第229話 高卒の限界
NPB史上、高卒のピッチャーで最高のデビューを果たしたのは、言うまでもなく上杉である。
19勝0敗という圧倒的な数字に、シーズン終盤にはクローザーまでやっていたのだ。
ただ野手に比べるとまだしも、ピッチャーは早めに仕上がるとは言われていた。
野手は金属バットから、木製バットにアジャストしていく必要があったからだ。
しかし近年は高校野球も、低反発バットに変わっている。
そのため比較的、一年目の途中などからでも、一軍に入っていく新人が多い。
一年目から活躍したのは、もちろんバッターとしては大介が一番である。
ただ大介は金属バット時代であったのに、最後の一年はまるでハンデのように、木製バットを使っていた。
他には織田なども、一年目から相当に活躍はしていたが。
ピッチャーは去年、即戦力とも言われた競合するだろう大卒を競合で逃し、外れ一位でこの桜木を取っている。
それだけ潜在能力は高く買っている。
大卒で即戦力級と言われたピッチャーは他にもいたが、一年ぐらいは待つつもりで、桜木を取ったのだ。
キャンプは一軍と二軍を、同じぐらい経験していた。
そして開幕では、一軍に入ってはいたのだ。
もっとも山田は当初、リリーフの楽なところで初先発を任せるつもりであった。
開幕で粘って投げた大原を、ここで使わないのもおかしな話。
だがベテランの大原だからこそ、柔軟に使えるという考えもある。
カップスもカップスで、ローテーションのエース級ピッチャーである。
ここを邪推するならば、ちょっと勝つのが難しいピッチャーを相手に、新人を試していったとも言えなくはない。
シーズン序盤だからこそ、試していける機会ではあるのだろう。
もっともアウェイでのゲームになるので、ライガースは先攻を取れている。
一回の表から、大介の打席が回ってくる。
そこでいきなりツーベースを打ってしまった。
クリーンナップが連打して、初回から二点を先取。
この楽に投げられる展開で、桜木はマウンドに立つ。
名門にして強豪の大学に、進むという選択もあった。
しかし最後の甲子園でベスト8に到達。
直接対決はなかったものの、昇馬のピッチングを甲子園で見ている。
あんなものを見せられては、引退してからプロ入りまで時間があっても、遊んでなどいられるわけがなかった。
サウスポーで150km/hが投げられれば、絶対に上位指名はあると思っていた。
左バッターが増加している現在、サウスポーのスライダーは重要な球種だ。
他にはカーブとチェンジアップ。
そのクオリティはともかく、球種の数は充分なものである。
3イニング投げればそれで充分。
大原はブルペンで、炎上した時の準備をしている。
プロ入り初めての先発が、一年目からやってくる。
こういった冒険をするチームは、前年まで成績が悪い場合が多い。
しかしライガースは、去年もペナントレース僅差の二位。
だがピッチャーには課題を残しているのだ。
高卒選手をいきなり使うというのは、期待はもちろんある。
また経験を積ませるという目的もある。
他にはローテーション候補のピッチャーたちに、競争心を高めさせる意味まで持っている。
とりあえずピッチング練習を見ていた感じ、悪くない出来だと大介は感じている。
あとはどれだけ、守備をする野手として、それを援護していけるか。
先頭のバッターに対しては、絶対にストライクを投げていく。
相手が狙っているのを予想できても、関係のないことだ。
プロ入り初球は、必ずストライクを取っていくのだ。
得意のスライダーを、初球に持ってきた。
一番バッターが左であることは、もう普通のことである。
だからこそスライダーは、極めて有効だ。
その軌道を見るためにも、初球は振ってこない。
鋭く変化したスライダーで、まずはファーストストライクを奪った。
これが彼にとっての、プロ生活の始まり。
そしておそらく自信があるであろう、ストレートを投げさせる。
あえて高めを狙い、そこで空振りが取れるかどうか。
浮いた高めではなく、最初から高めを狙って投げるのだ。
キャッチャーのミットの中に、ボールは収まった。
ただ判定はボールである。
高校野球に比べると、プロの審判はゾーンに厳しい。
