第203話 アドバイス

 シーズン半年を通して、大介は確認していた。

 自分のバッティング能力が、どの部分で衰えているのかを。

 MLBから日本に戻ってきて、ホームランの数は増えた。

 しかし帰国二年目の今年は、10本以上激減している。

 それでも50本打っているあたり、やはり史上最強の打者と言われるだけのことはあるのだが。

 大介はデビューしてから今まで、日米双方で全ての年で、ホームラン王と打点王を取っている。

 首位打者だけは日本で一度、取れなかった年がある。

 

 大介の動体視力は、確かに衰えの兆候があったりはする。

 普通に40代の半ばになれば、人間の視力は近くが見えなくなったりもするのだ。

 大介はそれに対応するために、より懐を深くするように考えた。

 そして近くにまでボールを呼び込むということは、スイングスピードなり角度なりを考えて、これまでとは違う方法で飛距離を出さなければいけない。


 一瞬のタイミングで一気にスイングスピードをトップに持っていく。

 バットのトップを作るのを、わずかに早めたりもする。

 バットを振るパワー自体は、昔からまだ落ちてはいない。

 しかしやはり動体視力は、目の筋肉なだけに鍛えるのが難しい。


 スピードボールに目を慣らす、という訓練をひたすらに続ける。

 160km/hでは足らずに、170km/hオーバーを機械に投げさせるのだ。

 実際には機械よりも、人間のボールは速く感じる。

 スピンの量や軸などが、人によって変わるからだ。

 機械の設定も色々と変更し、そのボールの軌道を目で追っていく。

 マシンをずっと占領し、そのためだけに使っていくのは、贅沢なものであろう。


 元々NPBでもMLBでも、キャンプ入りすればピッチャーの方が、仕上がりは早いなどと言われている。

 バッターはスピードに、目を慣らさなければいけないのだ。

 大介はそれを、オフの期間もずっと続けている。

 特に工夫を加えているのではなく、愚直に筋トレを繰り返すようなものだ。

 しかしこの単純な反復が、基礎的な能力を上げていくのだ。


 また大介は、改善の余地があったりする。

 それは外角への意識だ。

 MLBは外角が広かっただけに、NPBに戻ってきた今も、その意識が残っている。

 もっとも大介はストライクゾーンの外角の広さは、高校時代からずっとそのままだ。

 だからこそプロでは外角を、ここまで打てているというところはある。


 もうそろそろボール球を、無理に打たなくてもいいのではないか。

 バットコントロールが優れているがゆえに、大介は外のボールも打ってしまっている。

 だが本来ならば、もっとフォアボールをもらっても、文句は出ないだろう。

 ただ大介に期待されているのは、やはり長打なのだ。




 大介は史上最強の打者であるのかもしれない。

 数字の上では間違いなく、史上最強である。

 同時代に怪物ピッチャーが何人もいるのに、それでも史上最強と呼ばれる。

 これでリーグがパ・リーグであったなら、さらに数字は上がっていたのでは。 

 通常ならNPBからMLBに行けば、選手の成績はだいたい下がる。

 それはMLBが、NPBも含む世界中から、トッププレイヤーを集めているからに他ならない。


 だが大介の数字は、むしろ上がって行った。

 試合数が多いので、ホームランや打点の数が増えるのは、まだしも理解出来る。

 しかし出塁率や打率が上がるのは意味が分からない。

 強いて言えば上杉や直史と、あまり対戦することがなくなったからか。


 そんな大介でもさすがに、30代の半ばからは数字が少しずつ落ちる傾向があった。

 しかしNPB復帰第一戦は、完全に全盛期のような数字を出していたのだ。

 去年のホームラン数が落ちたといっても、50本は打っている。

 これならばどう考えても、充分すぎる数である。


 ただし大介の数字の低下は、チームに与える影響はどうなのか。

 ライガースは大介を二番に置くという、MLBならばともかくNPBではいまだに非主流の、作戦を採用している。

 走力もまだ衰えていないので、これは悪い選択ではない。

 そして出塁率さえ高ければ、後ろのクリーンナップが返してくれる。

 大介に頼りすぎていては、ライガースは数年のうちに、打線が破綻するのは見えている。

 現時点でも外国人で、そのあたりを埋めているのだから。


 右の和製大砲は、今の日本では必要なものなのだ。

 とにかく左の優位性が重視され、本来は右のバッターでさえも、左に矯正していく。

