第237話 瀕死の不死鳥

 七回の攻防が終わる。

 レックスはさらに一点を入れて、これで3-0というスコアになっていた。

 そして八回の表は特に何もなく終わり、そして八回の裏となる。

 先頭打者は四番の本多。

 スタジアムのフェニックスファンは、さすがに二度目のパーフェクトはやめてくれ、と思っている。

 中には背教者がいて、単純にとにかくパーフェクトを見たがったりもしていたが。


 本多もいいバッターだな、と直史は思っている。

 ただピッチャーとの駆け引きという点で、まだまだ相手にはならない。

 20代の後半の一番脂の乗ったときになれば、もっと手強くなっているだろう。

 だがさすがにその頃まで、自分が現役でいられるとは思わない。


 最近考えるのは、極めればピッチャーの方がバッターより、選手寿命は長くなるだろうということだ。

 実際に直史は、去年よりも球速を戻してきている。

 今のような圧倒的なピッチングは無理だろうが、勝ち星が負けを上回るぐらいの成績で、ローテを回していけるのではないか。

 これはエンジンとシャーシの関係でもある。


 エンジンとはパワーを生み出すもの。

 つまり人間で言えば筋肉である。

 意外と筋肉というのは、40代になってもなかなか落ちない。

 しかしその筋肉をつなぐ部分は、年齢により劣化する。

 腱や軟骨、靭帯といったところ。

 このあたりはどうしても、柔軟性が落ちてくるのだ。


 シャーシというのはこの部分に、あとは体幹や骨といったところか。

 筋肉がいくら強くても、骨や靭帯が脆くなれば、フルパワーを出すことは危険である。

 硬くなって伸縮性が落ちれば、つなぎの部分が壊れやすくなるし、筋肉の肉離れも起こりやすくなるだろう。

 ピッチャーは日頃の生活を見直し、肉体年齢を若く保つことによって、選手生命を伸ばすことが出来る。

 バッターにそれが難しいと思えるのは、目の筋肉を鍛えることが、難しいと言われるからだ。


 年齢を重ねると、バッターは速球に対応するのが難しくなる。

 これはMLBでも言われていることだ。

 ピッチャーはそれに比べれば、まだしも鍛えたり維持したりするのが楽な部分が、多いということになる。

 MLBにおいてなされたドーピングは、ピッチャーよりもバッターに顕著に影響があったというのは、この眼球周りの筋肉に関係しているらしい。

 速球派でないピッチャーには、そういった極端なパワーは必要にはならない。


 そもそも筋肉の話をするなら、直史は見た目からして優男なのだ。

 細マッチョではあるが、その体格はダンサーに似ている。

 ダンサーは間違いなく筋肉が必要だが、見た目はスリムであることが多い。

 つまり直史のもっている筋肉は、内部のインナーマッスルであるということなのだ。


 直史のバランス感覚は他のピッチャーに比べても、格段に優れている。

 投げたすぐ後にフィールディングの体勢に入れるのは、そのバランス感覚があってのことだ。

 本人はトレーニングこそしているものの、意識はしていない。

 幼少期にバレエを少しやっていた妹たちから、その体の使い方を聞いて試していただけである。

 直史は自分のことを、天才とはほぼ思わない。

 だが技術を選んで学んでいく直感は、まさに天才のものではないのか。

 武史が水泳をやっていた時、肩の駆動域を意識することになった。

 全身が柔らかくなければ、ボールに力が充分に伝わらないのは、関節を上手く使っているからである。


 投げた後に、片足一本で、しっかりとバランスが取れる。

 また普段のフォームを、あえて崩しても全体のコントロールを失わない。

 そういった脳の制御が、やはり発達してはいたのだ。

 そして体格は武史ほどしっかり育たなかったので、筋肉を付けすぎることはなかった。

 無理をすれば腱や軟骨が耐えられなかっただろうし、充分に150km/hまでは出せたからだ。


 直史が155km/h以上の球速を、必要とする理由がない。

 ワールドカップでクローザーをしていた時は、140km/hも出ていなかったのだ。

 それでも無失点で、日本チームを頂点に導いた。

 甲子園の準決勝でも、事実上のパーフェクトを達成していたのだ。




 そこまで高みに到達しても、直史は驕ることはない。

 もっとも敗北に対しての拒否感があるだけで、野球に対する熱烈な感情もない。

 勝てるものは勝っておきたい。

 そして勝利するにしても、最終的な勝利のために、目の前の勝利に執着し過ぎない。

 ここでフェニックスを、徹底的に叩き潰すべきなのか。

 もちろん労力を少なくして達成出来るなら、それもいいだろう。

 しかし本多には、相当の覚悟を感じる。


 際どいコースをカットしてくる。

 そして緩急にも上手く、タイミングを合わせている。

 ボール球をしっかりと見逃し、その後の球種にも対応してきた。

 これははっきりと投げなければ、打ち取れないのではないか。


 今の直史が、決め球として使うもの。

 それはストレートである。

 ここまでもストレートを、しっかりと使ってきていた。

 実際に最初の打席も、ストレートで外野フライに打ち取ったのだ。


 果たしてもう一度投げて、打ち取れるものかどうか。

 しかし粘られすぎると、球数が増えてしまう。

 またボールカウントを増やすと、バッター有利のカウントになっていく。

 一応はフルカウントからなら、ゾーンが広がるという意識はしている。

 パーフェクトをしているピッチャーが、際どいところに投げたとする。

 ボール一個外れていたとしても、それをボールとコールすることが出来るだろうか。


 空気を読んでストライクとするだろう。

 ならば今までよりも、さらにホップ成分の高いストレートを投げる。

(球速は150km/hにぎりぎり届かないぐらいかな)

