第236話 オーバーキル

 レックスは今年、フェニックスとの最初のカードで、三連勝している。

 また直史が投げた試合では、パーフェクトとマダックスを同時に達成していた。

 悪夢のような出来事は、打線の力を奪っているとは言える。

 そしてこのホームランの出にくい名古屋ドームは、一発を警戒する直史にとってはありがたく、連打で点を狙えるレックス打線にもありがたい。

 ゆったりとした気持ちで名古屋に到着したレックスは、すぐにミーティングに入る。

 だがこれといって新しく、入ってきた情報などもない。


 試合前の練習では、調整程度にしか投げていない。

 バランス感覚におかしなところがないか。

 新幹線で移動してきたので、座っていた時間が長かった。

 そのため確認しているのである。


 キャッチボールの後に、キャッチャーを座らせる。

 そこでもゆっくりとしたボールを投げるのだが、スピードの割りに沈まない。

 それどころか少し、ホップするようにも感じる。

 そんなホップする球と、全くキレが変わらないのに、確実に落ちていく球。

 ピッチトンネルが変わらないだけに、普通のバッターは打てない。


 これを維持できるのなら、あと数年のうちにも、大介も打てなくなるだろう。

 動体視力と深視力の低下というのは、どうしようもない衰えなのだ。

 直史は無理に球速を、最盛期にまで回復させようとはしていない。 

 あの頃と比べて完全に、体のあちこちの耐久性が落ちているからだ。

 筋肉は意外と落ちないものだ。

 しかし軟骨などは、どうしようもなく脆くなる。


 肩を作るのを、ゆっくりと入念にやっていかなければいけない。

 もちろんクールダウンの方も、入念にやっていくが。

 それぞれの球種を、狙ったところに投げられるかどうか。

 投げられない日の試合は、他の球種でフォローして行く。

 基本的には緩急を使って、より遅いボールを投げる。

 その後にホップするストレートを投げれば、おおよそのバッターは外野フライまでに抑えられるのだ。


 ブルペンでは特にリリーフ陣が、直史のピッチングをみている。

 各所の関節が完全に連動し、そしてリリースの瞬間にパワーが全て伝わっていく。

 全身を使うことによって、むしろ故障の危険は減っていく。

 負荷をそれぞれに、分散していくからである。

 ただ常にそんな、美しい理想のフォームで投げるわけではない。

 ボールに力が伝わっていなくても、打てないボールには出来るのだ。


 直史は投手陣に、自分の真似をしすぎるなとは言う。

 自分のことを天才とは思わないが、異質なピッチャーだとはさすがに認めているのだ。

 普通の人間が真似をすれば、簡単に壊れてしまう。

 40歳を過ぎた直史よりも、20代前半の若手の方が、故障が多いというのは驚きだ。




 今年四試合目の先発である。

 名古屋ドームは完全に、チケットが売りつくしになっていた。

 これは直史の投げる試合だと、よくあることであった。

 しかし去年は比較的、衰えたような成績。

 初めての敗北する姿を、見たいと思った人間もいたかもしれない。


 もっとも今年は早くも、パーフェクトを一度達成している。

 衰えたというのはなんだったというのか。

 実際のところ直史は、去年は一昨年の疲労が抜けておらず、慎重に投げていただけ。

 確実に勝っていくというピッチングを、レギュラーシーズンでは心がけていたのだ。

 今日の試合にしても、本当の意味の本気で投げるつもりはない。

 本気にも段階があり、復帰後初年の本気は、どの試合もパンク直前の気合で投げていったのだ。


 去年は力を温存して、それでも日本一になれた。