 ただプロの世界であると、数素サウスポーの左バッターに対する優位は、かなり高くなっていたりもする。

 スラッガーであるならば、左に無理にする必要はない。

 だが右投げのピッチャーでさえも、シニアや高校の段階で、左で打っているパターンが多い。


 ピッチャーならばデッドボールを受けた時でも、そのダメージが右腕にかからないよう、打席は右にすべきなのだ。

 もちろんそんなことは、DHのあるリーグに行けば関係なくなるが。

 ピッチャーを兼任していながらも、左のバッターボックスに入る。

 それはリスクがあるのだと、はっきり伝えている指導者はいるのかどうか。

 もっとも今はそんなことをしなくても、左の強打者に憧れたり、一塁ベースへのわずかな有利を考えて、左にするバッターは大変に多い。

 大介の場合はそもそも、足を活かすために左だと、最初の頃に矯正されたものだ。

 ただ本人としてもその素質は、左バッターにあったのかもしれない。

 高校野球レベルまでは、スイッチでも打てたのだが。


 現在でも練習では、右で打っていたりもする。

 左手と右手の感覚を、しっかりと意識しているのだ。

 守備などにおいてもバットで打ったボールではないが、転がったボールをグラブなしでキャッチしたりもする。

 しっかりとボールをつかむという感覚を、身に付けさせるためだ。




 守備も走塁も優れている大介だが、やはり求められているのはバッティング。

 オフシーズンになると関東に戻ってきて、SBCの施設を使ったりはする。

 そして貸切に出来る日は、昇馬に投げさせてみたりもするのだ。

 さすがに現在はもう、160km/hを打ち砕くなどということはしない。

 生きたボールをこのスピードで投げるのは、日本ではプロでもそうそういないからだ。


 大介であれば、見ただけで分かる。

 昇馬の上限は、まだまだずっと高いところにある。

 おそらく高校在学中、かなり安全策を取っても、165km/hぐらいまでは行くであろう。

 そして170km/hオーバーも現実的だ。

 ただし昇馬の体格は、やや不安が残る。


 両腕が長いことは、もちろんピッチャーにはいいことだ。

 しかしあまりのパワーピッチャーであると、血流障害などになる可能性もある。

 下手にスピードを求めるよりも、壊れないピッチングをさせるべきだ。

 そのあたりのノウハウは、直史が一番よく分かっている。


 それにしても武史の息子がバッティング寄りで、自分の息子がピッチング寄り。

 もちろんどちらも高校野球なら、四番でエースというぐらいの力はある。

 フィジカルが優れているという点では、両者に共通している。

 しかし適性が逆であるというのは、ちょっと面白い話であった。


 大介は息子に対して、ピッチングの何かを教えることは出来ない。

 確かに高校時代は少し、その肩の力を活かすため、最低限はピッチャーの指導も受けた。

 もっとも二年生になってからは、そんなことはほとんど行っていない。

 セイバーは他のポジションの人間全てにも、ピッチャーをやらせるという実験はしていたが。


 大介が昇馬に対して何かを教えられるとすれば、それはまずバッティングだ。

 そしてバッターにとって、どういうピッチングをされたら嫌か、という点である。

 まずバッティングに関しては、今の自分なら教えられる。

 昔の自分であれば、完全に体勢を崩してでも、それでもホームランを狙っていった。

 昇馬もパワーだけならば、充分に大介に匹敵する。

 しかし体の各所のパワーを、上手く連動させていって、インパクトの瞬間に爆発させるのがバッティングである。


 今の白富東では、昇馬が打たなければどうにもならない。

 ただ昇馬だけでは、ちょっと足りないのも事実なのだ。

 それに夏で完全に知られてしまって、秋も偵察が多かった昇馬。

 バッティングに関しては、そろそろ攻略の糸口を見つけられているかもしれない。

 今の昇馬は打つべき時に、しっかりと打つ技術を持っておく必要がある。

 相手のウイニングショットを待って、それを確実に打つ。

 対応力が必要になっているのだ。




 バッティングはパワーを連動させるものだ。

 しかし同時に手首などは、柔らかく使う必要がある。

 硬いバットでありながら、それを鞭のようにしならせる感覚。

 それを手に入れるためには、もっと強いピッチャーと対戦する必要がある。

 都合がいいことに年末年始は、その強いピッチャーも千葉に戻ってくる。


