第256話 プロへのルート

 一般的な日本人がNPBに入ってくるルートとは。

 まず第一にドラフトと言うか、正確にはドラフト以外のルートはほぼない。

 もっとも先にアメリカの学校からメジャーにでも行ってデビューしていたら、そちらから入ってくるというパターンはある。

 だがそんなものは断じて、一般的ではないだろう。

 なお昔はドラフト外からの入団が普通にあった。

 有名なドラフト外選手としては、西本聖、秋山幸二といった沢村賞投手や名球会入り選手がいる。

 ただ西本はともかく秋山は、当初は大学進学予定で、そこから獲得合戦が始まった。

 まだドラフトで指名出来るのが、六人だけという少なかった時代である。


 現在はそれに比べると、色々と増えたように思えるが、基本的にはドラフトを一度は経験する。 

 独立リーグからの移籍というのもあるが、独立リーグ選手もドラフトで指名しているのだ。

 須藤の場合は典型的な、近年では多くなったパターンである。

 高卒から育成で入団、というものだ。

 素材枠とか素質枠とか、そんなことも言われている。


 直史の場合なども、ノンプロのチームでさえなかったが、ドラフトでは指名されている。

 大介は高卒で11球団競合という記録を持っている。

 対して直史は、レックスが完全に談合的に取っていったものではある。

 武史は関東圏に完全に絞ったため、球団のほうから敬遠してきた。

 根本的にプロ野球を舐めているのは本当で、それで通用してしまっている。

 素質的には兄より上、とは何度も言われたものだ。


 須藤は他球団の育成で三年間過ごしたが、支配下で契約されることはなかった。

 二軍戦ではそれなりの結果を残していたので、来年も育成契約を、という話はあったのだ。

 しかしそこで横入りしたのがレックスである。

 もっともレックスは支配下契約であったので、これを蹴るような馬鹿はしない。

 大平といい木津といい、レックスは本当に育成から、上手く主戦力を作り出している。

 ただごく少数しか獲得しておらず、またそこから上がって来れなかった選手も多いのだ。


 育成契約というのは、果たしていいものなのかどうか。

 現時点ではまだ、システムが完成されていない、としか言いようがない。 

 一応野球に専念出来る程度には、待遇が補償されてはいる。

 しかし重要なのは、試合に出る経験である。


 須藤の場合は育成契約で、練習では成長を実感していても、試合にはなかなか出してもらえなかった。

 二軍の試合だけではなく、大学生との試合やクラブチームとの試合、また海外のチームとの試合などもあった。

 試合まで行うには、スタッフの人数が足りないのだ。

 このあたりエリートのルートを辿るドラフト上位とはいわずとも、支配下契約の選手とは、違うのが育成契約である。

 他の使い方もあるが、基本的に素材枠だ。

 なので実は三年どころではなく、一年や二年で切られてしまう選手もいる。


 そんな厳しいところから、一軍にまで上がってきた。

 素質を見極めたのは確かである。

 しかし本当に重要なのは、目的意識だ。

 ただ一軍に支配下登録されただけで、満足するようなら三年ほどで終わるだろう。

 厳しさを心に保ち続ければ、さらに上に行ける。

 目標を高く保ちつつも、現状を正しく認識する。 

 それがプロで生き残り、さらに上がっていける選手なのである。




 須藤としては直史を見ていると、不思議な気がしてならない。

 プロであってもピッチャーは、初回から全ての試合で、勝つつもりで投げるものだ。

 直史の場合は、実際に全ての試合で勝っている。

 これは存在自体が奇跡であり、どうしたらこんなことになるのかが分からない。

 ピッチャーをやっていれば、どうしても調子の悪い試合というのはある。

 ボールのコントロールが上手くいかず、球威で押さなければいけない試合がある。

 しかし直史は、無四球試合の記録保持者。

 フォアボールでランナーを出す試合が、ほとんどないのである。


 本日の相手である武史であれば、まだ理解出来る。

 単純にフィジカルのパワーが、圧倒的に違うのだ。

 ただ体格的には、須藤とさほど変わるわけではない。

 190cmもないが、それでも余裕で160km/hオーバーを投げる40歳オーバーである。

 もっとも科学的に分析すれば、その理由ははっきりと分かる。

 柔軟性の高さから、肩の駆動域を大きく使えているのだ。


 子供の頃にどういうスポーツをやっていたかは、かなり重要である。

 スポーツに限らず将棋なども、若いうちに始めなければ無利、という競技はあるのだ。

 直史は武史と違って、水泳はやっていなかった。

