第244話 リリーフの苦難

 百目鬼の復帰は、四月末のゴールデンウィーク期間中となった。

 スターズ相手に神奈川スタジアムでの第一戦。

 幸いと言うべきか、対戦相手は武史ではない。

 ただ二軍では充分に投げてはいたが、一軍戦はほぼ一ヶ月ぶり。

 試合の空気にちゃんと、ついていけるのかどうかが問題だ。

 またレックスには、リリーフが欠けたという問題も存在する。


 常に完全な状態で、戦えるわけもない。

 そもそも先発が七回まで投げれば、大平と平良で残りは〆てくれる。

 昨年の百目鬼は、七回まで投げた試合が15回もあり、しかもそのうちの二試合は完投している。

 それでも今日は五回を目安に、というのが首脳陣の指示であった。


 四月が終わるところなのである。

 ここで無理をしても、いいことなどはない。

 百目鬼はまだ若く、それでいながら二桁勝利を達成している。

 その前年も途中からローテに入って、9勝しているのだ。 

 特別な球種があるというわけではなく、全体的なクオリティが高い。

 まだまだ成長の余地があるだけに、ここで無理をさせる必要はないだろうと、首脳陣も考えている。


 ただそうやって考えていると、ポジションを奪われてしまうのが、スポーツの世界だ。

 ピッチャーなら長くローテーションを守ることこそが、プロとしての分かりやすい成功である。

 時代も違うので、200勝とは言わないが、100勝もすれば勝ち組と言えるだろう。

 ここから数年安定し、二桁勝利を続けたならば、確実に年俸は一億に乗る。

 プロの選手としては、おおよそ五億ほども稼げば、平均的なサラリーマンの生涯年収を稼いだことになるらしい。

 もっともいくら稼いでも、それ以上に使えば意味がないというのも確かだ。


 おそらく数年内に直史や武史が引退する。

 その後にタイトルなどを取って、メジャーに挑戦できれば、野球選手としては上がりであろう。

 NPBとMLBでは、とにかく年俸の桁が違う。

 日本で一億を10年続けて稼ぐのと、メジャーで10億を二年で稼ぐのと、どちらが簡単であるか。

 少なくともメジャーの年俸は、五倍から10倍にはなるのだ。


 金だけなのか、ということも言われるかもしれない。

 しかしプロであるならば、金にこだわるのは間違っていない。

 自分を理解した上で、最大限の評価をしてくれるなら、そのチームにいることが幸せであろう。

 百目鬼としてもプロ入りしてすぐは、高校野球とのレベル差に落ち込んだものだ。

 だが丸一年を二軍で過ごし、そして一軍に昇格してからは、充分に自信も生まれてきた。

 同じ球団に化物がいるが、あれは同じ人間と思わない方がいいであろう。


 今年の年俸は5000万で、高卒四年目としてはかなりの高評価。

 最短の25歳でメジャーに挑戦するとしても、それまでにしっかりと稼いでおきたい。

 レックスでは他に、三島もメジャー志望ではある。

 あとはリリーフなら、大平はメジャークラスのピッチングをしていると言えよう。

 ただ大平がメジャーに行くのは、完全にメンタル面の心配がある。

 世間が想像しているほどには、崩れた試合はないのだが。




 スターズ相手に百目鬼は、序盤からやや飛ばしていった。

 故障上がりだからこそ、しっかりとウォーミングアップはしてある。

 ただそこで投げすぎたせいで、少しスタミナがなくなっているという馬鹿なこともした。

 しかし故障明けは、とにかく念入りに準備をする方が重要なのだ。


 目の前の試合に勝たなければいけない、と考えるのは監督ではない。

 監督が考えるのは、シリーズを優勝することだ。

 少なくとも西片は、育成にまでは言及されていない。

 直史がいる間に、また日本一になりたいというのが、球団側の意見である。

 ただ百目鬼は数年、主力として使えそうなのだ。

 だから復帰初戦では、さすがに無理をさせない。


 レックスはここ数試合、やや打線が低調である。

 クリーンナップが打てないと、点が入っていかないのだ。

 ここは貞本の時代であると、セットプレイを積極的に使ってきた。

 案外レックスの選手の性質と、その点の取り方は合っていたのだろう。

 しかし五回までを投げて、百目鬼は無失点。

 レックス打線はどうにか、一点だけは奪っていた。


 球数としてはまだ、投げられたであろう。

 しかし百目鬼の様子を見て、西片はここでリリーフに交代を指示する。

 ブルペンではしっかりと、リリーフピッチャーたちが準備していた。

 だがクローザーの平良だけは、まだこの時点でも肩を作り始めていない。


 大平はキャッチボールを始めた。

 一点差でここから、安定感のないリリーフが続いていく。

 およそ逆転される可能性は高いが、一応はまだ百目鬼に勝ち投手の権利がある。