 大介はいまだに滑り止めは使っても、バッティンググローブは使っていない。

 しかし昇馬はしっかり、そういうところまで使っている。

 金があるから出来ると言うより、その方がバッティングの技術が上がるからだ。

 バットコントロールはパワーがあれば、それほど問題なく出来る。

 あとはミートなどは、かなり天性の才能になってくる。


 当て勘、と呼ばれるものだ。

 大介ほどには、昇馬はこれを持っていない。

 おそらくこれは、司朗の方が上なのであろう。

 だがそれを悲観する必要はない。

 司朗はおそらく現在の高校野球では、その点では最高のバッターだ。

 打率とOPSを計算すれば、夏の甲子園でも一番のバッターであったろう。

 ただ昇馬は勝負を避けられることが多かったので、出塁率は司朗とさほど変わらないのか。


 バッティングに関しては、とにかくスイングスピードを速くすることが、今の昇馬の課題である。

 リーチが長いことによって、外角に少しばかり外れても、充分に打っていける。

 高校野球はプロに比べれば、ストライクゾーンが外に広い。

 特にアウトローはストライクに取ってもらいやすいので、そこのコントロールを磨くピッチャーは多い。

 そこから逆に考えるのだ。


 相手の投げてくるアウトローを、踏み込んでしっかりと打つ。

 これが出来るようになれば、たいていのピッチャーは勝負するストレートがなくなる。

 今までもやっていたことではあるが、それは外角打ちの話。

 よりアウトローに絞ったならば、ホームランを打つことも出来るだろう。


 一般的なバッターにとっては、判断の難しいアウトロー。

 これを確実に放り込むことが出来たら、ピッチャーの選択肢を奪うようになれる。

 大介自身はあまり、そんなことを考えてはいなかった。

 どんなボールでも、ほとんどはホームランにしてしまうことが出来たからだ。

 真田のボールに関しては、スライダーが打てなかった。

 ただそれは今思えば、県大会で細田の、大きなカーブに苦手意識が出来たからだと思う。


 MLBでは真田のようなスライダー、スイーパーを使うサウスポーもいた。

 それでもある程度打てるようになっていたのは、その苦手意識が消えていたからであろう。

 今ももう、スライダーに対する苦手意識はほとんどない。

 昇馬も大介と同じく、打てる球はなんでも打つ、という傾向はある。

 しかし結果をしっかりと残すためには、ゾーン内のボールに絞り、ボール球に手を出すのは最低限にする必要があるだろう。




 バッティングに関しては、まだまだ昇馬は大介が何かを言うでもなく、自分で成長できる。

 ではピッチャーとしてはどうなのか。

 そう、どういうピッチャーであれば、バッターにとっては恐ろしいのか。

 実際のところ昇馬は試合において、既にそういうピッチャーになっている。

 しかしそれは、リードを真琴に頼っているからだ。


 そして昇馬はまだこれから、球速を増していくだろう。

 さすがに真琴の力では、ストレートをキャッチするのに限界が来るかもしれない。

 その時には真琴の代わりに、キャッチャーを用意するのか。

 あるいは真琴とサインを交換し、二人で組み立てていく必要がある。

 このリードという点では、昇馬は真琴に及ばないのだ。


 アメリカ流であれば、ピッチャーの投げるボールというのは、全て事前の指示かベンチからのサインによる。

 しかし日本の野球は高校野球でも、キャッチャーのリードに重きを置く。

 実際に鬼塚としても、リードは真琴に任せていた。

 そしてその真琴は、データ分析を弟の手を借りていた。

 明史が中学に合格して家を出れば、その恩恵は受けられない。

 そもそも昇馬も考えなければいけないタイミングなのだ、ということも出来るだろう。


 今の昇馬のままでは、ただのフィジカル馬鹿だ。

 もちろんこんなフィジカルを作り上げた時点で、それはそれで立派なのだが。

 大介としてはバッターとしての視点から、ピッチャーを評価することが出来る。

 そしてただのパワーピッチャーなら、限界は来るのだ。

 160km/hで確実に打ち取れるのは、高校野球まで。

 その高校野球でも、トップクラス数人ならある程度は打つ。


 ただ現時点で昇馬は、その条件をある程度満たしている。

 それは強く内角に投げ込むというものだ。

 内角は危険、とはよく言われることではある。

 実際に内角のボールは打たれている印象が強いが、それは本当の内角ぎりぎりのボールではない。

