第265話 速くてはいけない

 こんがりと焼いた鶏肉は美味しかった。

 そしてカップスとの三連戦である。

 神宮でのカードが終われば、次はスターズとの試合。

 雨天中止となった試合があったため、スターズはローテをやはりずらしてきた。

 直史と武史の直接対決を、避けるためには丁度いいものと思われる。


 五月も終盤になると、ややシーズンの流れも見えてくる。

 ピッチャーの離脱がありながらも、しっかりと首位をキープし続けるレックス。 

 その次の二位集団からは、明らかにライガースが抜け出した。

 三位争いはスターズとカップス。

 タイタンズは悟の離脱後明らかに、ここぞという時の試合で僅差の負けを喫していた。


 フェニックスが美味しく焼けているため、いまだに最下位には落ちていない。

 だがこのままずるずるといけば、本当に最下位になるかもしれない。

 この20年近くの間、最下位がフェニックスである年がおおよそ半分。

 まさに暗黒時代であり、いまだにそこから脱出する見込みがない。

 おそらく本多などもこの調子では、FAかポスティングを考えてくるだろう。

 他にも選手だけを単体で見れば、いい選手がいないわけではない。


 だが今は、フェニックスを出る喜び、などと言われてしまっている。

 中京地区では唯一のNPB球団であるため、地元の選手などに人気はあるのだ。

 しかしそれを考慮に入れてすら、フェニックスは弱いチームとなっている。

 直史はそれを見ても、自分ならどうにか出来るとは思わない。

 先発が責任を持てるのは、せいぜいが自分の試合のみ。

 実際にそれで、直史はレックスを優勝させている。


 今のフェニックスに、直史がいたらどうなるか。

 なんとかAクラスに入れるかどうか、といったところだろう。

 フェニックスはリリーフの負担も大きいので、そこで直史はリリーフ一枚分の仕事もしてのける。

 だがさすがにポストシーズンでは勝てないな、と判断するしかない。

 今のフェニックスでは、アドバンテージがなければ日本シリーズに進めない。

 そして直史が頑張っても、ペナントレースの優勝にまでは持っていけないだろう。


 クライマックスシリーズの、ファーストステージは勝てるかもしれない。

 第一戦を完封し、一日置いて第三戦。

 三日間で200球を投げると考えれば、直史の限界の範囲内だ。

 ただそれをやっても、復帰一年目は、ライガースに勝てなかった。

 ライガースの打線を抑え切れなかったのである。




 カップスは今年、粘り強い戦い方をしている。

 どのカードでも三連敗というのがないのだ。

 地味に凄いことであり、戦力が充実しつつあるのだ。

 ドラフトの成功という面が大きく、しっかりと育成も出来ている。

 ただカップスは比較的、FAで出て行く選手が多い。

 どうしても球団の資金力が、親会社のいるチームよりも低いというのはある。


 しかしそういったマイナス面を考えても、徐々に強くはなっている。

 上手く選手が揃えば、出て行く前にAクラス入りは出来る。

 ポストシーズンを戦うのなら、かなり隙のないチームが出来てきた。

 ただしここまで、長い連勝もない。

 まずはカードごとに勝ち越すことを考える。

 強いチームを作れれば、それだけまたファンも増えるだろう。


 カップスは戦後の広島の復興の象徴であった。

 長い間弱小が続き、崩壊もしかけたものだ。

 いまだに親会社を持たない球団で、そこが不安定であるとも言う。

 だが親子三代のファンなど以外に、女性ファンも大きく増やした。

 金満球団ではないというだけで、直史などは好感を持っている。

 だからと言って行きたい球団というわけではないが。


 今回のカード、エースクラスの岡地が第一戦で百目鬼と投げ合う。

 またレックスは第二戦が木津、第三戦が塚本となる予定だ。

 ここで重要なのは今のレックスが、必要としているピッチングが出来るかどうか。

 僅差の試合は七回まで引っ張れるか、という問題が出てくる。


 百目鬼と木津は、七回まで投げられる力がある。

 しかし新人の塚本は、六回までしか投げていない。

 もっとも六回を全て投げて、クオリティスタートが三試合ある。

 大きく崩れた試合はないのだ。


 木津は前のライガース戦で、少し崩れたピッチングをした。

 だが本来の力では、七回を投げる力を持っている。

 あとはそこまでに何点取られるかと、打線が何点援護するかだ。

 直史は豊田と共に、あの試合についてのアドバイスをしている。

 甲子園での試合であったので、自前のトラックマンを使えなかったが、打たれた理由はある程度分かっている。


 木津の打たれない理由は、単純にスピン量とスピン軸の問題ではない。

 問題はそれだけのスピン量があるのに、球速が出ないことにある。

 とにかくスピンをかけることを全力にして、制球や球速は後回しにする。

 そんなことでいいのか、と木津はおろか豊田まで思ったものだ。




 いいピッチャーの条件というのは、当然ながら相手を抑えられるピッチャーだ。

 しかし抑え方にも、本当に色々な手段がある。

 打たせて取るタイプでも、フライを打たせるのとゴロを打たせるのと、二つの手段がある。

 ただフライを打たせるタイプは、三振もそれなりに奪えたりする。

 木津はまさにそういうタイプのピッチャーなのだ。


 状況によってどちらのタイプにもなれるのが強い。

 直史はそういうピッチャーであるが、実際のところはバリエーションを増やしても、そのように投げ分けるのは難しい。

