十章 キャンプ入り
第208話 今年のキャンプ入り
二月、キャンプが始まる。
一度引退して、またも復帰したから分かるのだが、NPBのキャンプは豪勢ではないが繊細と言える。
もっともMLB時代、大介が別荘を買ってからは、そちらに世話になっていたものだが。
合同自主トレのおいて体力測定なども行い、新人の中からキャンプ一軍に合流した選手もいる。
とりあえず一位指名の大卒ピッチャー、塚本は一軍帯同である。
東都大学リーグのエースとして、リーグ戦20勝以上した注目の左腕。
球種としてはストレートの150km/hオーバーにカーブ、そして二種類のスライダーといった具合である。
即戦力と言ってはいるが、実際に通用するかどうかは、試合で試してみないと分からない。
ただ合同自主トレでもいい球を投げていたからこそ、一軍に来ていたわけなのであろう。
高校生や大学生は、まだ卒業はしていない。
もちろんそれは分かっていて、卒業式はまだオープン戦の頃に行われるのだ。
大介や武史、また樋口の例からして、直史は知っている。
さてどういったものか、とまずは見にいきたいのだが、その前に体力測定などをする必要はある。
メディカルチェックについては、既に東京で終えている。
だが体力測定などは、暖かい沖縄に来てから行われるのだ。
直史の数字をチェックしていて、首脳陣は首を傾げる。
「……若返ってない?」
「いや、オフの調整が上手くいってたんだとは思うけど」
もはや化物と言うよりは、妖怪扱いの直史である。
西片は直史と、おおよそ一回りの年齢差がある。
ただレックスに来てから、ちゃんと接触はあったのだ。
高打率のリードオフマンで、守備範囲の広い外野。
センターという守備位置は、キャッチャーと同じく全ての選手が見えている。
なので視野も広い、と思われていたりする。
実際に左右の外野に対して、声をかけることは多いのだ。
SBC千葉のトレーナーが、単純にレックスのトレーナーよりも、直史を専属で見てくれていただけである。
トレーナーの技術や知識については、確かにMLBと連携もしているので、NPB球団よりも優れた部分もあるかもしれない。
しかし直史からしてみると、MLBの常識などというのは、平均的なピッチャーに対する常識だ。
パワーは必要であるが、直史のパワーの出し方は、一般的なピッチャーとは違う。
もちろんパワーを出すのは筋肉であるが、途中のメカニックの連動で、いかにパワーロスを少なくするか。
直史のフォームはだからこそ、見ていて美しいと思われるのだ。
陸上競技などは完全に、フォームのメカニックが定まっている。
だがボルトがあんな記録を出せたのは、そもそもの骨格などが、平均からずれていたからだ、などとも言われる。
それぞれの骨格に違いがあれば、適切なフォームが変化していってもおかしくはない。
まして筋肉の付き方というのも、関係してくるわけだ。
直史の場合は、他の野球選手と比べても、明らかに細く見える。
それなのにしっかりと、150km/hを出せるところまで戻してきたのだ。
一応は今の最速は、152km/hまで戻ってきた。
去年はポストシーズン、アドレナリンがドパドパと出ている状態で、150km/hが最高であったのに。
しっかりと肉体を休めて、そして適切なトレーニング。
もっとも直史の場合、どれぐらいが適切かというのを、自分で調整してしまうところがある。
肉体の柔軟性から、リリース位置も変わってくる。
わざとメカニックを変えて、MAXよりも遅いスピードで空振りを取る。
それが出来るのが直史だ。
42歳のシーズンで、まだ150km/hオーバーを武器に出来る。
ただの150km/hではなく、技巧派の150km/hだ。
これがどれだけ大変か、首脳陣は分かっている。
「42歳のシーズンで成長……いや、MAXの時はもうちょっと速かったよな?」
「154km/hが最速だったかと」
西片と豊田の間にも、当然ながら交流はあった。
もっとも当初は豊田にとっては、敵チームの厄介なリードオフマンであったわけだが。
リリーフに入るまでに、先発として何度か投げて、痛い思いをしたものだ。
豊田は確かに全盛期であれば、直史よりも速いボールを投げられた。
しかし五年のブランクがあって、二年目にはさすがに各種数字が落ちてきた。
