第212話 紅白戦

 昔と違って今では、キャンプも早々にオープン戦を行う。

 オフシーズンに本気で休んでいたような人間は、ここで差をつけられるのだ。

 プロスポーツの選手というのは、シーズンでない時こそ、鍛える時間がある。

 シーズン中に鍛えていたら、疲れてしまうので本末転倒になるからだ。


 今年の本拠地神宮に戻ってからのオープン戦で、引退試合を行う青砥も来ている。

 なんだかんだと去年はポストシーズン、ビハインド展開の負け試合では投げていた。

 医師からは本格的に治すなら手術が必要と言われたが、それが成功してもリハビリが続く。

 とても復帰は無理だろう、と思われたのが引退を決断させた。


 プロの世界で20年やってきたというのは、相当にたいしたものである。

 100勝以上も出来るピッチャーというのは、案外少ないのだ。

 ライガースの大原と同じく、裏ローテを任されることが多かった。

 しかしそこで確実に勝って、無事にローテーションを務めたのだ。

 勝ち負けの数はむしろ、負けの方が多かったりもする。

 それでも必要とされたのは、試合を作れるピッチャーだったからだ。


 千葉の中でもかなり東京寄りの学校から、レックスに入団。

 さほど期待されていたわけでもなかったが、変則派に近いサイドスローであったため、比較的下位で指名。

 リリーフとして使われたり、先発で使われたり、リリーフでもビハインド展開で使われたり。

 しかしキャリアの半ばからは先発が多くなり、その中でノーヒットノーランも達成した。

 充分にプロ野球選手としては、成功した方であったろう。

 子供は三人、マイホームのローンも終了し、球団からはポストも用意。

 セカンドキャリアも形成していっていた。


 技巧派で変則派だったからこそ、教えられることもある。

 だがそれはなんとしてでも、プロ野球の世界で生き残ろうとする者へのアドバイスだ。

 若手や新人はまだまだ、己の力に自信を持って投げるべきだ。

 だからこそ直史も、求められない限りアドバイスはしない。

 ただ青砥もまた直史と同じく、壊れそうな投げ方にだけは、注意をしていたものである。


 プロの世界では何より、シーズンを戦い抜く耐久力が求められる。

 だが最近のアマチュアは、壊れてもいいやという精神で投げさせることはない。

 出力が上がっている分、壊れやすくもなっている。

 真っ向勝負を観客が見たがっても、選手生命をかけてまでやることではない。

 直史は圧倒的な実績でもって、出力を使わないピッチングを完成させた。

 もちろんたまにはしっかりと、出せる出力で全力で投げている。


 雑なパワーゲームは、受けることは間違いない。

 だがどうしてもっと、考えて投げないのか。

 そうやって考える直史は、観客やファンのためには投げていない。

 プロ野球選手は自営業者なのだ。

 チームに所属はしているが、税金も自分で払っている。

 ただチームのために、ファンのために壊れても、その後の面倒を見てくれるかどうかは、微妙なところである。

 球団内のポストというのも、いくらでもあるわけではないのだ。

 それでもドラ1ドラ2ぐらいであれば、ある程度はスタッフとなる。


 平均で29歳が引退というのが、プロ野球であるという。

 実際には長く現役を続けるものと、早々にクビになるものに、かなり分かれている。

 直史としてはセカンドキャリアを、どうにか用意してやりたい、という考えもある。

 本来なら球団や、プロ野球全体でやるべきかもしれないが。

 ただプロの世界に飛び込んだなら、全ては自己責任とも言える。

 もっともそれをちゃんと理解して、プロに入ってくる選手がどれほどいるか。


 昨今ではプロ入りまでを考えて、キャリアを形成しているご家庭もあるそうな。

 だがプロ野球選手というのは、まずプロになったところがスタートなのである。

 一年や二年、1000万以上の年俸を貰ったとしても、それが続くという保証はない。

 子供をプロ入りさせようなどと考える親は、そのあたり全く分かっていないだろう。

 賢い人間であれば、大学から社会人というルートが一番堅実と思うかもしれない。

