第202話 評価基準

 40歳を過ぎてからでも、MAXの球速が伸びるということはある。

 ただ球速が上がっただけで、他の要素が悪化すれば意味がない。

 直史はトレーニングをしながらも、トラックマンなどで自分のフォームを分析する。

 もちろん一人で出来ることではなく、センターのトレーナーの意見なども聞いている。


 トレーナーからすると、直史は本当に化物である。

 そもそもこの筋量で、150km/hが出せるというのがおかしいのだ。

 もちろん単純に筋肉をつけるというのではなく、個々の運動を上手くつなげていくことが、球速を出すコツではある。

 直史の場合はそれぞれの場所の筋肉で発生しているパワーが、ほぼ全て次の筋肉に伝わっている。

 だからこそこういった、体重や体格の割にはスピードが出せる。

 ただ今の直史は、それよりもピッチングのバリエーションを、フォームを変化させることで色々と増やしているのだ。


 しかし12月のこの時期に、しっかりと肩を作ってから投げれば、150km/hが出た。 

 いかにシーズン中は、故障しないように投げていたかという証である。

 そして色々と分析した後、数日を置いてからまた、球速の最高速に挑戦してみる。

 すると151km/hが出た。


 今の直史にとって球速というのは、そこまで重要なものではない。

 緩急をつけることによって、自然と球速の上限が上がっているように、バッターからは思えるからだ。

 特にストレートと同じフォームから、スローカーブが投げられるのが大きい。

 魔球も確かに決め球になるが、スローカーブとの球速差も、同じく重要な決め球の要素になる。

 他の変化球も、しっかりと試していく。

 その中でやはり、トレーナーなどが評価するのは、カーブなのである。


 確かにストレートは150km/hオーバーで、しかも球質もいいものだ。

 これとジャイロボールのストレートを組み合わせれば、まずそれだけでジャストミート出来る確率が減る。

 しかしその速球の組み合わせを活かすのはカーブだ。

 もっとも打つ側からすれば、どのカーブを狙うのか、という話になってくる。

 直史のカーブは一種類ではないのだ。


 スピード、変化量、ゾーンに入ってくる角度。

 これらをしっかりとコントロールし、ゾーンの中を通過させる。

 コースまでも確実に入るのは、大前提の話である。

 ちょっと変な話になるが、カーブもまた伸びるボールである。

 一般的な伸びるというものではなく、下に向かって伸びるというものだ。

 横に動くスライダーや、実際に落ちるスプリットなどは、あくまでも結果的に落ちていく。

 しかしカーブにはそもそも、落ちる回転がかかっているのだ。

 フォーク系統などのスプリットは、全てスピンを調整して落ちるようにしている。

 カーブは基本的に斜めに入ってくるが、それでも落ちる回転を持っている。


 カーブを変化球の基本とした、バリエーション豊富なピッチング。

 それは変化球を多用する直史のピッチングである。

 そして今年、比較的あまり使わなかった変化球は、スライダーとスルー。

 どちらも肘に負担がかかりやすいボールだ。

 特にスイーパーと呼ばれる、高速スライダーなどは。




 全力のストレートであっても、絶対に肘には負担がかかる。

 そもそもピッチングというのは、肉体のほとんどを捻っていくからである。

 ねじりが回転につながっていく。

 そしてその筋肉の螺旋運動は、ストレートであっても肘を捻っていく。

 なのでやはり、肘には負担がかかるのだ。


 シーズンが終わってから直史は、右ひじを徹底的に検査した。

 チームでやっていたならば、ドクターストップがかかると困るので、その間はやっていなかった。

 騙し騙しであっても、直史のバリエーションを使えば、どうにかなる。

 そう考えて直史は、ぎりぎりまで100%の力は使わなかったのだ。


 検査は病院だけでやったわけではない。

 肘だけではなく全身のバランスを、鍼灸師の名人に見てもらったりもした。

 するとむしろ肘よりも、他の部分が疲労している、などとも言われてしまった。

 確かに肘を庇うようなピッチングをすれば、今度は他の場所に負担がかかるのは当たり前だ。

 ピッチャーならば特に注意すべきは、もちろん肩であろう。


 肘の損傷というのはおおよそ、今ではトミージョンでどうにかなるものだ。

