第248話 ピッチャーたち

 今年、しっかりと成績を残して、メジャーに挑戦する。

 そう決めている三島が、第二戦の先発である。

 昨日の惨敗のイメージが、フェニックスの選手たちの中にはまだ残っているのか。

 勝敗をすぐに忘れて、次に向かうのがプロの試合である。

 そう、敗北もであるが、勝利もすぐに忘れてしまう方がいい。

 特に大量点が入って、圧勝したゲームなどは。


 フェニックスは直史がマウンドを降りてから、それなりにヒットやフォアボールでランナーに出た。

 惨敗は惨敗であるが、打線の調子は戻ってきているかもしれない。

 しかしレックスの方も、しっかりと打線がいい感触を残している。

 三島が七回までを投げて二失点と抑えた間に、打線は五点を取っている。

 そして残り2イニングとなれば、大平と平良で終了である。

 ただ珍しくも、平良がソロホームランを打たれたりはしていた。


 二連勝したレックスであるが、全勝とはいかなかった。

 第三戦もオーガスが、六回三失点のクオリティスタートではある。

 しかしこの、七回のピッチャーがいない。

 同点の場面では、リリーフもそう出してはいけない。

 大平と平良を温存している間に、二点を取られてしまった。

 レックスも一点を取ったのであるが、4-5でさすがに三戦目は落とした。


 五月に入って連敗し、そして連勝した。

 しかしこれが三連勝にまでは伸びない。

 四月は百目鬼が早めに離脱しても絶好調であったのに、国吉が離脱してからは五分。

 たった1イニング投げるピッチャーが離脱して、こういうことになってしまう。

 中継ぎの重要性を感じさせる、難しい五月のスタートになっている。


 そして次の相手はライガースであるのだ。

 神宮にライガースを迎えて、行われる三連戦。

 これが終わればようやく、ゴールデンウィークを含んだ12連戦が終了する。

 日程ではライガースも同じく、12連戦である。

 しかしライガースはレックスに比べれば、ピッチャーの繊細な運用は必要としないチームだろう。




 レックスがフェニックスと対戦していた間、ライガースはカップスと対戦してきた。

 ここ数カード、カップスは調子がいい。

 第一戦も友永に、負け星がつく試合であった。

 そして第二戦からが、五月のゲームの始まりである。

 先発はフリーマン。

 カップスはここに、あまり強いローテを持ってこれていない。


 レックスが随分と困っているピッチャー事情は、どのチームでもある程度抱えている。

 セットアッパーが二枚にクローザーが一枚、確実に用意出来るならばありがたいことなのである。

 ライガースの強いところは、プレッシャーのない状態を、リリーフに提供できるところである。

 大差の試合を作れば、さすがにそこは勝てる。

 僅差でリードしているならば、勝敗はほぼ五分五分。

 クローザーを引っ張ってこれただけ、今年は上出来の編成と言えようか。


 もっともまだ、入れ替えまでには時間がある。

 ライガースは少し育成もいるので、そこから一気に上がってくるピッチャーもいるのではないか。

 あるいは先発でぼちぼちと使っている桜木が、リリーフ回ることもあるかもしれない。

 高卒のピッチャーを一年目から、完全にローテに入れているわけではないが、主力とするのは危険なのである。


 大介はこの試合、ワンナウトから第一打席が回ってくる。

 甲子園の熱狂が、背中を押してくるような感じだ。

 だが頭の中はしっかりと冷めている。

 カップスの攻撃から始まった試合、まだ得点は入っていない。

 これが一点でも入っていれば、大介とある程度は勝負もしてくるのだろうが。


 敬遠気味の、ボール球が四球続いた。

 少しでも甘く入ってくれば、ボール球でも振っていく。

 だが内と外、特に内を際どく攻めてきた。

 上体を起こさせることが目的であったのかもしれないが、大介は余裕で見送っていく。

 最後のボール球は、大きく外に外れていた。


 ランナーとして塁に出れば、一気に長打でホームを狙っていく。

 ただ盗塁の数は、ずっと減ってきた。

 若かった頃と今とでは、ダッシュにかかる力が違う。

 それでも一瞬の負荷という点なら、バッティングの方がよほどかかっているのだろう。

 この大介をホームに帰すことが出来ず、一回の攻防は双方無得点。

 大介としては後続が、フライで倒れたのが不満である。

 もっともこの状況では、最初は長打を狙うのが基本ではある。




 地味な試合になっていく。

 カップスは上手くランナーを進めて、タッチアップなどで点を取る。

 一方のライガースも、打線が上手くつながらない。

