第252話 本当の不敗
木津と躑躅の投げ合いは、かなり対照的なものであった。
木津はホームランや長打を時々浴びるが、連打で浴びることが少ない。
そして取られた点はホームランと、タッチアップによるものだけであった。
逆に躑躅の場合は、長打を浴びることが少ない。
しかし連打は時々あったし、速い打球でエラーが出たりもした。
フライボールピッチャーと、グラウンドボールピッチャーの対戦。
フライを打つのが得意なライガースだが、もう一伸びしないというボールが多い。
躑躅の場合はヒットを打たれると、余裕がなくなってくるように見える。
対して木津は、ホームランを打たれても切り替えていた。
メンタルの差であると言えるのだろうか。
躑躅は大学からの、即戦力として期待されていた。
六枚目とはいえいきなりローテ入りして、初先発から初勝利。
二戦目も勝利したが、そこから徐々に数字は悪くなっていった。
大卒即戦力というのは、確かに実力は既に即戦力なはずなのだ。
それはライガースの首脳陣も、ちゃんと理解している。
しかしローテの六枚目というのは、気楽に投げてくれてもいいということ。
一年目は7勝7敗ぐらいで上出来、というのが打線の援護の多いライガースでの考えである。
とりあえずローテを守って投げられれば、それでもう充分というものなのだ。
対して木津は、結果を残し続けなければいけない。
同じく大卒であるが、育成から入って最後のチャンスを、物にしたのが木津である。
いつかは対策されるだろうが、それまでは使っていこう。
そんなぎりぎりの状態で、木津は使われているのだ。
須藤と塚本の調子が両方良ければ、木津が二軍に落ちた可能性すらある。
だが木津は生き残り続けている。
木津のピッチングは極端なのだ。
WHIPが高いのに、防御率がいい。
ホームランもそこそこ打たれているのに、どうしてそういうことになるのか。
それは奪三振率にある。
意外と言ってはなんだが、直史とほぼ等しい、先発陣の中では高い10前後の奪三振率。
つまりフォアボールでランナーを続けて出しても、三振でピンチを凌げるのだ。
ストレートを上手く活かせば、木津は三振が奪える。
大介からであっても、状況が揃えば三振が奪えるのだ。
(プロの選手に必要なのは、何か一つ秀でた武器)
自分の中にそれがあれば、戦えるのだと木津は言われた。
(俺の場合はストレートなんだよな)
上手くゾーン内に散ってくれれば、空振りかフライを打たせることが出来る。
木津はまた、比較的体力もある。
球速の上限が低い代わりに、かなりの球数を投げてもそれが落ちない。
もっとも重要なのは、バックスピンが正確にかけられることか。
これと落ちる球を組み合わせれば、想像以上に空振りが取れるのだ。
躑躅は六回で交代し、木津は七回までを投げた。
どちらが交代した時も、スコアは同点という状況である。
3-3なのだから、七回まで投げた木津の方が、少し評価は高くなる。
それに明日は休養日なので、同点の状況からでも大平と平良を使っていった。
ライガース相手には、今の時点でも勝ちこしておきたいのだ。
この日、勝利したのはレックス。
そして大平は勝ち投手となり、平良にはセーブがついた。
直史のいないローテで、ライガースに勝ち越した。
これは何気に、首脳陣を安心させる要素になったのである。
ゴールデンウィークを含んでいたための、変則的な12連戦が終わった。
もっともローテーションピッチャーには、さほどの変わりもないのであるが。
次はアウェイの試合だが、同じ都内のタイタンズが相手だ。
そして三連戦の先発は、最初が直史となっている。
このあたりが少し、まだ日程に変化がある。
タイタンズとの三連戦の後は、カップスとの二連戦。
しかし広島への移動日が一日取れる。
次は神宮に戻ってくるが、また移動日で一日が取れる。
比較的楽な日程ではあるが、首脳陣が気にしているのは日程というわけではない。
カップスとの対戦の後は、神宮でスターズとの対戦となる。
そしてそこで、おそらくスターズは武史を投入してくるのではないか。
今年のレギュラーシーズンに入って、ライガースが完封負けを食らったのは二試合だけ。
一つは直史が相手であり、もう一つは武史であった。
ライガースよりも弱い打線のレックスを、武史ならば封じられるのではないか。
防御率が1を切っている武史には、それほど不可能とも言えないことである。
