第250話 巡り合わせ

 NPBのシーズンは年間143試合。

 かつては少し少なかったが、それでも130試合という期間が長かった。

 この143試合の中では、どのようにして戦っていくか、戦略が必要だ。

 シーズンの最初は、間違いなくどのチームの監督も、優勝を視野に入れているだろう。

 スタートダッシュに失敗したチームであっても、それはおそらく変わらない。

 一ヶ月が過ぎれば、おおよそ今年の方針も決まってくる。

 優勝を狙うか、それ以外を狙うか。

 優勝以外に狙うとすれば、チームの強化ぐらいしかないだろう。


 優勝を狙っているライガースは、確かにスターズ相手に完封負けを喫した。

 大介としても武史が、随分と器用に投げてくるようになったな、と思ったものである。

 ただ完封というこの結果が、どういう影響を与えていくのか。

 ライガースが完封負けを食らったのは、今年二度目である。

 さらに言うなら一点しか取れなかった試合は、一つもない。

 平均して5.65点を取っているライガース打線。

 それがスターズ相手の第二戦から爆発してしまった。


 特に第二戦がひどかった。

 武史が冷静そうに見えるピッチングで、あっさりと完封したように見えたのだろう。

 確かに長打は大介の一本と、完全に他はアウトでもおかしくない当たりであった。

 それをいいことに勝負をしていって、序盤にビッグイニングを作られてしまったのだ。

 こんな時、上杉であったらチームの空気を引き締めていっただろう。

 だが武史はのん気に、勢いづいて勝っていこう、などと考えていたのだ。


 楽観的であることも、いいことと悪いことがある。

 この場合は楽観的でさえなく、単なる油断であったのか。

 ボール球を大介が一本放り込み、他にも三打点。

 守備でも五点を取られていたが、最終的には12-5と二桁得点で試合は終了したのだ。


 ここで一応はスターズも、気を引き締めたのは間違いない。

 だが動揺したその気持ちを、完全に元に戻せたものだろうか。

 またライガースは、計算できるピッチャーの津傘でもあった。

 それがスターズにとっては、不利に働く。

 ロースコアゲームならば、スターズが勝てる。 

 しかしライガースの打線は、今日も果敢にスイングしてくる。


 津傘のピッチングは、失点を最小限に抑えるピッチングだ。

 これで六回までは三失点と、見事にクオリティスタートに成功する。

 一方のライガースは、そこまでに六点を奪っていた。

 大介はツーベースで、一塁のランナーを一気に返していた。

 そして試合の勝敗がほぼ決してからも、一点打点を稼いだ。

 五月は開始して五試合で、三本のホームランを打っているのだ。




 レックスもライガースも、五月の序盤は特に極端なスタートにはなっていない。

 大介のバッティングだけは、極端なものであるかもしれないが。

 そして次は神宮で、レックスとライガースの直接対決。

 もっともゲーム差はレックスの方が、やや引き離してはいるのだが。


 ただレックスの西片は、全く油断はしていない。

 そもそもシーズンのこの時期に、油断をするようでは優勝に絡むことも出来ない。

 国吉の離脱の穴は、まだ埋められていないのだ。

 それにこの三連戦、直史の投げない試合が続く。

 どこかで調整出来ないかとも思ったが、直史はピッチングのパフォーマンスはおかしくないが、コンディションを調整するのには苦労すると言っている。

 年齢を重ねるというのは、そういうことなのだろう。

 西片にしても40歳近くになれば、もうパフォーマンスを発揮することが出来なくなってきていた。


 直史のコントロールは、ボールのコントロールでありメンタルのコントロールだ。

 厳しい場面であっても、腕が縮こまってストライクが入らない、という場面は一度もない。

 そしてもう一つのコントロールが、コンディションのコントロール。

 レギュラーシーズン中はローテーションをしっかりと守る。

 そこで常に冷静に投げられるというだけでも、充分にたいしたものなのだ。 

 しかしポストシーズンとなると、その登板間隔を狭めてくる。

 周囲から見れば無茶な、まるで昭和のような野球を、ポストシーズンではやってくる。

 もっともそれは直史以外もそうなのだが、直史ほど極端な例は他にはない。


 ローテを動かしても、おそらく直史は対応する。

 しかしシーズンを通じてのことを考えれば、結局は同じようなことになるのだ。

 ならば少しでも、いらないノイズを調整の中に加えるべきではない。

 繊細なピッチングは、他のピッチャーとは明らかに違う理屈で投げられている。

 総合格闘技の中に、柔術が初めて登場し、完全にそのスタイルを変革していったように。

