第200話 どちらもオフシーズン

 12月の対外試合禁止期間になると、おおよそのチームはフィジカル強化に取り掛かる。

 白富東でもそれは変わらない。

 さすがに学校の部活動なので、出来ることには限度がある。

 しかしMLBで巨大な年俸を手にした人間は、かなり専門的なことが出来る。

 直史にとって12月というのは、そういう季節の始まりであった。


 既に11月の時点、日本シリーズの終了してすぐのあたりから、トレーニングを開始している。

 半年以上に渡るシーズンを終えて、しばらくは休養に入る。

 それも間違いではないが、果たしてどれぐらい消耗しているか、それを考えなくてはいけない。

 回復力の低い人間は、プロではやっていけない。

 少なくとも先発であれば、年間に20試合はローテを守ることが必要であろう。

 直史の場合、肉体の消耗自体は、それほどかからないようにしている。


 シーズン前ではなく、シーズンの後にメディカルチェックを行う。

 特に重要なのは、血液検査である。

 また骨の成分においても、脆くなっていないか確認する必要がある。

 これらはトレーナーではなく、スポーツドクターの領分だ。

 限界ぎりぎりまで追い込むことによって、より肉体は強くなろうとする。

 だが直史の年齢を考えると、それにも限度があるのだ。


 同じことは大介にも言える。

 オフシーズンであるからこそ、現在の状態を維持するのに苦労する。

 武史の場合はあまり現役にこだわっていないため、そこまでのトレーニングは行っていない。

 もっとも息子は父親が現役のうちに、勝負してみたいと思っている。

 オフの自主トレ期間のボールと、シーズンの本気のボール。

 それが違うのは当たり前のことなのだ。


 司朗としても自分のバッターとしての限界に、挑んでみたいという気持ちはある。

 神宮大会では優勝出来なかったので、春のセンバツに照準を合わせている。

 甲子園に比べれば神宮大会は、どうしても格落ちのような感じがする。

 それは注目度で言うならば、確かに本当のことなのだ。

 高校野球で一番重要なのは、夏の選手権。

 センバツでさえもそれに比べれば、たいしたものではない。

 三年にとっての最後の大会だからだ。

 そのプレッシャーが、意外な結果を呼び込んでしまうこともある。




 司朗は通いで帝都一まで登校している。

 もちろん朝練などには参加しているが、残って自主練を頑張るというタイプではない。

 そもそも自宅の庭に、野球の練習室を作ってもらったりしている。

 以前はプールであったのだが、そこを潰して作ったのだ。


 今は武史もそこを利用している。

 もちろん親子揃って、他のスポーツジムを利用したりもするのだが。

 純粋なウエイトトレーニングのために、器具などを買ったりもしている。

 それは名目上も事実上も、一応は武史のためのものである。

 そういった改築や機材の購入は、そのまま経費になるのだ。


 いよいよ最高学年になるという、司朗の課題はもう分かっている。

 パワーが最大のものなのだ。

 確かに今の時点でも、しっかりとピッチャーのボールを読んで、それをホームランにすることは出来る。

 しかし多少のミートのズレがあったとしても、パワーでスタンドまで持っていく。

 そういうことが出来たのならば、狙って打っていける球が増えていくのだ。


 単純にお手本にするのは大介だ。

 もちろんそのまま真似をすれば、むしろバッティングが壊滅的になる。

 重要なのは大介のバッティングが、ボール球でもホームランにしてしまえるということ。

 スイングスピード=パワーである。

 圧倒的なスイングスピードを、あの重さのバットで成立させているから、当たればしっかりと飛んでいく。

 そして当て勘というものは、司朗にもしっかりと備わっているのだ。