 ホームランが出たが、ソロが二本だけ。

 大介はマークされているのもあるが、出塁しても得点に結びつかない。

 一本だけ打ったボールは、センターへのライナーとなっていた。


 スラッガーであり、間違いのない飛ばし屋である。

 それなのに大介の三振数は、驚くほど少ない。

 ボール球を見極めることが出来ず、三振というのは本当に少ない。

 だが空振り三振にしても、平均よりもはるかに少ないのだ。


 体格や体重で飛ばすのではない。

 正確なミートと、バレルの角度で飛ばす。

 美しい弧を描く弾道ではなく、突き刺さるような弾道を飛ばす。

 それでも最近は、低目を上手く掬い上げる打球も多くなった。


 低めのボールは長打になりにくい。

 そんな常識が昔はあったものである。

 だから高めに浮くボールは投げるな、と言われている。

 しかし今の常識では、高めのボールをどうしっかり投げていくか、それが重要だ。

 むしろ低めのボールであれば、掬い上げることが出来るのが、メジャーのパワーヒッターだ。

 ただ一番悪いのは、低めに投げたつもりが、高めに浮いてしまうものであるが。


 低めのコースをアッパースイングするというのは、物理的には一番スイングスピードが出るはずだ。

 バットを支える腕の力を、回転に変えるものであるからだ。

 高めぎりぎりのボールを、あるいは少し外れたボールを、しっかりと打ってもバレルがつきにくい。

 打球の速度は出るだろうが、弾道が上がる可能性も低くなる。

 ダウンスイングで叩きつけるという、古いスイングでもいいのなら楽だろうが。


 四打席が終わって、今日はヒットが出ていない。

 ただし打たせてもらえたのは、二打席だけである。

 ランナーが二塁で一塁が空いていれば、間違いなく申告敬遠。

 大介の後ろに、クリーンナップがいるのに、上手く機能しない。 

 チャンスでは打てず、チャンスでもない時にヒットが出ることが多い。

 それでもある程度、点の取り合いにはなっていくのだが。


 今日はカップスの勝つ試合なのだろうか。

 5-5というスコアのまま、最終回に入っていく。

 既に降板しているフリーマンは、今年はどうも勝敗の星が付きにくい。

 もっとも四月が終わっただけで、それを判断するのは早すぎるかもしれない。

 九回の表、大介には第五打席が回ってくる。

 ここで放り込むことが出来たなら、ライガースは勢いで勝ってしまえると思うのだ。


 ランナーなしの状態からなら、ホームランを狙っていく。

 しかしこの九回に至っても、大介は敬遠される。

 大きなブーイングが甲子園にこだまするが、大介自身は平静を崩さない。

 塁に出れば一塁からでも、プレッシャーをかけていけるのだ。




 カップスはピッチャーを代えてくる。

 この際どいところで、流れを変えようとしているのだろう。

 実際に甲子園の応援は、大介を避けたカップスに厳しい。

 わずかでも空気を冷やすために、ピッチャーを代えてきているのだ。


 サウスポー相手に、スチールをかけるのは冒険だ。

 しかし相手のピッチャーにも、大介の姿ははっきりと見えている。

 前傾姿勢になどならず、普通に肩幅で足を開いているだけの大介。

 ただ一瞬で姿勢を変えて、スタートダッシュを切ることが出来るのだ。


 大介の盗塁の技術は、サッカーの技術を参考にしている。

 昔は妙に低い姿勢から、飛び出すようなスタートが一般的だったものだ。

 しかし重要なスピードは、一歩目の踏み込みだけではなく、タイミングである。

 バッティングと同じで脱力しておくことが、次の瞬間へのダッシュにつながる。


 大介は盗塁成功率が九割を上回る。

 単に成功数が多いというだけではなく、成功率が高いというのが、バッテリーにプレッシャーを与えるのだ。

 現役生活24年目、20試合以上を欠場したシーズンもあった。

 だが全ての年で、トリプルスリーを達成しているのが大介だ。

 重要なのは打率とホームランの両方を維持すること。

 そしてパワーを数秒持続させるダッシュ力を持つことだ。


 間違いなく大介の以前と以後で、バッターの究極の姿というのは変わった。

 大介も確かにフィジカルは、超人的なものではある。

 しかし体格に体重は、明らかにMLBレベルでも一番小さかったというレベル。

 NPBでも大介より小さい選手など、一人か二人しかいなかった。

 小柄と言われる緒方や悟なども、170cmは普通にあるのだ。

 そもそもNPBの世界では、直史の179cmというのも、それほど大きなものではない。


 スポーツはどんなものであれ、まずはフィジカルがものをいう。

