第211話 成長と変化と進化
成長というのは肉体的なもの、あるいは技術的なものを指す。
変化というのはあくまで変質することであって、成長とは違う概念だ。
進化というのは成長に近いのだろうが、完全に以前とは形質を異にする。
ぶっちゃけ一人の人間は、その生涯において成長はしても、進化することはありえない。
だが爆発的な、成長の範囲と言うにはあまりにも急激な進歩を遂げた場合、進化と言われることもある。
直史の場合、何段階かに分かれて、大きな成長を遂げた。
そして中学卒業時に比べれば、とてつもないピッチャーになったとは言える。
ただフィジカル的な強さだけなら、あくまでも成長の範囲内だ。
だが残っている記録だけを見れば、高校一年生の春から夏の段階で、間違いなく違う生き物というレベルになっている。
アマチュアの公式戦では、最後に負けたのが高校二年の春。
しかしピッチングのパフォーマンスを見れば、完成したのは大学に入ってからとなる。
プロになってからは、やや球種を増やした程度。
もっとも直史のような変化球の鬼が、使える球種を増やしたのだ。
それがどれだけバリエーションを増やすことになるのか、もはや言うまでもない。
そして今年の直史は、球速を回復させてきている。
また球数は少ないながらも、去年はあまり投げなかった球種を、この時点でしっかりと試している。
高速シンカーやスイーパーに、ナックルカーブなどといったもの。
そして本当に切り札的に使っていたスルーを、初球から投げたりもする。
紅白戦なのだから、少しは手加減しろという話にもなる。
なので二打席目は、ちゃんと打たせるようにもする。
それも打ち損なうようであれば、直史の責任ではない。
味方のデータというのは、しっかりと揃っているのだ。
先発である直史は、ベンチにおいてロッカールームにおいて、性格までも相当に把握している。
昔のように国際大会で、情報を探るということはなくなっている。
年齢が年齢なので、さすがに限界であろうと思われている。
来年などもWBCが行われるが、おそらくそちらも問題はないだろう。
直史としてはこれ以上、名誉も名声も実績もいらない。
今の直史がこれ以上の、実績を上げるための手段。
国際大会は不要であり、純粋に国内の実績だけを残せばいい。
目指すは二年連続の、日本一である。
今のところレックスの編成は、ドラフト以外にも補強に成功している。
先発ローテに関しては、四枚目までは確定している。
あとは木津が今年も通用するかと、新人や若手から新しい戦力が台頭してくるかだ。
もっとも一番重要なのは、リリーフ陣は一年間、故障せずに投げ続けることが出来るかだ。
直史は豊田と共に、新戦力を視察している。
もちろん今日の分の自分のメニューは、終了した上である。
先発として期待されているのは、福岡の育成から引き抜いた須藤と、大卒ドラフト一位の塚本。
共にサウスポーである。
他に二位も高卒のサウスポーを指名しており、編成がどれだけ左にこだわっているか分かる。
木津もサウスポーではあるが、あれは普通のサウスポーとは違う。
三島が最悪、今年でポスティングを要求することを考えてのことだ。
レックスは比較的、球団運営にかける費用が限られている。
それだけにドラフト以外の補強は、なかなか難しい。
FA移籍というのも、今の直史の年俸があるため、それが足かせにはなっているのだ。
スカウトマンが必死で探して、上手くドラフトで獲得する。
それを自前で育成する、というのがレックスのやり方だ。
ただ同じ在京圏であっても、タイタンズはファンが減って、レックスは増えている傾向にある。
元の数が違うので、いまだに追い抜いたとは言えないものだが。
この20年以上、セ・リーグはかなり極端な状態になっていた。
まずは上杉が入団し、スターズ黄金期が始まった。
それから大介が入団し、ライガースとの二強時代となる。
ここに樋口と武史が入り、三強の時代となった。