 ノンプロとして選手手当てが出るし、引退後にも仕事が残っている。

 そうでなくとも大学野球をやっていれば、そのコネで大企業に入社できたりもした。

 今どきそんなと思われるが、実際にまだ野球の派閥はあるのだ。




 なんだかんだ言って日本の社会の中に、野球は組み込まれている。

 サッカーの場合はこれが、完全にフランチャイズ化されていて、チーム数は圧倒的に多い。

 だが一軍最低年俸が1600万のプロ野球に比べれば、はるかに安い年俸でプレイしている選手が、いかに多いことか。

 地域に密着はしているが、社会の中では大きな存在ではないのか。

 ただユースの存在などもあり、若年からのキャリアプランは立てやすいかもしれない。


 そんな野球の紅白戦が、沖縄で始まる。

 ピッチャーもバッターも、実戦形式でその力を見られるのだ。

 せいぜい一試合、2イニング程度を投げるのがピッチャー。

 この2イニングというのが、リリーフ陣には重要なことになる。


 オフシーズンの間、直史などは自主トレをしていたが、若手の選手は中南米やハワイにおける、MLB参加の組織のリーグに送り込まれたりする。

 大平は体力も残っていたので、そちらに参加していた。

 コントロールの矯正を、かなり念入りに行う予定であったのだ。

 そして戻ってきたら、コントロールも少しはよくなっていたが、それ以上に効果があったものが一つ。

 球速である。


 元から現在の日本人ピッチャーとしては、とんでもないポテンシャルは持っていた。

 だが安定して160km/hが出るようになっていたのだ。

 トラッキングでフォームの再現性を高めたことにより、パワーが上手く伝わるところまでは安定した。

 それなのにコントロールがさほど改善しないというのは、いったいどういった理由があるのか。

 リリースの瞬間の問題であるのか。

 ただ大平はボールを投げても、すっぽ抜けるということはあまり多くない。

 平均よりもマシなぐらいである。


 日本人ピッチャーの高速化も、上杉以降は随分と進んだものだ。

 しかし170km/hを投げたのは二人しかいないし、160km/hでも少ない。

 MLBにしても球速というのは、あくまでも要素の一つ。

 空振りの取れないストレートであっては、あまり意味がないのだ。


 この点では木津は、しっかりと空振りの取れるストレートを投げる。

 わずかに球速も増してきたが、それよりはコントロールの改善の方がいい。

 ただ木津のようなタイプは、コントロールがよくなりすぎても、それはそれで打たれてしまう。

 スピードがさほどないのに、ノーコンパワーピッチャーの要素を少し持つ。

 不思議な話ではあるが、これでちゃんと結果を出したのが去年なのだ。


 ただ木津は、リリーフとしては使えないタイプだ。

 確実に力で抑えるセットアッパーやクローザーに比べると、平均でかなりの差がある。

 ある程度のランナーは出すし、ある程度の点も取られる。

 そういうピッチャーは先発として、ある程度に試合を作ってくれればいい。

 大平のようなセットアッパーは、とにかく点を取られないのが重要だ。

 もっともそのためには、ランナーをフォアボールで出さないことも重要なのだが。




 数字で評価すると、どうしても大平や木津には弱点が見える。

 だが二人とも結果の数字だけを見れば、立派な戦力となる。

 コントロールが悪い方が逆に、三振を取れたりもする。

 もちろんコントロールのいいピッチャーが、完全に計算して投げるのには負けるが。


 完璧なピッチャーが、そうそういるはずもない。

 だからこそバイオリズムの変化などを見て、ピッチャーをある程度は入れ替えていかなければいけない。

 若手であるほど自分の調整は、また上手くはない。

 シーズンのローテを完全に守れるようになるのは、それこそエース級であろうか。

 25試合も先発すれば、完全なローテーションピッチャーだ。

 勝敗が5勝5敗であっても、充分な数字である。


 紅白戦で直史は、ツーストライクまではしっかりと取ってしまう。

 そして三球目に、ボールかストライクか、微妙なところを投げたりする。