首脳陣が悩むのは、兄弟対決をしていくかということだ。
スターズは今、打線の調子が微妙なため、直史から一点を取るのも難しいであろう。
だがレックスの打線が、武史から一点を取れるだろうか。
お互いのエースピッチャーを潰しあう。
もちろんそんな展開でも、最低でも引き分けには出来ると、レックスの首脳陣は考えてしまう。
しかしそれでいいのであろうか。
直史を使えばその試合は、ほぼ確定で勝てるのだ。
カップス相手に引き分けてしまった試合はあったが、あんなものはシーズンでも二度も起こるようなものではない。
まだしも点が入って、同点での引き分けならありうる。
しかし0-0の試合を、投手戦で再現していいものかどうか。
スターズに一試合負けても、まだレックスの首位に変わりはない。
直史が投げて、次を勝つ確率は大変に高い。
シーズン前半に、兄弟対決を成立させる意味は薄い。
そんなことをしなくても、直史の投げる試合のチケットは全て売れる。
テレビの視聴率は、どうせこの試合は放送されない。
不満を持つとしたら、無責任に対決を煽るファンと、ネット配信で儲かっている会社ぐらいか。
この一試合だけを見るために、初回のお試し無料や格安、といったサービスを使うかもしれない。
だが対決が実現しないのなら、そんなものは必要ではない。
経営はどう考えているか知らないが、現場としては長期的に見ていくことが重要だ。
首位を走るレックスは、少しでも直史を楽に使いたい。
ただしこれがポストシーズンであるならば、二人の対決はむしろありになっていたであろう。
休養日、直史は完全には体を休めない。
コンディションのコントロールは、ある程度のルーティンでチェックする。
そして疲れているなと思ったら、全力で休む。
スタミナならばそれで、万全にまで回復する。
しかしダメージが回復しているかどうかは分からない。
筋肉は痛みで分かる。
だが腱や靭帯にたまった疲労は、果たしてどうであるのか。
もちろん断裂などすれば、はっきりと痛みとして出てくる。
しかし違和感程度であれば、ダメージなのかどうか分からない。
細胞の回復力がそれぞれ、若い頃からは衰えているのは間違いない。
若く見えると言われてはいても、20歳ぐらいに見えるはずはない。
ただ40代と言うには、かなり若くは見えている。
運動を適切にしていると、代謝機能が維持されるというのは本当だ。
佐藤夫妻は直史だけではなく、瑞希も相当に若く見られるが。
肉体労働だけではなく頭脳労働も、出来るだけ直史は休ませる。
脳というのは最も、エネルギーを必要とする器官であるからだ。
脳が疲れてバランス感覚を失えば、それだけで直史のピッチングは成立しなくなる。
それに一度疲れたならば、元に戻すだけでも労力がいる。
翌日のピッチングに備えても、最小限の負荷に抑えておく。
ただバランス感覚は必要なので、バランスボールなどで体幹は鍛える。
あとどれぐらい投げられるかというのは、本当にもう分からないのだ。
スタミナの残量もコントロールしなければいけない。
ポストシーズンや、ペナントレースの優勝を賭けたレギュラーシーズン終盤。
そこではどうしても、無理をしなければいけない状況が出てくる。
そのためにはローテーションに無理を入れてはいけない。
だが今年は既に、四試合も完投していたりする。
国吉の離脱が、かなり痛くなっている。
軽く見られる中継ぎであるが、勝ちパターンのセットアッパーに限って言うなら、下手をしなくてもただのローテーションピッチャーよりもはるかに価値が高い。
直史が考えるに、僅差での決着が多すぎる。
特に一点差を逃げ切るというのが、かなり多くなっている。
元からレックスはそういうチームだが、もっと大量点で勝っていて、大平や平良を休ませないといけない。
若いうちはまだ回復が早い。
だからといって無理をしていては、すぐに壊れるのが中継ぎだ。
豊田にしても中継ぎから、クローザーに転向したからこそ、ある程度の選手生活を送れた。
10年中継ぎを続けるというのは、10年ローテーションを守り続けるのとは、また違った天才なのである。
投げるイニング数も球数も、ローテーションの先発には全く及ばない。
だが消耗度はクローザーよりも高いのが中継ぎである。
(望ましいのは完投だけれど、大量点差が付いていれば、他のリリーフで勝ってもいい)
タイタンズの爆発力は、ライガースに劣るものでもない。