 コンディション調整という点では、今年が一番であるかもしれない。

 リードを自分で考えてはいるが、かなり感覚でも投げている。

 逸って投げないように、それだけは注意しているのだが。


 練習での調整も終わり、あとは試合開始を待つだけだ。

 その間のイメージで、おおよそ今日の試合の出来は分かる。

 野球は相手のいるスポーツなので、完全にイメージの通りになどいかない。

 だが事前にしっかりとイメージをして、それとどう違うかを修正していかなければいけない。

 直史は計算して、正しく想像して、そして微調整するのが上手いのだ。


 フィジカル的にはプロのピッチャーとして、突出したものではない。

 しかし直史の投球術は、圧倒的なものである。

 自分自身すらもちゃんと、俯瞰して客観的に見えている。

 集中すれば時間の流れさえ、秒単位で分かる。

 自分の心臓の鼓動さえ、はっきりと感じるのだ。


 ピッチャーの肉体は、それこそ一日ごとに微調整が必要になる。

 もちろん試合中も、ずっとそれを続けなければいけない。

 汗をかいて体重が少し変われば、それだけバランスも変わってくる。

 そういった都度変化する肉体を、しっかりとコントロールするのだ。

 この季節は夏とは違い、急激な発汗などはない。

 それでもピッチングというのは、野球の中では一番疲労の多いプレイだ。


 やがて時間がやってくる。

 クラブハウスからベンチへと、レックスの選手たちは移動する。

 果たして今日の試合、またパーフェクトが見られるか。

 もしもそんなものを達成すれば、フェニックスはもう立ち直れないだろう。

 既に現時点で、最下位ではあるのだが。




 フェニックスはここで、ローテを少し変えている。

 どうせ負けるのであるから、ピッチャーを新人に任せているのだ。

 それが持ち回りになって、中位から下位の大卒ピッチャーを出してきたりする。

 今の時代はドラフトからの育成が、球団の戦力の中核を占める。

 もっともその中から本当に、主力として使える選手は、とても少ないものである。

 主力になったとしても、数年でパフォーマンスが落ち、そのままクビということはあるのだ。


 フェニックスは主力が上手く定着していない。

 コロコロと主力が、数年単位で変わっている。

 もちろん数人はスタメンに定着しているのだが、その成績が複数シーズンでは安定しない。

 監督の交代も多いため、どうしても戦術も変化していく。

 コーチ陣の入れ替えというのも、長い目で見ればあまりよくない。


 どうしても成績が上向かないから、色々と試してはいるのだろう。

 ただそういったことも、ある程度は継続しなければ、結果は出ないはずだ。

 フロントが結果をすぐに求めすぎている。

 そちらの方がむしろ、現場の首脳陣よりも、チームを再建できていない理由ではないのか。


 ピッチャーに経験値を積ませると言っても、チームに染み込んだ負け犬根性は、どうにもならないところがある。

 これを根本的にどうにかするには、何か方法があるのだろうか。

 かつてはスターズが、これと似たような状況にあった。

 さらに深く遡れば、人気球団のライガースでさえ、そういった時期はあったのだ。

 スターズを変えたのは、上杉という稀代のカリスマであった。

 そんな選手がフェニックスに入ってくるのを、期待できるというのか。


 一回の表、レックスの攻撃は無得点。

 そしてその裏、直史がマウンドに登る。

 軽くボールを投げて最終調整。

 いよいよフェニックスの打撃陣と対決する。

(この前からまた、スタメンをいじってるんだよな)