 もっとも直史の場合、年齢的なこともあるので、リハビリを含めて二年は必要になったかもしれないが。

 それだけ投げていなければ、さすがに直史も復帰出来るとは思わない。

 そもそも最初の引退は、肘の故障というのが理由である。

 実際にほんのわずかだが、故障はしていたのだ。


 靭帯というものは回復するのに、そうそう都合よくはいかない。

 特に肘の靭帯は種類にもよるが、完全に回復することはないとさえ言われる。

 だから自分の他の靭帯を、移植して代えてしまうのだ。 

 今などアメリカにおいては、高校生でもトミージョンは普通に行っている。

 選手の球数管理をしっかりとやっているはずのアメリカでさえ、そんな状況なのである。

 つまるところパワーがあればあるほど、自分の体に跳ね返ってくるものも大きい。

 なので直史のようなピッチャーは、むしろ壊れにくいのだろう。


 単純に体の頑健さならば、上杉や武史の方が上なのは間違いなかった。

 だが直史は常に、肉体への負担を分散させるピッチングをする。

 そして球数を減らして、スピードも落としていく。

 使うエネルギーは少ない方が、絶対にいいのだ。

 もっともあまり上限を下げていってしまえば、パワーの最大値が落ちてしまう。


 疲労が残ってもいいから、全力で投げてみる。

 それはオフシーズンでしか出来ないことだ。

 少しでも異常を感じたら、そこでストップする。

 またフォームのテイクバックも、少し調整したりはする。

 あとはタイミングをどうずらしていくかも重要だ。




 普通の人間とは、やっていることが違う。

 ピッチングや筋トレもやっているが、それより何より直史が重視するのは、柔軟性とバランス感覚。

 そしてそこから生まれる体幹の強さだ。

 この三つが合わさっていれば、フォームをどれだけ微調整しようが、コントロールはなんとかなる。

 コントロールが完璧にどうにかなっている上で、さらにパワーを上げていくのだ。


 体重管理もしっかりとしなければいけない。

 筋肉をつけるのも、どこまでが重要なのか制御しなければいけない。

 下手に筋肉を付けすぎると、稼動域が狭くなる。

 そう言われていたのは昔の話で、今は筋トレの重要さが分かっている。

 しかしその時代に逆行するように、直史は鍛え方を変えているのだ。


 直史のようなタイプのピッチャーは、NPBに一人しかいない。

 それだけで他のピッチャーよりも、ずっと有利になってくるのだ。

 普段から他のピッチャーを研究して、それを打つことを考えている。

 すると直史を打つために考える時間は、なかなか取れなくなるのだ。

 しかし直史に特化して研究すれば、他のピッチャーの研究が疎かになる。

 そもそも直史は、他のピッチャー五人分以上は、研究しなければいけないことがある。


 他の人と同じことをしていれば、才能の順番にしか上に行けない。

 それを分かっていない人間が、とても多いのではないか。

 ただ基礎的な部分に関しては、さすがに共通しているところはある。

 またピッチャーのスタンダードというのは、時代と共に変わっていったりもするのだ。

 一番最初の野球など、ピッチャーは全て下手投げであったのだし。


 いつの時代も球速は、まず重要視される。

 そんな中で木津を、育成枠とはいえ獲得したというのは、レックスの鉄也に対する信頼だ。

 そもそも鉄也はクリーンになってきたという今のドラフトで、直史を獲得するという裏技を使ったりした。

 彼が目に付けた選手は競合で取られたとしても、ほぼ頭角を現している。

 大介を11球団が競合した時などは、二位以下の指名や外れ一位の指名をしっかりと考えていたものだ。

 金原、佐竹、青砥、星といったあたりを下位指名で獲得しているのは、完全に彼の力である。

 そんな鉄也でも、大原をライガースに取られたりしていて、完全に成功ばかりではない。

 もっとも大原は、あの実績で四位指名というのが、高すぎたと当時では言われていたものだ。

 鉄也はもっと下で取れる、と思っていたのだから。


 ちなみに今年のレックスの指名した選手には、鉄也の担当選手は一人いる。

 関西の大学野球リーグから、引っ張ってきたピッチャーである。

 下位指名ではあるのだが、支配下登録での指名ではある。

