第217話 Aクラス

 神奈川グローリースターズの栄光は、それなりに長いものであった。

 上杉の入団から二年連続、そして上杉の復活から数年。

 日本一とペナントレース制覇が、何度か続いたものである。

 去年の成績もAクラス入りの三位。

 その主力投手と言えるのが、佐藤武史である。


 大卒ピッチャーでありながら、200勝はおろか300勝を突破。

 現在の日本で、いや未来までも合わせておそらく、上杉の持つ通算最多勝の記録を塗り替えることの出来る可能性のある、唯一のピッチャー。

 だがそのためには、あと三年は活動する必要があるだろう。

 武史としては自分の衰えを考えると、それはちょっと無理があるのではと思う。


 今さら技巧派になるのは、もう面倒である。

 一生分の金は稼いだことであるし、事務所に所属していては、取材を受けたりもする。

 野球を第一にしてはいるが、タレントのような仕事もしないではない。

 育てられた環境のおかげか、武史は善良である。

 そしてある程度の勤勉さも持っている。


 野球に関してはオフに、直史や大介と付き合っているため、ある程度は準備はされている。

 だが二人ほどには、完全にストイックにはなれなかった。

 生まれたばかりの息子に、夢中になっていたということもあるだろう。

 それでも今年もオープン戦から、160km/h台は連発している。

 また緩急を使うべく、遅いカーブの練習などもしているのだ。


 上手く抜くような形で、回転をつけて落差をつける。

 あまりコントロールはよくないが、それでもストライクはしっかりと取れる。

 今年も10個以上の貯金は作ってくれるだろう。

 スターズ首脳陣はそう考えているが、武史としてはもっと戦力を揃えろと言いたい。


 上杉の引退から、スターズは徐々に戦力を落としていっている。

 武史がそこの穴を埋めているわけだが、上杉ほどのカリスマはない。

 上杉は最終年こそ相当の貯金を作ったが、キャリアの晩年はタイトルとは無縁であった。

 もっとも最高勝率は、それなりに狙える勝ち星を上げていた。

 直史が帰ってきてなかったら、という話になるが。


 どうやらフロントは、時間をかけてチームを作り直していこうとしているらしい。

 ただその間も、Aクラス入りは維持したい。

 そのために必要な力は、武史のピッチングとなる。

 一人で10個も貯金を作ってくれれば、完全にエース格である。

 去年は20個も貯金を作ったのだから。


 投手陣は先発ローテで、期待できるところは三枚ぐらいか。

 他のローテ陣は、もう年齢による衰えがある。

 それよりもさらに年上の武史の方が、エースであるという事実は凄い。

 クリーンナップに外国人が入っている、というところは他のチームと似ている。

 ただピッチャーのところで、外国人枠を上手く使えていない。




 スターズというチームから、上杉の影響が消えつつある。

 そもそも上杉の入る前は、万年最下位争いをしていたのだ。

 上杉の離脱したシーズンも、二年連続で最下位になっていた。

 しかし上杉が衰えてからも、チームにいた時に限っては、最下位には一度もなっていない。


 武史の力は、ピッチャーとしては上杉に近いものなのだ。

 一度肩を壊した上杉より、武史の方が長く出来そうなのは、ちょっと皮肉な感じもする。

 武史はそもそも、高校時代の勤続疲労がほとんどない。

 また大学においても、最後の一年以外は楽に投げていたし、その最後の一年でもそれほど連投などはなかった。

 こういった条件から、選手寿命が長かったとも言える。


 佐藤兄弟を見れば、実は大器晩成型であると分かる。

 両方とも上限がとんでもなく高かったので、完成する前から通用していただけだ。

 おおよそ大器晩成というのは、野球においてはほとんど、完成する前にプロからは抜けてしまう。

 高卒大卒にもよるが20代の前半には結果を出さなければ、それ以上の伸び代は期待されない。

 29歳が平均引退年齢などというが、普通に五年でクビということはある。

 育成などは最初の三年が終われば、それでもう切られてしまうのが大半なのだ。


 武史は一人、自分自身の調子は把握している。

 だがチーム全体の活気は、ちょっと落ちているかなとも思う。