 またツインズと違ってバレエもやっていなかった。

 だが三人から、観察して質問して身につける、ということはやったのだ。

 そして中学時代の、全力の出せないピッチングが、結実した成果である。


 捕れるキャッチャーがいないため、ピッチャーはおろか野球をやめてしまった、という選手はいる。 

 後にバスケットボールで頭角を現したりしている。

 直史の繊細な身体操作とリリースは、完全に幼少期から中学生の時期に、脳に染み付いたものだ。

 これはもう、プロ入りしているような年齢の人間には、とても教えられない。

 昇馬の年齢でさえ、もう不可能である。

 だからスルーを使えるのは、真琴だけなのだ。


 明日の先発の直史は、今日はブルペンにも来ていない。

 完全に特別扱いで、好きなように調整をする。

 しかし結果を完全に出しているので、プロならばそれでいいのである。

 たまにはコーチをしてくれるだけで、充分に元が取れている。


 須藤も何度か、アドバイスは受けている。

 ただ直史からすると、あと半年は練習に専念して、再現性を増すべきだと思っているのだ。

 別に野球に限ったわけではないが、多くのスポーツはまだまだ動作の最適化と再現性が足りていない。

 皮肉なことに素質に優れた人間こそ、そういった傾向がある。

 動作を繰り返して、どれだけ疲れても勝手に、体の方が正確なフォームを要求する。

 それを直史は300球投げて身につけた。

 今の野球では認められない練習量である。


 須藤の動くツーシームと、動かないフォーシーム。

 この使い分けだけでも、普通に翻弄することは出来る。

 もっとも須藤の球威は、100球はもたないぐらいのものだ。

 去年まで一軍の試合で投げていなかったので、プレッシャーによるスタミナの減少が、本人の感覚を超えている。




 科学的なトレーニングは絶対に必要である。

 かつて野球が国民的なスポーツであった頃は、選手が潰れることが当たり前であった。

 だが今では、個人の成長の速度などによって、負荷をかけるべき時期が分かっている。

 またとにかく練習、というオーバーワークの弊害も分かってきた。

 それでもいまだに、野球の名門高校や大学は、ある程度選手を潰しても、それで結果を残すことを考えている。


 中でも一番重要なのは、メンタル的な問題であろう。

 ピッチャーは強気なお山の大将である方がいい、などとも言われた時期がある。

 だが慎重で繊細なピッチャーの方が、いい場面もあるであろう。

 単純にそういったピッチャーを育てない、指導者側の怠慢である。


 直史は野球を、完全に外からの視点で見ている。

 だからこそ逆に、理解出来ている部分はある。

 自分と対戦するバッターは、放っておいても最初から平常心ではない。

 それも計算に入れた上で、対戦することが出来る。

 須藤に対するアドバイスとしては、ツーシームの再現性だ。

 直史ならばツーシームを、シンカー気味に変化させることも出来る。

 だが一般的なピッチャーは、そこまでコントロールが出来ない。

 むしろ一定のボールを、確実に投げられるように練習する。


 本当なら骨格や関節の稼動域から、最適なフォームも導き出すべきなのだ。

 もっともクセのある球を投げるピッチャーの方が、普通のピッチャーよりも打ちにくい。

 最低限の能力がないと、数試合で分析されて攻略されてしまうが。

 攻略されたらまた、球種を増やしていく。

 バリエーションが豊富なピッチャーは、読みで対応するのが難しい。


 直史の見た感触としては、須藤のフィジカルレベルは、プロのピッチャーとしては平均より上だ。

 しかし素材枠として見た場合、ずば抜けているわけではない。

 そして別に、直史が獲得に口を出したというわけでもない。

 だが実際に見てみれば、どうしてレックスに必要になりそうなのか、それは分かる。

 チームにとっては必要な役割だ。

 ビハインド展開や、敗戦処理であっても、大崩れしそうにないメンタル。

 さらに言うならば、まだ成長の余地がある。


 レックスは今、得点力が異常に低い。

 西片が苦労しているのは、貞本政権においてレックスが、スモールベースボールの攻撃になったせいだ。

 適度であればともかく、シーズン中はもっと単純に打撃力を考えるべきだ。

 積極性が欠けていて、それを許してしまう投手陣の能力がある。

 そして直史としても、上手くつながらない打線について、何か文句があるわけではない。


 先行して逃げ切るのが浸透しすぎると、逆転の意識が薄くなる。

 それでも今年は、まだしも終盤の勝ち越しなどがある。