 六回と七回をなんとかすれば、後ろの二人がどうにかしてくれる。

 それがレックスのブルペンの雰囲気である。


 ただここから、果たして誰を使っていくのか。

 今日はアウェイであるので、ブルペンに直史がいない。

 豊田としては左右のピッチャーを準備させつつ、ベンチの指令を待っているのみである。

 阿川、上谷、砂原の三人が候補。

 ただ砂原をもし使うなら、さらに他のピッチャーも準備させないといけない。


 登板間隔的に、今日はもう大平と平良は休ませたい。

 第二戦は木津、第三戦は塚本と、厳しい試合が続いていくだろう。

 リリーフはどうにか休ませるべきなのだ。

 勝てるリリーフ、特に中継ぎは重要であるのだから。

 そのあたり中継ぎ経験の長い豊田は、よく自分でも分かっている。




 ここでレックスは、上谷をマウンドに持ってきた。

 一昨年が4勝6敗と、微妙な数字を残したローテーション。

 16試合に先発したが、ほとんどの試合で五回までしか投げられなかった。

 つまり短いイニングならば、なんとかしてくれるという気持ちがあるのか。

 豊田としてはここで、適切なリリーフなどいないと思う。

 そもそも1-0で勝っているという試合は、どんなリリーフでも難しいものなのだ。


 六回の表に、レックスの追加点は入らない。

 ここで一点でも入ってくれれば、レックス側としては楽になったろうが。

 そして六回の裏、マウンドに立つ上谷。

 リリーフとしては去年も今年も、それなりにマウンドに立っている。

 だがここまでシビアな状況では、投げている経験がないのだ。


 プロ野球選手としてのキャリア。

 ローテを守ることが出来ないまま、20代の後半。

 同点やビハインド、あるいは大量点差で有利という状況で、使われることが多かった。

 百目鬼が戻ってきたばかりで、国吉が離脱したという現在。

 ここで結果を出せなければ、そろそろ切られてもおかしくない。


 せめて二軍に落としてくれれば、という気持ちもある。

 二軍でしっかりと投げて、改めて鍛えれば。

 しかしそういう二軍の機会は、もっと若手に与えられているのだ。

 あるいはこの間までの百目鬼のように、主力の調整か。


 ショービジネスの世界は非情である。

 野球のようなスポーツも、その一つだ。

 わずかなトップの輝きを前に、どれだけの人間が道半ばにして倒れるか。

 満足しきって引退出来るなど、100人に一人もいないだろう。

 そもそも衰えてからようやく、引退することになるのだ。

 その点では上杉こそが、まさに燃え尽きて引退した人間であった。


 今年のオープン戦でも、青砥が引退試合をした。

 青砥も青砥で、やれるだけのことはやったはずだ。

 しかし怪我からの復帰で、ほとんど終盤は活躍出来なかった。

 負ける試合で敗戦処理をするような、それぐらいの役割をして、そしてチームは日本一になった。

 100勝して、ノーヒットノーランもして、本当に現代の水準で言えば充分に、一流の選手となった。

 それでもまだまだ、遣り残したことがあったような気がする。


 そんな青砥や、それでなくても去っていく選手の姿を、はっきりと見ていないのか。

 そう思う首脳陣であるが、自分もそれに思い至ったのは、本当に選手生活が晩年になってからだ。

 全力で全てのプレイをしているような選手。

 本当に全力の大介や、丁度いい力加減の直史など、まだいいお手本が目の前にあるであろうに。




 六回の裏、上谷はランナー二人を出しつつも、どうにか無失点に抑えた。

 一点差のリードを、なんとか保ったのだ。

 苦しんだ後には、チャンスが回ってくるものだ。

 しかし七回の表、レックスの追加点はない。

 レックス首脳陣は、上谷をもう一度マウンドに送ることは考えない。


 この試合の価値を、どう判断するべきであるか。

 それも考えなければ、七回のマウンドに誰を送るか、決めることが出来ない。

 ローテーションピッチャーで、来年にもエース格になっているかもしれない百目鬼の、復帰初戦である。

 ここを勝利にすれば、勢いが乗ってくるかもしれない。

 なんとか勝ちたい試合ではある。

 だがどこまでコストをかけるべきか。どうコストをかけるべきか。


 考えることは色々とある。

 シーズンの中で、勝たなくてはいけない試合、負けの影響を最小限にする試合。

 そう、まさに色々とあるのである。

 苦しい顔も、喜ぶ顔も、滅多に見せてはいけない。

 指揮官というのはそういうもので、選手たちのメンタルコントロールは、コーチたちに任せるべきなのだ。

 監督がやらなければいけないのは、判断と決断である。


 七回の裏、西片は左バッターが集中しているスターズ打線に、大平を投入する。