実際に高校野球では、特に地方の大会など、ゾーンを広くしなければ、ストライクが入らないピッチャーはいるのだ。
このストライクゾーンの厳しさが、高校野球との大きな違いだ。
甲子園を戦った人間は、特に分かっているだろう。
一試合あたりで経過する時間が、プロの同じ9イニングでも、圧倒的に短い。
それは攻守交替の時間の短さもあるが、このゾーンの広さも関係している。
特に甲子園などでは、スムーズに試合を進行させる必要がある。
プロとは使える時間が違うのだ。
もっともMLBなどは、ピッチングクロックが導入されている。
他にも牽制の数にも制限がある。
日本はそれを、全て真似る必要はない。
もっとも世界大会は、アメリカ基準のルールになるのだが。
試合をどう運んでいくのか、それがプロでは確実に違う。
甘いボールがゾーンに入っていってしまった。
そこを痛打して、打球速度の速いボールが飛んでいく。
そんなヒット性の当たりを、難なく大介はキャッチする。
そのまま一回転し、ファーストへと送球完了。
まずはこれでワンナウトである。
打たせると言うよりは、打たれるといった感じであった。
だが二番打者以降にも、スライダーは有効だ。
三振は取れなかったが、ランナーは出ない。
また外野フライ以上に飛んでいく打球もなかった。
運がある程度は関係しているが、それでもまずは及第点。
ライガースの問題点は、キャッチャーを固定できていないことにもある。
もっとも二人でピッチャーを分担し、おおよそ分け合っているのだが。
レックスのように完全に、ほとんど一人でシーズンを送るのは、それなりに珍しいものとなっている。
やがてはキャッチャーも、ピッチャーのように色々ローテーションでもしていくのか。
MLBとはかなり違って、NPBはキャッチャーが頭脳職となっている。
リードの重要さは、NPBの方がはるかに上だ。
もちろんチーム数の差や、直接対決の回数など、処理するデータがあまりにも多い。
なのであちらでは、キャッチャーにはキャッチングやブロッキングなどが求められ、リードはベンチから行われる。
それを実績で変えてしまったのは、坂本や樋口といった、相手の心理を翻弄するキャッチャーであるが。
パワーゲームであるベースボールと、インテリジェンスの野球は違う。
もっともアメリカの野球が、本当の脳筋というわけでもない。
合理的であるところは、あくまでもアメリカの方が上。
しかしあまりに合理的に考えすぎると、その裏を書くことも簡単になる。
データというのは試合ではなく、練習やトレーニングに組み込むべきなのだ。
ただ相手ピッチャーの対策は、データが充分に活用出来る。
バッターはどんなボールにも対応出来るタイプと、狙い球を絞って他は粘っていくタイプがいる。
今のフライボール革命によるフルスイングばかりの野球は、またいずれ違うトレンドに制圧されるだろう。
野球よりもサッカーの方が、そういったスタイルの変遷には敏感だろうか。
ポゼッションサッカーに、カウンターサッカー、ファンタジェスタの存在、ドリブラ全盛など、色々な時代がある。
それでいて今は作戦がものをいう時代だ。
サッカーもトラッキングで、選手の運動量などを計算している。
また一人の選手のボール保持時間なども計っているのだ。
野球選手の選手寿命は、二つのパターンがある。
一つは純粋に加齢や故障で、衰えて通用しなくなるというもの。
もう一つは衰えというものではなく、手の内を知られて通用しなくなるものだ。
中には手の内を知られても、パワーだけでどうにかしてしまう怪物もいる。
直史の場合は手の内を知られても、むしろ知られているからこそ、相手が考えすぎて打てなくなる。
大介にしても実は、内角打ちがやや苦手になっている。
外角の勝負を避ける球ばかりを、普段から経験しているからだ。
桜木はまず体力をプロ基準にした上で、色々と考えていくべきであろう。
スライダーはカウントを稼ぐのにも、決め球にも使えるが、ストレートとチェンジアップの緩急を磨いた方がいい。
将来のエース候補であるのだ。
大介からすれば、ツーシームあたりを身につければ、あっさりとステージが上がりそうであるのだが。
二回以降は毎回、ランナーを出してしまう投球となった。