 強力なバッターは少ないが、打線に隙がない。

 勝負強いバッターが一人いれば、一気に強くなる気がする。

 これ以上強くなったら、まさに全盛期になるのだろうが。




 直史はゆったりと、自宅のマンションで試合を見ていた。

 今日は負けるだろうな、ということは承知の上である。

 武史に対して打線が、どういう手段を取ってくるか。 

 そして須藤がどうやって投げていくのかを気にしている。


 武史から点を取るなら、序盤の立ち上がりを攻めるべきだ。

 プレッシャーから無縁である代わりに、集中力に問題がある。

 事前にピッチング練習をしていても、それはさほどの足しにはならない。

 実戦で徐々に集中力が増してくる。

 およそ三回までに失点しなければ、あとはもう完封してしまえるのだ。


 立ち上がりからも制球が悪いわけではない。

 ゾーンの中を外すことはないし、おおよそ四分割は軽く出来る。

 ただ指のかかりから、バックスピンが足らなかったりはする。

 それでも160km/hはオーバーしてくるのだ。

 中盤からはそれが、さらにスピードを増してくる。

 160km/h台で手元で動くボールなど、まともに対応出来るバッターがいるだろうか。


 攻略の手段としては、その手元で動く分を含めて、フルスイングで飛ばすこと。

 あとは遅いボールを狙い打ちするぐらいか。

 初球から速いボールを見せられては、次の遅いボールが140km/hほど出ていても、遅いと感じてしまう。

 それだけ出ていて、手元で落ちるチェンジアップ。

 ピッチトンネルは同じなので、これを見分けるのは難しい。

 あとはナックルカーブをどう対策するか。


 あの変化量で、ナックルカーブも140km/hは余裕で出ている。

 150km/hのカーブなどという、ふざけた変化球である。

 ただあれは、見逃せばそれなりに、ボールと判定されることもある。

 レックスとしては武史を攻略することは、とても出来ることではない。

 そして須藤は、序盤に失点を許している。


 重要なのはここからだ。

 失点をしたとしても、その失点をどこまで抑えるか。

 忍耐力が首脳陣から評価される。

 育成で三年間も燻っていれば、須藤としても一軍のマウンドは守りたいと思うのだろう。

 スターズもまた、爆発的に得点するチームではないのが幸いした。


 六回を終えて三失点。

 そしてここでリリーフに交代である。

 武史はヒットこそ許しているが、三塁にランナーを到達させない。

 ガンガンと三振を奪っているが、おそらく今年も奪三振王になるであろう。

 武史が故障していなければ、投手五冠は取れなかった。

 直史はここで、テレビを消した。

「あれ、お父さんもう見ないの?」

「見るのか?」

「いや……もう決まったようなもんだとは思うけど」

 真琴としても、意見は同じであったらしい。


 ここからの逆転勝利というのも、可能性としてはなくはないのだ。

 もっとも直史が見たかったのは須藤のピッチングである。

 ついでにレックスのバッティングもであったが。

 結局として試合は、そのままの流れで終わった。

 5-0と完封されたレックスであった。




 六連勝を止められた後の連敗。

 しかし今年のレックスは、三連敗は一度もない。

 そして先発が直史である。

 スターズも強いピッチャーを当ててこないあたり、完全に勝負を諦めているというか、戦力を温存しているというわけだ。


 好投しながらも敗戦投手となった須藤は、今日はベンチ外。

 だが練習自体にはやってきていた。

 ノースローではあるが、キャッチボールはしている。

 またサウスポーであるにもかかわらず、右で投げたりもしていた。

 直史がよくやっている調整だが、周囲で真似を始めたピッチャーもいる。

 その中で間違ったやり方をしているピッチャーは、直史が止めた。 

 しかし須藤は間違っていない。


 直史が利き腕の逆で投げる理由は、体軸を安定させることと、体幹を鍛えるためである。

 ピッチャーという生物はどうしても、左右の体の筋肉などが、釣り合ったものではない。

 それを出来るだけ、同じにしようというのが直史の考えだ。

 コントロールのためにはバランス。

 修正能力も高い直史であるが、最初から修正する必要のないフォームで投げればいいのだ。


 軽く体を動かしながら、須藤は直史を見ている。

 技術的には色々と、学びたいことがある。

 だが教えてもらっても、出来ることと出来ないことがあるだろう。

 特に直史の脳の運動野は、20歳を超えてからは鍛えるのが難しい。


 須藤から見れば、当然直史はレジェンドである。