 そんな現代の常識に、逆らい続ける二人が、それぞれの分野でのトップ。

 直史よりも小さなピッチャーは、そこそこいる。

 だが直史よりも軽いピッチャーは、本当に数えるほどしかいない。

 筋肉のパワーで投げるのではなく、撓りのある柔らかさで投げる。

 直史のピッチングが、女性的なものであるというのは、その柔らかさと繊細さにある。


 この日の大介は、久しぶりにヒットが打てなかった。

 そしてチームも敗北し、チームは連敗。

 主砲が三度も勝負を避けられれば、仕方がないと言えようか。

 だが一度のチャンスを確実に打つことが、大介の役割なのである。




 五月最初の試合を、ライガースは落とした。

 しかし幸いと言うべきか、レックスもここを落としている。

 ゲーム差が開いていかないのが、長いレギュラーシーズンには重要なこと。

 選手はそれほどでもないが、監督などの首脳陣は、他のチームを見ながらチームを運営して行く。

 選手の起用にしても、その一つである。


 三連敗はまずい。

 そして三戦目、ライガースの先発は躑躅である。

 ローテの六枚目に入って、ここまで4戦2勝0敗の躑躅。

 プロ一年目で、即戦力とは言われていたが、それでも充分すぎるスタートである。

 勝った試合はどちらも、クオリティスタート以上のピッチングをしている。

 ただリリーフと打線が、勝ち星や負け星を消していくのだ。


 大介はここ三試合、ホームランが出ていない。

 15打席も回ってきたが、四回も申告敬遠を受けている。

 勝負をしてもらえるなら、最多安打のタイトルも取れる。

 だが長打力がありすぎると、勝負の機会も減っていってしまうのだ。


 甲子園で三連敗してしまうわけにはいかない。

 応援の熱はこれまでの二戦よりも多く、ゴールデンウィーク中の来客数は、全ての座席を埋めている。

 試合前のミーティングでも、特に問題などはない。

 前の試合もその前の試合も、野球というのはこういうこともあるのだ、と思わせる試合であった。

 ただ大介が、一試合に二度しか勝負させてもらっていない。


 四月の調子が良すぎたとも言える。

 70本ペースでホームランを打っていれば、それは確かに勝負を避けるのも仕方がない。

 ただ試合前の練習時間でも、大介は普段通りのバッティング練習をしていた。

 ハーフスピードのボールを、ジャストミートしてセンターのバックスクリーンを狙っていく。

 そこから変化球なども投げてもらったが、ほとんどのボールをセンターに運んでいた。


 飛距離が違うし、方向が一定。

 大介のバッティングはこれに加え、器用さも持っているのだ。

 ボール球を上手く、野手のいないところに落とす。

 そんなことも可能であるが、最近はもうそういった練習はしていない。

 ゾーンのボールをしっかりと、全力で叩くバッティング。

 体を倒しながら打つホームランは、腰の強烈な回転がないとありえないものだ。


 それを見ていればマスコミも、大介を不調などとは言えない。

 勝負さえしてくれれば、確実にホームランを打っていける。

 カップスは先に勝ち越しを決めているので、無理をしていく試合ではない。

 もちろん勝てるならば、勝ちにいくのがプロではある。




 躑躅の立ち上がりは、苦しいものとなった。

 エラーとフォアボールから出たランナーが塁を埋め、三番の池田にスリーランを打たれる。

 ただランナーがいなくなってから、ここがピッチャーの真価を問われるところだ。

 三振も奪い、内野フライも奪った。

 そしてまた三振という、攻めて行くピッチングである。


 その裏、ライガースは先頭の和田が塁に出た。

 一塁が埋まった状態で、大介の打席がやってきたのだ。

 ここはさすがに敬遠して、足のある和田を二塁に進めるわけにはいかない。

 しっかりと勝負して行く場面である。

 計算だけなら敬遠してもいいが、それはプロのするプレイではない。

 そして低めの初球を大介は打っていった。


 甲子園のバックスクリーンに激突するホームラン。

 バウンドしたボールが、グラウンドに戻ってくる。

 大介はインパクトの瞬間、確信はしていた。

 バットをそっと渡すと、ゆっくりとベースランをする。

 ライガースの反撃が始まったのだ。


 初回にいきなり三失点の躑躅。

 しかし六回まで残りを無失点で投げれば、クオリティスタートになる。

 もちろんカップス打線も、すぐに一点差に詰め寄られて、黙っているわけにはいかない。

 毎回ランナーを背負うが、そこから粘り強く投げていく。

 そして大介の二打席目は、ランナーのいない状況で回ってきた。