 やはり武史では、戦力としてはともかくチームキャプテンとしては、スターズの核にはならない。

 そしてスターズというチームに思うのは、首脳陣よりもチームキャプテンの方が、影響が強いのではということだ。


 上杉の存在感というのは、それほどのものがあった。

 また武史は基本的に、技術的な指導を後輩にはしない。

 サイ・ヤング賞の最多獲得者である武史は、それなりに憧れの目で見られている。

 MLB時代の武史の年俸一人分で、今のスターズのベンチメンバー全員の年俸を合わせたより、稼いでいたこともあるのだ。

 アメリカンドリームを求めるには、やはり金がものをいう。

 そして純粋にピッチングのアドバイスを求められることもあれば、アメリカの話も聞きたいという後輩がやってくる。


 今は特にピッチャーは、MLBで活躍して上がり、というのがプロ野球の世界だろうか。

 日本の先発ローテで三億ほど稼げるなら、アメリカに行けばその10倍は稼げる。

 税金などの問題もあるが、メジャーで五年やれたなら、もう安心と言ってもいいだろう。

 だいたいFAが取れたなら、かなり安くても一年20億は稼げる。

 代理人の力にもよるが、複数年契約で五年もやれば、それこそ100億ほどになったりもする。


 オープン戦の期間なので、まだ少し緩いところがある。

 調整が上手くいっている若手などと、ちょっとお高い店に行ったりもする。

 なお武史は嫁命なので、キャバクラなどには行かない。

 離婚案件などにはならなくても、嫁の機嫌を損じることは、回避するのが佐藤兄弟の系譜である。

 だから高給な創作料理や焼肉で、高い飯を食うのだ。


「アメリカは幻想持ちすぎない方がいいかな」

 武史は身も蓋もない。

 自分は成功したが、日本から移籍した選手で、失敗した選手も大勢いるのだ。

 ぶっちゃけ日本人ピッチャーが失敗すると、叩かれ度合いも他の地域のピッチャーよりも高い。

「代理人に誰を選ぶかで、決まるところはある」

 また金以外の条件の方が重要であったりもする。




 武史の場合はトレード拒否権が大きかったと思う。

 コロラドなどは明らかに、ピッチャー不利の球場であったりした。

 またニューヨークだと物価が高かったりと、生活の問題もある。

 知り合いが殺されたし、妻が殺されそうにもなった。

 そのあたり日本とは、完全に環境が違う。


 セキュリティのしっかりした物件を用意してもらえるか。

 また故障の時の保証など、契約書はとんでもなく分厚くなる。

 そういった契約に神経をすり減らされたりしないよう、代理人が存在する。

 なので最初に代理人と、しっかりと話しておくことも必要だ。

 もっとも代理人も、とんでもなく忙しいものであったりはする。


 先発ローテのピッチャーであるのに、上がりの日がない。

 投げないと分かっているのに、チームには帯同していく。

 20日近くも試合が続く。これは先発ローテなら関係ないが。

 チームによっては中五日ということが平均であったりする。

 球数制限を頑なに守って、逆に柔軟性に欠ける。

 ただメンタルは重視するが、根性論に走ることはない。


 ピッチャーであるなら特に、MLBで成功するのは一つの路線だ。

 もっともあちらのスカウトは、とにかくフィジカルから出てくる選手を取るが。

 直史のようなタイプは、ちょっと例外である。

 もっとも直史と、その前の大介にその後の武史や樋口は、ルートが確立されていたものだ。

「日本で沢村賞を取るか、そうでなくてもタイトルを二つ三つ取らないと、なかなか評価は難しいかな」

 いや、あんたとその兄のせいで、ほとんどタイトルは取れないんですが、とスターズの投手陣は思った。


 逆に考えれば、リリーフ陣にはチャンスがある。

 実際にレックスで守護神をやっていたオースティンは、メジャーとの契約を締結してあちらに戻った。

 そして実際に、クローザーとしてかなりの成績を上げている。

 ピッチャーはほとんど毎年、そして野手も数年に一人は、NPBのトップレベルが海を渡っている。

 またMLBはNPBの、素質型の選手にまで、声をかけるようになっているのだ。


 スターズはピッチャーが、武史を除いても高齢化している。