これは上杉が故障し、大介がMLBへ移籍し、また直史や樋口もMLBに行ったことで、解消されるまで続いた。
上杉が復帰してからは、またスターズがリーグを牽引していくこととなった。
しかし以前ほどの圧倒的な強さは、さすがになくなってきたと言える。
打撃のライガース、投手のレックス、上杉のスターズ。
こういう構造であったのだが、上杉が衰えてくるにつれ、タイタンズやカップスが優勝した年もあった。
だが直史と大介が日本球界に復帰し、そして上杉から武史にスターズのエースが変わった今、またも三強の時代になっている。
それぞれの中心選手が、全て40代。
これは遠からず、また大きく勢力が動くと思えるだろう。
予想されているのは、昇馬が高校を卒業する二年後。
既に現時点で、プロでも通用すると思われている。
だが当の本人は、そもそもプロ入りするかどうかさえ、迷っているという状態だ。
そして昇馬以外に、一年生で150km/hを投げるピッチャーが複数いる時代。
新たなスーパースター候補が多く、おそらくそこが時代が変わるタイミングだ。
しかしそれは未来の話であって、とりあえずは今年の新戦力を見極める必要がある。
「NPBもサラリーキャップを設けるべきかもしれないなあ」
直史が言うのは、それこそ選手会が反対していることである。
日本のプロと言うのなら、それこそJリーグもある。
こちらにもサラリーキャップはない。
アメリカの場合は名称こそ違っても、おおよそサラリーキャップは存在する。
ペナルティを食らってでもいい選手を集め、強いチームを作ろうというオーナーもいるのだが。
今の新人や若手にとっては、直史などはMLBで、相手チームを蹂躙していた姿を知っている。
直史の試合を欠かさず見ていれば、リアルタイムでパーフェクトが達成されるのを、かなりの確率で見られた世代だ。
そしてプロに復帰してからも、ノーヒットノーランを連発し、パーフェクトも達成した。
去年こそさすがに衰えてきたが、それでもパーフェクトをやっている。
単純にファンの時代は、それに無邪気に憧れていた。
しかし同じチームとなれば、競争相手にもなったりするのだ。
もっとも違うチームであると、公式戦で投げ合うことにもなる。
それはもう先発が誰か決まった時点で、おおよそ試合の勝敗も決まったようなものではないか。
画面越し、あるいは球場の観客席からなら、何度も見ていたものだ。
だがリアルで見るその姿は、明らかな存在としてそこにあるのだ。
どういう練習をしたり、トレーニングをしたりというのは、おおよそ明らかになっている。
しかし直史はこれだけの実績を残していながら、他のピッチャーが真似するのはやめておけと言う。
そもそも他のピッチャーは、誰も真似出来ないものであろうが。
ブルペンを見ていて気になったのは、新人や若手ではない。
今年は実績を残したいはずの三島が、やや遅れたスタートになっているのだ。
オフの間にもトレーニングはしていたはずだが、やはりレギュラーシーズン終盤の故障が、ポストシーズンでも響いたと言えよう。
対してしっかりと伸びているなと思えるのは、百目鬼である。
キャンプ初日から既に、いい音をさせていた。
彼もまだ若いので、将来的にはMLBに行くのかもしれない。
日本は本当に、ピッチャーはMLBに通用するプレイヤーが多い。
野手にしてもどんどんと、スタープレイヤーを送り込んでいった。
ただほとんどの場合は、スラッガーではなくアスリートタイプの選手ではあった。
キャッチャーの樋口などは、坂本と並んでかなりの例外である。
実はNPBの試合も、普通にリアルタイムで世界配信はされている。
これは大介がMLBで残した、圧倒的な実績が大きく影響している。
やや衰えたかなと言われても、それでも三冠王を達成した年に、MLBからNPBに戻ってしまった大介。
その選手生活の最後を追いたい、と考える人間がいてもおかしくない。
ライガースはおかげで、英語専用チャンネルから、かなりの収益を上げている。
この金によってライガースは、戦力を強化するのも楽になった。