 センバツでは白富東が出てくることは、ほぼ100%確定である。

 唯一の可能性としては、昇馬はあれだけパワーがあるため、これぐらいの年齢では故障をしやすいのでは、ということだ。

 もっとも子供の頃から、昇馬とも付き合いのある司朗としては、むしろ冬の間にパワーアップしていることが考えられる。

 一応は昇馬からしっかりとしたヒットを打ったことがある、数少ないバッターの一人である。

 しかし160km/hを打って満足していては、プロからメジャーというルートには乗れない。


 帝都一は毎年、将来のドラフト候補になりそうなピッチャーが入ってくる。

 そのため司朗にしても、ピッチャー兼任というのはそろそろ、終わりにしてしまいたい。

 150km/hが二年の秋で出ているのだから、ピッチャー適性があるようにも思える。

 だいたい相手のバッターが何を狙っているのか、分からないでもないのだ。

 しかし司朗の特殊能力は、ずっと使い続けるのが疲れる。

 バッターとして一試合に四打席から五打席、その程度の使用が脳に負担がかからない。


 このあたりの読みというのは、直感のようにも思えるが、高速の思考の結果でもある。

 一試合を通じて投げるというのは、考えずにキャッチャーに任せてしまうなら、それもいいだろう。

 だが投げるという行為自体に、どれだけの負荷がかかってくるか。

 ならばやはりピッチャーではなく、バッティングに専念したい。

 センターとして俊足を活かし、しかも強肩も活用出来る。

 肩の強さはセンターとしては、かなり重要なものであるのだ。




 完全なオフシーズンになってからこっち、武史は生まれたばかりの次男に夢中である。

 だがそれでも、しっかりと毎日体は動かしている。

 スターズは今シーズン、Aクラスでフィニッシュした。

 クライマックスシリーズはライガースに負けていたが、一勝はしている。

 あと三年ローテーションで投げられれば、更新不可能と言われている上杉の最多勝記録を、塗り替えることが出来るかもしれない。

 そもそも高卒の上杉と、大卒の武史で、勝負が成立していることが謎ではあるのだが。


 上杉はこれだけの実績を残しながらも、まだ怪我がなければ、と言われるピッチャーだ。

 二年間日本のグラウンドから離れていたのだから、実働は22年。

 ただ武史はMLBで投げていたため、ローテが回ってくる間隔が早かった。

 そのため勝ち星が増えていたのだが、逆に普通なら壊れていてもおかしくなかったのだ。


 今のところ司朗は、野球史上最強生物であるピッチャーとしての直史に、そこまでの脅威を感じていない。

 かなり感覚的な部分ではあるが、実際に室内練習場などで勝負すると、打ててしまうのだ。

 もっともそれは父である武史からすると、直史はチーム内での練習試合などでは、明らかに打たれるヒットが多かった、という理由がある。

 また調整のために投げているのであって、司朗に対して本気では投げていないのだ。

 ただパワーであるなら司朗より上であろう昇馬は、バッターとして直史と対戦した場合、かなり相性が悪い。


 昇馬は打撃もほぼトップクラスであるが、それでも本質はピッチャーなのだろう。

 一年の秋の時点で、公式戦だけでも30本近くのホームランを打っているのだが。

 それだけ白富東が、大会をかなり後のほうまで、しっかりと勝ち残っているということである。

 体格が違うので、それだけ身につけられる筋力は違う。 

 だがそれを言い訳にするならば、大介はどうなるのか。

 甲子園の記録を、大きく塗り替えたバッターである。

 ただホームランを打っているのではなく、プロでの異常な高打率も凄まじい。

 高校通算記録で打率が八割というのは、ちょっと数字の入力間違いを疑わざるをえない。


 司朗もまだまだ、肉体の成長は終わっていない。

 そしてバッティングに関しては、父よりも義理の叔父の方が相談相手になりやすい。