 スタイルというのは、ピッチャーの根底のありように関わる。

 そこをいじってしまうと、あらゆるコントロールがつかなくなる場合があるのだ。

 直史でさえも一度、それを経験している。

 あっという間にアジャストしてしまったので、今では知らない人間もいるだろうが。


 木津はずっと無敗記録を続けていたが、ここ二試合は連敗していた。 

 だがそれは当たり前のことなのだ。

 プロのピッチャーというのは、六回までを安定して投げて三失点ならローテーションとして充分。

 防御率は4.5になるので、さほど優れたピッチャーとも言えない数字になるが。

 ここ二試合の負けた原因は、はっきり言ってホームランを打たれているからだ。

 普段の木津であれば、外野フライに抑えられている。

 あるいは長打にはなっても、スタンドにまでは入らない。

 そのためのピッチングが、バックスピンのかかったいい球なのだ。


 第一戦は百目鬼の先発であるが、そちらはあまり心配していない。

 心配と言うよりは、特に不安要素がないと言うべきであろうか。

 だが木津はここで変に教えたりすると、長期迷走に入る可能性がある。

 なので直史も、こうやってデータを元に教えているわけだ。


 直史自身もストレートは、150km/h出せない去年でも、相当に三振が取れていた。

 奪三振率という数字であれば、9.95なのだから、これは先発ピッチャーとしては充分に高い。

 さらにその前年は、パーフェクト狙いのために12を超えていたりするが。

 MLB時代はおおよそ10であったが、クローザーをやっていた頃は12ほど。

 肉体のコンディションや、相手に合わせて調整していく。

 しかし木津は基本的に、球速を必要としているのではなく、球速を求めてはいけないのだ。


 いいストレートの条件、という話に戻る。

 それは平均からどれだけ、逸脱しているかというものだ。

 分かりやすいのが球速で、160km/hオーバーのストレートならば、それだけで対応が珍しくなる。

 木津は球速の割りに、ホップ成分があまりにも高い。

 この遅さならこれぐらいは落ちるだろう、という軌道の上を通り過ぎていく。

 だから反応は出来てスイングは合わせても、ボールの下を振ってしまうのだ。


 下手に球速を上げると、これならもう少しお辞儀をしないと思われ、上手く合わされてしまう。

 それがここ二試合ほどの木津のストレートになる。

 軌道が相手にイメージされないなら、ど真ん中でも甘い球でも、空振りやフライが取れる。

 直史の場合は意図的に、木津は意図せずにそれが可能になっているのだ。




 なお、逆のピッチャーもいる。

 球速がそれなりにあるのに、バッターの手前でお辞儀してしまうピッチャーだ。

 これは木津とは反対に、ゴロを打たせるストレートになる。

 実は一度肩を壊して以降の上杉は、このストレートも使っていた。

 以前からのストレートとは、また別のストレート。

 そしてバッターのバットを破壊しまくったのだ。


 回転の少ないボールは、落ちるというのが当然だ。

 それがスプリットやフォークと呼ばれる球なのだ。

 上杉のストレートはそういう意味では、ほんの少し落ちるスプリットと言うべきか。

 もちろん普通のストレートも投げていた。

 だからこそ平気で、年間に200個以上も三振が取れたわけである。


 直史は去年から今年にかけて、木津のピッチングを見てきた。

 そして判断したのだが、木津にはスピードはいらない。

 スピンをどれぐらいかけられるか、それが問題だ。

 根本的に他のピッチャーとは、持っているストレートの前提が違う。

 下手に木津のストレートに合わせていくと、今度は他の普通のピッチャーに合わなくなる。

 今年はある程度、それに対応してきている。

 だが去年の終盤、木津がペナントレースでもポストシーズンでも決定的な仕事をしたのは、そのあたりが理由である。


 今年も序盤は、それが通用していた。

 ここ二試合を落としているのは、皮肉にも木津の球速が、少しだが上がったためである。

 それでも奪三振率は、それなりのものがある。

 カーブとフォークの縦変化と、ストレートの組み合わせが上手くいくからだ。

「自分の遅いストレートを信じるのは難しいかもしれないけどな」

 これは事実であり、別に悪いことではない。

「ストレートで空振りが取れるなら、もうちょっと球速は落ちてもどうにかなるな」

 直史もMLBレベルでは、決してスピードのあるピッチャーではなかった。

 だがNPB時代よりもずっと、ノーヒットノーランやパーフェクトを達成している。


 今後の木津の攻略法は、それも既に分かっている直史である。

 バットを少し余して持って、ちょこんと当てて落とせばいい。

 ミートに注意して打っていけば、ポンポンとソロのヒットが出るだろう。

 ただそういったスイングは、今のプロではやっていない。

 ホームランを打つのが、一番効率的。

 そんな時代に木津は、逆の存在として利用価値がある。




 現代のスポーツは、とことんアスリート系の選手に偏りつつある。

 この傾向は本当に良くない。

 効率を重視するならば、確かにそれは手っ取り早い。

 また指導者も楽が出来るのであろう。


 しかし詩人の才能は、鍛えたからといって出せるものではない。

 単純なフィジカルの向こうには、感性の世界が広がっている。

(野球はメンタルスポーツだ)