 フェニックスとしては苦肉の策であるが、実は直史としては面倒なことなのである。


 データを揃えた上で、相手を封じるのが直史のピッチングである。

 つまりデータが少ない相手ほど、事故の可能性は高い。

 スタメンが複数箇所固定していないフェニックスは、その意味では面倒な相手だ。

 もっともスタメンが決まらないというのは、根本的に打撃に信頼が置かれていない、ということでもあるのだが。

 こんなに選手層が薄いなら、努力してスタメンに定着すれば、それだけFA資格も早く手に入る。

 今のフェニックスは、選手にとっても居心地のいいところではない。

 ピッチャーなどがFAで移籍することは多い。

 また昔ほど活発ではないが、トレードで移籍していった選手というのが、活躍してしまう例まである。


 一回の裏、三者凡退でフェニックスの攻撃は終了。

 スタジアムを埋める観客からは、ある程度のため息が洩れる。

 もっとも本当に期待しているのは、直史のピッチングであるかもしれない。

 普段よりもはるかに高い、客席の充足率を示しているのだから。




 若き四番本多も、その一人である。

 去年も対戦したが、結局はチームとして歯が立たなかった。

 ホームランの出にくい名古屋ドームで、20本はホームランを打てる能力。

 このままならばやはり、モチベーションをどうにか保ちながら、FA資格を取ることを目指すのか。

 もっとも外野の守備力も高いため、ポスティングという選択も視野に入る。


 ピッチャーがどんどんとメジャーに出て行く現在のNPB。

 しかしあちらの適性がなく、戻ってくるピッチャーもそれなりに多い。

 トップレベルはともかく、それ以外は短期間のお試し、というのが多くなっているか。

 もっともその場合は、成績が良かった場合、すぐに巨額の大型契約になってくるのだが。


 野手もそれなりに、増えてきているのは確かだ。

 しかしピッチャーに比べると、まだその数は少ないし、全体的な成功率も低い。

 日本のピッチャーは世界と比べても、高い水準にあるのか。

 だがそれならばそのピッチャーと対決する、バッターも高水準になるはずではないのか。


 そのあたりはアメリカのピッチャーと、日本のピッチャーの、選択に違いがあると言うべきか。

 アメリカはとにかく、フィジカル的にピッチャーを決めてしまう。

 また成長すればデータを元に、ピッチャーをすべきかどうか決めてしまう。

 基本的にその基準は、現在のピッチャーの条件を満たすこと。

 たとえば球速などである。


 対して日本のピッチャーは、球速以外にキレなども重視する。

 投球術の違いというのが、一つにはある。

 キャッチャーの役割の違いも、日米の違いではある。

 そのキャッチャーが違う形であると、ピッチャーも違う形になるのは当然だ。

 アメリカはそのピッチャーの力を、どれだけ最大に持っていけるかを考える。

 日本も基本的には同じだが、どうすればいいピッチャーになるのかを、色々な形で考えるのだ。


 結果としてアメリカのピッチャーは、平均の球速が速くなっていく。

 対して日本のピッチャーは、平均値から離れたピッチャーが数字を残す。

 もちろん球速が速いというのは、平均値から離れている。

 しかしスピンレートやスピン軸、変化球の大きさなど、武器は個人によって違うものだ。

 上杉や武史も、確かにMLBで通用した。

 だが直史のピッチングは、二人に比べても相当に、ストレートの速さは控えめであった。


 直史は常に、勝つためのピッチングをする。

 指示されて投げるような、そんなピッチャーではないのだ。

 データから導き出せる、最適のボールなどは、全く考えていない。

 重要なのはひたすらに、相手のバッターを打ち取り、失点しないことだけなのだ。

 結果が重要であって、過程はどうでもいいのだ。




 フェニックスの本多は、一打席目は外野フライに終わった。

 そして二打席目、また先頭打者としてバッターボックスに立っている。

 四回までフェニックスは、一人のランナーも出せていない。

 対してレックスは、既に二点を取っている。

 この時点でもう、試合の勝敗はおおよそ、決まってしまったと言ってもいいだろう。

 少なくともこれまでの展開からすれば、直史が一失点することまではともかく、二失点することは考えられない。


 もう目的は、パーフェクトの阻止に移行した方がいいだろう。

 そう考えているのがフェニックス首脳陣なのだろうが、本多としてはまだ諦めていない。

 こんな自分よりもはるか上の年齢のピッチャーに、いつまでも居座られていてはかなわない。

 もちろん伝説のピッチャーとの対戦が、現役時代に出来る嬉しさ、というのもないではないのだが。


 四番の仕事は長打を打つこと。

 そう考えればフライアウトでも、外野にまで持っていけたのは、悪いことではないはずだ。

 この打席でもどうにか、長打を狙って生きたい。

 もっともここで一点を取っても、おそらくは負けるのであろう。


 野球は集団競技である。

 だが評価されるのは、個人単位でもあるのだ。

 本多はとにかく、目の前の勝負に集中するしかない。