 直史のピッチングスタイルは、本来ならばピッチングの革命になったのかもしれない。

 だが、その後に誰も、続く者がいなかった。


 大介のバッティングや上杉のピッチングは、既存の常識の中への足し算であった。

 あるいは掛け算であったのかもしれない。

 しかし直史のピッチングは、そもそも進む道自体をルート変更。

 進んだ道には直史の足跡しかなくそれを辿ることが出来るものは一人もいなかった。


 ここから少し、誰かが参考にしてピッチングの幅を広げないものか。

 もっとも昔から、技巧派というのはいる。

 また変則派というのもいるし、軟投派もいる。

 直史はこの三つを巧みに組み合わせたようなものである。




 ライガースとの対戦、レックスのピッチャーは須藤、百目鬼、木津というローテになっている。

 強運の男木津も、さすがにそろそろその運が途切れてもおかしくはない。

 ライガースの先発は友永、フリーマン、躑躅という順番になるはずだ。

 このうち須藤と友永の対戦は、予告先発で既に決まっている。

 そして第一戦の始まる前に、百目鬼とフリーマンの対戦も発表された。


 木津と躑躅のローテも、おそらくは変更はないだろう。

 この三連戦、ピッチャー同士の対決としては、どちらの方が上であるのか。

 また打線の対決となれば、単純に得点力はライガースが上の数字になる。

 今年の一試合あたりの平均得点、ライガースは6点近く、レックスはほぼ4点。

 平均失点ではライガースは4点台半ばで、レックスは3点ちょっと。


 平均ではライガースの失点の方が、レックスの得点を上回っている。

 つまりレックスが平均的な点しかとれなければ、ライガースが平均的な失点に抑えれば、ライガースが当然のように勝つということだ。

 しかし実際の順位では、レックスの方がそこそこ前を走っている。

 レックスというチームはロースコアの僅差の試合に、極端に強いというチームにある。

 この理由の最大のものは、やはり勝ちパターンのリリーフの強さだ。


 ほぼ一ヶ月を過ぎたところだが、去年よりも得点力がかなり落ちているレックス。

 失点も抑えられているが、国吉の離脱の影響は、これから出てくるのだろう。

 ライガースは失点が少し上がったが、得点はそれ以上に上がっている。

 一ヶ月の30試合以上をこなしたところで、ある程度は統計的に意味がある数字になってきた。


 国吉離脱後の六試合では、0.6ほども平均失点が上がっている。

 もっとも六試合では、統計には計算出来ないかもしれない。

 ただこういったデータは、見方によって色々と意味が出てくる。

 このカードでは投げない直史であるが、ホームの神宮なのでブルペンにはやってきていた。

「七回まで投げられれば、勝てると思うんだけどな」

 豊田の意見には直史も同意である。


 大平と平良の安定感は、リーグのセットアッパーとクローザーの中ではトップである。

 だからこそ僅差の試合で、しっかりと勝っていけている。

 先発のローテも、かなり強いのは間違いない。

 だが先発が五回か、六回で降りてしまうと、そこからが大変になってくる。

 しかし無理に七回まで投げさせる、ということもするわけにはいかない。


 その六回や七回に、リリーフを使っていく。

 そこで結果が出せたなら、国吉が戻ってきてもしばらくは、セットアッパーでいられるだろう。

 新陳代謝の激しいチームは強い。

 だが爆発力と共に、安定感も備わったチームこそが強いのだ。

 レックスの爆発力は、圧倒的な直史の制圧ピッチングにある。

 安定感はセンターラインの守備と、セットプレイの得点に、リリーフだろうか。

 爆発力が足りていない。

 もっともライガースは、安定感が足りていない。




 計算する野球が、レックスには染み付いてしまっている。

 貞本が作ったチームカラーが、まだ残っているのだ。

 西片の采配は選択としては間違っていない。

 だが結果が出ないのは、そういった選択に選手が慣れていないからというのもある。

 それでもしっかりここまで結果を出しているのは、やはり野球IQが高いからとは言える。

 しかしレギュラーシーズンの今の時点で、そんなぎりぎりの繊細な試合を続ける。

 これでは選手の、精神的なスタミナが削られていく。


 プレイオフやトーナメントであれば、繊細な野球が求められる。

 だがシーズンの野球であるなら、どこか鈍感な野球も必要なのだ。

 あえて鈍感であることで、心にしっかりと薄い膜を作る。

 それによってメンタルを守り、長いシーズンを戦っていく。

 落としても仕方のない試合を、しっかりと作っていくのと同じだ。

 長い戦略が、シーズンにおいては必要になる。


 レックスとしては百目鬼の離脱が、一つ目のアクシデントではあった。