 統計のスポーツであるからこそ、実力通りの結果が出るとは限らない。

 だが今のフェニックスを見ていれば、何が足りないのかは分かる。


 負けることに慣れてしまっていれば、勝とうという意欲が湧いてこない。

 ピッチャーにしても及第点でOKなどと考えていれば、さらに上の数字を残すことは出来ない。

 もちろん故障を恐れて、そのギリギリも攻めなければいけない。

 プロであるということは、それで食っていくということなのだ。

 故障している選手が使われないのは、ごく当たり前のことである。


 直史からすればプロのフィジカルというのは、アスリートとしての分かりやすいものではない。

 回復力に耐久力、そして食事をゴリゴリと消化する肉体の力だ。

 筋肉の強度よりも、接触や動きの付加を受け止める柔軟さ。

 そういったものがなければ、長いシーズンを戦うことは出来ない。


 そもそも効率だけを目指すなら、直史の存在自体がバグである。

 技術を極めれば、単純なパワーはいくらでも凌駕する。

 フィジカルと言って筋肉の肉体を思うのは、実は間違いであるのだ。

 野球はまだしも腕の力を使うが、高速のストレートを持つピッチャーの腕が、筋肉で覆われているだろうか。

 むしろ細く撓るようなものが、ピッチャーの腕であろう。


 その点では木津の腕は、実はあまり長くない。

 重要なのはどの部分で、ボールをリリースするかということだ。

 腕の長さが10cm違うだけで、リリースポイントも変わってくる。

 この距離感の齟齬もまた、木津のストレートの打てない原因である。

「あとは股関節の柔軟性を、もうちょっと高めるべきだな」

 より深く、低い位置からボールを投げる。

 するとスピン量は変化しても、ホップ成分はさらに高くなる。


 真ん中から外角高め、そのあたりが木津の勝負するコースだ。

 基本のアウトローを全く使わないわけにはいかないが、高めで勝負しなければいけない。

 高めに浮いたストレートを投げるのではなく、高めに抑えたストレートを投げる。

 浮いてしまったボールというのは打たれるが、そこを狙って投げた高めは打たれない。

 それがストレートというものなのだ。




 木津にばかり密着しているわけにはいかないが、百目鬼はもう調子を取り戻してきている。

 今のレックスの先発に課せられた、7イニングを投げるというタスクを、しっかりと出来るところまで戻っている。

 三島がいなくなれば、直史は別格としても、次のエースは百目鬼。

 そう思われていたが、まだ20代前半の百目鬼は、離脱期間を成長の期間にしていた。

 あるいはシーズン終盤には、直史の次の二番手、となっているかもしれない。

 100球前後で七回まで投げられるのは、本当にピッチャーとしてのランクを、一つ上げたということだろう。


 単純に防御率で見てみよう。

 昨年は3.38とチームの中では三島の次であった。

 今年はここまで、2.18となっている。

 間違いなくエースクラスの防御率ではある。


 序盤で離脱した時は、本当にどうしようかと首脳陣を悩ませた。

 しかし若いうちの小さな故障は、しっかりと治すのであれば、キャリアをむしろ安定させる。

 だが当落線上にある選手は、故障の中でも無理をする。

 そうしなければいない間に、自分のポジションを取られてしまうからだ。