 だいたい上杉に憧れて、と入ったピッチャーが多いのだ。

 それでも今は、チーム全体が若返りのタイミングになっている。

 武史が頑張ってチームを勝たせている間に、しっかりと球団経営を行っていく。

 神奈川の中でも横浜を中心とした、大きな商業圏が地元である。

 フランチャイズとしては、相当に成功した球団運営であろう。




 直史はキャンプ中、同じようにMLBでの話を聞かれた。

 あちらにおいても直史は、普通のバッターを全く意に介しなかった。

 五年間で五度のサイ・ヤング賞。

 怪我がなければどこまで続いていたか、とはよく言われる。


 直史こそ多くの野球選手の中でもっとも、イフを語られる人間であるのだ。

 高卒時点での球速は、144km/hがMAXであったので、そこは微妙である。

 しかし大学では一年の春から、完全に他のチームのバッターを封じていた。

 半分以上の試合が、ノーヒットノーラン以上。

 プロでも圧倒的な成績を残しているが、それ以上のものであったのだ。


 アマチュアながら特例で、WBCにも参加している。

 そしてクローザーとしてはベストナインにも選ばれた。

 卒業時には球速も、150km/hを超えていた。

 この時点で多くの球団から、監督などへの接触はあったのだ。

 ファンとしてもここで、プロ入りしていてくれれば、とは今でも思ってしまう。


 27歳のシーズンからプロ入りした。

 社会人扱いではあるが、それ以前の年には、タイタンズが育成で指名もしている。

 社会人にはプロ志望届がないのだから、強行指名に近いものだ。

 もっとも本人にその気がないのは、完全に明らかなことであった。

 その意を翻したのは、レックスのスカウト陣の力だ、と今でも思われている。

 ただ本当の理由については、明言されたものが本当かどうか、今でも議論がある。


 直史の恐ろしいところは、まず色々な種類のコントロールだ。

 そしてもう一つは、記憶力にある。

 投球術で駆使する、相手のデータの記憶力、などとはまた違うものである。

 少し野球から離れていたのに、すぐに感覚を取り戻すことが出来た。

 それだけの間、肉体が動きを忘れていなかったのだ。

 もちろんその制御は、脳が行っているのだが。


 単純な知能指数なども、直史は高い。

 だが脳のそういった機能が、おそらく他のどの野球選手よりも優れている。

 だからこそ一度引退し、五年以上のブランクがありながらも、また復帰できたのだ。

 そしてシーズン前のオープン戦では、去年は一度しか投げなかった150km/hオーバーを、何度か見せ付けている。

 球速計測の誤差かとも思われたが、他のピッチャーの球速と比較すれば、やはり正しいと思われている。

 つまりこの42歳のシーズンで、去年よりも強くなっているのだ。




 こんな直史のMLBでの話は、あまり参考にならない。

 そして言っていることも、武史とあまり変わらない。

 ただ直史の場合は、明らかに武史よりもフィジカルは、劣っていたのは確かだ。

 どれだけ上手く休養を取ることが出来るか。

 MLBの試合間隔と移動を考えれば、そのあたりが重要になってくる。


 MLBのキャンプでは、それなりに選手たちも、のんびりした雰囲気の者はいた。 

 確実にロースターに入ると言われているベテランだ。

 だがシーズンに入ると、そんなことは言っていられなくなる。

 半年間の間に、162試合を行うのだ。

 大介でさえ怪我をしたわけでもないのに、試合に出なかったことがある。

 それだけのスタミナを必要とするのだ。


 またピッチャーが通用しやすいと言っても、適性が違うのだ。

 現在ではボールが、日米でほぼ共通のものとなっている。

 国際大会でも使われるものに、どんどんと合わせていっているのだ。

 他に違うのは、マウンドの硬さであろうか。

 やや日本のマウンドよりも、つっぱる感じがする。

 下半身で上手く衝撃を逃がせなければ、故障はかなりしやすくなるのだ。


 ただ直史はMLBにおいても、己のピッチングスタイルを変えなかった。

 そしてデータにしても、ベンチからの指示はあまり聞いていない。

 ベンチとしても直史の場合は、あまりサインを出すことがなかった。