 レックスは基本的に、育成はめったに取らないのだ。

 木津にしてもまさか、こういった形で戦力になるとは、思われていなかった。




 直史としては今の野球の主流を、フィジカル偏重と思っている。

 だからこそピッチャーはすぐに、肩や肘を壊してしまうのだ。

 パワーを出すのはいいのだが、筋肉はあっても腱や軟骨がそれについていかない。

 特に若いうちは、160km/hなどを投げるのは危険すぎる。

 もっとも昇馬に対しては、それほど心配はしていない。


 生まれつき骨密度が高く、また柔軟性なども高い。

 バランス感覚や体幹の強さは、直史と遜色がないくらいである。

 それに身長などの体格も、大きく平均を上回る。

 この時期の高校生としては、既に筋肉を付けすぎているのではないか。

 そう思われるのも仕方がないが、本人は特に筋トレなどでフィジカルを鍛えているわけではないのだ。


 普段の運動によって、自然と肉体が作られていく。

 これこそ本当の、実用的な筋肉なのであろう。

 また同時に、山を歩けば感覚も鋭くなる。

 高校入学以前のシニア時代から、昇馬の負けになった試合はなかった。

 それぐらい本当に、高校生の中では傑出している。


 野球の流れというのは、球速重視というのはもう、ずっと前から変わらない。

 それこそスピードガンで計測されてから、ずっと重視されている。

 ただ20世紀の末ぐらいに比べると、人間の出せる限界はもう、10km/h以上も上がっている。

 ただ一人の天才だけではなく、ほとんど毎年ピッチャーの平均球速は上がっているのだ。

 そしてこの単純なフィジカル勝負は、間違っているわけではない。


 基本的に伸びるうちは、伸ばしていけばいいのだ。

 ただ直史は中学の時点で、キャッチャーが捕れないという経験をしている。

 そこからあれこれ考えて、打たれないことを探っていた。

 7イニングで二本しかヒットを打たれていないのに、二点も取られているのが中学最後の試合である。

 高校に入ってしばらくの間も、完璧なピッチングなどは目指さずに、どうすれば点を取られないかを考えていた。


 負けたのは味方のエラーを除けば、雨の中での実力の出しにくい試合のみ。

 そしてそれ以降は、防御率はとてつもなく0に近い。

 県大会や地方大会、また甲子園においてもあまり、完投などはしていなかった。

 大切な試合に限っては、15イニングも平気で投げていたりしたが。

 このあたりの強さというのは、フィジカルよりもむしろ、メンタルとインテリジェンスだ。

 肉体のコントロールというのは、もちろんフィジカルも強くなくてはいけないが、パワーよりもバランス重視。

 そしてメンタルが強くなければ、狙ったところには投げていけない。


 直史は高校の三年間で、野球は辞めるつもりであった。

 大学時代もそれ以降のステージは考えていなかった。

 しかし今のフィジカル偏重の野球が、違うのではないかと思い始めたのは、二年の夏からだ。

 ワールドカップで無失点にクローザーをしてから、それはほぼ確信に至った。

 もちろんフィジカルを軽視するわけではない。

 ただ球質などが落ちるような、単なる球速アップは目指さなくなったのだ。




 大学時代に150km/hを突破した。

 そこからはもう、ほぼ成長していない。

 もしもプロ入りを考えて、大学時代もフィジカルを重視していたら、150km/h台の後半は投げられるようになっていたかもしれない。

 しかし直史がプロではなく、勝利だけを目指していたのは、結果的には正解であったのだろう。

 プロのスカウトは、スピードでなければフィジカルで評価する。 

 そんなところは馬鹿らしいのだが、実際にドラフト指名するためには、球団の編成を納得させなければいけない。

 そのためには球速やフィジカル、また球種やサウスポーといった要素で、説得する必要があるのだ。


 直史は確かに、球種は豊富であった。

 しかし大卒ピッチャーとしては、球速はほぼ平均であったろうし、またフィジカル的にはあまり成長しないように見えた。

 それでも圧倒的に求められたのは、その実績からである。

 大学のリーグ戦は、プロほどではないが情報がたくさん分析される。

 その中で無敗を誇り、圧倒的にパーフェクトやノーヒットノーランを達成した。

 高校時代もそう見られていたが、大学時代の実績からスカウトたちは確信する。

