推測しても、体がその推測に従わない。
頭と体がバラバラになっている。
イメージ通りに体が動いてくれないのだから、上手く打てるはずもない。
それでも小手先で上手く、内野の頭を越えたりはする。
武史は味方打線のへなちょこぶりにも、特に腹は立たない。
直史のやったことが何か作用しているのだろうな、とは思う。
スターズ相手にそれを初めてやったということは、ポストシーズンで戦う相手を、スターズ以外にしたいのだろう。
そう考えると、警戒されているのはむしろ、光栄なことであろう。
(けど参ったなあ)
武史は負けることに対して、それほどの忌避感がない。
だが負ける姿をテレビで映されるのは、それは嫌なのである。
子供たちに、何より嫁さんに、かっこいいところを見せておきたい。
それが武史という人間だ。
しかしピッチャーは、どれだけいいピッチングをしても、それがそのまま得点にはならない。
勝つならばずっと0行進を続けて、三島にプレッシャーを与えるべきであった。
だが今さら気付いても遅い。
今日の三島は何か、明確な意図をもってピッチングを行っている。
七回を投げて無失点。
目指していたよりもずっと、数字が良く出ている。
三島は球数もいい感じで、ここで交代。
スターズの方も、武史をビハインド展開だが降ろした。
そこから案外、スターズの打線はクリーンヒットが出たりした。
それでも得点につながる連打はなかったが。
そしてレックスはもう一点を追加。
ダメ押しとなる三点目である。
3-0でレックスが完勝。
しかし三島から交代して、勝ちパターンのリリーフがランナーを出したのは少し不思議だった西片である。
大平も平良も、防御率は相当に低い。
大平の場合はフォアボールがなければ、自責点もかなり減るはずなのだ。
もっとも僅差の試合では、しっかりと0で封じる。
プレッシャーに強いタイプで、それは平良も同じであるのだろう。
武史は今季これで二敗目。
NPBに戻ってきた去年は、21勝1敗であった。
だが今年は六月に入ったところで、既にこのような数字である。
ピッチングの内容は、それほど悪化しているわけではないのだが。
防御率がほぼ1というのが武史の内容である。
今日も結局は、三島が狙っていたハイクオリティスタートは達成している。
それなのに負けてしまっているのは、はっきり言って打線の責任。
もっとも昨日のことを考えれば、首脳陣の責任と言えるかもしれない。
直史はパーフェクトもサトーもしなかったが、強烈な一撃を残した。
今日はバッティングから全ての選手が調子を崩し、それが守備にも波及していったと思う。
球団に頼んで用意してもらったデータ。
武史自身はこれを、上手く活用することなど出来ない。
一応自分でも考えることはあるが、深いデータの読み方はしないのだ。
パワーのあるストレートを投げられると、どうしてもその球威だけで勝負してしまう。
日本に戻ってきた去年、一気に成績がまた上向いたのは、MLB時代のデータがNPBとは合致しにくかったからである。
帰った時には既に、司朗は眠っている。
そろそろ成長期も終りであろうが、早寝早起きが司朗の基本だ。
深夜にしっかり眠らない選手は、フィジカルで勝負する競技では結果を残せない。
逆に身長がありすぎると困る器械体操の選手などは、身長を伸ばさないために無理やり夜更かしをしたりもする。
食べて体を作る競技もあれば、食べずに体重を減らす競技もある。
後者はもちろん不健康で、本来なら若い世代にやらせるようなものではないのだろう。
明史はまだ起きていて、武史のデータを待っていた。
彼の体格が小さいのは、病気の影響などもあるが、あまり深夜に睡眠を取っていないからではないのか。
寝るのが好きな武史としては、夜更かしを推奨しない。
ただ明史はまだ中学に入ったばかりなので、これから伸びるかもしれない。
その時のために、あまり夜更かしをしているようだと、しっかりと武史が眠らせる。
恵美理はシッターを雇っているとはいえ、小さな子供の世話で忙しいのだ。
人間というのは幼少期の運動体験により、その運動能力がある程度決まってしまう。
体質もあるが幼少期に運動をすることで、脳の中の肉体を操作する部分が、どう発達するかが決まるのだ。
この時にやってみていいスポーツはいくつかある。
武史のやっていた水泳はその一つであるし、女子であればバレエなどがそうだ。
また幼少期には筋肉ではなく、体幹を鍛えられるスポーツをした方がいい。
その点では男にとっても、バレエは役に立つ習い事なのだ。
明史はだから、自分自身がスポーツで、何かをなすことはないと理解している。
それをやるならばまだしも、頭脳競技をやった方がいい。
たとえば将棋などは、やたらと強いのが明史である。
もっとも似たような囲碁の方は、やってみたがしっくりこなかった。
不思議な感じであるが、理屈はよく分からない。
武史からデータを受け取った明史は、そのデータを確認だけはする。
だがその膨大なものを見て、自分で計算するのは不可能だな、とすぐに判断した。
こういったデータ分析に関しては、アメリカがとことん最先端を行っている。
ただアメリカの分析であると、優れた人間を優れたようにしか、育てられないという欠点はある。
高校生でトミージョン、などというのがあったりするのがアメリカだ。
明史はデータ解析ソフトを、ちょっと貰おうとメールを送った。
ただ野球のデータ解析ソフトというのは、かなりの高スペックパソコンが必要となる。
なんならサーバーとしてのパソコンがあった方がいい、というぐらいに。
しかしそれも明史は、ちゃんと心当たりがあった。