 ここで上手く強いところを抑えれば、下位打線は他のリリーフでどうにか出来る。

 もしも大平が失敗するなら、それはそれで責任を取ればいい。

 選手は起用されれば、自分の全力を尽くすのみ。

 試合の勝敗の責任は、監督にあるのであるから。


 大平としても、ここは自分の番が来るかな、と思っていたのだ。

 左バッターが多いここからの打線、他のピッチャーでは厳しい。

 準備していた砂原も左ではあるが、高卒一年目にクリーンナップを任せるのは、かなりの勇気がいるだろう。

 もっとも去年の大平は、普通に高卒一年目で、そういう状況を任されていたのだが。


 大平は乱調の時もあるが、根本的なメンタルが攻撃的な人間である。

 ピンチにあっても勝負を選択し、そして普段以上のパフォーマンスを発揮する。

 砂原もまた、高校野球で散々に、プレッシャーを浴びせられてきた。

 甲子園も経験しているので、修羅場も分かっている。

 だがそれが逆に、ここでは悪いプレッシャーとして働くかもしれないと、西片は思ったのだ。

 単純にこの場合、経験の豊富な大平を頼ったということもあるが。


 1イニングならば160km/hオーバーで投げられる。

 しかし今年の大平には、回またぎの能力も持ってほしい。

 ブルペンからマウンドに向かい、その1イニングを守ることに関しては、相当の安定感が出てきた大平である。

 プロで一年プレイするというのは、それだけの経験を与える。

 ただ1イニング限定というのは、集中力がそれだけ続かないからだ。

 高校時代もそれで、試合の途中で崩れることが多く、最終的な数字は悪かったのだ。


 将来的にクローザーになるにしても、場合によっては2イニング投げなければいけないこともある。

 このプレッシャーがかかる場面で、2イニングを投げてもらう。

 失敗する可能性は、単に2イニング投げるよりも、よほど高いものであるだろう。

 しかし、だからこそやらせてみる価値がある。

 シーズンを通して、そういった判断をしていかなければいけないのだ。




 大平は確かに、一度ベンチに戻ってしまうと、集中力が途切れる傾向にある。

 しかし今日は、もう1イニング行けと言われた。

 ブルペンの豊田は、平良ともう一人、リリーフの準備をしていた。

 なんとか無失点で済ませた大平であるが、20球も使っていたのだ。

 普通ならもう、次のリリーフにつないでいる場面だ。


 ただ西片の考えることも、元中継ぎとしては分からないでもない。

 豊田も多くは、1イニング限定のセットアッパーというポジションであったが、どうしても2イニング以上無げなければいけないことはある。

 楽なところでそれを経験させるか、厳しいところでそれを経験させるか。

 勘違いされるかもしれないが、ここは厳しいように見えて楽な場面である。

 なにしろ、別に優勝がかかっている試合でもないし、ライガースとの直接対決でもないのだから。

 もっとも戻ってきた百目鬼の、勝ち星を消すかどうかというところなので、表面上は厳しいのだが。


 大平ならやれると思われたか、大平に出来るか確認する。

 シーズンの試合の中では、そういった判断をしていかなければいけない。

 大平としても国吉が離脱した今、そういう場面が出てくることは想定している。

 上手く集中力を保ったまま、ベンチに座って試合を見ている。


 ゴールデンウィークで日程が、少しズレている。

 こういう場合は、上手く負ける試合も作っていかなければいけない。

 勝率をコントロールするためには、先発に無理をさせないことが重要。

 そしてリリーフを怖さないようにすることも重要なのだ。

 今のNPBにおいて、一番酷使されているとも言えるポジションなのだ。


 ここのところレックスの先発陣は、六回から七回を投げることが多かった。

 なので国吉は比較的、投げていないリリーフであったのだ。

 それなのにこうやって、故障してしまうことはある。

 年齢的にもまだ、回復が期待出来る。

 勝ちパターンのセットアッパーは、やはり貴重であるのだ。


 確かにここでの離脱は痛いが、シーズン終盤でないことは幸いだ。

 また靭帯をやってトミージョンであったなら、もっと時間もかかったであろう。 

 おそらくは来年のシーズン途中になったはずだ。

 現代の野球は、ピッチャーのトミージョン手術が多すぎる。

 もっともそれだけ、再起も可能になっているのだが。

 現在では90%ほどが、元には戻るとも言われている。




 八回の表、レックスの追加点はなし。

 いよいよ緊張する場面であるが、大平は上手く自分のメンタルをコントロール出来ていた。

 元々性格的に、緊張はしても萎縮はしにくいメンタルなのだ。

 確かに厳しい場面だが、ここでしっかり抑えれば、新たな自信につながる。