 佐藤直史は何か、見えている視点そのものが、他の野球選手とは違うのだと。


 バッターは基本的に、フライを打つのが今の野球だ。

 それに対してピッチャーは、沈む球か逆に、高めのストレートを投げることが重要になる。

 横の変化も悪くはないが、左バッターが増えている時代である。

 だからこそまた、サウスポーの価値は高くなっているのだが。


 直史の現在のピッチャーの平均と、大きく違うところ。

 変化球の多彩さは、今では故障のリスクとなっている。

 だが直史は普通に、無数の変化球を使っていく。

 フィジカルを変に鍛えるのではなく、そのフォームが自然であることを重視する。

 ただフォームの細かいところを色々と変えて、ボールの軌道も変えてしまう。


 基本的に打たせて取るタイプのピッチャーなのだが、ここぞという時には三振も取れる。

 そして圧倒的に球数が少ない。

 絶滅危惧種の先発完投型ピッチャーで、それが無理ではないというぐらいには、球数が抑えられている。

 読み合いによって勝利する。

 これだけ研究されても、さらにその上の読みで勝負する。

 そもそも球種が多すぎて、対応することが出来ないのだが。


 普通ならばカットをすることで、球数を増やすことが、バッター側は出来るはずだ。

 しかしそこで打てそうなボールを投げて、ミスショットを誘発する。

 このあたりはリードがどうとかではなく、心理戦と呼べるものだ。

 野球というのはメンタルスポーツ。

 直史はそれを理解した上で、そんなところに投げてくるはずはないだろう、というコースに平然と投げてくる。


 それを一打席の中でやられてしまうと、もうその打席では打てなくなる。

 そして一打席封じられただけで、その日の打席が全体的に打てなくなる。

 ともかくランナーを出さないのだ。

 そのくせ奪三振は少なくなってきていて、フォアボールは滅多に出さない。

 相手が四番であろうとなんだろうと、変わらないピッチングをしてくる。

 例外になるのは大介と、あとはやや悟もそうであろうか。




 直史のトレーニングを見ていて、トレーナーは野球の新たなる可能性を考える。

 それはコントロールと戦略によって勝負する、というものである。

 現在は高校野球でも、継投で戦っていくのが常識。

 ただ直史は球数を少なくして、平気で完投してしまう。

 時代の潮流に逆行しているのだ。

 だがというか、だからこそというか、それで結果が残せているのだが。


 直史のようなピッチャーを、生み出す工夫を出来ないものなのか。

 それはもう実際に、出来ていない現実がある。

 ただ直史と似た要素などは、たとえば木津にはあるのではないか。

 特に木津はサウスポーということもあるので、その点で有利でもある。


 ピッチャーの新たな可能性。

 それは一度球速を無視して、成績を見てみるべきではないのだろうか。

 もっとも最低限のフィジカルがないと、プロでは全く通じないということはある。

 それにフィジカルの強さというのは、やはりドラフトの候補として入れるには、説得がしやすいものなのだ。

 木津のストレートの数字などは、分かってみればプロのコーチなどであれば、試してみたいと思うのが普通だ。

 しかし実際には、プロにたどり着けないのが常識である。


 固定観念から離れるべきだ。

 しかし同時に、シンプルにも評価すべきだ。

 このあたりのバランスを、誰が理解しているだろう。

 木津はサウスポーで、球質のいいストレートを投げるが、コントロールはそこまでよくないし、変化球も多くない。

 だがとりあえず、レギュラーシーズンの終盤からは通用した。

 もっとも彼にとって重要なのは、来年からの話だ。

 シーズンを通じて研究されて、それでもなおプロの世界で通用するのか。

 二年でクビかもしれないし、それは球速の遅さが理由となる。

 ずっと結果を残し続けなければ、プロの世界ではいられないのだ。


 そのあたり直史は、結果を残し続けた。

 だからこそ40歳になってなお、復帰などをしているのだ。

 そしてどんどんと、記録を更新している。

 まだ来年も、期待出来るなと理解しているのは、SBC千葉のトレーナーが一番であったろう。

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