それでも失点はその機会に対して最小限。
もっともソロホームランを打たれたのは、仕方がないことと言えるだろうが。
五回を投げて二失点。
充分とも思えるが、期待以上と言うほどではない。
ただ状況はリードしているので、ここでピッチャーを交代させる。
五回まで投げたということは、勝利投手の権利を得ているということだ。
ライガースが追加点を入れていけば、このまま逃げ切れる。
今年のライガースには、クローザーに期待のピッチャーもいる。
逆転勝ちは多いが、逆転負けも多いという、去年の状況を変えていくべきだ。
リリーフ陣が点を取られても、ライガース打線が点を取り返す。
桜木はベンチの中で、自分の勝利投手の資格が消えないことを祈る。
高卒ピッチャーが一年目から、初先発で初勝利というのは、それなりに珍しいことだ。
二失点というのも、ランナーはかなり出したが、悪い結果ではない。
そしてここで大介のホームランが出た。
第七戦にして、既に五本目のホームラン。
このペースで量産していけば、いったいどういうことになるのやら。
中年の星などとも言われるが、そういうレベルではないだろう。
ただMLBでもそうなのだが、普通の選手はせいぜい五年ほどの選手生命が、一部の突出した能力の選手は、40歳を過ぎてもまだまだ活躍したりする。
トレーニングの発展により、全盛期を伸ばすことが出来ているのだろう。
最終的にはクローザーに、ヴィエラを出してくる。
よくいる名前であって、かつてMLBにいたピッチャーとは親戚でもなんでもない。
ちなみにMLBにも、同じヴィエラが二人ほどいる。
ここで二点差を、そのままで終わらせる。
ライガースの勝利である。
ヒーローインタビューは、ホームランを打った大介よりも、初先発初勝利の桜木が優先される。
まあ五回を二失点なのだから、悪いピッチングではないと思われやすいのだろう。
実際には強い打球をそれなりに打たれて、守備がそれをフォローしたとも言える。
フォアボールが少なかったのはいいことで、あとは三振もそこそこ奪えた。
だが当たり前のことだろうが、オープン戦などから続いて、高校野球とは全く違うレベルに、喜んでもいられなかったであろう。
普通なら下位打線など、抜いて投げていたのが高校野球だ。
しかしプロの世界では、ピッチャー以外に休むところがない。
下手をすればそのピッチャーでも、ある程度は打ってくるのだ。
プロの世界で勝ち星を上げた。
もちろん守備の援護と、打線の援護があったことによるものだ。
しかし一試合完投どころか、五回までしか投げてこなかったのに、ほとんどフルイニングを投げたような疲れがある。
純粋に体力が必要だった、ということもあるだろう。
だがそれよりも集中力で、脳が疲労を起こしている。
プロの世界で先発ピッチャーが、中六日でしか投げられない理由を、よく分かった気がする。
桜木はそれでも、まずは一勝したのだ。
ピッチャーとしての実力と、結果との乖離を言うなら、木津などもそうなのだ。
WHIPがかなり高いし、フォアボールの数も多い。
それなのに防御率はそこそこ低いという、アンバランスなところがある。
つまりそれは普通のピッチャーとは、違う部分があるということなのだ。
翌日は上がりの日であるが、運動や練習自体はする。
ただどうも集中しきれていないので、インナーマッスルを重点的に鍛えることとした。
本日のライガースの先発は、エース格の畑である。
その集中を乱すことは出来ないので、明日の先発である津傘に、桜木は話しかけたりもした。
しかし津傘には、それに応えるだけの余裕はない。
そもそも年齢差を考えれば、桜木は将来自分と、先発ローテの枠を争う可能性が高いのだ。
従ってアドバイスをしてくれるようなのは、もうキャリアは終盤であり、自分よりもチームのために働ける人間となる。
この場合であれば、昨日は結局出番のなかった、大原である。
大原は右腕であり、正統派のピッチャーだ。
それだけに多くのピッチャーに、教えることが出来る。
直史などは自分の出来ることを教えても、ほとんどのピッチャーが真似出来ない。
ただツーシームを曲げたい、などという単純なものであれば、あっさりと教えることも出来るのだが。
