第225話 二年目と一年目
ちょっとでも秀でたところのある人間は、自分が世界の主人公と感じることがあるのかもしれない。
だがやがて気づくのは、その秀でた部分など、他にもっと秀でた人間がいるのだ。
自分が主人公になれるのは、自分の一生の世界においてだけ。
しかしそれで充分ではないか。
ただ諦観するばかりの人間が増えても、社会に活力は生まれない。
つまづいて転んでしまっても、すぐに立ち上がって歩みを止めなければ、それだけ遠くに行くことが出来る。
足踏みしている暇などはない。泣いてもいいが歩みを止めてはいけない。
開幕五戦目、スターズとのカード二戦目に先発する木津は、そんなことを考えていた。
体格を見込まれて、大学までは野球部にいた。
球速に比較しても、空振りが取れるというストレート。
プロに育成で入って三年、ようやく一軍での出番がやってきた。
わずかに五試合に投げただけだが、その中にはポストシーズンの試合もある。
全ての試合で勝っているというのは、あくまでも運の良さによるものだ。
しかしピッチングの内容も、四球の多さを除けば、かなり良いものであるのだ。
その四球の多さ、がもちろん今の野球では、弱点にもなっている。
木津のようなタイプのピッチャーは、MLBに行くことはない。
だがもしもMLBに行ったとしても、このコントロールでは打線を抑えることは難しいだろう。
MLBはMLBで、データ野球の限界も感じている。
そもそもいくら最適解のリードを出しても、ピッチャーのコントロールはそこまで正確ではない。
ど真ん中あたりに全力で投げたら、自然とある程度ボールは散ってくれる。
そこにムービング系のボールを投げたら、ある程度は打ち取れる。
乱暴な理屈だ。
しかし分かりやすくはある。
実際にこれで結果が残ってもいるのだ。
ただしそれに対する攻略法も、しっかりと分かっている。
やはりフルスイングとなる。
バッターがピッチャーに勝つというのは、いくつかの手段がある。
一つは狙い打ちであり、強打者にして好打者であると、このスタイルが多い。
プルヒッターであると、とにかくバットに当てて飛ばす、というのが乱暴なスタイルになる。
他には失投を待つというのも手段だ。
実際にピッチャーは、かなりの確率で失投している。
それを見逃さずに打つことこそ、結果につながってくるのである。
開幕から四戦目、ようやくレックスの地元開幕である。
少しだけ改修した神宮は、やはり使っていて気持ちがいい。
こちらが終わらなかった時は、第二球場かあちこちを渡り歩いたものである。
元々神宮は、大学野球のためのもの。
プロの開幕戦には間に合わなくても、大学のリーグ戦には間に合わせる。
なお大学野球が長引いた場合、プロの試合前練習時間が削られるのである。
スターズとの三連戦、初戦のピッチャーは百目鬼。
去年は開幕から五連勝というスタートを切って、その後も平均以上のピッチングを続けた。
25試合に先発し、15勝7敗というのは立派なものだ。
一昨年の途中からローテーション入りし、その年は怪我などもあったが9勝もした。
去年は完全にローテーションを守って、直史引退後のレックスのエースでは、とも言われている。
もちろん直史の代わりなど、出てくるはずもない。
しかし人間はいずれ衰え、死んでいくものなのだ。
どれだけ偉大な人間であっても、死から逃れることは出来ない。
これだけは世界の真理である。
これはつまり、どのような愚物であっても、いずれは死んでくれるということでもある。
社会はその中で、少しでもマシな方を選択していかなければいけない。
百目鬼のピッチングは、初回からよく走っていた。
戦力補強にあまり金をかけられなかったスターズを、まず初回からしっかりと抑える。
本人としてはライガース戦、自分が三戦目でも良かったのではないか、と考えている。
オーガスは去年二桁勝利をし、勝率も百目鬼よりは良かった。
それに地元開幕戦であるのだから、むしろこちらに勝てそうなピッチャーを持ってきたとも言える。
スターズは開幕こそ武史が勝ったが、そこから連敗している。
選手の補強がいまいち、上手く行っていないと言えるだろう。
そこに勝率の高いレックスが当たっていく。
ここでも勝ち越して、いいスタートを切りたい。
当たり前だが武史は出てこないので、百目鬼としては楽に投げられる。
スターズは戦力の入れ替えが、あまり上手くいっていない。
いや、上杉時代を知る人間が、どうも消化不良になっているとでも言うべきか。
スターズの補強は、あまり明確なものでなかった。
ドラフトでは帝都一のエースであった轟などを獲得したが、これが先発ローテーションに入ると予想されている。
だがまずは百目鬼が、七回までを投げるハイクオリティスタートを達成。
対してレックスは、七回までに四点を取っていた。
二点差がある状況なので、大平から平良へと継投していく。
勝利の方程式である国吉が、開幕早々に負け投手になっているのが、ちょっと誤算ではあろうか。
リリーフピッチャーの中でも中継ぎというのは、年単位で一気に成績が変わってくるのだ。
ホームでの開幕戦を、レックスは勝利することが出来た。