 中継ぎが壊れやすいというのは、指揮官だけの怠慢ではない。

 リリーフピッチャーの給料は、とにかく登板した試合数がものをいう。

 イニング数も重要であるが、たった一人を抑えることで、その試合に勝つことはある。

 3イニング以上投げると、肉体的にも精神的にも、スタミナが失われるピッチャーはいる。

 短い期間に短いイニングを投げるほうが楽、というピッチャーも確かにいるのだ。


 この試合は右の本格派にとって、いつも通りの試合である。

 今の百目鬼が試しているのは、動く球の有効性だ。

 150km/h台のストレートを中心に、一般的な球種で空振りを奪っていく。

 もちろん悪いことではないが、球数を減らさなければ、七回を投げるのは難しい。

 ゴロを打たせて守備に任せる。

 それが出来るようにと、首脳陣は言っているのだ。


 木津の場合はそれを聞いて、下手に打たせようとしたのも悪かった。

 ピッチャーによってはゴロを打たせるよりも、フライを打たせて失点を防ぐのが、得意な人間もいるのだ。

 実際に木津がそれであって、その長所を伸ばせばいい。

 ここで木津の使い方を間違えたのは、迫水が悪いと言えようか。


 打たれたのはキャッチャーの責任、と上手く責任転嫁をするのも、ピッチャーの才能の一つだ。

 原因を解明することは必要だが、その責任は自分にあるわけではない。

 そもそも野球は確率と統計のスポーツ。

 誰かにばかり責任を押し付けていては、才能が潰れてしまう。




 この日、直史はブルペンで試合を見ていた。

 ただレックスの試合自体は、上手くリードして展開している。

 気になっていたのは、ライガースの試合である。

 関西は雨模様で、早々に試合の中止は決定。

 こういった試合の延期が、どれだけシーズン中にあるか。

 それもまたペナントレースを、左右するものであるのは間違いない。


 ライガースは大原が抜けたため、便利に使えるピッチャーが一人消えてしまった。

 ただあの細胞治療によって、復帰できるかどうかは決まるが。

 敗戦処理であっても行う、というのが大原の覚悟。

 実際にライガースは、敗戦処理かと思われた試合でも、逆転してしまう場合があるのだ。


 ペナントレースからクライマックスシリーズの期間を考えると、試合の延期はあまりない方がいい。

 ピッチャーとしてはしっかりと回復し、万全の体調で投げるべきなのだ。

 もちろん直史が心配しているのは、大原ではなく国吉である。

 大原のことは同じ県の出身であり、甲子園を賭けて争った過去もある。

 だがライバルと思ったことは一度もない。


 他にもこの日は、地方開催の試合がやはり、雨で中止になっていたりした。

 せっかくの地方開催が、雨で行えないという不運。

 地元の経済はがっくりときていることであろう。

 ドームがほしいな、と思わないでもない。

 だがMLBにおいては、ほとんどの球場がドームではなかった。

 それにドームではデイゲームの試合であっても、青空の下で野球が出来ないではないか。

 そんなことを考える直史は、やはり野球のメンタルは昔のまま。

 青空の下で行うスポーツだ、という意識がずっと続いているのだ。

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