大原としてはとにかく、いいプロ野球生活のスタートを切った桜木には、無理をしないことを告げる。
実際に次の桜木の登板は、中六日ではない。
次は大原か、他のピッチャーに投げさせて、中10日以上は空けて投げさせる予定だ。
その間には桜木には、トレーニングをしてもらう予定である。
5イニングというだけではなく、球数も90球程度にしかなっていない。
それなのに疲れているというのは、純粋に体力不足である。
昔の野球などは、とにかく走らせて体力をつける、ということをやっていた。
だが今のアマチュアの指導は、体力の付け方にしても、無茶なメニューは組まない。
桜木は京都の名門出身であるので、それなりにハードな練習はしてきたつもりだ。
しかしプロの打線と、ここまで正面から対決するのは初めてであった。
キャンプでは二軍相手に、それなりに投げている。
今の時点での自分の生命線は、スライダーだということが分かっている。
実際に昨日の試合でも、かなり左バッターは抑えていた。
問題は右への対処なのである。
右への対処が出来ないと、セットアッパーのポジションに移動させられるかもしれない。
リリーフを軽視するわけではないが、やはりピッチャーとして入ったからには、ローテで投げまくるピッチャーになってほしいのだ。
大原から言えるのは、ストレートとチェンジアップを磨くこと。
とにかく緩急を使えるようになれば、それだけで大きくピッチングの幅が広がる。
大原にしても若い頃はともかく、今は完全にコントロールと緩急で投げている。
若いうちから技巧に走りすぎても、あまりいいことはない。
だが桜木のスタイルなどを見ていると、ストレートを活かすためのチェンジアップが重要であるのだ。
ノースルーの日であるからこそ、自分のピッチングを振り返ることが出来る。
ここはコーチやトレーナーに、客観的な視点から見てもらうのだ。
150km/hオーバーのサウスポーということで、これだけでも充分に貴重である。
また左バッターに対しては、逃げていくスライダーで三振が取れた。
緩急を身につけるのも、確かに重要なことである。
ただ右バッターへのスライダーも、使い方による。
懐を突き刺すようなスライダーではなく、外ぎりぎりに入ってくるスライダー。
これはキャッチングの位置によって、ボールでもストライクが取れるのだ。
フレーミングもあるが、角度が大きく変化してくる。
なのでキャッチングの位置自体は、確かにストライクに見えなくもないというものだ。
大介としてはサウスポーのスライダーで、真田を思い出す。
桜木のスライダーは、確かに左打者にとっては打ちづらいものである。
しかし真田のあの高速スライダーとは、さすがに違うものである。
もう少しスピードは遅く、その代わりに変化量が大きい。
自分なら打てるな、と思ったものだ。
もっとも新人の心を折るのは、別の人間の仕事だとも思った。
普通の左バッター相手なら、今の時点でも充分に通用する。
ただスライダーだけで勝負するには、プロの世界は甘くはない。
一応他にはカーブも使っている。
チェンジアップと共に、緩急をつけるためのボールだ。
大介の目からすると、シュート回転のつきやすいストレートを、上手く組み込んでいくべきではないか、と思う。
元々ストレートというのは、わずかだがシュート回転がかかっているものなのだ。
ただしそういうアドバイスをするには、大介はピッチャーの気持ちなど分からない。
そもそもピッチャーの変化球の最高到達点は、はっきりと分かっている。
だがそれよりも先に、まずは基礎的なプロ野球選手としての能力を、高めていくべきだとも思うのだ。
一年目からレギュラーに入り、そして三冠王を取っていた大介は、誰の基準にもならない。
打たれても仕方がないと、周囲には思われているのだ。
大介をも封じようとして来るのは、直史を除けば昇馬ぐらいだ。
まだ中学生の頃から、本気で大介に挑んできた。
もっともそれを木っ端微塵にするおとなげないところも、やはり大介らしいところではあるのだ。
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