これはなかなかいい滑り出しである。
プロ野球は三試合のうち、二試合を勝てば優勝出来るスポーツである。
なのでこの三連戦のカードも、二勝はしておきたいのだ。
第二戦のレックスの先発は木津。
対してスターズは、なんと高卒一年目の轟を、そこに当ててきたのである。
「意外だったな」
当日のミーティングでは、そんな会話がされる。
監督とコーチ陣にバッテリー、そして直史。
一応はコーチ料などはもらっていないが、練習の合間にこれは行われている。
直史は体力的に、ハードなメニューを長時間入れられない。
なのでこうやって相手を分析するのは、休憩時間にもなっている。
(轟か……)
一応オープン戦の途中で、二軍から上がってきていた。
ただ公式戦のデータは、高校時代のものしかない。
帝都一のエースであったから、直史はある程度のデータは知っている。
去年の夏までは、明史が蓄積したデータがあるのだ。
150km/hオーバーのストレートと、変化量もスピードも変わるスライダーが武器。
他の球種としては、チェンジアップに挑戦しているらしい。
150km/hオーバーといっても、155km/hぐらいはMAXで出ている。
しかしそれは、去年の夏の話だ。
プロ入りが決定して、さらに合同自主トレなどを経験し、どれだけのものを学んでいるか。
甲子園の頂点も経験している高卒ピッチャー。
今年の高卒ピッチャーはかなり豊作で、一位指名された者もいる。
数字を見るだけならば、確かに轟はもう充分、プロのスペックではあるのだろう。
高校からプロに入ってきたピッチャーが、まず驚愕すること。
それは普通に下位打線であっても、自分のボールを打ってくるということだ。
高校野球なら一番やクリーンナップであるような選手しか、プロには入ってこない。
まずはそこで自信を打ち砕かれ、そこからが始まりである。
もっとも高卒で一年目から活躍する、本当の化物のようなピッチャーもわずかにいるが。
通用するならいいし、通用しないなら改めて鍛えなおす。
そのつもりでスターズは、轟を持ってきたのだろう。
ただレックスもレックスで、木津がどんなピッチングをするか、それに興味がある。
データが揃ってしまえば打たれるのか、それでもまだ打たれないのか。
少なくともオープン戦では、短いイニングなら実績を残していた。
まずはホームである神宮なので、木津のピッチングから始まる。
先頭打者から粘られたが、最終的には内野フライで打ち取る。
一回の表はランナーこそ出したが、失点にはつながらなかった。
そして一回の裏、レックスの攻撃。
先発のピッチャー轟がマウンドに登る。
轟のスライダーのキレは、確かに素晴らしいものである。
だが基本的には、大きく変化するタイプのスライダーは、右打者に対して効果的だ。
左打者は懐に飛び込んでくるため、空振りはそこまでは見込めない。
もっともボール球と思ったボールが、ゾーンにまで変化してくるバックドアスライダーなどは、それなりに打ちにくいものなのはもちろんだ。
そしてレックスの先頭は、左打者の左右田である。
高校から社会人へ進み、そしてレックスに入ってきた左右田。
彼にも高校時代からプロのスカウトは目をつけていたが、その頃はまだ体が細かった。
大学か社会人で鍛えられれば、プロのレベルに達するのではないか。
そう思われて社会人に入り、確かに解禁の年にレックスに入ったものである。
そんな左右田から見れば、高卒でいきなりプロに入ってきた轟は、間違いなく完全なエリートだ。
もっともその力が、既にプロで通用するのかどうか、それは分からない。
アマチュアとプロでもっとも違うのは、その体力と耐久力。
ただ野手に比べてピッチャーは、高卒でも通用しやすいというのは、トーナメントの日程によるところだろう。
中一日や中二日で、投げることもあるトーナメント。
いくら球数制限が出来たとはいっても、普通に連投をしたりはする。
プロの世界では先発なら、よほどの状況でない限り、中五日か中六日で登板することになる。
すると日程的には楽なように見えるが、対戦するバッターのレベルが変わってくる。
八番であっても、油断することは出来ない。
もっともプロであっても、ショートやセンターといったあたりには、比較的守備力重視の選手を選ぶのだ。
轟のボールを、まず左右田は見ていった。
追い込まれても慌てず、スライダーをカットしていく。
最後にはバックドアを見極め損ねて見逃し三振となったが、打てないと感じるようなボールではなかった。
もっとも球速が、150km/h程度しか出ていない。
高校時代のクセで、初回から飛ばしていくということが、出来ていないのだろうか。
確かに高校野球なら、下位打線では抜いて投げないと、完投などは難しかった。
継投が基本とはいっても、温存して投げられるなら、それに越したことはなかったからである。
そういう轟の思惑を、ベテラン緒方は見抜いていたのか。
オープン戦の打撃は、やや落ちていた緒方である。
それでも二番に置いているのは、長年の実績から信用されたものだ。
そしてここでも、その信用に応えた。
この数年はもう、年間に二桁のホームランなどは打っていない。
