第210話 新人や若手
人間というのはおおよそ、一度や二度は挫折してからが、本当の人生の始まりである。
自分が世界の主人公でないことを、そのまま受け入れるかあるいは抗うか。
受け入れて社会の歯車となるのも、それはそれで重要なことなのである。
そしてプロ野球選手になるような人間は、おおよそこれまでほとんど、挫折らしい挫折は経験してない場合が多い。
挫折があったとしても、それが努力すればどうにかなったという程度。
しかしプロの世界では、自分と同じぐらいの評価をされた選手が、普通に平均値として存在する。
そして新人は、まずプロの洗礼を受ける。
日本の場合はアマチュアで、徹底的に守備を鍛えるので、そこで全く通用しないということは少ない。
だが打撃とピッチングは別である。
ライガースに限らずMLBでも大介は、新人殺しとして有名であった。
ただこれが一番のレベルだと考えておけば、他のバッターはどうにかなる、ということでもあったが。
ストレートだけで通用しない、ということを理解してもらうために、とても効果的である。
いまだに160km/hぐらいまでならば、問題なくスタンドには放り込めるのだ。
これで心が折れなかったピッチャーは、まだ一軍キャンプに帯同ということになる。
ほとんどのピッチャーは折れてしまうだろうが。
ピッチャーはエゴイストな自信家が多いが、同時に繊細さも持つ面倒な性格をしていたりする。
そのあたりをさっぱりと洗い流して、プロの世界で生きていけ。
大介はいいように使われるわけだ。
ただ大介としても、これは悪いことではない。
初見のピッチャーに対する、自分の対応力の確認になるからだ。
直史は対戦が多ければ多いほど、相手を抑えられるピッチャーだ。
しかし普通なら、初対決はピッチャーの方が有利であっても、対戦を重ねるごとにバッターの勝つ確率が上がる。
それを阻止するために、毎年バージョンチェンジしていくのが、ピッチャーの仕事ではある。
ピッチャーには投げられる球種などに、メモリを割り振っているところがある。
前は使えた球種が、いつの間にか使えなくなっているということがあるのだ。
もちろんそのメモリを、拡張していくことも出来る。
しかしそれすら、メモリスロットの限界はあるだろう。
この限界というか、メモリがとんでもなく巨大なのが直史である。
数多くの球種を、ぽんと必要な時にすぐ出してくる。
プロの本格派ピッチャーなどは、おおよそ三球ぐらいが使えるボールだ。
ただこの変化に、わずかずつ違いをつけるのが、ピッチャーの技術とも言える。
えげつない打球をスタンドどころか、その奥のネットや、下手をすればネットさえも飛び越えてしまうところまで飛ばす。
基本的にはレベルスイングで、インパクトから生まれた打球は、どこまでも飛んでいくのだ。
NPBでもMLBでも、多くの場外を打ってきた。
実はMLBの方が、特異な形のスタジアムが多いので、場外ホームランは出やすい。
ボストンのスタジアムなどは、その代表的な例であろうか。
フェンスが高くても、そこを越えてしまったならば、スタジアムの外まで飛んでいくのだ。
あるいはサンフランシスコなども、ライト方向に飛ばしすぎたら、海に落ちてしまうことがある。
日本の場合は神奈川スタジアムで、一番たくさん場外を打っている。
神宮でも打っているし、甲子園でも唯一大介だけは、場外を打ったことがあるのだ。
さすがにドーム球場のドームを突き破ったことはないが、フェニックスのホームランが出にくいドームでも、特に問題なく打っている。
飛距離の限界は180m以上と、そんなことを言われている。
そもそも甲子園を本拠地にして、ホームラン王になるというのが、かなり難しいことなのだ。
名古屋ドームに比べれば、ずっとマシだという話もあるが。
また東京ドームなども、気圧の設定によって、かなりホームランの数は変わるらしい。
沖縄もそこそこ風は吹いたりするが、圧倒的に飛ばしやすい。
バックスクリーンに着弾した時、その音が違う。
ビジョンを何度も破壊している打球は、新人にとっては恐怖であった。
一位指名も二位指名もピッチャーであったライガース。
他に若手の有望株も持ってきているが、そちらにはあまり投げさせようとは思わない。
大介は左バッターなので、サウスポーのバッティングピッチャーをよく使う。
マシンよりはやはり、生きた球を投げてもらうことが、タイミングも取りにくくて打ちにくい。