 持っている球種が、単純に分けられるものではない。

 またスピードの緩急というのを、同じ球種でやってのけたからだ。


 直史の持っている技術は、他の誰にも真似出来ない。

 今年はかなり戻してきたが、それでも全盛期の力はない。

 30歳前後の自分が、ピッチャーとしては一番であった。

 もっとも今は、新しい理論とデータ、それに経験の蓄積が加わっている。

 直史は成長も進化も、さすがにもう出来ない。

 しかし変化することは出来ている。


 バージョンアップは出来なくても、充分に通用することはある。

 PCのソフトなど、むしろ新しいのは重たくなるだけであったりもする。

 その意味では直史は、自分に適切なピッチングスタイルを、ずっと模索している。

 そしてそれはおおよそ、正解となっている。




 直史のようなピッチングスタイルを、求めるようなピッチャーはいる。

 150km/hを投げている時点で、それは既に才能ではある。

 しかし高校時代の直史は、140km/h程度でワールドカップの代表に選ばれた。

 また事実上のパーフェクトを、甲子園で達成している。

 160km/h投げるピッチャーが、かなり出てきている現在。

 そこで140km/h程度であっても、勝てるという自信を持ちたい。


 直史が今年の味方のピッチャーで、一番注目しているのは木津だ。

 体格などは実は、直史よりも優れている。

 筋力も直史より高いのだが、球速は140km/hに満たない。

 ただ同じチームということもあって、その球質のデータは知っている。

 そこで言えることは、下手に球速を求めてしまうと、むしろ打たれるだけである、ということだ。


 木津のおかしな点は、球速が出ていないのに、スピン量が高いことにある。

 本当ならもっと落ちるはずのストレートが、あまり落ちない。

 なので目付けの下手なバッターは、見逃しはなくても空振りはしてしまう。

 そして減速があまりしない。

 球速を別としたら、一級品のストレートを持っている。


 プロのバッターというのは基本的に、速い球を打つ練習ばかりをしている。

 そこに遅い球を投げられると、タイミングが狂ってしまう。

 しかもこの遅い球は、思っていたよりも速いのだ。

 ここで脳がバグを起こす。

 リリースポイントが前にあるのも、木津のいいところである。

 そしてこの木津を活かすための作戦を、直史はちゃんと分かっている。


 レックスの首脳陣も、しっかりと木津の特性は分かっている。

 三連戦のカードがあれば、その第二戦に使っていく。

 それが木津の正しい使い方だ。

 パワーピッチャーの後であれば、その遅い球が逆に打ちにくくなる。

 そして木津にタイミングを合わせれば、次の試合では普通のピッチャーを打ちにくくなる。


 直史とある種、似たような要素を持っている。

 それはその試合ばかりではなく、次の試合にも影響を与えてしまうという点だ。

 また木津の後に投げるリリーフは、パワーピッチャーであれば球速差でバッターを打ち取りやすい。

 去年の試合、ポストシーズンまで合わせて五試合を投げて、全てを勝っている。

 そのあたりの理由が、このピッチングの正体なのであろう。


 面白いピッチャーである。

 フィジカル全盛のこの時代、確かにフィジカルはあるのだが、それほど球速は出ない。

 しかし三振が奪えて、ちゃんと勝てている。

 ただ今年のシーズンの成績次第で、ピッチャーとしての価値は変わるだろう。

 他のチームの分析班が、どれだけ木津を分析しきれるかだ。

 下手に木津に合わせると、バッターの調子を崩してしまうかもしれない。

 こんなピッチャーも一つの時代に、一人ぐらいはいていいだろう。


 フィジカルで取ったはずのピッチャーが、結局は内容で起用される。

 そして仕方なく使ったところで、しっかりと結果を残した。

 直史一人では、今年のライガース相手に勝ちきれないだろう。

 ライガース相手に、木津のようなピッチャーを使って、調子を崩したい。

 今年のレックスは監督が代わっただけに、より積極的な作戦を立てていくようである。

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