むしろそれが普通と言うか、肘の故障で引退したはずなのに、どうして五年以上ブランクがあって、それでも戻ってこれたのか。
このあたり本当に異常と言うか、それでノーヒットノーランを連発し、パーフェクトも達成したのだ。
「なんだかもう同じ人間と見るのは間違っているような」
「そりゃ言いすぎだ」
豊田のこぼす言葉に、西片は苦笑する。
ピッチングも確かに質が、去年よりも向上している。
これはいったいどういうことなのか。
さすがに不思議であったので、選手の個人ミーティングの時に尋ねる。
「……すると去年は一年、ほとんど力を制限して投げていたと?」
「制限と言うか、どこまで投げられるか確認できないままに、シーズンに入ってしまったという感じで」
それもまた無茶な話では、と西片は思う。
肘の靭帯にしても、ごくわずかだが損傷していたのは確かだ。
しかし今は普通、トミージョンをしてリハビリをする。
だが五年間もなげなければ、保存療法でも完治するものなのか。
確かにメディカルチェックでも、右肘の異常などは見当たらなかったが。
それは復帰する時に、特に念入りに検査されているので間違いない。
ここで重要なのも、コントロールなのだろう。
自分の肉体の状態を認識し、無理をしないというコントロール。
とんでもない自制心と、自覚がなければ出来ないことだ。
この情報を共有された豊田としても、自分なら絶対に出来ないと思う。
そもそも出来なくなったからこそ、引退したわけであるし。
豊田も肘を損傷した。
そして年齢も年齢であったので、そのまま引退したのだ。
もっとも肩にも痛みがあったので、限界は先に見えていた。
昔はピッチャーの故障というと、肩が一番多かったという。
しかし今では肘の方が目立つ。
トミージョンが浸透してきて、肘なら治るというイメージでも出来たからだろうか。
実際に上杉も、肘は治ったが最終的に、肩を壊して引退した。
150km/hは出ていたのに、それでも引退したのだ。
直史の場合は肘を、損傷と言うよりは炎症というレベルで引退している。
あの時はそれでも、肘に違和感を抱えたまま、投げることは出来ないと思ったのだ。
しかし自分ではない誰かのためなら、いくらでも限界を超えて投げられる。
ピッチャーの肩は消耗品、などとも言われる。
別に肩に限らず、無理をすれば消耗していくのは、どこのパーツでも同じである。
今の直史はキャッチボールをとにかく多くし、しっかりと肩を作ってから球数を投げていく。
全力で投げるのは、確かに一日に数球。
しかしかける時間は、相当に長い。
自分なりのケアの仕方を、完全に分かっているのだな、と西片は考える。
怪我をしないということは、とても重要なことである。
目の前の一勝よりも、シーズンを通した安定を求める。
もちろん選手にはそれは言えないし、言っても無駄なことは分かっている。
ピッチャーというのはそういう生き物なのだ。
ただ豊田としては、今年からピッチングコーチにも入っていく。
ブルペン管理がレギュラーシーズンでは重要になるが、この段階ではまだピッチャー全体を見ていく。
とにかく今年は、一人の故障もなければありがたい。
もっとも三島や青砥のように、どうしても故障してしまうのは仕方がないのだ。
このあたりは元ピッチャーだからこそ、分かるという感覚はある。
ピッチャーというのは基本的に、投げるのが好きな生き物なのだ。
だから好きに投げさせておくと、壊れてしまうことが多い。
もっとも今では一度ぐらい、壊れてからでないと話を聞かない、というピッチャーは普通にいる。
特に新人というのは、アピールをしたがるものであるが、それが過ぎてしまうとあっさりと壊れる。
プロの世界に入ったことは、確かに一つの区切りではあるだろう。
だがプロ野球選手になることだけが目標であるなら、それはプロでは通用しない。
プロ入り後のスケジュールについても、ちゃんと考えておかないといけない。
もっと単純に、ライフプランと言ったほうがいいか。
日本語なら人生設計である。
高卒や大卒、また社会人によってそれぞれ、自分の現在位置は違う。
高卒でプロ入りした豊田としては、ピッチャーをそこそこ長い目で見る必要があるのか、と最初は思ったものだ。
逆である。高卒ピッチャーであるならば、駄目だと思えば早めに切ってやる必要がある。
大卒や社会人というのは、それなりのコネクションがあるため、セカンドキャリアを組みやすいというのはあるのだ。