ただ今ではそういったマシンも、ちゃんと開発はされている。
小さな体に、体重もそこまで極端に重くはない。
それでも大介は飛ばしていくのだ。
この大介に向かって、しっかりと投げていけるピッチャーは、見込みがあると言えるだろう。
打たれてしまっても、そこから這い上がってこれるかどうか。
プロのスタープレイヤーであっても、ずっと調子がいいわけはない。
大介でさえややスランプ、という時期はあったものだ。
その点では安定感は、やはり直史には及ばない。
しかしこのオフには、直史に付き合って、長くプレイ出来るように、かなりトレーニングの種類を変えた。
より懐まで呼び込んでから、バットを出していく。
そのスイングスピードの速さは、現在でもまだNPBのトップ。
だがMLBではまた、怪物スラッガーが登場してきているらしい。
全盛期の大介に、及ぶべくもないが。
史上最強は誰なのか。
これはおおよそのスポーツだけではなく、競技であればほとんど、議論されるものである。
しかしバッターを見た場合、大介の記録を超える人間は、今後出ないであろう。
もっともルール自体が変わってしまえば、それはまた変わるのかもしれないが。
MLBはレギュラーシーズンを減らして、ポストシーズンの試合を多くしようと考えている。
収益のためのものであるが、すると大介の記録はより、塗り替えることは出来ないものとなる。
本当にそれでいいのか。
ベーブ・ルースの記録が破られた時も、参考記録として残しておこう、という話はあったものだ。
実際にルースのOPSは、本当に長らく更新不可能のものであった。
ただ大介は打つだけではなく、守備や走塁においても、トップの座に君臨した。
これをナンバーワンとしないのは、さすがに無理があった。
誰がどこまで迫ることが出来るか。
今後はそれが大きな注目点になるだろう。
そもそも絶対に抜かれないと言われていた、ドーピング時代の記録を、大介が破ってしまった。
白人でも黒人でもない、アジア系の大介が。
そして同時期に直史もいたことが、またアメリカの面倒な問題ともなったのだ。
ピッチャーとバッターで、評価される基準は違う。
そもそも何をもって、偉大な選手と言うべきなのか。
チームスポーツであるのだから、あまりに一人のスターに注目しすぎるのは、むしろいいこととも思えない。
だがここから引退までに、大介に敗北を与える選手が出てくるのか。
親子対決、を期待している人間もいる。
昇馬が甲子園で達成した記録は、それほどまでにすごいものであった。
しかし高卒でメジャーに行きそうな素材ではあっても、その程度ならば大介は、いくらでも打ってきたのだ。
負けるとしたら実力ではなく、その生物としての衰えによるものであろう。
調子に乗りかけたピッチャーは、大介に粉砕してもらって謙虚さを取り戻す。
これが案外いいのでは、と山田は考えるのだ。
イケイケドンドンの風潮は、バッターだけではなくピッチャーにもある。
ピンチの時こそ慎重に、勝負か回避かを決めるべきだ。
しかしパワーで押してしまうというのがある。
プロであれば確かに、そういった勝負も重要なのだ。
魅せることこそが、まさに興行であるのだから。
しかし毎回それをやっていて、肝心のところで勝てないのでは困る。
シーズン序盤は連勝を狙いたいし、順位次第では面白さよりも勝利を優先すべきだ。
もちろん一番いいのは、勝負した上で勝つことだが。
ライガースが安定して勝つ方法。
ピッチングに関しては、そのあたりの心構えが問題となる。
そしてバッティングに関しては、大介をどう使っていくかだ。
MLBの流儀に従って、二番で使っている。
普通のピッチャー相手であれば、これで充分であるのだ。
三番から五番まで、ホームランの打てるスラッガーも揃えている。
ただ大介の足を考えると、上手くゴロなどが打てる選手もいた方がいい。
しかし今の野球の主流は、長打力重視だ。
ケースバッティングの出来るバッターがいれば、それはそれでありがたいのだが。
四番あたりはタッチアップも考えて、外野フライを打てるバッターにはなっている。
それでも打率より、OPSを重視する打線になっているのだ。
ゴロではなくフライを打つ。
外野を越えるためのパワーを重視し、フィジカル強化に努める。
単純であるがゆえに、シンプル・イズ・ザ・ベストの方法とは言える。