 他に三球目には、わざと打てるようなボールも投げる。

 あるいは逆に、打てないパターンを攻めてみるか。


 直史にとって紅白戦は、自分の調子を見るためのものではない。

 他の選手の調子を首脳陣が見るのに、付き合ってやるためのものである。

 弱点をしっかりと、克服しているかどうか。

 レックスは今年、打線陣の弱体化はない。

 ただそれは抜けた選手がいないというだけで、個々のパフォーマンスは別である。

 キャンプの間に確認をして、使っていく選手を決める。

 首脳陣がかなり変わったので、選手たちもそれなりに張り切っている。


 ただ紅白戦で直史が打たれても、首脳陣は何も心配していない。

 こちらからのリクエスト通りに、直史は投げているのだから。

 苦手なコースを上手く、打たせられるように出来ないか。

 極端な話、それは狙いを絞っていれば打てるものなのだ。

 ピッチャーが何を投げるかは、主体的に決めることが出来る。

 バッターも誘導することは出来るが、あくまても対応する側になるのだ。


 さすがにそろそろ、次の世代を見つけなければいけないポジション。

 それはもちろんセカンドである。

 緒方は年齢的なこともあり、少しは運動量が落ちている。

 だが安定感はあるだけに、貞本は代えようという気持ちがなかった。

 しかし次の世代も育ってきているのだから、ある程度は一軍の試合でも試さないといけない。

 ただケースバッティングの上手さにおいては、緒方は未だに超一流だ。


 セカンドは判断力が求められる。

 ショートも重要ではあるが、内野の司令塔になりやすい。

 ここにベテランを置くというのは、確かに悪いことではないのだ。

 しかしそれが抜ける前には、併用で使っていく必要がある。




 直史はまず初戦、2イニングを投げて四本のヒットを打たれた。

 ただ失点にはならないように、三塁までしか進ませていない。

 これを上手くホームに帰すのが、バッターの役目である。

 出来るようになったならば、スタメンも見えてくるというものだ。


 ピッチャーも紅白両軍、短いイニングで試している。

 ローテーションの五枚目に、木津は入ってくるかもしれない。

 少なくとも一軍の登録には入ってくるだろう。

 百目鬼は去年も調子が良かったが、さらにクオリティを上げてきている。

 それに比べると三島は、このキャンプからオープン戦で、最終調整をするつもりであるらしい。

 どちらも開幕からのローテは、確定しているピッチャーだ。


 それぞれの立場の違いが、このキャンプの時点で明白である。

 三島はおそらく今年、ポスティングを狙っている。

 これに関しては去年の契約更改でも、話にはなっていたのだ。

 年齢的にも27歳のシーズンであるし、FAの権利も来年には国内FA権が発生する。

 球団フロントとしても、売るならば今年のオフ、というのが妥当なところだろう。


 もしもずっと残ってほしいなら、去年のオフの契約更改で、複数年にしていたはずだ。

 それがなかったということは、三島自身は完全に、ポスティングを意識している。

 MLBに行けばそれだけで、もうNPBとは別格の年俸を手に入れることが出来る。

 これまでの日本のピッチャーが、それだけの実績を残してきたからだ。


 一年で10億を稼ぐピッチャーは、今のNPBには二人しかいない。

 だがMLBはFAになったピッチャーは、ほとんど全てが10億超えの契約を手にする。

 FA選手の平均は、およそ年俸20億といったところか。

 そこまでたどり着くのが、とてつもなく苦しい道でもあるのだが。


 直史も最初の二年と、復帰したこの二年の年俸を合わせても、MLBの最後の一年分に満たない。

 もっとも30勝もするようなピッチャー相手には、むしろ安いぐらいの金額であったろう。

 インセンティブまで含めても、充分な金額。

 それでワールドチャンピオンになったのだから、充分に収支は合っていたはずだ。

 直史としては丁度、五年間のメジャー契約で年金も発生するようになっていた。

 このあたりの環境というのは、出来ればNPBの選手会も作るべきなのだろう。