 しかし長いシーズンを考えれば、これぐらいは普通に起こるのだ。

 むしろ去年は終盤に、青砥や三島が離脱した。

 それでも勝てたのは、そこまでの貯金があったからでもある。

 三試合あればそのうちの二つを勝つだけでいい。

 なんなら一試合だけ勝っておくのでもいい。

 そういった精神的な平静さを、監督は何よりも持っておかなければいけない。


 ただ過激な監督が必要な場面もある。

 今のフェニックスなどは、まさにそういう状況であろう。

 強烈なカンフル剤で、とにかくチームを動かさないといけない。

 比べるとレックスは、チームにとってのピンチを、出番を待っている若手へのチャンスにする。

 そこから新しい戦力が出てくれば、それに幸いするものはない。


 ライガースとの三連戦カードはこれで三度目だ。

 勝敗は五分であり、試合内容は直史が投げた試合を除いては、勝つ時はたった一点の僅差であった。

 一点差で負けた試合もあるが、四点差で負けた試合もある。

 おそらくライガースの首脳陣は、僅差の試合を嫌うだろう。

 それで勝っている試合もあるが、とにかく六点以上入れているのだ。


 ライガースの負けた試合は、三点までに抑えられている。

 平均得点の半分ほどしか取れていないということだ。

 レックスのストロングポイントは、守備力であるのは間違いない。

 センターラインだけではなく、左右の外野に内野全体、本当に守備には隙がないのだ。

 ただ本当なら、少しぐらい守備力が劣っても、もっと攻撃力がほしい。

 レギュラーシーズンの試合においては、大味な攻撃によって勝つ。

 野球というのはそういうスポーツなのである。




 大味という言葉からは、最も遠いプレイをする直史。

 甲子園の決勝を経験しているからこそ、しかも延長で連投しているからこそ、プレッシャーの上限を知っている。

 テンションのコントロールや、プレッシャーに対するコントロールも、全て分かっている。

 だがこれは教えることは出来ない。

 経験して初めて分かる、というものはあるのだ。

 直史には他のピッチャーでは、再現出来ないことが多すぎる。


 今日の須藤と友永の先発対決、単純なシーズンを通しての実力勝負なら、圧倒的に友永の方が上だ。

 FAを取るほどまでに、友永は長く一軍のマウンドで投げてきた。

 須藤は育成から入ってきたピッチャーで、まだ若いのもある。

 しかしこの数試合だけを見ればどうであろうか。

 友永は大崩れこそしなかったものの、二戦連続で敗戦投手になっている。

 付け入る隙があるとすれば、そこであろう。そこにしかない。


 豊田はそんなことを言った。

「だよな?」

「厳しいかな」

 直史としてはまず、相手のミスには期待していない。

 それにこの数年、先発ローテで投げている友永である。

 優れているとしたら、それはミスをした後の修正力のはずだ。


 野球はある程度、やってみないと分からないスポーツだ。

 リーグ最弱と言われるフェニックスでさえ、勝率は四割ほどはあるのだから。

 実際のマウンドに立った時に、友永がどういうピッチングをするか。

 それを見てからどの作戦で行くのかを考える。

 あとはホームであることを利用し、上手く大介を敬遠して行くこと。

 甲子園でそれをやると、まだ一軍マウンドの経験の少ない須藤では、プレッシャーで崩れていくかもしれない。


 そのあたりのことはおおよそ、西片は分かっているはずだ。

 豊田も分かっているだろうが、あえて楽観的に考えないといけない時もある。

 もっともコーチが悲観的に、慎重にならなければいけないことが絶対に一つはある。

 選手は故障するものだ、という点である。

「今のライガースに、レギュラーシーズンで勝つのは難しいかな」

 直史としては冷静に分析する。

 正確に言えば勝つのが難しいのではなく、計算が上手く立てられないのだが。


 ライガースはクローザーが強くなった。

 先発も去年に比べれば、かなり良くなっている。

 しかし中継ぎがまだまだ弱い。

 それに先発のクオリティスタート率も、レックスに比べれば低いのだ。

 むしろレックスのピッチャー全体の、クオリティスタート率が以上に高い。


 直史の影響もあるのだろう。

 教えることは少ししか教えていないが、プロのピッチャーともなれば、盗んでいくのに貪欲な人間である。

 自分に必要なことを、直史のピッチングから得るのだ。

 特に試合ではなく、試合前の練習やトレーニングを、確実にやっていく。

 ただ下手にやってしまうと、むしろ悪影響すら与えかねない。


 直史の真似は誰にも出来ない。

 変えないと決めた時に、完全に再現して投げることと、変えると決めた時に大胆にフォームを変えて、それでも乱れないこと。