しかしその中の一本を、見事に狙い打ちでスタンドに放り込んだのであった。
中軸以外でも、狙い打ちをされてしまえば、普通にホームランを打たれる。
150km/h以上は出ていたが、やや浮いたボールであった。
緒方はやはり小柄な選手だが、こうやって長打を打つことは出来る。
二軍戦ではそれなりに通用し、一軍のオープン戦でも投げていた。
しかし公式戦では、こういうことになる。
重要なのはここで、しっかりと切り替えていけるかということだ。
クリーンナップには高校時代には経験したことのない、外国人のパワーが入っていたりするのだから。
轟の初回は、二本のホームランを打たれた。
緒方の次には、四番の近本にである。
皮肉に思えるかもしれないが、外国人二人は三振で打ち取っている。
つまりアウト三つは、全て三振というものであったのだ。
スターズのキャッチャーは、大ベテランの福沢である。
試合前のミーティングでは、とにかく自分の今の力では、まだまだ通用しないことを知れ、と轟には言っていた。
だがヒットは二つともホームランで、アウトは全て三振。
なかなか極端であり、面白い結果である。
このまま二回以降も投げて、とりあえずは五回を目標。
そこまであと一失点以内なら、次のローテも投げさせて構わないだろう。
スターズもやはり、ピッチャー不足は慢性的なものになっている。
毎年ピッチャーを取っているのに、どうしても足りないのだ。
ドラフトで注目株を取っても、それが期待通りに成長するかは分からない。
一位指名であってもまともに活躍出来ないことはあるだろうし、逆に下位指名からの下克上もある。
ただやはり上位で指名された選手には、それなりの期待がされているものなのだ。
面白い試合になってきている。
二回以降も木津は、毎回のようにフォアボールでランナーを出した。
またヒットもそれなりに打たれて、あわやという場面にはなる。
しかし点には結びつかない。
フライで上手く、アウトが取れているのだ。
対して轟は、確かにそれなりに打たれている。
だがこちらも、そう連打は許さない。
これは抜ける当たりだな、と思われた打球を、守備がアウトにしてくれている。
帝都一は下手なプロより強いのでは、などと言われたこともある。
だが一つ一つのプレイのクオリティが、圧倒的に違うのだ。
轟は五回にもまた、ソロホームランを打たれた。
木津が無失点に抑えているので、これで3-0となる。
ただベンチとしては、これはこれでいいと考えているのだ。
ホームランを三本打たれても、下手に逃げたピッチングをしない。
もっとも勝気がすぎて、甘いところに投げてしまうことはあるが。
上手くスライダーを使っていけば、右打者からは高確率で空振りが奪える。
また左打者にとっても、かなり有効である。
ただチェンジアップは、あくまでも緩急のために使うべきだ。
今のところは空振りを取るためには使えていない。
スライダーを投げるのだから、縦スラを磨くべきであろうか。
そんなことをベンチは、考えながら投げさせていたのだ。
失点が全てホームランというのは、面白い結果である。
打たれたのはスライダーではなく、ストレートであった。
そんな轟に対して、木津はなんと七回まで無失点。
外野にまで飛んだフライはそれなりに多いが、上手く野手の守備範囲であったのだ。
もちろん追いつけるほど、滞空時間の長いフライであったのも確かだ。
三振もそれなりに奪えて、ヒットは打たれてもホームランにはならない。
素晴らしい内容で、リリーフ陣につなげていける。
ここまで来たなら完投を、ということにならなかったのは、球数が多くなったからだ。
120球を超えたところで、もうこれは限界だと判断された。
リリーフ陣もまだ二連投なので、そこまで深刻な話にはならない。
しっかりとスターズ打線を抑えようと、大平と平良は投げ込んだ。
平良が一発、ソロホームランを打たれるということはあった。
しかも轟の降板後、さらに一点を取っていたので、ホールドやセーブがつかない。
四点も差があったのだから、勝ちパターンのリリーフでなくても良かったのではないか、という話も出てくる。
実際にブルペンで豊田は、他のピッチャーにも準備をさせていたのだ。
スターズは打線に、爆発力があるチームではない。
なのでこういった点差の試合は、若手に経験を積ませたかった。
また明日もリードして終盤を迎えれば、三連投はさせないのがレックスのリリーフ事情。
そこまで考えるとやはり、今日の試合は他のピッチャーを使ってほしかった。
四点差というのは微妙な数字だ。
しかし残り2イニングであったのだから、普通はそのまま逃げ切れる、と思うところだろう。
直史としてもここは、勝ちパターンを使っていくのかは微妙な判断だと思った。
ただこの試合を勝てば、三連戦のうちの二つを、先に勝っておくことになる。
ならば確実に勝っておきたい、と考えるのも無理はないかな、と納得しないでもない。
4-1でレックスは勝利し、これで三連勝。
今年のセ・リーグの中では、一番いい序盤の進行と言えるであろう。
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