第231話 よくある故障
広島で絶好調のレックスは、カップスとの三連戦を行う。
第一戦の予告先発は百目鬼で、その日も普通にピッチング練習をしていた。
だが投げた瞬間、右の脇腹に感じた違和感。
そして軽く投げようとしてみて、張りを感じたのだった。
即座に診断されて、原因も分かる。
右脇肉離れによる、全治二週間の離脱。
当然ながらその日の先発も、変更となる。
二週間となると一度登録抹消をして、復帰のタイミングを図ることになる。
去年の成績もよく、年俸は大幅にアップした百目鬼。
ここでわずかな間とはいえ、離脱というのはもったいない限りである。
ただレックス首脳陣は、この事故には頭を痛めた。
もっともここまで圧倒的に勝ち星が上回っているので、リリーフから先発適性のありそうなピッチャーを、試してみるのもいいのだ。
普段はのんびりと、二軍で調整することも多い直史が、今日は帯同していない。
そこで相談するのは、豊田の役目となってくる。
しかしそんなことは、直史に助言を得るまでもなく、豊田が分かっていることだろう。
そもそもローテーションに入れるかどうか、迷ったピッチャーがいるのだ。
ローテーションが欠けたなら、そのピッチャーを使うのが筋である。
左の須藤は、ドラフトではなく他球団の育成から流れてきたピッチャー。
今年はまだ二試合、リリーフとして出ただけである。
ただ2イニングしか投げていないが、まだ失点をしていない。
リリーフとしての適性が高いのでは、とそう思わせるものだ。
よくもまあ左のピッチャーを、放出するような余裕があったものである。
しかしそれをやっている福岡は、今年は好調な出足を見せている。
ただ先発をいきなり命じるというのは、果たしていいものかどうか。
レックスのリリーフ陣には、ローテに入ったこともあるピッチャーがいるのだ。
ここまであまりにも調子がいいので、負けても大丈夫という狙いがあるのか。
一度負ければ終わりの甲子園と違い、プロは負けながらも試していく。
最終的に六割勝てば、おおよそ優勝が見えてくるのだ。
シーズン序盤に試すというのも、悪くはないことだ。
またさらに先発のカードを欲しがるというのは、木津がどこかで打たれるとも思っているからだ。
木津のピッチングスタイルや、各種の残した数値。
これはどうしても、いつか完全に捕まると思うのだ。
球速という絶対的な指標を、木津は下回っている。
それはプロという、球速の最上領域での、ピッチャー経験者が見たものだ。
もっともそれに反対と言うか、賛成しない人間もいる。
豊田はとにかく数字が出ている限りは問題ない、と思っている。
しかし多くは木津が、いつ化けの皮がはがれるか、見守っている。
見守ると言うよりは、待っていると言うべきか。
140km/hも最速で出ないピッチャーが、本当に長く通用していくのか。
もっともMLBの世界でさえ、140km/h台の前半しか出ないのに、まだ通用しているというピッチャーはいる。
このあたり多くの人間が、勘違いしていることなのだ。
直史は木津には、球速は必要ないと思っている。
木津は球速が出ていないが、ホップ成分は高いのだ。
この速度なら間違いなくこのコース、という軌道から一個ほど上を通る。
下手に速度が出てしまったら、むしろジャストミートされるだろう。
そのあたり直史は、木津に必要なのが何か、ちょっと分からないのだ。
変化球を増やすことだろうか。
あるいはコントロールか、そこから四球を減らしていくか。
だが四球が多いからこそ、空振りも取れたりする。
ノーラン・ライアンは奪三振王であるが、同時に四球王でもあったのだ。
キャッチャーとしては、なかなかリードにコツが必要となる。
迫水自身は色々と考えるが、コントロールが安定しないのがネックだ。
ただピッチャーのコントロールなど、ある程度は乱れることを、計算しておかなければいけない。
コースも基本的にはサインで出す。
だがそれよりも重要なのは、球種なのである。
木津のピッチングの極意は、高めのストレートをどう活かすかだ。