 このあたりは完全に、才能の世界と努力の世界が、一人のピッチャーの中で拮抗するはずなのだ。

 直史の場合は完全にコントロールするため、変えることも変えないことも変幻自在。

 肉体の完全なコントロールを、脳が行っている。

 筋量の割りにスピードが出せるのも、完全に余分な力がかかっていないからである。




 試合が始まった。

 おおよそ分かっていたが、まずは一回の表の攻撃。

 和田がさっそく塁に出て、大介の打席が回ってくる。

 一塁ベース上の和田は、完全に盗塁の選択肢を消している。

 須藤が左ということもあるが、大介の打席を邪魔しないためのものだ。


 ブルペンから見ているが、須藤は基本的にアウトローにしか投げない。

 ランナーがいる時に大介のゾーンに投げれば、かなりの確率で二点が入ってしまう。

 大介であっても、ちょっとリスクなしには届かない距離。

 アウトローに外れたボールを、この第一打席は見逃して歩いた。


 この作戦は間違ってはいない。

 ただ直史の場合であると、まず和田を確実に殺しておく。

 それが簡単に出来るか出来ないかで、全体の作戦の難易度が変わってくる。

 今年の場合は最初の試合で、三打数一安打の単打であった。

 これは一般的なバッターの基準としては合格点だが、大介に求められる期待値からは相当に低い。


 このヒット以外にも、エラーがあったのでパーフェクトにはならない。

 しかしノーヒットノーランは充分にあったはずなのだ。

「ここからの三人、誰かをゴロでダブルプレイに出来たらいいんだけどな」

 直史はそう呟いたが、そう上手くいくはずもないのだ。


 三番四番と、フライでアウトを取ることに成功した。

 しかし五番のフェスが、ライトオーバーの長打を打つ。

 すると当然ながらスタートを切れているので、二塁の和田はもちろん、一塁の大介まで、余裕でホームに帰ってきたのだ。

 一回の表に、二点を取られるというスタート。

 ただこれは、充分に許容範囲内である。


 正直なところ友永からは、六回までに四点取れたら上出来すぎると思っている。

 防御率が3点台のピッチャーなので、おおよそ二点ぐらいでまとめてくるのだ。

 どこで継投してくるか分からないが、ライガースのリリーフはクローザー以外強力ではない。

 ならば負けていても追いつける、と思えることが重要なのだ。

 もっとも勝ちパターンのリリーフを使えないのなら、さらに失点が増えていくかもしれないが。


 作戦的にはこの初回で、敗北が決定した。

 ただそれは机上の理論であって、実際の試合とは違う。

 野球は一つのプレイで、最大四点が入る競技だ。

 また一つのプレイで、一気に逆転するスポーツでもある。

「苦しくはなったが」

 負けても構わないから、須藤には五回まで投げてほしい。

 ブルペンの豊田としては、リリーフのためにそう思う。

 また首脳陣としても、須藤の経験のためにはそう思うのであった。




 あくまでも基本的な話であって、例外はいくらでもいるのだが、セ・リーグよりもパ・リーグの方がピッチャーは過酷だ。

 なぜならパ・リーグにはDHがあるからである。

 ほとんどピッチャーで自動的にアウトが取れる、セ・リーグよりもパ・リーグはしんどい。

 昔はそれが理由で、パ・リーグのチームは強いなどとも言われていたのだ。


 友永はその平均値を考えて、FAでセに移籍してきた。

 もちろんライガースという、打線の援護も期待してのことだが。

 この試合もしっかりと、ピッチャーのところではアウトを取る。

 FAを取得するまで生き残ってきた選手というのは、そういうところが強かだ。

 須藤も粘り強く投げているのだが、ライガースは一発が出やすい打線なのだ。


 平均値で見るならば、もちろんライガースが圧倒的に有利だ。

 しかし野球は、強いピッチャーを弱いピッチャーで避けるという、レギュラーシーズン中はそういう作戦もある。

 実際にライガースは、直史には大原を当ててきた。

 それに去年のレギュラーシーズンは、直接対決ではむしろ勝ち越していたのだ。


 今日の試合は勝敗よりも、既にお互いのベンチやピッチャーの継投が重要となっている。

 直史にはそれが分かっている。

 友永は確かにいいピッチャーだが、安定してクオリティスタートを出せるかは、やや微妙なところもある。

 ライガースならば、クオリティスタートで投げてくれれば、おおよそ勝つことが出来る。

 そういった楽な打線があったりすると、ピッチャーはそこに甘えてしまうかもしれない。

 どちらの首脳陣も、長い目でこの試合の意味を探っていくことになっていった。

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