ただ大介などはその体格に比して、圧倒的なパワーを持つ。
直史とは違うように見えるが、実は肉体の各所を連動させ、最終的なパワーにつなげることは変わらない。
当て勘ともミート力とも言われる能力。
大介はバットコントロールによって、これが極端に優れている。
甘く入ってきたボールなら、狙ったところに放り込むことも出来る。
そしてケースバッティングもちゃんとやってのけるのだ。
場合によってはホームランより、ランナーが残っていた方がいい、という状況もある。
大介がランナーとしていることは、それだけ得点にもつながるのだ。
キャンプの早めの段階から、紅白戦を行っていく。
一軍スタメンに対して、控えとの対戦。
基本的にはここで、アピールするのが新人や若手の仕事である。
また大介ぐらいのベテランとなると、どうやっても開幕スタメンは変わるはずもない。
あまりに結果を求めすぎて、紅白戦で味方のピッチャーを、叩き折るようなことをしてはいけない。
それでもフェンス直撃のような打球が、ポロポロと出てくる。
ピッチャーもここは、結果ではなく内容を見られると分かっているだけに、大介相手にも平気で勝負をしてくる。
すると打率が五割を超えてしまったりするのだ。
キャンプの成績をもって、シーズンの成績を占うことは出来ない。
色々と試行錯誤しながら、選手たちはやっているのだから。
しかし新人や若手は、ある程度の結果を求める。
結果こそがまさにアピールになるわけだ。
そういったことを分かっていても、大介は手加減などはしてやらない。
甘くしていたら、むしろ成長をスポイルすることにもなる。
強烈な挫折感を体験しても、そこからちゃんと立ち上がれるか。
プロの世界は何度となく、敗北する世界である。
不屈の魂を持っていなければ、とても生き残ることは出来ない。
29歳までには、おおよそが引退してしまう世界。
もっとも駄目だと判断されたら、すぐに引退した方が、むしろセカンドキャリアは考えやすい。
サッカー選手の場合だと、さらに選手寿命は短い。
ただしこれは平均値であって、一部の生き残ったプレイヤーは、もっと長く活躍する。
逆に短い選手は、もっと短くても引退するのだ。
ライガースの若手にしても、果たして本当に使い物になるのかどうか。
大介も長くこの世界で生きているので、おおよそ実力と潜在能力は分かる。
ただそれよりも重要なのは、メンタルである。
せっかくの潜在能力を、メンタルの方向性が間違っていて、活用出来なかった選手はいる。
また間違いなくそれらの全てを備えていても、故障によって引退する選手はいるのだ。
ピッチャーなど肘はともかく、肩を壊せば一発である。
今年の紅白戦は、比較的簡単に打たせてくれる。
それだけ甘く見られているということだろうか。
だが大介のバッティングを見ていれば、勝負をしていい相手かどうか分かるだろう。
なのに勝負を挑むところが、ピッチャーという人種なのかもしれない。
少なくとも紅白戦は、キャッチャーも厳しいリードはしない。
レックスやライガースと同じく、スターズも沖縄でキャンプを張っている。
武史も初日からしっかりと、調整をしている。
また170km/hに戻せるかどうかというと、それは難しい話だ。
この年齢からそんなスピードを求めていくと、むしろ故障するだろうと直史は言っていた。
年齢を重ねると衰えるのは、パワーよりもむしろ耐久力なのだ。
肉体の柔軟性を、直史は重視していた。
武史もそれを見習うわけではないが、少年期にやっていた水泳のおかげで、全身の関節の駆動域が広い。
サウスポーのオーバースローに近いところから投げても、リリースポイントが見えにくくなる柔らかさ。
単純な球速以上に、タイミングを取るのを難しくさせる。
より前でリリースすることで、ボールはホップ成分が高くなる。
また最後の最後、指先までパワーを集中し、ボールに届けるのだ。
ブルペンでピッチトンネルを意識し、しっかりと投げ込みを行う。
ピッチャーの肩は消耗品と言うが、実際は適度な負荷をかけることは、むしろその消耗を防ぐことになる。
適度な負荷であっても、160km/hを軽くオーバーする。
そんなピッチャーが今年も、ローテーションの一角にいる。
ただスターズは現在、チームの育成期に入っている。
ドラフトで集めた選手が、しっかりと育ってきていて、強くなっていく途中なのだ。
