第216話 開幕の前から
レギュラーシーズンの開幕前から、積極的に動き出す。
それはプロの中でもチーム自体ではなく、スカウトである。
ユニフォームを脱いだ青砥は、そこからすぐにあちこちを動いて回る。
先輩スカウトマンである、鉄也に補佐、そして一応は関東の南半分の担当として。
顔が名刺代わりになる今の内に、どんどんとアマチュアの指導者と顔つなぎをしておく。
青砥の場合は高校時代、組んでいたキャッチャーが大学に行ってそこから社会人を経て、今では大学の監督などをしている。
まだ若いと言えるのか、青砥と同じ年齢なのだ。
野球の世界というのは、学年か年齢のどちらかで上下が決まる。
ただし目下に奢れないような人間は、その上下関係が崩れる。
青砥が引退試合をしたあたりから、各地では対外試合禁止期間も終え、高校野球が動き出す。
また大学野球も春のリーグ戦を見据えて、社会人も動き出すのだ。
青砥自身は高卒であるが、先輩にも後輩にも同期にも、大卒や社会人出身というのはたくさんいた。
そういうルートからもどんどんと、人脈を作っていかないといけない。
もちろんドラフトで担当した選手がいたなら、この時期はある程度調整を見ておく必要もある。
基本的に一番スカウトが暇なのは、二月だとは言われているが、何も起こらないはずもない。
「そんなわけで顔の広いナオさんにも、色々と紹介してもらおうかなと」
「まあいいけど」
引退したばかりなので、現役選手にも普通に話していく。
そしてそこから人脈につなげていく。
プロ野球というのはかなりクリーンにはなったものの、それでも人間関係で選手を囲い込むことは出来る。
特に今は高校から大学のルートが、一番金が動きやすい。
小賢しい若者は、大学で自分の価値を、上げようと考えたりもする。
また大卒であると、セカンドキャリアでも有利ではあるのだ。
一応直史の母校と言うか、出身大学である早稲谷は、東京六大学の名門だ。
そこの監督が偶然にも、変わったところなのである。
しかもその監督というのが、直史と同学年であった近藤。
彼もプロ入りして一軍の試合にかなり出たが、大成と言えるほどの活躍は見せず、引退していたのだ。
ピッチャーとしても投げていたが、キャッチャーの経験もあり、大学以降は野手。
それが母校の大学の監督である。
考えてみれば高校も、早大付属なのである。
あのあたりのコネクションを作るのには、絶好の人間であるかもしれない。
「スカウトとしては遠回りになるかもしれないけど、千葉のアマチュアなら鶴橋監督にも挨拶しておいた方がいいな」
現在はシニアの監督ではあるが、千葉の強豪は私立も公立も、彼の影響が未だに強い。
それはもちろん千葉出身の青砥も分かっている。
セカンドキャリアでも、球団職員という形で、チームに貢献することが出来る。
野球人というのはなかなか、完全に野球から離れることは難しいのだろう。
直史としても同じ千葉出身であるので、普通に協力はしてやる。
地元が同じと言うだけで、ある程度は優しくなる直史。
やっていることは革新的だが、その核となる思想は相当に保守的である。
情実によって人間を縛るのは、日本の特徴である。
だがこれは別に、日本だけの特徴というわけでもない。
普通に人種や出身地において、バイアスがかかるのは当然である。
とりあえず東京というエリアを任されることが、期待の証であろうか。
もっともここで全く選手を取れなければ、ひどいプレッシャーにもなるだろう。
直史としてはこのプレッシャーが、果たしてどう働くのかが気にはなる。
青砥は善良な人間なので、普通に幸福な人生を送ってほしい。
ただ青砥はなんだかんだ言いながら、充分に年俸は稼いだはずだ。
子供も多いがそれでも、充分な資産は形成されていたと思う。
他の家庭のことなので、特には何も言えないのだが。
もっとも相談されたなら、色々と頼りになる資産運用の仕方ぐらいは教えたかもしれない。
日に日に開幕が近づいてくる。
だがその前にライガースの場合は、甲子園が高校野球の空気で満たされていく。
練習場自体は他で出来ても、開幕戦を甲子園で出来ないというのは、構造的な欠陥ではないのか。
今年のライガースはまずレックスといきなり戦う、変則的な日程になっている。
ただ大介としてはMLB時代の日程が記憶にあるので、それほど違和感などは生じない。
想定して戦う相手が、基本的には5チームだけ。
NPBが楽な理由の一つだ。
それはともかく今年のライガースは、去年に比べて投手陣の調子がいい。
本土に戻ってきてからも、変に故障者が出たりはしない。
ただ先発のローテは、まだまだ流動的であろう。
結果的には試合に勝てそうだな、と山田は思っているが。
大介の打順は、去年と同じ二番。
一番や三番にした場合のシミュレートは、コンピューターで行った。
するとやはり二番という答えが出てくるのだが、実際にはどういったものであるのか。
統計的に見た結果と、短期決戦では間違いなく違うだろう。
そして細かい采配の変化で、今年は少しでいいから勝ち星を伸ばす。
去年も本当に、ぎりぎりまでペナントレースはもつれたのだ。
二年連続でAクラスの面子は変わっていない。
ライガースがペナントレースを制した年は、ライガースが日本シリーズへ進出した。
レックスがペナントレースを制した年は、やはりレックスが日本シリーズに進出している。
二つのチームの戦力差は、チームの形は全く違うが、ほとんど差がないものなのだろう。
だからアドバンテージを持っていた方が、そのまま日本シリーズにまで進んでしまう。
結局は今年も、先発のローテに入りそうな大原。
たださすがにもう厳しいのではとは思われている。
もっともライガースのように、リリーフが弱いチームでなければ、もっと安定して勝てているかもしれない。
その分負け星も、多くなっていたのかもしれないが。
ただ開幕一軍であること自体は、ほぼ決まっているだろう。
ライガースは期待していた若手が、キャンプ中に故障してしまったりもした。
そこで調子がいいと言われている、高卒の新人を開幕のピッチャー陣の中に入れた。
データが明らかにならない、序盤の間はリリーフとして、実績を残せるであろう。
そして分析されし尽くす前に、また一度二軍に落とすのだ。
もちろんこれはチャンスでもある。
開幕から結果を残し続ければ、その座を譲らなくて済むかもしれない。
一般的にはやはり、プロに入って早々に、ちょっとした挫折は経験すべきものと思われている。
別に野球に限らず、人間は失敗から学ぶものである。
あまり成功体験だけを続けさせると、一度の失敗で完全に駄目になったりもするらしい。
また成功体験があまりに少ないのも、モチベーションを維持させるのには難しい。
プロの世界では、特に素材型の選手は、最初は全く通用しないものだ。
そこで重要になるのはメンタルである。
今どき根性論かと言われるかもしれないが、根性は別として精神論は、立派な科学だ。
自分よりもはるかに上手い選手ばかりの中で、どれだけモチベーションを保てるか。
これはプロ意識の問題であり、またエゴをどれだけ通せるかの問題である。
コーチの言うことを信じて行うが、信じすぎてもいけない。
ネットに色々と情報は氾濫しているが、おおよその成功したトレーニングなどは、その人間に合ったトレーニングであるのだ。
指導者ガチャというのは確かに存在する。
だが全てを他人のせいにしていれば、プロの世界ではやっていけない。
バランス感覚が必要なのは、何も肉体的なものばかりではない。
コーチよりもトレーナーの方が、物事を分かっていたりもする。
実際にどこかの馬鹿なプロの監督は、トレーナーをクビにしたことによって、主力ピッチャーを逃してしまったりした。
大介はまだ自分の体が、しっかりと動いてくれている。
自分のイメージ通りに体が動かなくなれば、そこがさすがに限界であるのか。
年齢を重ねるごとに、練習やトレーニングの前に、アップを行う時間を増やしてきた。
圧倒的に軽い体重ではあるが、その体重から生まれるパワーを、少しでも逃がさないようにする。
それが大介のバッティングである。
筋肉にしても体全体を使って、スイングスピードを速くする。
これを普通の倍ほどもある重さのバットで、まだずっと続けているのだ。
大介は体重が軽い。
なのでバットに乗せるパワーは小さい。
しかし発想の転換で、バット自体を重くすればどうなるのか。
ボールに接触するのは、あくまでもバットなのである。
そのバットの重さというのが、パワーにつながる。
もちろんその重いバットを、コントロールする力があってこそのものだが。
大介はこのバットが振れなくなっても、やはりプロでは通用しないのか、と思ったりする、
おそらくそれよりは、目の方が先についていけなくなるだろうが。
今年にしてもおそらく、ホームランの数は減るのではないか。
プロ入りしてから今まで、ずっと誰にも譲らなかった、ホームラン王の記録。
NPBだけに限って言っても、11回のホームラン王に輝いている。
それがバッターの全てではないが、ホームランは野球の華。
大介にしても強敵のピッチャーと対戦し、ホームランを打つのは楽しい。
ただ今のNPBの若手で、大介をしっかりと抑えられるようなピッチャーは、全くいない。
それよりはベテランのピッチャーが、投球術で打ち取る方がずっと多い。
しかし大介にしても、昇馬と同じ今の新二年生になる高校生に、優れたピッチャーが多いことは知っている。
今の超高校級と言えるのは、おおよそ155km/hを出せるピッチャーだ。
もちろん球速が全てというわけでもないのだが。
ただ一年生でありながら、既に150km/hに到達しているピッチャーが複数いる。
中でも昇馬は、160km/hを既に出しているのだが。
アメリカまで含めても、あの年齢で160km/hなどというのは、大介は一人ぐらいしか知らない。
そのピッチャーは確かに将来を嘱望されていたが、高校生の時点で肘をやってしまい、トミージョン後は野手に転向した。
そこでも外野として、MLBの世界に入ってきたものだ。
ピッチャーにもう一度挑戦すれば、という話を大介も聞いていた。
ただ一度故障した事実と、野手として充分な活躍が出来ることから、結局はメジャーで大介と対戦することはなかった。
自分に引導を渡すようなピッチャー。
昇馬は確かに、まださらにスピードを上げてくるだろう。
そして昔と違い、大介はこれからどんどん、スピードボールにはついていけなくなる。
自分の息子に超えられてしまう。
これは一種の父親殺しという、息子の通過儀礼になるのかもしれない。
もちろん実際に殺すわけではないが、選手生命にとどめをさすかもしれない。
もっともそれよりも先に、まずは直史をどうにかしないといけない。
プロ野球生活の中で、何度かホームランで、勝負に勝ったことはある。
ただ試合の結果に影響したのは、あのワールドシリーズの一戦だけだ。
不敗神話というのは、とても野球というスポーツにおいては信じられない。
だが実際に達成されているのである。
野球におけるピッチャーのスタイルは、今はまた大きな転換点にあるのではないか。
大介がそう思うのは、フィジカル重視の現在の野球に、疑問を抱いているからだ。
それが他の人間ならともかく、実際にフィジカル的には、体格の小さな大介が考えているのだ。
瞬間的なパワーに関しては、他の多くの選手を上回る。
直史と同じで肉体の各所が連動し、そして最後のインパクトにつながる。
これがピッチャーである直史は、リリースになるわけだ。
ライガースの若手には、大卒でローテーションに入りそうな新人がいる。
150km/hオーバーを安定して投げられるピッチャーだ。
ただ対戦すれば対戦するほど、単なるスピードが必要だとは思えてこない。
キレと表現すればいいのであろうか。
あるいは伸びと表現すればいいのであろうか。
回転数というのは、今では重要な評価基準だ。
しかし逆に、回転数が少ない場合であっても、それはそれで打ちにくくなってしまう。
直史の技術の全てを、継承するようなピッチャーは出てこないだろう。
だが直史の投球術の一部は、アマチュアのピッチャーにも共有されている。
スピードではなく緩急というのが、直史の考えである。
タイミングが合わなければ、160km/hの剛速球であろうと、130km/hの棒球であろうと、結果はさほど変わらない。
三振を取るためにも、バッターの狙いを外すことが重要だ。
発想の転換を、果たして指導者が出来るのかどうか。
むしろレベルの高い野球になればなるほど、遅い球も重要になってくると思うのだ。
直史が大介に勝つ場合、なんだかんだ言いながら、速球を使ってくることが多い。
ただその速球を活かすためには、遅い球が必要になる。
真っ直ぐが全てのピッチングの基本。
そんなものは嘘であると、直史は実例をもって気づいている。
真っ直ぐが全てツーシームであったり、逆にカットボールばかりを投げるピッチャーが、MLBには存在した。
ならば高校レベルであっても、変化球投手は面白いのではないか。
結局球速などというのは、評価する側が作った物差しに過ぎない。
同じスピードボールを投げても、空振りを取れるピッチャーと、バットには当てられるピッチャーが存在する。
球質というのが、球速以上に重要なのだ。
直史はそれに気づいているため、球種の数以上に球種を持っているのと同じだ。
そういうピッチャーが、果たして出てくるのか。
大介自身は対決していないが、白富東はかつて、女子野球部に敗北している。
権藤明日美の投げた球種は、ストレートとスプリットのみ。
ただそれでも抑えられてしまったのが、甲子園を優勝するレベルの白富東であった。
あれは選手が調子に乗らないように、という過激なものではあったろう。
またキャッチャーのリードが上手かったのも間違いない。
素材として選手を見て、そこから育てていくというのも、確かに一つの選択肢なのだ。
だが既にどんどんとバッターを、打ち取っていくというスタイルもある。
もっとも今のプロ野球は、ピッチャーの分析がかなり進んでいる。
レックスの木津などは、去年のシーズン終盤に、レックス日本一の戦力となっていた。
ただあの特徴を分析されれば、今年中には打たれるようになっているのではないか。
大介としては純粋に、打てるだろうなとイメージが出来ている。
オープン戦の中では、ライガースの先発陣もリリーフ陣も、かなり安定している。
勝敗だけを見れば、トップの勝率であるのだ。
一方のレックスは、勝敗はおよそ五割。
完全にチームを試しているという段階なのだろう。
ライガースもクリーンナップを、調達していかなければいけない。
外国人が二人というのは、結果も出している以上、近いうちにメジャーに引き抜かれる可能性がある。
契約が残っている間は、使っていけると思いたい。
だがメジャーが本気になれば、違約金を球団が負担してでも、選手を連れて行くだろう。
和製大砲にこだわる必要はない、と大介は思う。
しかし現実的な話として、日本人選手の方が、長くチームに在籍するのだ。
パワーだけでは、メジャーは取っていかない。
むしろアスリートタイプの選手をこそ、メジャーは取っていくのだ。
そもそも未だに、ピッチャーばかりを引っ張ろうとはしている。
ただ大介以降も、それなりにメジャーで通用した選手は多い。
それこそ織田などは、スタメンからは外れているものの、未だに現役ではあるのだ。
間もなく開幕戦となる。
変則的な対戦カードとなるのは、神宮球場の改装なども関係している。
しかし最初からレックスとライガースの対決というのは、見ているほうとしては面白いだろう。
だがチームがそれぞれ、そこまでに仕上げていけるかどうか。
大介はオープン戦でも、四割近い打率と、高いOPSを記録している。
ただホームランの打球の質は、フライ性のものが多くなってきていた。
対して直史の方は、150km/hオーバーに最速を戻してきている。
年齢による衰えを、本当に感じさせない。
もっともこれは、勤続疲労がないからこそ、達成できているのかもしれないが。
そしてもうすぐ、センバツも始まる。
レジェンド選手の次世代が、多くいる今の高校野球。
年配のファンこそがむしろ、楽しみにしている野球である。
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