アウトローも重要だが、ストレートで空振りを奪えることが、木津の強みである。
それほど速くもないのに、空振りするストレート。
昔の高校野球なら、低め低めと長所を消していただろう。
いや、プロの世界でもそれは同じか。
MLBでは単純に低めというのは、アッパースイングで打ちやすいとも考えられている。
実際に低目を得意とするバッターは存在するのだ。
浮いてしまった高めではなく、狙って投げ込む高め。
それはキレもあってスピンもあるので、遅いのに空振りしてしまう。
遅いのに落ちない球というのは、なかなかどの段階でも経験出来ないものだからだ。
スピードを求めるのはいいが、木津の場合はそれにホップ成分を足さなければいけない。
ホップ成分が今のままなら、ストレートの球速を上げた方が、むしろ打ちやすい球になる。
直史のスルーがスピードの割りに、キレながら落ちていくのと原因は同じだ。
ピッチトンネルを過ぎた後に、ボールはどんな変化をしているか。
それが重要なポイントなのである。
ともかく須藤に、チャンスが回ってきたのは間違いない。
おそらくローテーションで、三回は回ってくるだろうか。
しかしそれは、三回もチャンスを与えるような、そういうピッチングをしてからのこと。
他にも試したいピッチャーは、いくらでもいるのだ。
客観的に見た場合、百目鬼は三島とほぼ変わらない、レックスで最も成長中のピッチャー。
怪我から復帰すれば、必ずローテに戻されるだろう。
その場合ローテから外れるのは、ここでローテに入れた選手である。
ただ木津を外すというのも、それはそれで充分にありうることなのだ。
もっともここまで無敗のピッチャーを、外すという選択も取れないだろうが。
今日の試合で須藤が、あっけなく打たれてしまえば、全て考えるのすら無駄なこと。
ともかく百目鬼が外れた状態で、試合は始まるのだ。
先攻はアウェイであるレックスから。
ここまでの戦績が一方的であるが、カップスとの対戦はいまだになかった。
カップスもオフシーズン、補強には走ったはずだ。
即戦力と言われる大卒ピッチャーはそこそこいたが、その中の一人を競合で取ったりしている。
まだ序盤の序盤であるが、おおよそ勝率は五割ほど。
スタートダッシュというものは、失敗していなければ成功であるのだ。
その点ではセ・リーグは、レックスが最強でフェニックスが最弱。
他の順位は流動的なものであるのだ。
ほぼ新人と言っていい先発ピッチャーに、レックス打線は援護をしてやりたい。
もっとも実力自体は、既に二軍戦で証明されている。
あとはそのピッチングが、一軍の公式戦でも通用するかどうか。
ただ二軍の試合というのは、結果を残して一軍に行きたい選手にとって、ものすごくシビアなものであったりはするのだ。
プロの世界はプロになっただけでは、本物のプロ野球選手とは言えない。
一軍で活躍して初めて、本物のプロと名乗ることが出来る。
レックスは一回の表から、積極的な攻撃をしていった。
新監督の西片は、ファンを意識して試合を展開していく。
また基本的に攻撃時は、積極策を採っていく。
もちろん試合の終盤であれば、粘っこく一点を取りにいったりもするが。
貞本よりはずっと、動く野球をしてくるのだ。
ベンチの中の熱量が、違うと言ってもいいだろうか。
育成や管理はともかく、采配はデータ任せ。
ただ西片としても、そんなフルパワーの野球をずっとやっていれば、シーズン終盤までもたないことは分かっている。
取るべき試合と、捨てるべき試合がある。
初めての先発となる試合であれば、打線も援護していくべきなのだ。
初回にまず先制点を取るレックス。
ただ一点だけであるので、全く安全圏ではない。
しかし少しでもリードがあるのは、それだけで気が楽になる。
ピッチャーが伸び伸びと投げて、どういった結果になるのか。
シーズン序盤で、出来れば知っておきたいことだ。
レックスが調子がいいのは、投手陣に大きな故障がないことが、要因の一つとしては上げられるだろう。
去年の三島や青砥についても、充分に補える程度のものであった。