 内角に投げたつもりが、真ん中に寄っていってしまっているボールなのだ。


 要するにすっぽ抜ける可能性が高いから、内角は危険なのだ。

 そもそもバッターに当てることを恐れて、ピッチャーのコントロールは甘くなる。

 その点では昇馬の場合、心配はいらない。

 甲子園でもデッドボールを、三つもぶつけている。

 それに対してフォアボールがないのだから、コントロールが悪いわけではない。

 内角の本当のぎりぎりに、しっかりと投げ込むことが出来る。

 こんなピッチャーは高校野球レベルでは、バッターにとってより恐ろしいものなのだ。

 しかもそれが160km/hを投げてくるピッチャーなのだ。


 実際のところ昇馬の当てたボールは、やや変化球が入っている。

 ストレートならばデッドボールなど、ほぼ当てるはずもない。

 変化球ではさすがに、コースをぎりぎりまでコントロールは出来ない。

 だが甘く入る球を投げるほど、昇馬は可愛い性格はしていないのだ。




 バッターにとって恐ろしいと言うか、打ちにくいピッチャー。

 それは意外性のあるピッチャーだ。

 高校生でありながら、平然とデッドボールを投げ込む昇馬は、確かに現時点で恐ろしい。

 そしてもう一つ打ちにくいのは、それはないだろうというボールを投げてくるピッチャーだ。

 この点では直史のように、選択肢がたくさんあるピッチャーこそ、まさに打てないのだ。

 司朗は比較的打ってしまっているが。


 昇馬は手元で動く球、緩急のチェンジアップ、変化量も多いスラーブと、そこそこ球種は持っている。

 しかしチェンジアップのスピードは、もっと遅くしてほしい。

 つまるところ大介が、対応が難しくなるために、もう一つ球種を増やすのだ。

 それはスローカーブである。

 直史の得意な球種だ。


 ストライクなのかボールになるのか、それは問題ではない。

 そもそも昇馬のストレートは、普通に打てないボールではあるからだ。

 だがここにスローカーブを入れる。

 もしくは投げられるのなら、遅いシンカーでもいい。

 しかしフォームから言っても、スローカーブがいいだろうと大介は判断する。


 丁度いいことに季節は、対外試合禁止期間。

 そしてスローカーブの名手と、年末から年始にかけては過ごすこととなる。

 今のままの昇馬でも、チェンジアップで充分だとも言えるだろう。

 ただスローカーブは絶対に、もう一つの決め球となる。


 もし投げられるものならば、スルーが投げられれば一番いい。

 160km/h近いジャイロボールなど、大介でも打てるか分からない。

 ただあれはスピン軸が少しでもおかしいと、スライダー的な変化になってしまう。

 それはそれで悪くはないが、ならばスライダーを身につければいいだろう、

 スローカーブを投げられるようになれば、確実にバッターはボールを見失う。

 もちろん投げる割合は、それほど多くなくていい。


「変化球か……」

 昇馬は確実なパワーピッチャーだが、ストレートにばかりこだわっているわけではない。

 それにカーブでカウントが取れるなら、真琴への負担が軽くなる。

 真琴としても昇馬がそう考えるなら、リードを二人で組み立てていくことが出来る。

「緩急の球速差が70km/hもあれば、そんなものを打てる人間はほぼいなくなるだろうしな」

 またカーブは比較的、故障につながりにくい変化球でもある。


 変化球は変化球でいい。

 ただ大介は、もう一つ注文をつけたい。

 それは昇馬が両利きであるのに、ほぼ左でしか投げなかったことに関わる。

 確かに左の方が細かいコントロールはあるし、左バッターには効果的だ。

 しかし右でも充分に、そのパワーは健在であるのだ。

 あえて左バッターに対しても、右で投げていく場面があってもいいだろう。

 サウスポーでばかり投げていては、ボールの球筋がある程度予測されてしまう。

 右で投げることこそまさに、意外性の最たるものであるだろう。


 なるほどな、と昇馬も納得する。

 左で抑えられるものだから、左でばかり投げていた。

 しかし将来的には両利きである方が、有利になる場面もあるだろう。

 ならば実戦の中でも、今から右をもっと試しておくべきだ。

(将来か……)

 それはより高いステージで戦うことを意味する。

 大学野球ではなく、もっとさらにその先。

 MLBにおいてスイッチピッチャーは、マイナーならば既に登録されたことがあるのだ。

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