 木津のピッチングを分析していて、改めて理解したのだ。

 ホップ成分を高めた場合、球速はむしろ遅い方が、バッターは錯覚しやすい。


 高めにぎりぎり、ボールと判定されてもおかしくないストレート。

 そこが直史の狙ったコースである。

 リリースポイントをやや下にするので、球速はMAXに届かない。

 だがホップ成分と言うか、落ちる要素を減らすことは出来る。

 わずかずつのフォームの変化。

 それをつなげていって、最後に指先からリリースする。


 本多はそのストレートに反応していた。

 内野フライか、あるいは三振。

 直史はそう計算していたのだが、若者の可能性は、よく予想を上回る。

 バットに当たったボールは、想像していたよりもずっと飛んだ。

 それでも外野が定位置であれば、充分に追いついたのであろうが。

 センターの頭を越えて、ツーベースヒットとなる。

 直史が今年初めて許した長打であった。




 ポテンヒットや内野の間を抜けていくヒットは、さすがにある程度出てしまうものだ。

 だがパワーはもちろん、スイングの軌道をどうにか変えてきたのが、さすがと言えるところであろう。

 ノーアウトランナー二塁。

 普通ならここから、一点を取っていく場面である。


 しかし三点差で、残りは2イニング。

 直史から三点を取れると、判断出来るだろうか。

 作戦もまとまらないであろうが、直史は容赦しない。

 五番は内野フライに倒れて、六番は内野ゴロ。

 二塁の本多は、全く動くことが出来ない。

 そして最後は三振で、スリーアウトチェンジ。

 意地でパーフェクトは阻止したものの、試合の流れを変えることは出来なかった。


 フェニックスにも意地があるというか、ここがアピールのチャンスとなる。

 九回の表にレックスが、また一点を追加していた。

 八番から始まるフェニックスの最終回は、どんどんと代打を出していくことになる。

 代打で出されるバッターとしては、ここで打てばスタメンへの道が開けるかもしれない。

 もっとも相手が強すぎる、とも感じるのだが。


 直史としては大平か平良、どちらかに任せても良かった。

 球数が100球を超えそうなので、継投のタイミングではあったのだ。

 交代するとしたら、球速のある大平の方がいいか。

 だがここから二試合、勝ちパターンのリリーフは必要になるかもしれない。

 そう考えると、直史の続投となってしまう。


 そもそも直史は、単純な球数では、肩肘の負荷が分からない。

 重要なのは球数ではなく、どれだけのボールを全力で投げたかなのだ。

 今日は比較的、遅い球で打たせて取るピッチングをしている。

 だからこそ粘られているとも言えるのだが。


 九回に入って、そのスタイルが変化した。

 ここまでじっくりと、肩を作りながら投げていたという感覚。

 しかし代打に対しては、緩急を作る中で、ストレートを決め球に使う。

 本多は対応してきたが、他のバッターは対応しきれない。

 奪三振数は二桁になって、試合は終了した。




 ヒット一本を打たれた。

 おかげでパーフェクトをどうにか阻んだフェニックスである。

 ライガースにしてもレックスとの初戦、ヒットは一本しか打てていない。

 それと比較するならば、フェニックスも果たして打線が弱いのだろうか。

 タイタンズ戦はヒット三本を打たれたが、むしろあれが例外的であったのか。

 またこの試合は、球数も100球を超えている。


 直史がこの試合で記録したのは、完封のみである。

 パーフェクトはもちろんノーヒットノーランも、さらにはマダックスも記録していない。

 ただ球速は序盤は遅く、終盤に速くなっていった。

 特に九回のストレートは、ほとんどが150km/hオーバーであったのだ。


 なんとも無茶と言おうか、普通は逆である。