野球はおおよそ、アメリカの国技といってもいいスポーツだ。
その野球において外国人に無双されること。
自由と平等の国と言いながらも、実は根強い差別感情がある。
ポリコレ問題というのもまさに、そこから生まれたものだ。
行き過ぎた平等を追及すると、公平さがなくなる。
それでハリウッドの映画産業は衰退し、いまだに復活していない。
正しいものを見なくてはいけない。
人種の割合での妥当性。
そこに楽しさはないのだ。
大介の場合は元々、外角に広くストライクゾーンを取られることには慣れていた。
それでも体格からして、高低のゾーンが明らかにおかしいということはあったのだ。
ヒットには充分出来るので、打率は高くなった。
しかしホームランの数は、当初はやや少なめであった。
直史の場合はもっと、露骨にしたかっただろう。
だがコースではなく緩急で揺さぶり、ボール球でも振らせてしまう。
これをストライクとコールしないのは、さすがに無理があった。
二年目にはもう、諦めていたと思うが。
果たして今のレックスに、MLBで通用するピッチャーがいるのか。
それは正直分からないところだ。
実力はともかく、移動と過密日程で体力は使う。
回復力と耐久力が重要なのだ。
持久力はそれなりにある直史だが、ここは休養に時間を使った。
アウェイで登板予定がなくても、チームに帯同する。
これは人生の無駄遣い、と考えたものである。
野球は実力差が明確には出ないスポーツと言える。
それでも圧倒的に弱いチームは存在するが。
年間162試合は、他のスポーツと比べても多すぎる。
大介などはそれが楽しいのだろうが。
NBAの試合はおよそこの半分。
そしてだいたい、チームの戦力通りの順位となる。
偶然性をなくすための手段の一つが、ホームランではある。
スタンドの向こうに放り込んでしまえば、野手の能力の介在する余地はない。
同じく三振も、打球が野手の守備範囲に飛ばなくても、確実にアウトが取れる。
偶然性、不確実性を消すためには、この二つの要素は重要になるのだ。
直史の打たせて取るというのは、本当なら時代遅れなのである。
同じくフォアボールも、ボールを打たずにランナーを出すことが出来る。
出塁率が重要になったのは、マネーボール以降。
ただこれは統計の重要なプロはともかく、アマチュアのトーナメントでは使いにくかったが。
盗塁やバントの重要性の低下。
こういった価値観の変化も、プロとアマとでは全く違う。
基本的にプロは、正面対決でどちらが上か、それを見せる場所であるのだ。
たまに直史のような存在が出るが、直史ほどに直史であったピッチャーはいない。
レックスはホームランバッターでも、少しはバントの練習をしたりする。
ただ実際に公式戦でするかというと、まずすることはない。
だがバント練習をしているところは、しっかりと記者に見せる。
そういった選択もしてくるチームなのだ、という印象を他のチームにも浸透させる。
つまるところは情報戦だ。
西片は就任するにあたって、レックスの目標をどこに置くのか、ということも考えた。
常勝軍団を作るというのは、レックスの財政状況を考えれば、難しいとは言える。
だが数年に一度は、必ず優勝争いをする。
そういうチームになっていなければいけないのだ。
ちゃんとファンを掴んで、夢を見せる。
そう、プロ野球選手というのは、夢を見せてなんぼであった。
今の情報化社会では、プロスポーツ選手というのが、いかに不安定な職業化が分かる。
だがそうった不安定で、そして脆い足場の先に、栄光が転がっているのだ。
いや、転がってはいないか。
掴み取るしか方法はないであろう。
直史があと何年、現役を続けられるのか。
正直なところレックスは、直史の安定して勝てる勝ち星に、かなり依存している。
だが直史がいなくても、おそらくAクラス入りは出来る。
そういう計算も出ているが、西片はそうは思わない。
ともかく直史は、チームを優勝させるピッチャーであるのだ。