「パワーの付け方にも、色々あるからなあ」

 大介はそう言う。

 体格よりも重要なのは、体重である。

 アインシュタインのエネルギーの法則により、速度と質量でパワーが生まれることは知られている。

 しかし大介は、体重が80kgもない。


 重要なのはジョイントなのだ。

 前後の体重移動と、腰の回転運動。

 そして腕のスイングの力の全てが合わさって、飛距離が出てくる。

 司朗にしても別に、今のままでも充分にホームランは打てる。

 だが少しぐらいのミスショットでも、なおスタンドに入れるだけのパワーがほしいのだ。

 大介の場合は確かに、外角に逃げたボールを打つのに、腰の回転のパワーをより使っている。

 しかしそこは上手く、ミートすればいいのだ。


 このミートする力というのは、本当に天性のものがあるのかもしれない。

 しかし多くのピッチャーと対戦し、そしてそのボールの軌道を見ていれば、経験を積んでいくこともある。

 大介でも直史を確実には攻略できないのは、その軌道がコロコロと変わっていくからだ。

 ここで古い人間であれば、力と力の真っ向勝負が見たい、などと言うのだろう。

 ちなみに直史も、それはそれで否定しない。

 ただ自分には押し付けるなと思うだけだ。




 司朗は確かに、読みによってとんでもない高打率を叩き出している。

 それは素晴らしいのだが、そもそもピッチャーのコントロールが、読み通りに投げられるものではない。

 なのであまり読みすぎて絞っても、高校野球レベルでは意味がないのだ。

 実際に昇馬の、やや精度の粗い右腕によって、封じられたことがある。

「問題は経験と目だな」

 大介としても、そこが最大のポイントであるとは思う。

「あとは自分の体の動きが、本当にイメージ通りに出来ているかどうか」

 投げられたボールの軌道をしっかりと脳で処理していても、そこにバットの軌道をアジャスト出来るかどうか。

 この脳の働きについては、素振りばかりをしていても、あまり意味がない。

 もちろんティーなどによって、現状を把握することは出来る。

 しかしどうやったら伸ばせるかというのは、また別の話なのだ。


 一番重要なのは、空間認識能力。

 あとは平衡感覚などであろうか。

 野球の動作ばかりをしているよりも、他のスポーツも積極的にやった方がいい。

 特に球技であると、技術が重要となってくるため、脳の働きも活発になる。

 考えることこそが、上達するための一番の道。

 それは大介であっても、同じことを言うのだ。


 このあたり昇馬の場合は、子供の頃は母親がダンスを教えていたし、バスケットボールでより空間の動きを身につけた。

 そして山歩きなどによって、平衡感覚や体幹がとても強くなっている。

 司朗も無理な負荷がかからない水泳など、他の鍛え方もしている。

「監督も考えろってよく言っていたな」

 ジンがそれを言わないわけはないのだ。


 野球はトレーニングと練習のスポーツであり、実戦では作戦が重要となる。

 何も考えるのはデータ分析など、試合のことばかりではない。

 試合においてどうベストパフォーマンスを出せるのか、そのための肉体を作る必要がある。

 そして肉体の動きは、最終的には脳が処理するのだ。


 入ってきた情報と、それに対応する情報。

 全て脳の問題であるのだ。

 頭がいいとかではなく、情報を処理する速度と正確さ。

 勉強が出来る人間が、スポーツも出来たりするというのは、同じ脳の機能に関連しているのかもしれない。

 司朗は司朗でそのあたり、違う分野で脳の機能を発達させてはいる。

 今でこそやっていないが、子供の頃から音楽はしていたのだ。

 意外な才能として、ピアノやヴァイオリンを弾いたりもする。

 もっとも専門的なレベルとなると、妹たちに任せるわけだが。


 