 カップスのピッチャーも、のらりくらりとライガース打線にホームを踏ませない。

 しかしこの二打席目で、大介を打ち取る重要性は分かっている。

 下手に低めに投げても打たれるし、それが浮いても打たれる。

 ならば高めにぴしりと投げれば、打っても浮かばない弾道になるだろう。


 そう思って投げられた、高めいっぱいのストレート。

 大介のスイングは、ジャストミートとはいかなかった。

 ボールは高く上がって、フライになる。

 少し下をこすってしまったのは間違いない。

 だがそのボールは、全く落ちてこなかった。

 そして落ちてきた時には、ライトスタンドぎりぎりに入ったのである。


 二打席連続ホームラン。

 大介が今年、一試合に二本のホームランを打ったのは、これが二度目である。

 だが双方のベンチが予感していた。

 次も勝負すれば、三打席連続で打たれるだろうと。

 なので次は、勝負はしない。

 しかしこの回避が、今日の試合の命運を分けた。




 三打席目を歩いた大介を、爆発したライガース打線が帰す。

 躑躅はさらに一点を取られていたが、七回にリリーフにつないだ時は、ライガースがはるかにリードしていた。

 ピッチングの内容も、初回の立ち上がり以外は、粘りを見せるものであった。

 プロの世界で通用する、これが三勝目。

 負け星がついていないのは、単純に幸運だからと言えるであろう。


 今年もライガースは打線が強力であったが、ぎりぎり二桁に届く点は入っていなかった。

 しかしこの試合、ようやくの二桁得点。

 カップスは確かに勝ち越したが、ライガースの打線にきっかけを与えてしまったかもしれない。

 11-5という快勝で、次のカードに臨む。

 スターズ相手の甲子園三連戦で、そしてスターズの第一戦は先発が武史。

 このライガースの試合を見て、げんなりとした顔をしている武史である。


 スターズは前日まで、神奈川スタジアムでホームゲームをしていた。

 なので武史だけは、前乗りで甲子園に来ているわけである。

 大介は調子に乗ると止められないが、不調の時でもあっさりそれを乗り越えてくる。

 二つの打球のタイプで、ホームランを連発した次の日の試合である。

 連戦になるので、ホームランを打った感触が、まだ手の中に残っているはずだ。


 武史は己の力を過信する者ではない。

 ただ自信を持ったこともない。

 身近にいた存在によって、上には上があると知っている。

 そこから生まれた自然な謙虚さが、ここまでプロ生活を続けさせたと思っている。

 早く日本に帰りたいと思っていたが、それにはきっかけが必要であった。

 まだ充分にメジャーでは通用しただろう。

 しかし十年以上プレイして、殿堂入り間違いなしの成績は残した。


 日本に戻ってきてからの武史は、幸福の中で生活をしている。

 難しい年頃の子供たちだが、年の離れた友人のように接することが出来ている。

 それは武史が、いつまでたってもどこか若い、というのと関係はしているのだろう。

 ただ生まれたばかりの次男は、さすがに子供という実感がある。


 大介を封じることが出来るか。

 単純に勝負していっていては、それは難しいことであろう。

 勝敗に徹するならば、大介との対決を避けていけばいいだけだ。

 しかしそういう姿を、もう見せられないようになってきた。


 来年には司朗が、プロの世界に入ってくる。

 なにもそんなに急がなくても、大学を経由してからでいいのでは、と武史などは考える。

 一日でも早くプロに、という気持ちは武史には分からない。

 佐藤兄弟は理由こそ違え、プロの世界で野球をすることに、それほどこだわってはいないのだ。

 ただ武史は、金のためにはしっかりと投げたな、という意識は残っている。


 プレッシャーに強かったのは、負けることがあるのも当然と思っていたからだ。

 自分よりも上の人間を、しっかりと見て認めてきた。

 負けても日は続く。

 そういったメンタルで戦って、おおよそを勝てるほどに、肉体的な才能を持っていた。

 そして今年も、しっかりとエースクラスのピッチングはしている。


 ベッドに寝転がるが、眠る前に電話をする。

 愛する妻との間のホットラインである。

 あちらはあちらで、眠る赤子を見ていたところだという。

 子供たちはおおよそ、末っ子を除いて己の将来を考え出す年齢になってきた。

 現役でいられる期間は、もう短い。

 長男のために、自分がやれること。

 そういったことを少しは考える程度に、武史も大人になってきたとは言えるのだろう。

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