高校時代には、春夏連覇をやっている。
大学時代にはリーグ戦で、八回のうち七回優勝をさせていたのだ。
プロに来てからも、最初に二年は連続で優勝。
アメリカでは五年間過ごし、そのうちの四回で優勝している。
復帰一年目は及ばなかったが、去年もまた優勝している。
そして重要な場面では、ほとんど直史が勝っていたのだ。
最強のバッターであっても、打率は五割を切る。
しかし最強のピッチャーは、ほぼ99%勝利する。
このあたりが直史の、圧倒的に人間離れしたところだ。
ただ若手に対して、あまり積極的にアドバイスはしない。
明らかにまずいのでは、というところはコーチに伝えたりするが。
あくまでも一介の選手である。
しかし影響力は、この球界の中でも大介と並ぶ。
ピッチャーが毎試合出るようなポジションであれば、その力はさらに大きかっただろう。
それにしても40歳を過ぎてから、ほぼ全盛期にまでパワーを戻してくるというのは、いったいなんなのか。
おそらく遺伝的に、老化が遅いというものはあるのだろう。
冗談ではなく実際に、老化の早い遺伝子というのはある。
30代の半ばには、既に頭髪が白くなっていくという遺伝子だ。
また20年も生きられないという、遺伝子的な疾患はある。
だが直史はそれとは、全く別の存在に感じる。
しかし遺伝子だけではなく、とんでもない節制までをもってして、今を維持しているのではないか。
ローテーション投手というのは、ある程度の自由が許されている。
だが直史は本当に、酒をほとんど飲まない。
煙草も吸わないし、夜更かしもあまりしない。
夜遊びをするのは健康に悪いのだと、完全に理解しているようだ。
しかしこういった生活は、ずっと昔から続けているのだという。
弁護士という職業もやっていたためか、そのあたりの節度は本当に弁えている。
昔のプロ野球選手というのは、本当に無茶苦茶な遊びをしていたものだという。
それはそれで破天荒で、大きく話題になったりもした。
しかし科学的トレーニングが浸透した現代では、それはとても通用しない。
どれだけストイックになれるかというのが、スポーツ選手の条件である。
本質的にスポーツ選手は、全員がマゾヒストである。
これだけの苦労をしたとしても、その先に成功が待っているか分からない。
それが分かっているのに、自分をしっかりと鍛えていく。
ただ直史と、そして大介に関しては、ちょっと違うような感じもするが。
直史はひたすらに、負けたくないと考えている。
下手に勝負にいった時こそ、敗北を経験しているのだ。
過去にあった、圧倒的な敗北の経験。
それが直史をもう、二度と負けたくないと思わせている。
そして負けないために、あらゆる手段を取るわけだ。
肉体を鍛えて、精神を整えて、状況を把握する。
そこまでやってようやく、こういった怪物が登場するのか。
もっとも遺伝子で言うならば、弟の武史や甥の昇馬も、違った方向に怪物だ。
直史の怪物度合いは、おそらくその精神性に最も現れている。
肉体的に見れば、確かに一流選手ではあるが、フィジカルモンスターというわけではない。
しかし圧倒的なコントロールは、精神と脳が機能しているからだろう。
わずか一ヶ所でも故障すれば、それで投げられなくなるのがピッチャー。
だからこそピッチャーには、しっかりとセルフケアをしてもらいたいものなのだが。
このキャンプにおいて、多くのピッチャーは直史の姿勢を見る。
そこから学ぶものがあれば、影響は大きなものとなる。
次の世代のレックスのエース。
そういったものが果たして、登場してくるのだろうか。
もっともレックスは比較的、ポスティングに理解のある球団だ。
長いスパンで選手を見るのも、難しいというのは確かなのだ。
上手く新陳代謝を起こし、強いチームであり続ける。
一応は三年契約の西片だが、一年目から結果は狙い続けているのであった。
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