 いや、全世界の野球をやっている人間にとって、レジェンドであることは間違いないだろう。

 およそ倍の人生を送っていて、普通ならもう引退している年齢。

 一度引退したので、勤続疲労がなかった、とも言えるであろうが。


 育成からプロ入りした須藤としては、直史のことは羨ましい。

 一位指名で入っているのだが、しかし競合せずにレックスが取っているのだ。

 高卒の時点では、大介の評価の方がずっと高かった。

 間違いなく甲子園で伝説は作ったが、投げた試合はさほど多くなかったからだ。

 ワールドカップでの活躍も、完全に大介が一人で持っていった。


 それでも当然、ドラフト指名の候補ではあった。

 本人は全く、プロに興味を示していなかったと、当時の記事を探せば書かれている。

 大学では完全に、球速も増していた。

 また多くの試合でパーフェクトを達成し、12球団競合の一位指名か、などとも言われたのだ。

 しかし直史はプロ志望届も出さず、地元のクラブチームで趣味の野球をしながら、弁護士の試験に向けて勉強をしていった。


 大学生ながら特例でWBCに出場し、そこで主にリリーフとして投げてMVP表彰まで受けている。

 150km/hオーバーの速球もあったため、当時で充分にドラフト一位の指名はあったはずなのだ。

 後にはタイタンズが、育成ながら指名して交渉しようともした。

 だが完全に無視して、社会人として働き出したのである。




 野球ばかりやってきて、そしてどうにか育成で引っかかった、須藤としては意味が分からない。

 そして26歳で改めて、新人として入ってきたのだ。

 ピッチャーとしては完成の域に入ってくる年齢である。

 多少の不安はあったが、上杉を上回って沢村賞まで取った。

 この時点で訳が分からない。


 そこからMLBに移籍して、今度はサイ・ヤング賞である。

 故障して引退したと思ったら、ブランクのある40歳のシーズンで復帰。

 そしてまたも沢村賞や、パーフェクトを連発。

 このあたりの事情については、直史も裏の話は喋らない。


 別に天才であるとか、そういうことだけで納得することは、出来なくもないのだ。

 明らかにおかしいのは、すぐにはプロに入らず、あっという間にアメリカに行き、あっさりと引退したはずであるのに、不可能なはずの年齢で復帰した。

 復帰した年の年俸は、一軍最低金額の1600万円であったという。

 まあMLBでは最低でも一億ドルは稼いでいるそうだから、金のための復帰ではなかったのだろうが。

 須藤の今年の年俸は、その1600万円である。

 金ではなく一軍に行ける支配下登録での契約、というのが大きな理由であった。


 須藤の視線を直史は、しっかりと感じている。

 そういった視線には慣れてしまったものだ。

 見て盗めるものではない。

 直史の技術は、外から見ても分からないのだ。

 体の中のインナーマッスル、あるいは体軸の維持など、そういったものは分析班のデータでしか分からない。

 そしてそのデータでも、どうしてそれが可能なのかは分からないだろう。


 直史としては目の前の試合、怪我などを除けば負けることはないかなと思っている。

 これまでの実績が、それを当然と思わせているのだ。

 レックスの打線は、既に今年無得点で、直史の勝利を一つ消している。

 ただそれに対して、怒りなどは抱かないのが直史である。

 しかしどうにかしないといけないな、とは思っているのだ。


 だが直近の五月に入ってからの試合は、比較的得点は伸びている。

 もっとも失点も増えているのだが。

 野球は難しいと言うか、バランスが取れているとも言えるのだろう。

 僅差の試合では比較的、勝率が高いのがレックスらしい。

(それでもまだ、今年は二桁得点がないんだよな)

 去年も一昨年もなかったのだから、本当にひどいものである。


 一度でもいいから爆発すれば、勢いがつくのではないか。

 今年はこの間の、直史が投げた試合の九得点が最高。

 だが八点取った試合はなく、七点取った試合も一つだけ。

 逆にどうしてこんな数字で、首位を走っているのか。


 もちろん野球は、点を取れば勝てるゲームではない。 

 相手よりも一点でもいいから、多くの点を取るスポーツだ。

 ただそれでも、平均的な得点力は伸ばすべきであろう。

 それに関しては何も貢献できない、バッターとしての直史。

 少しはわざと、相手に打たせる荒療治も必要なのだろうか。

 そうは思っても本能的に、点を取られないピッチングをするのが直史であった。

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