データの分析計算は、外部に頼ってしまえばいい。
スパコンに接続できる伝手を、明史は持っている。
正確には父の伝手であるのだが。
ただそれも、翌日以降の話。
今日の明史は、とりあえず膨大なデータを確認するのみ。
運動が出来ないのは仕方ないにしても、身長はもう少し伸ばしたい。
そう考える明史は、素直に早めに眠りに就くのであった。
レックスはスターズ戦のカード、三連勝で終わった。
三戦目のオーガスは、六回を投げて一失点。
その一点もフォアボールとエラー絡みのもので、自責点ではない。
そこまでにレックスは、三点を取っている。
二点リードから、七回を投げたのは須藤である。
須藤もまた、この1イニングを無失点に抑える。
地味にプロ初ホールドである。
先発に比べれば、軽視される傾向のある中継ぎ。
しかし安定感のある中継ぎは、セットアッパーとして下手な先発よりも価値がある。
クローザーの平良が一発を打たれたが、それも許容範囲。
5-3で無事に試合を終わらせたのだ。
今のレックスは先発六枚が、おおよそ決まってきた。
須藤は今のところ、塚本とのローテ争いに負けている。
だが先発としてはともかく、セットアッパーとして道が開ければ、それはそれで成功だ。
また今年で三島は、ポスティング移籍の予定。
ならばまた先発のローテが空くのである。
レックスはおそらく、投手管理が一番上手いチームだ。
これは樋口が、直史たちがいる頃に作った遺産が、システムとしていまだに残っているためだ。
ある程度は変えても、ちゃんと機能しているというシステム。
これを残したことが、樋口としては一番凄いのかもしれない。
ここからいよいよ、交流戦が始まる。
レックスとしてはまず、北海道でのアウェイゲームとなる。
直史は帯同しない。
次の神戸相手の三連戦第一戦が、ローテであるからだ。
パのチームは普段から、九州から北海道まで、長い距離を移動する。
セはそれに比べれば、西は広島、東は東京と、移動する距離は短い。
それがこの交流戦期間中は、移動の距離が長くなる。
特に在京球団ほど、それを切実に感じるだろう。
ものすごく長く統計を取ってみれば、微妙に成績が落ちているはずだ。
とりあえず直史としては、移動しなくていいのは助かった。
だが試合には出なくても、練習は行う。
前回のピッチングによって、体には普段は出ない不調が出た。
それは二日間かけて、どうにか消した直史である。
あの遅いストレートは、何度も使うものではない。
メインではなく、スパイスとしてどこかで、少しだけ使うものとする。
二軍で調整すると、ブルペンキャッチャーは頷く。
「確かに木津のストレートですね」
「これを楽に投げられるようになれば、ピッチャーの投手寿命は伸びるだろうな」
いや、42歳のあんたが何を言っているの、とブルペンキャッチャーは思ったものだ。
ただプロとしての稼動期間だけを言うなら、直史はやっと今年で10年目である。
さすがにもう、ピッチャーとしての栄光を、これ以上求めようとは思わない。
だがこの球質への感覚は、他のピッチャーにも教えられるものではないのか。
そうは思うがもしもこの球質が平均になれば、今度は逆に簡単に打たれるようになる。
「いや、スピン量だけを増やすのって、そう簡単に出来ませんよ」
当たり前のことのはずだが、直史には可能であった。
ならば他にも、可能な人間はいるのではないか。
ピッチングというものはなんであるのか。
単純な話にするなら、ストライクを取ることである。
これが一番単純な、ピッチングの要点であろう。
打たせて取るとか、三振を取るとか、そういうものよりもさらに前。
ストライクを取ることが、一番の重要点だ。
直史はこれまでにも、極めたな、と思う瞬間があった。
それはMLB二年目にあったような、相手のバッターがまともにスイング出来ないボールを投げていた頃だ。
ピッチングの配球とリードによって、バッターのスイングを固めてしまう。
スイングすら出来なくなるし、スイングしても当たらないし、当たったとしてもミスショットになる。
ただあれは本当に、トランス状態にならなければ出来ないことだ。
復帰してからの直史は、わずかにあの領域に近いところを経験することはある。
だが完全にあれを、自由自在に操ることはもう出来ない。
大介にしても過去にあったような、ピッチャーが投げる前からホームランを打てる、という感覚はもうないという。
それでも膨大な経験の蓄積により、ホームランをころころと打っている。
直史が手に入れたこれは、新しい魔球の一つだ。
他人には伝授できないことだろうが、それでもチームのピッチャー全体の、質を高めるには役に立ちそうな気がした。
二軍のピッチャーというのは、悲壮感が漂っている者もいる。
プロ入りして一年目や二年目であれば、自分が上達しているのが分かっているだろう。
しかし一軍に上がっても、すぐに落とされるのが三年や四年となる。
五年もそれが続けば、クビとなるのがプロの世界だ。
誰かを贔屓して、鍛えるというわけではない。
自分の投球術自体は、質問されれば誰にでも話す。
ただ直史がいくら教えても、絶対的なコントロールがなければ、それは上手く使えない。
しかし今回は、球質の問題である。
二軍のピッチャーたちのデータは、それこそ膨大に存在する。
そのデータを見て、今の直史の理論が、上手く体現できる者がいないか。
一軍で投げない時は、そういうことをためして行く直史であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます