第215話 引退

 今年のプロ野球も、三月の末からレギュラーシーズンが始まる。

 そしておおよその試合のスケジュールも決まっているわけだ。

 もっとも実際は天候などで変化することはある。

 開幕からレックスとライガースというのは、ちょっとどうなのかと思う。


 暖かい沖縄から、まだ寒い本州に戻ってくる。

 こちらでのオープン戦でもって、青砥の引退試合が行われた。

 高卒から20年もプロの世界で、ほぼ九割ほどは一軍の選手。

 100勝以上もしたのであるから、立派な戦力であった。

 裏ローテなどとも言われたが、ノーヒットノーランを達成したので、充分に記録にも記憶にも残るピッチャーになっただろう。


 プロ野球の方はプロ野球で、相当の動きが出始めている。

 ただ開幕直前までは、やはり甲子園であろうか。

 去年の夏に甲子園を湧かせたチームが、順当にセンバツにも出場してくる。

 ピッチャー有利と言われる春のセンバツだが、例外的に注目されているバッターもいる。

 その中の一人は、当然ながら司朗である。


 関東と関西、それぞれの本拠地へとチームは帰還する。

 いよいよオープン戦にも、観客が戻ってくるのだ。

 レックスの場合オープン戦でも、その神宮での第一戦は、特別なものとなる。

 なんといっても青砥は、20年もピッチャーとしていたのだから。


 地元に近いし、こちらに家も買ったしと、ほぼ移籍の必要はなかった。

 特にレックスは、ピッチャーの投球管理をしっかりしていたので、下手に移籍などをしない方が、選手寿命が長くなったのは確かだろう。

 それでもFAになってみれば、マリンズを含めてタイタンズも手を上げたかもしれない。

 だが青砥は、自分は便利なピッチャーではあるが、必要不可欠とまでは言わないと分かっていた。

 シーズンを丸々ローテーションピッチャーとして投げたのが、それなりにある。

 それだけで充分に、チームには貢献していたのだ。


 正直なところレックスは、バッティングが弱い傾向にあるチームだ。

 その点だけを見てみれば、あるいは移籍をしてみれば、150勝に届いたかもしれない。

 しかしその分の稼ぎは、レックス一筋であった引退後、ここから稼いでいくのだ。

 スカウトとしての目で、キャンプを見ろと言われた。

 青砥は元々、自分の力で相手を抑えるのではなく、相手の力を見極めて勝負する、眼力のあるピッチャーであった。

 また技巧派であるため、ピッチャーのこともしっかりと見える。

 スカウトとして成果を出してほしいと、球団は考えたのだ。




 スカウトに必要なものとは何か。

 もちろん選手の能力と成長曲線、そして完成形までを見ていなければ、本当に必要なのかどうかも分からない。

 ただドラフト一位指名や二位指名でも、一軍にほとんど出場せず消えることは多い。

 それだけ期待度が高くても、失敗することはある。

 はっきり言えば選手の故障の可能性もあるため、運の要素も強い。


 有望だと思った選手でも、それを編成での会議でどう通すか。

 そこもまた一つの、政治力の問題となってくる。

 データをはっきりと見ることで、明らかになってくることはある。

 だがそのデータというのも、ある程度は長期的なものであることが必要なのだ。


 また有望な選手でも、それを囲っていくという手段はある。

 大学や社会人への進路を用意するというのも、一つの手段だ。

 あるいは高卒からプロで指名出来ることを考えるなら、シニアの段階で目をつけておく必要もある。

 ただこの段階では、さすがに完成形を見通すのは難しいものがあるが。


 今はともかく昔のドラフト、特に逆指名時代というのは、とんでもない裏金が乱れ飛んだという。

 契約金が一億であっても、裏金で10億という話などもあった。

 また大学進学のはずが、強行指名して札束でぶん殴るという手段も使われた。

 選手に大学進学と言わせておいて、下位指名で発言撤回というのも一つの手段。

 とにかく恐ろしい手段が、いくらでも出ていた時代だ。


 それに比べると今は、プロの調査書、本人のプロ志望届、そしてドラフトといった段階がある。

 情報にしてもすぐに、ネットで拡散してしまう。

 だから相当にクリーンになっているのは確かなのだ。

 それでも順位縛りがあったりして、大学に進路変更などもある。

 また怪情報が広がるのも、ドラフト前の風物詩だ。


 結局のところスカウトに必要なのは、人間性である。

 ただこの人間性というのは、単純にいい人という意味ではない。

 選手の進路に責任感を持ち、それを選手にも感じさせることだ。

 別にスカウトに限らず、ほとんどの職業で第一とされる要素だ。

 新興宗教の勧誘や、ブラック企業の面接においても、人間性は重視される。

 この人のためならば、この人と一緒なら、この人が言うのなら、と思わせれば勝ちだ。

 特に一位二位はともかく、下位指名などになってくると、あるいは育成での指名となると、大学や社会人を経由した方がいいのでは、という道も出来てくる。


 野球でのキャリア形成は、重要なことなのだ。

 会社の面接に行ったとして、甲子園でプレイしましたとでも言えば、それだけでアピールにもなる。

 野球はそれが一番だが、あるいはスポーツでインターハイに行ったなど、そういうアピールも重要になる。

 なんなら入団後、引退してからのポストを、ある程度用意してやる。

 そんなことまで出来たなら、スカウトとしては超一流だ。

 ただ結局は、狙った選手を取らなければ、いくら他のチームで活躍していても、自分の評価にはならない。

 もちろんヘボをどんどん獲得する、というのも間違ったスカウトである。


 何年もスカウトをしていて、一人も入団しないということもある。

 そもそも指名するのが、一年でせいぜい10人ぐらい。

 ここで育成枠があるチームは、それだけ有利にはなる。

 もっともこの育成の歪みは、どこかで是正する必要があるだろうが。




 青砥は南関東を主に見ることになるだろう。

 出身がそちらであるのだから、ネットワークもそちらに多い。

 ただ関東というのは本当に、競争も激しいものだ。

 競争が激しいからこそ、スカウトは大量に必要にもなる。


 高校生、大学生、社会人、そして独立リーグ。

 さすがにクラブチームにまで情報網を構築するのは、難しい話である。

 しかし育成から支配下登録、そして主力にまでなった選手もいる。

 この球団の抱える選手数の歪みは、本来はもっと問題とすべきものだろう。

 ただサラリーキャップや選手数上限などは、選手会自体も存在を望まない。

 このあたりNPBとMLBで、大きな違いがあるのを、直史などは良く見てきた。


 もっともMLBのスカウトというのは、かなり極端なものである。

 正確に言うとスカウトの後の、メジャーに上がるまでが過酷である。

 才能があったとしても、契約金次第では、翌年のドラフトまで待ったりする。

 高校の時点で指名されても、普通に大学に行くことはある。

 そこでより上位で指名され、より良い契約を手にしようと考えるのだ。


 正直なところドラフトの段階では、まだメジャーのレベルに達していない、つまり一軍レベルではないという選手は相当に多い。

 NPBの方がはるかに、一年目から一軍を経験している選手は割合で多いのだ。

 メジャーはルーキーリーグから、段階を経て上がっていくことで、耐久力を試されている感じである。

 移動にしてもメジャーとは違い、バスでの移動なのだ。


 もちろん最初から、例外扱いの選手もいる。

 それでも一年以上はかけて、ルーキーリーグから試されていく。

 MLBの選手などがNPBのシステムを知って、こちらの方がもっと早く大金を稼げる、などと言ったこともある。

 確かにMLBの選手は、FA権獲得後の高額年俸は話題になるが、それまでは相当に安い。

 日本と比べれば高いのであるが、活躍度合いに比して見合っているとは、とても言えなかったりする。


 外国人選手の獲得は、球団のスカウトよりはむしろ、向こうの代理人の売り込みなどが多かったりする。

 もっとも現地人を、NPBのスタッフとして雇い、交渉したりすることもあるが。

 アメリカの広大な大地を思えば、選手を直接見ていくというのは、非効率的である。

 なのでMLBでもキャンプ中などは、比較的狭い範囲を移動するだけなので、そこを集中的に見たりする。

 ポスティングで高く売りつける、というのは言い方が悪いだろうか。

 だが現実として、選手は商品であるのだ。


 スカウトはいい商品を、しっかりと発掘してこなければいけない。

 既に即戦力の完成品もあれば、これから育てていく素材もいる。

 もちろん一軍監督としては、即戦力がほしいのは言うまでもない。

 ただ編成はそればかりを、満たしていくわけにはいかない。

 戦力は持続させなければいけない。

 いきなり一軍は無理でも、とんでもない素材を見つけたとしたら、それを手に入れようとするのだ。


 プロ野球選手として成功するために、必要な要素。

 ここにもまた人間性というか、野球のためにどれだけを犠牲に出来るか、ということが関係する。

 自信を持つこと、過信しないこと、節制すること、余裕を持つこと。

 バランスよくメンタルを保つだけの、精神力が重要になる。

 ひたすら野球が大好きで、むしろ止めなくてはいけないぐらい、練習をしてしまう選手。

 そういう選手には、野球の座学をやらせたりもする。




 青砥はプロで20年もやっていたので、野球に関しての知識は深い。

 ただスカウトとしては、また違う知識が必要になってくる。

 MLBを経験した直史は、たった二ヶ月のためにトレードに出されたことがあった。

 しかしおかげで、チャンピオンリングが一つ増えたのだ。

 ああいった選手の流動性が、NPBにはない。

 それでも昔に比べれば、はるかに複雑化していることは確かだ。


 東京で20年やってきた青砥は、間違いなく関東に影響力やコネがある。

 またアマチュアのチームに行くにしても、自分の顔が名刺代わりになる。

 ピッチャーとしてはそれなりに変則派であった。

 先発もリリーフも経験しているので、将来はまたユニフォームを着るのではないか。

 とりあえずスカウトというのは、新人を教えていくのにも役に立つ。

 もっともこれまでの経歴で、下の面倒は多く見てきたのだが。


 その青砥が、先発で出場して、一人にだけ投げてピッチャーゴロに打ち取った。

 わざと三振というのもあるが、最後までボールに触れさせるというのも、向こうのバッターの温情であったのかもしれない。

 そして試合の終了後には、ちょっとしたイベントまでやった。

 花束を渡された青砥は、やりきった顔をしていた。


 本当に全てを燃焼させて、プロの世界から去るものが、どれだけいるのだろうか。

 体力の限界、肉体の限界を感じて、それで去っていくのが完全燃焼なのか。

 大介の場合は本当に、最後まで野球にしがみつくだろう。

 また臨時コーチなどはともかく、教える側としてユニフォームを着ることは、ないだろうと思われる。

 大介は野球をすることが好きなのであって、野球全体への愛情はそれほどでもない。

 もちろん息子のために、ある程度の便宜を図るぐらいのことはするが。


 直史の場合は、完全燃焼する必要などない。

 人生は野球だけではないと、自分で分かっているからだ。 

 自分の構成要素の中で、かなりの部分を占めてはいる。

 だが野球が中心でないことは確かだ。

 かといって何か、他の事を支柱にして、自己を確立させているわけでもない。

 直史は直史であるのだ。


 オープン戦も本土に戻ってくると、かなり選手は絞られてくる。

 また逆に二軍から、一軍に上がってくる選手もいる。

 ただレックスは選手の大きな移動はさほどない。

 しかしコーチ陣の間では、一人の選手の扱いに関して、かなりの議論が交わされていた。

 木津の扱いである。




 今年のキャンプ入り序盤までは、間違いなく今年もシーズン序盤から、ローテで試していこう、という話になっていた。

 しかしながら新人と若手の急成長により、ローテ入りが微妙になってきたのだ。

 実績だけを見れば、確かに勝ち運がある。

 また奪三振率なども、かなり高いものである。

 フォアボールも去年よりは減っているが、ちゃんとストレートの球質は維持している。

 それなのに球速によって、評価にバイアスがかかってしまう。


 コーチではないのに、直史は首脳陣の会議に参加していたりする。

 もっともキャッチャーの迫水も入っているので、選手を全て除外というわけでもない。

 むしろブルペンキャッチャーなどは、コーチに近い感覚なので、これに参加していたりする。

 選手は結局、首脳陣の思惑で使われることが決まる。

 しかしながら首脳陣も、必死で考えて選手を選ぶのだ。


 選手の評価というのは、選手自身の責任だ。

 だが選手を起用して勝つのは、首脳陣の責任である。

 直史は自らは、あまり積極的な発言はしない。

 それでもこの木津に関しては、意見を求められた。

「個人的には球速の遅いピッチャーには、とても親近感がありますが」

 キャンプで150km/h台に戻してきた直史の言葉に、首脳陣の間から苦笑が洩れた。

「使えるか使えないかの判断の基準を、結果を出しているピッチャーに求めるのは、ちょっと違うかなと」

「そういう見方も分かるが……」

 新監督の西片は、ある程度の勝負師ではある。

 しかし木津の評価は、本当に難しい。


 短いイニングだけを投げさせると、打たれる日と打たれない日がはっきりする。

 だが去年は長いイニングを投げて、勝ち星を付けまくっていたのだ。

 球速ではなく防御率や奪三振率を見ればいい。

 四球が多いこと以外を考えたら、間違いなくローテに入れるべきだ。

 結果を残したのだから、それには応えるべきだという、直史の話も分かる。

 ただ実績がどうであろうと、必要な選手と不必要な選手はいるのだ。


 木津はそういったレベルではない、圧倒的なピッチャーであるのか。

 そうではないだろう。本来ならば25試合に登板し、8勝7敗ぐらいになる、普通のローテピッチャーのはずだ。

「少なくとも開幕のローテには入れるべきですよ。精神的にもタフですが、さすがに去年の実績で、ローテから外されたらモチベーションが一時的に落ちる」

「そこから上がってきてほしいんだが、育成で二年以上か……」

 西片としてもこの、木津の苦労人の経歴を見てみれば、心を揺さぶられるものがある。

「監督は厳しく判断しようとしすぎて、むしろ木津にだけは厳しくなりすぎているかもしれませんね」

 こんな監督批判を、平然とやってしまうのが直史だ。

「参ったな」

 一瞬むっとしたものの、それを流すだけの度量が西片にもあった。


 まずはチャンスは与えよう。

 結果としてはそういうことになる。

 キャッチャー陣としても木津は、評価の難しいピッチャーなのだ。

 それに木津はバッティングピッチャーとしては、あまりキャンプなどで投げていない。

 下手に木津のボールを打たせると、バッターの調子が狂う可能性がある。

 変則的な要素を持っているだけに、バッピをやらせるのも難しい。




 こんなミーティングの結果を、直史は木津に告げられない。

 ただ開幕のローテには入った、と他のコーチが告げている。

 当初予定よりもずっと、若手の成長と新人の即戦力が、かなり期待されていたこともある。

 だから木津としては、やはり不安はあったのだろう。

 オーガスがキャンプの序盤、故障をしていたということもある。

 だが背中の違和感も、しっかりとなくなっていた。

 ローテーションピッチャーは、結果を出した者が選ばれるべきである。


 もっとも直史としても、木津がもっと若かったり、逆にもっと年かさであったら、意見は変えただろう。

 三年近くを育成として、二軍の試合で投げていた木津は、一軍で投げる欲に溢れていた。

 高卒二年目までなら、もう少し様子を見ようと思ったはず。

 そして30歳ぐらいになっていたなら、クビかビハインド展開のリリーフに、起用を変えさせていた。


 木津のいいところは、フォアボールが多いというのに、試合を崩さないことだ。

 そしてフォアボールが多いのを自覚していながら、それでも腕が振れているということもある。

 ただそれに加えて、去年は先発した全ての試合で、6イニング以上を投げたということ。

 それなりの球数になっても、球威が落ちることがない。

 球速は最初からないにしても、球質が落ちないことがいい。

 勝敗ではなく数字の内容を見て、首脳陣には判断してほしいところだ。


 ただそうなると、ローテの枠はもう一つだけとなってしまう。

 新人をそこに入れるか、伸びてきた若手を入れるか。

 どちらもタイプとしては、先発タイプといっていい。

 この点では直史は、国吉などをセットアッパーから、先発に転向させるという手段もあるのでは、と思ったりしている。


 またラスト3イニングはともかく、五回で先発が降りた時はどうするのか。

 もう一人ぐらいはリリーフがほしいと、逆のことも言えてくる。

 ただリリーフピッチャーというのは、かなりの柔軟性が必要なのだ。

 大平などはリリーフではあるが、1イニング以上を任せることはない。

 少なくとも今年のオープン戦の段階では、まだ集中力の持続が上手くいっていなかった。


 大平が覚醒すれば、少なくともメジャーに行くまで、レックスのクローザーを任せることが出来る。

 いや、先に平良の方が、メジャーに行くのでそれまではセットアッパーか。

 先発として直史は、メニューが他のピッチャーとは違う。

 手取り足取り教える義理もないが、それなりに注意はしているのである。

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