ともかくピッチャーをどう揃えるのかが、現代野球では重要なこと。
ドラフトでも半分以上の球団は、まずピッチャーを取ろうとするだろう。
今年のドラフトはかなり、司朗の夏の結果次第では、競合が起こることは予想される。
高校生野手に競合が起こることは、年に一人か二人といったところか。
もちろん中には野手の当たり年というものもある。
しかし高卒の野手というのは、なかなか戦力に育てるのに、時間がかかるものなのだ。
須藤のピッチングは一回から、ランナーを出してしまう。
だが守備陣の健闘もあり、失点にはおよばず。
そして二回以降は、徐々にピッチングが安定してきた。
やはり初先発というのは、プレッシャーがかかるものなのだろう。
六回までを投げて三失点と、クオリティスタート。
ただレックスも三得点で、勝利投手の権利を得ることは出来ない。
結果として勝ちパターンのリリーフを使えたのだが、珍しくもそこでランナーを置いた一発を食らってしまう。
国吉はこれで、今季二度目の負け投手となってしまった。
セットアッパーとして、主に七回を投げてきた。
去年は間違いなく、優勝のために戦力の一人であった。
ピッチングの内容も、ボールが抜けてしまったところを、上手く合わせられてしまったという感じ。
シーズンを通して投げていれば、こういうことは必ずあるのだ。
これでレックスの連勝は7で止まった。
もっともシーズンの序盤に、そんな連勝があったとしても、さほど重要なことではない。
チームの状態がいいまま、開幕に突入したとは言えるだろうが。
重要なのはここで連敗しないことである。
レックスというチームは爆発ではなく、安定のチーム。
そして次に投げるのが、プロ入りして一軍戦では、一度も負けたことのない木津なのである。
勝ち運が木津にはあるという。
確かに去年、レックスは木津がいなければ、日本一に届かなかっただろう。
ただ直史は木津というピッチャーは、25試合に投げて10勝10敗ぐらいの数字を残すピッチャーだと思っている。
安定して投げ続けて、壊れることがない。
実際にカップスとの第二戦も、その不思議な安定感が出たのであった。
七回までを投げて四失点。
しかしレックスが五点を取っているので、勝ち投手の権利がある。
ここからは八回の大平と、九回の平良に任せることが出来る。
そもそも七回を投げて四失点というのは、及第点の数字なのだ。
百目鬼が離脱したことで、このカードは裏ローテのような感じになっている。
直史に三島にオーガスと、そちらのカードは確かに勝利を狙っていく布陣だ。
対して須藤に木津に塚本と、新人が二人と一軍二年目が一人。
育成枠から育ってきた人間が、二人もいるのだ。
木津はまたも、勝ち投手となった。
勝利自体は悪いことではないし、もし負けていたとしても、充分に仕事は果たしている。
七回までを投げたということは、それだけリリーフを必要としなかったということだ。
たとえ結果的に負けたとしても、他のピッチャーを温存できれば、負け方としてはいいものなのだ。
監督などは単純な勝ち負けではなく、そういった視点からもピッチャーを評価しなければいけない。
ハイクオリティスタートを決めていれば、いくら負けようとローテからは外さない。
今回の場合はハイクオリティスタートではないが、七回まで投げて勝ったというのが重要なのだ。
リリーフ陣を無駄に酷使することなく、しかも勝ち星を得ている。
味方が点を取っていてくれる時は、ある程度の失点は許容してもいい。
それぐらいの考えで、西片はピッチャーの起用を考えている。
ただ、こういった安定感が、ずっと続くわけもない。
カップスとの第三戦は、塚本の先発となる。
五回を投げて五失点と、ちょっと微妙な数字である。
もちろん場合によっては、これでも勝てる試合になったりはするのだが。
レックスの打線は、爆発力に欠ける。
先制して逃げ切り、というのがチームのカラーになってしまっているのだ。
西片としては選手たちには、こういう時は自分の成績だけを考えてほしい。