 スターズとしてもここで、大平が2イニング投げるのは、少し計算外であった。

 もっとも1-0というこの試合のスコアからして、ありえなくはないと思っておくべきであったろう。

 打順も一番厳しいところを過ぎたので、純粋に大平の実力なら抑えてもおかしくはない。

 注意すべきはやはり、大平の調子が落ちていないか。

 少なくともベンチの中では、問題はなさそうであった。


 ブルペンでは平良と、もう一人が投げ始めている。

 大平が逆転でもされれば、今日はもう負け試合。

 その時にはもちろん、平良を使う必要などはない。

 今年はちゃんと最低限の間隔を空けてはいるが、既に登板機会はかなり多くなっている。

 本当はもっと圧倒して勝つ試合を多くし、本気のクローザーを使わなくてもいい場面にしたいのだ。


 もしも九回の表に、大量点が入ったとしても、平良の出番はなくなる。

 ピッチャーというのは消耗品だ。特にその肩肘は。

 だから休ませることが出来るのならば、確実に休ませておくべきなのだ。

 その意味では本当は、回またぎもいいことではない。

 だがここは消耗してでも、経験を積んでもらうことを優先した。


 大平のピッチングは、八回の裏もしっかりとスターズ打線を抑える。

 1-0というスコアのまま、九回の攻防となる。

 九回の表、レックスはどうにか追加点がほしい。

 しかし裏の守備が残っているので、下手に代打も出せない。

 ついにスコアは変わらないまま、九回の裏がやってくる。

 レックスのマウンドには、平良が立ったのであった。


 こういうロースコアゲームは、基本的にその空気のまま、最後まで終わってしまうことが多い。

 特に平良の防御率は、1点台の前半なのである。

 ストレートの球速と、スライダーの変化で打ち取るピッチャー。

 奪三振率も高いが、相手が左バッターであると、やや数字は落ちる。

 もっともその落差は、許容範囲内である。


 厳しい試合であった。

 百目鬼の復帰戦であり、五回までしか投げられなかった。

 そして国吉が離脱して、代わりのセットアッパーは決まっていなかった。 

 一応は上谷が、ランナーを二人出しても失点はしなかった。

 もっとも勝ちパターンのリリーフとしては、かなり不安が残るものであったが。


 しかしこういう試合だからこそ、勝てれば勢いがつく。

 三者凡退で平良が封じて、これで既に今季13セーブ目。

 三連投はしていないとはいえ、28試合で15登板。

 全て1イニング限定とは言え、かなり負担のかかっていそうな使い方とは言えた。




 レックスには本当なら、最強のクローザーがいる。

 主に国際大会でしかその役割は果たしていないが、MLB時代にわずか二ヶ月で、30セーブした直史である。

 今の平良よりも、さらに厳しいペースで使われた。

 しかしそれは、まさに脂の乗った全盛期のこと。

 どれだけ筋肉や体力が衰えていなくても、回復力だけは別である。

 直史を使うわけにはいかない。


 若いとはいえ平良も、かなり使われている。

 クローザーはなかなか適性のいないポジションなので、早く使い潰してしまうのは避けたい。

 五月に入ってくる試合、平良を使うのも大平を使うのも、10イニングぐらいまでに抑えたいのだ。

 それでも今のペースなら、年間で60登板ぐらいにはなってしまう。


 西片の監督の契約は、三年というものである。 

 確かに日本一は最終目標だが、ここで優れたピッチャーを壊したくはない。

 逆に上谷レベルなどであれば、壊れてしまっても問題はない。

 ひどい言い方であるが、それがプロの現実だ。

 今年のオフの当落線上にいるピッチャーは、壊れる覚悟でも数字を残すべきだろう。

 プロというのはそういう世界なのだ。


 プロの戦力というのは、勝てる選手だけで成立しているわけではない。

 試合を興行として、成立させるために存在する、選手が大量にいるのだ。

 サッカーなどと比べても、はるかに多い試合数。

 その中でピッチャーというポジションは、先発であれば中五日から中六日、リリーフなら短いイニングと、負荷の激しいポジションである。

 これが大戦前であると、普通に一人で50試合ぐらいは完投していたというのだから、野球の技術も未発達であったと言うしかない。


 NPBの一軍は、最低年俸が1600万。

 さすがにほとんどのサラリーマンよりは、多い年俸である。

 とりあえずプロの世界に立ったなら、契約金と最低年俸で、少しは貯金も出来るだろう。

 あとは引退するまでに、どれだけの結果を残すことが出来るのか。

 コーチ側のユニフォームは、選手よりもはるかに少ないのである。

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