高卒にあるのはもう、純粋な若さである。
一年目は確かに、それを判断するのは難しい。
ただ本当ならドラフト指名する前には、それが分かっているべきなのだ。
重要なのはポテンシャルと、その成長曲線のどこに、選手が今いるかということ。
難しいのは木津などの、そのピッチャーとしての魅力が球速では分からない選手である。
とりあえず契約金と年俸の分は、去年の終盤の働きだけでも返ってきたと考えていいだろう。
ドラフト一位指名などは、数年間は一軍で戦力にならないと、コストパフォーマンスが悪いと言える。
直史はピッチング練習は、早々に切り上げていた。
それよりもインナーマッスルの強化を、引き続いて行っている。
筋肉をつけすぎても、コントロールが悪くなる。
トレーニングをしながらも、毎日の練習で調整する。
そんな直史は、他のピッチャーも眺めていく。
「ナオさん、今日は上がり?」
声をかけてきたのは、今年のオープン戦が引退試合となる青砥である。
「そっちはどうなんだ?」
「まあ一人投げるだけだし、問題はないかな」
高卒から20年以上、よくも頑張ったものだ。
勝ち負けのついた試合が、200試合以上もある。
大きく勝ち越したシーズンは少ないが、大きく負け越したシーズンも少しだけ。
安定してローテの四番か五番あたりを、ちゃんと投げたシーズンが多かった。
リリーフとしてもロングリリーフをやったり、また安定して大量失点はなかった。
基本的には先発のローテに入ってから、その真価を発揮したと言っていいだろう。
150勝したかったな、というのが気持ちであろうが、100勝も勝っているのだから充分だ。
やや変則的なピッチングによって、39歳のシーズンまでやってきた。
ドラフト指名順位もそんなに高くはなかったが、それがここまで投げてきたのだ。
FA権を行使しなかったのは、レックスの居心地が良かったからであろう。
緒方が野手のフランチャイズプレイヤーとしたら、青砥はピッチャーのフランチャイズプレイヤーだ。
なんといってもノーヒットノーランを達成したというのが、記録としては残り続ける。
もっともレックスの歴代の記録は、他の全てを合わせても、直史に及ぶことはない。
それだけ圧倒的ではあるが、スーパースター一人でどうにかなるというものでもないのだ。
今の青砥は新人や若手の、ピッチャーを主に見ている。
南関東の選手のスカウトを、任せるとポストを用意されているからだ。
おそらく成績からいって、生涯で一流サラリーマンぐらいの年俸は、ちゃんと稼いでいるのだろう。
ただ青砥のところも、子供が三人はいたはずだ。
あれからまた増えているかもしれないが、子供を育てるのには金がかかる。
レックスの課題の一つである先発の枚数は、木津の評価をどうするかが問題だ。
明らかにリリーフ向きではなく、もし任せるにしてもビハインド展開や、長いイニングを任せることになるだろう。
ただ去年の結果だけを見ても、明らかに先発向けだろうとは思うのだ。
だがキャンプ入りしたこの時点では、まだ仕上がっていない。
球団寮にいる木津としては、合同自主トレにも参加していたはずなのだが。
直史にしても今年、シーズンを通して投げられるとは限らない。
スピードを出せるようになったというのは、それだけ故障しやすくもなっているのだ。
150km/hが安定して出せるようになったと言っても、それに頼りすぎるわけではない。
あくまでもピッチングのバリエーションが増えただけと考えるのだ。
一応先発として決定しているのは、直史以外に三島、オーガス、百目鬼の四人である。
木津は有力候補ではあるが、キャンプとオープン戦の成績を見て決めるだろう。
去年かなりの先発を任された阿川は、勝敗も悪ければ他の数字も悪い。
一軍に入ってはいるが、おそらくリリーフとして考えられているだろう。
三島は故障もあって、ポスティングを申請しなかった。
だが年齢的なことも考えると、おそらく今年が最後のチャンス。
MLBは選手の成長曲線などを、かなりシビアに考えていくのだ。
ちなみにピッチャーの方が野手よりも、仕上がりは早いと言われている。
確かに高卒ピッチャーが一年目からとんでもない記録を残す方が、野手がとんでもない記録を残すよりは多いだろう。
もっともピッチャーでも高卒から、いきなり主力としての活躍は期待されない。