つまりバッターには、ひたすら打率や打点を稼いでほしいのだ。
出塁率から得点につなげるのは、ロースコアのゲームである場合が多い。
そういうゲームであれば、本当にレックスは強いのだが。
塚本としても、即戦力などとは言われながら、新人であることは変わらない。
前回の登板も、勝ち星自体はつかなかった。
それでもクオリティスタートであったので、充分とは言えたのだ。
ビハインド展開のここからは、レックスのリリーフ陣のアピールチャンスになってくる。
負けている試合であるならば、どれだけ0をスコアボードに並べられるか。
結果としては4-6でカップスの勝利。
レックスとしては初めて、カードでの負け越しである。
今年のカップスは強いのだろうか。
ただライガース相手には、負け越していたりもする。
ピッチャーの違いもあるし、相性もあるだろう。
しかし連敗にはならないことは、西片は確信していた。
次の三連戦のカードは、東京ドームでのタイタンズ戦となる。
そしてレックスの先発は、直史の三試合目なのだ。
既に今年、完封二つを決めている直史。
レックスの打線は爆発力は低いが、安定して一点や二点を取ることは難しくない。
一点あれば勝てるといえるピッチャーなど、今のNPBに何人いるのか。
タイタンズも今年、それほど悪いスタートを切ってはいない。
そしてこのタイタンズ戦で、セ・リーグのチームとの最初の三連戦は終わる。
直史はほどほどに、カップス相手の試合も見ていた。
ただカップスには、そこまで爆発力のある打線はない。
ずるずると失点し、五点を失ったのだ。
それに木津はしっかりと勝っていた。
タイタンズもしっかりと、補強をしている。
助っ人外国人が、また新たに入っているのだ。
とは言え四番に悟がいるのは、そのOPSの高さゆえん。
また長打率も、外国人選手に負けるものではない。
大介が小柄なショートとして活躍していた時代、悟もMLBに行けば良かったのだ。
ならばおそらく、バッティングではかなりの活躍が出来ただろう。
守備にしてもパ・リーグにいた時代、そして大介がいなくなってからは、何度もゴールデングラブ賞を取っている。
それでも日本に残ったのは、もったいないなと金銭的には思う。
ただアメリカでの生活というのは、慣れない人間にとっては純粋に、苦痛なわけであるのだが。
上杉もそうであったが、トップ選手がある程度日本に残ったことは、NPBには良かったのだ。
真田などもMLBのボールの変更がもっと早かったら、MLBに行っていたかもしれない。
もっとも真田は、肘を壊している。
MLBの環境では、そこが耐えられなかった可能性がある。
結局は結果からしか、成功か失敗かは判断出来ない。
悟の場合はタイトルも取ったし、年俸もトップランクになったし、悪いことはほとんどなかっただろう。
直史としても不本意ながら、MLBに行ったことによって、人生のキャリアでは恩恵を受けている。
そんな悟が四番のタイタンズと、直史は対決するわけだ。
タイタンズもエースクラスが出てくるが、ここで負けるわけにはいかない。
データはあくまでデータとして、直史は思考する。
タイタンズのバッターたちは、どれも打ち取れる筋道が出来ている。
もっとも一失点ぐらいは、さすがに計算に入れておいてほしい。
全試合完封などというのは、いくらなんでも負担が大きすぎる。
休養に休みの日を全部使えれば、それも可能かもしれない。
しかし今の直史には、直史でなければ出来ないことが、他にも色々とあるのだ。
直史にとってプロ野球というのはあくまで副業。
一応の本業は弁護士であって、他には会社の顧問などもやっている。
それでも勝つために、色々と準備はしておく。
今年もまた、不敗神話を更新していくのか。
ファンと崇拝者の中には、それを祈り続けている人間が多い。
いつになったら負けるのか、という賭けは、もうとうの昔に成立しなくなっていたが。
それが直史の状況である。
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