 たっぷりと余裕を持たせていたのが、分かる内容であった。

 そんな余力を残しておいて、結局は完封。

 あのセンターオーバーも、守備の位置を定位置にしておけば、なんとかキャッチ出来たであろう。

 あるいは本多の長打力を考えれば、普通ならやや深めに守るものだ。


 直史の今日のピッチングは、内野フライが多かった。

 また浅い外野フライもそこそこあったのだ。

 そのためポテンヒットを嫌う、というシフトを取ったこと自体は間違いないだろう。

 それがこういった結果になって、惜しい惜しいと言われてしまう。


 充分なのである。

 球数は多かったが、終盤に全力で投げる感覚は、しっかりと掴めた。

 リリーフ陣も休ませて、ここからの二連戦に備えることが出来る。

 フェニックス打線は、本多以外は立ち直れないだろう。

 その本多にしても、ここまで封じられては、一発狙いしか出来ないかもしれない。


 なお他の球場での試合は、ライガースがタイタンズにリードされている。

 直史は気にしなかったが、前回の登板では先発した新人の桜木が、五回で交代していたのだ。

 プロを相手にしては、全力で投げていくしかない。

 そのあたりの調整が、まだ上手くいっていないのだろう。

 ハイスコアゲームになっているが、これはタイタンズが戦力補強に成功しているということ。

 この間の試合では直史も、ヒットを三本も打たれた上に、球数も増えて最後はリリーフに任せたのだ。


 何気にタイタンズも、今年は三連敗というものはない。

 三位争いが厳しくなりそうなシーズンだ。

 あるいは投手陣の調子によっては、二位も狙えてくるだろうか。

 ただライガースは、投手陣をしっかりと即戦力などを取っている。


 他のチーム同士の対戦など、基本的に直史は気にしない。

 もっともライガースというか、大介の調子だけは気にしているが。

 記録を見てみると、今日も既に一度は敬遠されている。

 ツーベースを一本打っただけだが、出塁率としては六割オーバー。

 打率にしてもこれまでの記録を、さらに上回るペースである。

 あるいはキャリアハイを更新してしまうのでは、という有様だ。




 直史が今年のシーズン前に、かなりしっかりとトレーニングをした。

 大介もそれに合わせたわけである。

 すると自然と、こういった結果になってしまう。

 変化球はいくらでも打てるし、速球にしても昇馬の相手をしていた。

 ほぼサウスポーの上杉と言ってもいいような、昇馬のピッチング。

 あとはどこまで成長の限界があるのか、といったところだろう。


 直史のピッチングは、確かにパーフェクトこそ達成しなかった。

 しかし最終回、代打をあっけなく打ち取ったところを見ても、明らかに手を抜いていたのだ。

 昭和のピッチャーであれば、下位打線などは手を抜いて、完投を目指していたものだ。

 それが原因で江川などは、優れた防御率などを持っていても、一発病と言われていた。


 直史は違う。

 今年はまだ失点していないので、当然ながらホームランも打たれていない。

 MLBでの三年目と四年目も、ホームランなどを打たれていないシーズンであった。

 20試合以上を登板して、そんな成績を残していたのだ。

 ただNPB時代には、なんだかんだホームランを打たれている。

 一番多かったのは、復帰初年度の五本であるが。


 去年は勝利数こそ減ったが、実はホームランの数も減っている。

 致命的な失点というのが、なくなったのである。

 野球においてホームラン以外は、ピッチャーの責任ではないという、極端な意見もある。

 実際に打たれた打球は、野手の正面に飛べばアウトになるのだ。

 ポテンヒットも内野の間を抜く安打も、おおよそは運が左右する。

 だからホームランを打たれないようにするのは、重要なことなのである。


 そして今年の直史は、奪三振率もまた高くなってきた。