大平のようなのは、例外の中の例外だ。
それにしても左が多くなったな、というのが直史の感想だ。
もちろん稀少なものであるので、それだけで左は有利なのだが。
直史が最初に入団した時も、武史に金原に吉村と、そこそこ左は揃っていたか。
あとはリリーフ陣にも、左のワンポイントなどがほしいところだ。
ロングリリーフもこなせれば、なおありがたい。
ピッチャーとしてのユーティリティ性とでも言おうか。
先発も出来ればリリーフも出来る、というピッチャーはチームとしても使いやすい。
直史などは先発として数字を残しているが、内容はリリーフとしての方がいい。
ただ比較するには、リリーフとしての数が少ないのも確かだ。
今年のレックスの一番の問題は、おそらく先発の枚数ではない。
ポストシーズンにはっきりと分かったが、平良が離脱した時のクローザーが、安定感がないというものだ。
直史が契約しているのは、先発としての条件が出されている。
ただこの条件に従っても、数試合ならばクローザーとして使うことは可能だ。
そのあたり直史も、ある程度は柔軟に考えている。
もちろん平良が故障しないのが、一番いいことではあるのだが。
大平のコントロールとコマンドが、安定してくれたなら。
完全にクローザーの穴が埋まってくれる。
オフにもしっかりとトレーニングをしたのか、大平はさらにパワーアップしている。
キャンプ早々から160km/hを連発しているのは、たいしたものではある。
これとほぼ同じというのが、昇馬の異常性を示しているが。
レックスは打線においても、外国人選手の契約が続いている。
特にプラスはないが、マイナスもないのがありがたい。
攻撃時に大胆に動かなかったのが、貞本の責められる点であったのだ。
もっとも結果だけを見れば、最終的には日本一にまでなった。
ただ年齢的なこともあって、現場の監督というのは苦しい、というのが理由で勇退している。
他にはもっと高齢の、現役監督はいるのだが。
今年も基本的には、ピッチャーを中心とした守備的なチームになるのだろう。
だが西片が現役時代に誇っていたのは、その機動力だ。
レックスは去年も、セットプレイで点を取っていることが少なくない。
その点では西片も、同じ考えを持っている。
ガンガンと打っていって、大量点を取るのもいいだろう。
その方が見る方としては、面白いのは間違いない。
日本一という結果を残しているため、ファンは増えていっている。
また直史の投げる試合は、必ずと言っていいほど満員になっている。
日本一になったあとの監督というのは、プレッシャーが大きいはずだ。
だがプロ野球の監督というのは、野球選手の中でもさらに、限られた数人にしか許されない職業である。
コーチとしても実績を残し、編成の経験もした。
そしていよいよ一軍の監督なのである。
なお二軍の監督としては、野手出身ではあるが、ピッチャーを上手く育てたという印象を持たれている。
もっとも遡れば西片も、高校時代は投手兼任であったりするのだ。
先発ローテ二枚、ここをまずは新人や若手には争ってもらう。
そしてリリーフにしても、勝ちパターンにつなげる六回を投げる、そういうピッチャーがいてほしい。
あとはセットアッパーとクローザーの、予備になるような選手。
特にクローザーに関しては、平良の離脱は見ていても恐ろしかった。
大平がもう少し、制球が安定していれば。
あるいは国吉がもう少し、防御率が低ければ。
とはいえ二人とも、充分にリリーフとしては、平均をはるかい上回る実績を残している。
特に大平に関しては、いまだに成長の途中であろう。
こういったところを直史は、豊田などと共に意見を求められるのだ。
そんな質問をされても、直史にプロレベルの才能の見分けは付きにくい。
ただ、個人的には先発の中では、木津に注目している。
この一年のローテを安定して守れれば、今後十年は安定した結果を残せるのではないか。
遅いストレートでも、しっかりと三振を取れる木津。
球質がいいと判断されれば、単純な球速以外の部分で、結果を残せるだろう。
もっとも技巧派と言うには、ちょっとコントロールも悪い。
変則派投手として、ぜひ実績を残してほしいところである。
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