それでも相手を一点以内に抑え込める確率は、低くないと思っている。
あとは打線の援護がどれだけあるかで決まる。
五月の金曜日に東京ドーム。
直史が投げるとあっては、満員にならない理由がない。
そんな中で珍しくも、昇馬はスタジアムに来て観戦していた。
他には誰も誘わず、ただ直史のピッチングを見るために。
オフシーズンには散々に見ているし、以前に見たことがないわけではない。
ただ高校野球で投げてきて、自分は打たれていないのに負ける。
そういうことを経験してきて、直史の空気を感じたくなったのだ。
佐藤家の血を持っている者の中で、野生の中で生きる空気を持っているのは、それほど多くはない。
直史は普段から、姿も完全に都会的であるが、その心中は完全に牧歌的な人間である。
昇馬は野生であるので、ちょっと違うところはあるが、大自然の中を歩くのを苦としない、という点では同じであろう。
高校野球を初めてから、昇馬は絶対的なピッチャーと見られている。
実際に投げた公式戦では、いまだに無失点。
ちょっとおかしすぎる数字を残してはいたのだ。
そうやって勝っていても、試合自体で負けることがある。
怪我で負けたり、球数制限で負けたりと、アクシデントとルールによる敗北だ。
だが昇馬はそこで、変に不貞腐れたりすることはない。
勝つことがあるのだから、負けることもあるのだ。
集団競技であるのだから、責任は一人にあるわけではない。
他人の責任にするのならば、個人競技をやればいい。
最近、妹の百合花はゴルフを始めているが、あれなどは競い合うことはあっても個人競技である。
ゴルフコースをのたくたと歩き回るというのが、昇馬としては自分に向いていないと思えた。
対戦することが好きならば、他の個人競技ではテニスもある。
ゴルフのように馬鹿広い土地が必要なわけでもないし、そちらをやっても良かったのだ。
昇馬の両利きというのは、本来ならばテニスにものすごく向いている。
野球をやっているのは単純に、父親と同じスポーツを勧められたからだ。
ピッチングというものは面白い。
そう思えたからこそ、他のスポーツをやってはいても、野球をメインにやっている。
孤高であることに耐えられて、孤独であることも好ましく思う昇馬が、集団競技をやっているのも不思議な話だ。
ただ向いているのは野球が一番だろうな、とは自分でも分かっている。
春の関東大会がもうすぐ始まる。
そこではまたも、上杉将典と対決する可能性が高い。
そしてそこで勝ったとしても、次はまた帝都一との対決になるのか。
直史もまた、確かに負けてはいないが、それは彼個人の話。
いくらナイスピッチングをしても、ピッチャーは自分だけでは勝てないのだ。
昇馬はまだしも、自分が打っていくことによって、試合を決めることが出来る。
しかし完全にピッチングだけに集中している直史が、どういう気持ちで投げているのか。
直接訊いてみても、もちろん答えは返ってくるだろう。
だが昇馬は答えを聞きたいのではなく、答えを見つけたいのだ。
テレビ越しではなく、周囲も騒がしいこのスタジアムの中。
どういう気配が、試合の中には漂っているものなのか。
そしてその中で直史が、どう投げるのか。
それを知るために昇馬はここにいる。
東京ドームは比較的、ホームランが出やすい。
同じドームでも名古屋ドームは出ないのだから、空気の流れや圧力が違う。
もっとも昔、甲子園はホームランが出やすいなどと言われたり、東京ドームも建設当初は、ホームランが出やすいと言われたりもしたのだ。
ラッキーゾーンの設置などというものもあった。
しかし今は統計で、実際の評価が分かっている。
打撃力のタイタンズが相手でも、直史のルーティンは変わらない。
今日の試合の目標は、完投勝利で勝つことである。
一日空いているとはいえ、大平と平良が投げている。
リリーフピッチャーの出番などというのは、出来るだけ少ない方がチームとしてもいいのだ。
それでも現代野球では、絶対にリリーフが必要になってくる。
どれだけこれを安定して使うかで、長いシーズンの結果は変わってくる。
重要なのは完投であるが、それもリリーフの準備さえ必要のない完投だ。
それには絶対に、打線の援護が必要になる。
ただ都合のいいようにいかないのも野球である。
タイタンズの先発ローテーションピッチャーは、どれもこれも数合わせの者はいない。
(ただ先攻するのがこちらだから、一点でも取れば一気に有利になる)