 ただ選手会の中でもトップ層は、本当に成功している人間である。

 ちゃちな年金などというのは、必要ないと思っている人間もいるはずだ。


 三島がここから契約するとして、球団にはどれぐらいの金が入ってくるか。

 ただ今のセ・リーグは直史と武史のせいで、他のピッチャーがタイトルを取れなくなっている。

 むしろリリーフピッチャーの方が、MLBでは高く評価されるかもしれない。

 それこそ平良などがこのままの成績で25歳になったら、巨額のオファーを受けるだろう。

 本人にもそれなりの、メジャー志向はあったのだ。


 大平などは性格的に、実はものすごくメジャー向けではある。

 ただコマンド能力が安定しないと、あちらでは絶対に獲得しないだろう。

 高めにしっかりと投げることと、アウトローにしっかりと投げること。

 この二つだけが決まるようになれば、それだけで無双出来る。

 紅白戦においても、フォアボールでランナーを出して、三振でアウトを取る。

 去年までとさほど変わらない大平であった。




 同じ紅白戦でも、こちらは随分と変わってくる。

 ライガースの紅白戦は、大介の打席に回ると、バッティング練習かと思われてしまう。

 ゾーンに投げる限りでは、ほぼ確実にジャストミート。

 バックスクリーンに激突したボールは、破壊とまではいかなくても、ボールの跡をつけていく。

 また破壊でもしたら、お土産品となって売り出すことになるのだろう。 

 あるいは球団の資料館にでも寄贈されるか。


 ライガースもライガースで、ピッチャーのローテ争いは厳しい。

 大原はさすがにそろそろ、自分ではもう通用しないかなと思い始めている。

 ただ他よりも安定しているというだけで、去年もほぼローテを守った。

 これを上回るピッチャーが、下から出てきてくれないと困る。


 200勝したピッチャーには、当然ながらそれなりのポストが用意されるのだ。

 大原の場合は、こちらに家も買っているが、編成を一度経験させてみては、という話があったりする。

 要するにスカウトであるが、元プロ野球選手のスカウトというのは、それだけでアマチュアをハイにさせるものであるらしい。

 毎年のように新人が、プロ野球の世界には入ってくる。

 ただこれもMLBに比べれば、随分と少ないものなのだ。

 MLBはそれこそマイナーで、多くが振り落とされる。

 25歳ぐらいになってようやく、メジャーに固定になるという選手も多い。


 ドラフトは毎年行われるが、スカウトが狙う選手というのは、その一年だけで決まるというものでもない。

 青田買いとは別であるが、中学時代から目をつけている、というようなスカウトも多いのだ。

 そして重要なのが、大学や社会人のチームとのつながり。

 選手の成長に関しては、高校時点ではまだ発展途上、という選手がかなりいる。

 それを上手く育ててくれそうな、大学や社会人につなぐというのも、スカウトの手腕の一つだ。

 ただドラフトでその選手を、しっかり獲得出来るとは限らないが。


 ライガースはそれなりに積極的に、育成選手も取っていっている。

 だがそこから育った選手はそれほど多くない。

 もっとも今の監督の山田が、それこそ高卒育成の出身ではあるが。

 選手の将来を考えるなら、野球以外の選択肢が取れる、大学や社会人の方がいい、とさえ言える。

 ライガースの場合はタニマチが多く、選手の引退後のセカンドキャリアが、それなりに多かったりもする。


 ドラフトによって球団を決めるのは、選手ではない。

 だが確かに球団ガチャ、というのはあるのだ。

 極端な話ピッチャーにとって、ホームランが出やすい神宮のレックスは、本来ならばガチャ失敗である。

 しかし樋口が正捕手であった頃は、ピッチャーの育成がとんでもなく上手くいっていた。

 ライガースの場合はどうであるのか。

 それはほとんどが高校野球を通じてやってきた選手にとって、甲子園を本拠地でプレイするというだけで、モチベーションは上がっていくのであろう。

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