 ここまでの9シーズン、奪三振率が10を切ったのは二度だけ。

 そのうちの一度が、去年であったわけだが。

 奪三振を狙っていくと、ストレートがホームランになる可能性がそれなりに高くなる。

 本多に打たれたボールも、ストレートがセンターオーバーになったわけだ。


 基本的にはグラウンドボールピッチャー。

 しかしながら狙って三振も奪える。

 これが直史の思考では、おそらく一番失点が少なくなるスタイル。

 何かを必殺の武器とするのは、日本の武道用語で居つく、という状態である。

 もっと分かりやすく言うと、捉われている、ということになるだろうか。

 思考は常に柔軟でなければいけない。

 だから魔球を持っていようと、それに頼りすぎたりはしないのだ。




 フェニックスとの三連戦、レックスは三連勝で終了した。

 あっさりと勝ったようであるが、実際はちゃんとリリーフ陣が仕事をしている。

 やはり直史が、第一戦で完投したのは大きい。

 もっとも四点も差があれば、勝ちパターンのリリーフ以外を使っても良かったのだろうが。


 先発のローテが勝ち投手の権利を得るぐらいに、安定したピッチングをする。

 七回以降はリリーフが、1イニングずつを担当する。

 少し調子を落としていた国吉が、ちゃんと抑えたというのが大きい。

 そして八回と九回は、バッターの右か左かによって、大平と平良を使い分ける。

 おおよそは平良がクローザーになっているが。


 次の三連戦は、神宮でのタイタンズ戦である。

 月曜日を挟むので、リリーフ陣は休むことが出来る。

 そろそろ百目鬼は治療期間は終わったが、リハビリと試合勘を取り戻すため、二軍で一試合ほど投げる予定だ。

 すると新戦力を一人、またリリーフに落とすことになるのか。


 須藤・木津・塚本という先発になってくる。

 須藤と塚本は期待されていたが、まだ勝ち星が上がっていない。

 一番不安がられている木津は、しっかりと数字を残している。

 須藤と塚本も、そこまで壊滅的な数字なわけではないのだが。


 レックスのピッチャーは守備陣が強いため、防御率などが低めになる傾向にある。

 奪三振などを計算していれば、もうちょっと点を取られてもおかしくないのだ。

 直史としては三島とオーガスが例年通りの数字を残しているので、あとは百目鬼が戻ってくるのを待つのみだ。

 それは首脳陣としても、同じ気持ちであろう。


 今年のレックスは今のところ、先発が序盤で炎上という試合がない。

 どの試合も五回までは、しっかりと投げているのだ。

 これは首脳陣としては、ありがたいことである。

 しかし勝ちパターン以外のリリーフ投手は、アピール機会が少ないことも示す。

 もっともこの百目鬼が離脱した試合のように、他のピッチャーを試す機会は出てくるのだ。

 あとは二軍の試合で、どうやって結果を残すべきか。


 直史がいつ引退してもおかしくなく、三島はポスティング予定で、オーガスもそこそこの年齢になってきた。

 リリーフはともかく先発のピッチャーは、また新しいピッチャーを欲している。

 どの球団でもおおよそ、ピッチャーが六枚強いのが揃うというのは考えづらい。

 直史が最初にいた時代のレックスは、勝てるピッチャーが四人に、ほぼ勝てるピッチャーが二人いて、とんでもないことになっていたが。

 戦力の新陳代謝を促すために、ピッチャーにはチャンスを与えないといけない。

 須藤も塚本も、ピッチングの内容自体が悪くても、大炎上したわけではなかった。

 ただ木津はいまだに、無敗の記録を作っている。

 連勝記録は途切れてしまったが、まだ黒星はついていない。

 運以外の何かがなければ、こんな結果が出てくるはずはないのだ。

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