直史は傲慢なわけではないが、自分の影響力に無頓着でもない。
一点取られてしまえば、負け投手になる可能性が高いのだ。
今日の先発の土井は、ここまで勝ち星が先行している。
ただ土井というピッチャーの内面までは、直史は追い切れていない。
たとえばあっさりと割り切れるピッチャーなら、三点までに抑えてしまおう、と最善の精神状態で投げるだろう。
五点差で終盤に入ることが出来れば、さすがにブルペンも勝ちパターンのピッチャーには用意させないであろう。
ただ打線が五点を取るのは、ある程度のピッチャーの自滅が必要になる。
土井が勝ち負けではなく、クオリティスタートに割り切って投げられるピッチャーなら、むしろ厄介であるのだ。
レックスの打線を、六回三点に抑えるのは、それほど難しいことではない。
しかし勝ちたいというピッチャーにとって当然の欲があれば、むしろ抑えるのは難しくなる。
直史も心理戦を考えている。
自分が色々とコントロール出来るのは、精神力が強いと言うよりは、状況を色々と予想しているからだ。
アクシデントからホームランを打たれることも、長いシーズンではあるだろう。
ここまで無敗記録が伸びているのは、単なる偶然であるのだ。
より最善に近くとも、実は最善から外れた道を投げてきた。
統計ではなく心理的に、投げるボールを選んできたのだ。
野球のピッチャーとバッターの対決には、必ず駆け引きというものがある。
それを忘れて統計で判断するからこそ、MLBでは直史は打たれなかったのだ。
むしろ日本の野球の方が、細かくて面倒なことが多い。
国際試合で日本が強いのは、データをそのまま見るからではないのだ。
データは確かに重要であるが、その奥にあるものも重要だ。
そしてあえてデータを無視すれば、それは相手に意外性を叩きつけることになる。
そこで心が揺れてくれれば、それだけで一気になるのがバッター相手のピッチングだ。
野球は相手がいるスポーツである。
いくら統計を取っても、その統計のままに打てるとは、限らないのが野球なのだ。
試合中のわずかな動きで、今までのバッターではなく、今のバッターを判断しなければいけない。
これが樋口は上手かった。
リードは結果論だと、あれだけ明確に方針を持っていながらも、己の頭脳を過信しなかった。
その影響は直史が受け継いでいる。
究極的に直史は、先発するとメンバー表にいるだけで、相手は萎縮してしまうのだ。
立ち上がりにピッチャーは普段よりも苦労する。
土井はまだ20代若手のピッチャー。
完全に割り切って投げることなど、出来はしないものなのである。
初回からレックスは打っていった。
一点を先制し、これで勝ったなと考える人間もいる。
多くは無責任なファンであるが、ベンチの中が弛むのも感じる。
ただ今年はまだ無失点の直史であるが、さすがにそれなりに点の取られる試合はある。
タイタンズの攻撃力を考えれば、その危険度はまだまだ高い。
ここでもう一点入ってくれれば、さすがに楽になるとは思うが。
しかしランナーを二人残して、得点は一点のみ。
一気にレックスの勝率は上がったが、直史は土井の表情を観察していた。
点を取られてランナーがいる状況で、開き直ったようなピッチングをしていた。
タイタンズの選手の評価基準も、単純にピッチャーは勝ち負けだけでは決まらない。
その中にどれだけ必然の勝ちがあり、偶然の負けがあったのか。
クオリティスタートを20回決めて、10勝10敗のピッチャーであったら、それは間違いなく超一流のローテーションピッチャーだ。
そういった評価の基準を、しっかりと出来ているのだろうか。
負ける試合でも、淡々と投げて抑えていく。
ローテーションピッチャーには、それが必要なのである。
点を取られて負けたとしても、それは打線の援護の責任もあるし、単純に相手のピッチャーが強かっただけというのもある。
そのあたりを考えて、あっさりと成績を残していくのが、最近の若手のローテーションピッチャーだとは思う。
(今の段階では、まだ判別できないか)
直史はベンチから立ち上がり、マウンドに向かう。
まずは一回の裏は、三者凡退に抑えたい。
ピッチャーの立ち上がりがあるように、打線にも立ち上がりがあるのだ。
そのあたりの勝負の勘所は、もちろん統計的にも説明出来ることである。
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