 チームとしてはほとんど、士気を喪失してしまっているのだから。


 負け犬根性の染み付いた相手ほど、楽に勝てるものはない。

 直史はそう考えていて、だからこそまだ目に力のある本多は、危険だと思うのだ。

 あの本多の親戚ということだが、確かに肉体的にも優れているが、それ以上に精神性が似ているのではないか。

 守備や走塁も上手いが、やはり一番は打撃。

 まだ成長中であるが、既にNPBのトップクラスの総合力は持っている。


 フェニックスが弱くなるというのは、球界全体を見ても困るのだ。

 100万以上の都市のある場所に、プロ野球のチームはフランチャイズとして存在する。

 その中で中部地方にあるのは、フェニックスだけである。

 同じことは広島のカップスや、北海道のウォリアーズにも言える。

 ただ特にカップスについて言うなら、あちらは地元人気が大変に高いチーム。

 ウォリアーズも北海道では、唯一のチームであるのだ。


 十六球団構想などをするよりは、調子の悪いチームを他が買収する、という方が現実的ではないか。

 フェニックスは確かに、どうにか球団経営で黒字を出しているが、勝利するイメージが湧いてこない。

 いっそのことカップスのような、親会社がないチームにしてしまえば、などとも言えない。

 カップスはある意味、ライガース以上にファンの支持は高い。

 球団存亡の危機も、何度も乗り越えてきたのだ。




 フェニックスのチーム事情など、直史は知ったことではない。

 ただ潰れてしまうのは、さすがに困るというのは分かる。

 人口区分で見るならば、関西と九州には、もう一つずつは球団を作る余地があるかもしれない。

 もっともそれは数字を見ただけの話であって、実際には難しいことだ。

 以前ならばまだ、16球団構想も見えなくはなかった。

 しかし競技人口もファン人口も、野球は減っている。

 シニアなどは結局、お高い習い事になっていたりもするのだ。


 もっとも日本には、野球による進学や就職、というルートがある。

 これがサッカーなどとは違う、野球の大きな世界と言えようか。

 日本のプロサッカー選手と、プロ野球選手を比べてみれば、年俸などで圧倒的な差がある。

 年俸のことを言うならば、さらに野球はメジャーという舞台も上にあるのだ。


 日本のサッカーも、ユースのチームなどがある。

 野球と違って内部で、どんどんと昇格していくシステム。

 このあたりは欧州や南米を真似てはいる。

 もっとも欧州では、子供の時点で強烈な競争がある。

 またサッカー選手の選手寿命は、野球と比べても短い。

 平均的な引退年齢は、25歳であるという。


 日本の場合はまず、高校野球がある。

 甲子園があることによって、一つの頂点が存在する。 

 そしてそこから野球による、進学などもあるのだ。

 今では減っているが、それでも社会人の野球チームはある。

 最終的にはプロがあるとなると、一つでもチームが減ってしまうと、それだけで困るのだ。


 16球団構想が形にならないうちに、ついに独立リーグまで誕生してしまった。

 今ではその独立リーグが、NPBに行かなかった選手の受け皿に、ある程度はなってしまっている。

 もちろん選択肢が、多いのは本来いいことだ。

 しかし独立リーグというのは、基本的にそれだけで生活出来るような年俸が出ていない。

 シーズンが終わればアルバイトなどもする。

 また練習環境においても、社会人チームの方がよほど、恵まれた環境にはある。


 ただ社会人チームに関しては、企業の野球部が解散する、という危険性は持っている。

 その場合でも普通に、その会社で働き続けるのは可能なのだが。

 あくまでプロ野球、NPBを最終目的とするなら、独立リーグの方がいいのか。

 少なくとも試合数は、社会人チームよりも多いだろうが。


 選手の成長過程で、どこが一番適しているのか、というのは変わっていく。

 高校までは高校野球と、完全にルートは確定していた。

 しかしそこからは、大学、社会人、プロの育成などといった、選択肢が分かれてくる。

 支配下登録の指名であれば、一応はプロの選手とは言える。

 だが育成契約は、かなり難しいものとなるのだ。

 それよりも大学で、野球以外の選択肢も考えながら、じっくりと鍛えた方がいいかもしれない。

 選択肢が多いだけに、むしろ大変なのかもしれないが。


 その中で一番、異質なルートを辿った選手こそ、直史であるのだろう。

 一応大卒後もクラブチームで、野球を楽しんでいた。

 しかし職業としては完全に、弁護士というものをしていたのだ。

 26歳のルーキーというのは、もう完全に成長が終わってしまったような年齢。

 圧倒的な実績がなければ、いくらなんでもレックスは取れなかっただろう。

 そして今日また、六回までを終えてパーフェクトピッチング。

 あと一巡しか回ってこない、とフェニックスの打線は悶えている。

 首脳陣としてはなんとしてでも、連続でパーフェクトに抑えられることだけは、防ぎたいのであった。

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