Aクラス入りすることは、スターズにとってはファンの離れることを防ぐ、必要命題である。
球団経営が上手くいかなければ、育成に時間をかけるというわけにもいかなくなる。
もっとも今のセ・リーグは昔と同じように、野手のモチベーションがやや下がっている。
大介が復帰したことにより、タイトルがなかなか取れなくなった、というのもその一つである。
武史としては完全にマイペースで、そのあたりのことも考えている。
とりあえず自分に出来ることは、勝ち星を稼ぐことぐらいだ。
ただ次の世代、ということはさすがに考える。
司朗がプロの道に進めば、果たしてどういうことになるのか。
去年の夏の甲子園は、昇馬が主役の甲子園であった。
しかしあのパフォーマンスを見せられると、他の選手も意識はしたはずである。
上杉が甲子園で活躍してから数年、明らかに高校野球全体のレベルがアップした。
やはり一人のスーパースターの出現で、球界全体にいい影響を与える、ということはあるのだ。
武史はそういったことは分からない。
だが160km/hオーバーを平気で投げることで、周囲にどういう影響を与えているのか。
野球人気というのは、もう全盛期に戻ることはない。
それは単純に少子化などもあるので、どうしようもないことだ。
武史が子供の頃でさえも、空き地で野球の真似事などは、あまりやっていなかった。
学童野球で小学生の頃は、ピッチャーなどをやっていたのだが。
日本の野球自体は、むしろレベルは上がっている。
これは正しい練習やトレーニングが、それだけ浸透したからと言えるだろう。
しかし野原で子供が適当に集まり、野球の真似事をすることはなくなった。
キャッチボールをしない子供も、今では普通にいる。
ボールとゴールがあれば出来る、サッカーやバスケの方が、取っ掛かりやすいのは確かだ。
それでも日本の場合はリトルからシニア、そして高校野球とつながっている。
もっともその高校野球の現場で、古い体質が払拭されていない、という問題はある。
武史が中学で野球をやらなかったのは、単純に勝てないチームであったこと、そして一年がキャッチャーをやらされていたことが理由であるが。
この野球のスポーツ界における権力は、果たしてどこまで続くのか。
ステージを上がっていけば、それはやがてアメリカのMLBに至る。
バスケットボールも、野球に比べれば世界中で行われているが、頂点はやはりNBAのあるアメリカだ。
対してサッカーは、これこそ世界的にあちこちで、育成もされていれば試合もされている。
ワールドカップが本当の意味で価値を持つ、唯一の集団競技であるかもしれない。
武史としても息子までがプロの道に進むのだから、野球の未来を考えないわけでもない。
昔に比べれば大学野球は、部員の数が増えているとも言われる。
かつてはあった社会人のチームが、減少してきたということも関係する。
ただこの大学野球の世界は、今ではむしろ高校野球より、陰湿な世界になっているかもしれない。
高校野球まではまだ、甲子園という純粋な目標がある。
はっきり言ってこれは、分かりやすいものなのだ。
そしてこの目標を達成するために、合理的にならざるをえない。
しかし大学野球の場合、まだ権威の方が合理を上回ったりする。
直史と樋口のように、完全にそれを無視してしまうような、とんでもない選手もいるものだが。
サッカーと違い野球は、日本においては歴史がはるかに長い。
また人脈に関しても、サッカーの海外志向とはまたちょっと違う。
企業内にさえ、大学野球の派閥があったりする。
もっともこれは野球というより、大学の派閥であったりするのだが。
武史としては司朗が、ピッチャーではなくバッターとして活躍するのは、まだ安心している。
ピッチャーというのは本当に、ちょっとした故障で壊れてしまうポジションだ、ということが分かっているからだ。
間もなくセンバツの甲子園も始まり、最後のシーズンが始まる。
一応はプロ志望であるらしいが、場合によっては大学を経由してもいいのでは、と武史は思っている。
そのあたり長く、家族と離れて過ごしていたため、その空白を埋めるのが大変な武史だ。
キャンプが終われば東京に戻る。
感覚派の武史であるが、それでも司朗に対しては、色々と教えられることはあるはずなのだ。
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