 直史と大介は伯父として、司朗のことも可愛がっている。

 もう自分たちより、はるかに大きくなってしまったが、それでもまだ子供だ。

 世界を知らないので、判断力が発達していない。

 もっとも昇馬も司朗も、現実感覚というのか、下手に夢想家のようなところはないが。


 武史は生まれたばかりの子供を、今は可愛がっているところだ。

 これまではおおよそ、シーズンによってなかなか、可愛がる余裕などもなかったのだ。

 もういつ引退しても、おかしくはないという年齢。

 そのあたり不公平だと思われるかもしれないが、武史は基本的に引退後、スポーツ関連の伝手で仕事を探しつつ、解説者などをしていこうかと考えたりしている。

 もっともその実績からすると、コーチや監督などの声がかかってもおかしくはない。

 直史から見ると武史は、プロではなくアマチュア、特にシニアあたりの監督をやらせれば、上手くいきそうではあるのだが。

 逆にプロは向いていないし、高校野球などでもコーチの方が向いているだろう。


 今一番プロの舞台に近いのは、間違いなく司朗である。

 パワー不足などと本人は言っているが、まだ最後の春と夏を残しても、高校通算で70本ほどはホームランを打っているのだ。

 ただ通算本塁打というのは、弱小から打ったのも含めても、そういう計算になってしまう。

 甲子園でもしっかりホームランを打っているあたり、充分な実績とは言えるだろう。

 かつては金属バットの使用により、プロでは意外と通用しないスラッガーがいた。

 だが司朗はちゃんと、現代の低反発バットに対応している。

 それにパワーもあるが、ミートして上手く落とすのも得意なのだ。

 大介に比べると、それでもミート力は不足している、というのだが大介は例外である。


 司朗は確かに今は、パワーをつけてもいい時期だ。

 だがやるならば監督の元でやるか、こういった伯父たちの目があるところでやるか、専門のトレーナーに師事するべきだ。

 もっともそれでも、本物の育成の専門家などは、そうそういたりはしない。

 ただどうせならば神奈川まで移動して、SBC神奈川を利用したらいい。

 あそこにはしっかりと、パワーを付ける専門家がいる。

 ちなみに武史も今は、そこで世話になっているはずだ。


 選手として自分の体をケアする意識は、武史が一番薄い。

 だが同時に無理をしてでも、試合に勝とうとする意識も薄い。

 それが上手く無理をしないことにつながり、ここまで投げられてきたのではないか。

 ルーキーの年からずっと先発のローテで投げてきて、全ての年で二桁勝利。

 中には故障して、かなりの期間を休んだ年もあるのだ。


 そのあたりの能力に関しては、本当に武史は優秀と言えるだろうか。

 優秀というよりはもう、運がいいと言った方がいいのではなかろうか。

 明るい道を進んできて、そして暗い道の誘惑がありそうになると、周囲の人間が警告をしてくれる。

 本当に恵まれた人生であろう。

 直史の場合は本当ならば、大学で野球は終わっていた。

 ただしプロに行ったことで、本来やりたかったことを超えて、色々なことが出来るようになっている。

 野球は興行で虚業だが、巨額の金銭が動く。

 直史はMLBでしっかり、その大金を手にしたのだ。


 今の直史は確かに、MLB時代に比べれば二割にも満たない金額で働いている。

 だがアメリカではなく、日本で働いているということが、自然とパイプを作っていくことになるのだ。

 弁護士資格は日本において、しっかりと機能する。

 なので直史相手には、誰も下手なことは言えない。




 司朗の選手としての完成形。

 直史はなんとなく、それを想像できる。

 体格だけではなく、骨密度なども計算し、最適のトレーニングを提案する。

 それがSBCの技術力なのである。

 関節の柔軟性や、筋肉の付き方など、人間によって違う。

 だから誰がやっても身に付く、などというトレーニングは、根本的な部分ではないのだ。


 ポジションがセンター、つまり外野というのは悪くない。

 内野の中でもショートなどは、大型選手だと故障する可能性が高くなる。

 もっともそれは足腰の強度と柔軟性で、変わってくるものなのだが。

 アメリカなどではピッチャーよりも、ショートが人気であるというのは、ごく普通に知られている話。

 ただ未だにショートで通用している大介だが、このポジションは守備力重視でもいいと思う。


 悟もコンバートして、打撃の方を重視するようになった。

 かつてほど盗塁もしないのは、故障のリスクを考えてのことだ。

 大介はいまだに、普通に走ることが出来る。

 そのあたりも体重を、重くしすぎないところであるのだ。


 司朗は外野とピッチャーを兼任している。

 ただピッチャーよりは、打つほうがいいなとも思っている。

 どちらもやってしまっている、昇馬は本当に凄いとも思う。

 しかしバッティングの勝負強さで、昇馬には勝っていきたい。


 最終的にはトリプルスリーを毎年達成するような、そんな選手になれないものか。

 もっとも今は盗塁をあまり重視しないというのは、日本でも浸透してきている。

 ただ高校野球であると、確実に決めていく盗塁というのは、やはり価値があるものだ。

 ピッチャーの経験もしているのは、相手の思考を読むのにも役に立つ。

 直史や大介の考えでは、織田をさらに二回りほどスケールアップした選手になるので、という感覚だ。

 しかしまだ、高校の一年が残っている。

 どういった選手になるかの完成形は、案外鉄也などの敏腕スカウトの方が、しっかりと分かっているのかもしれない。

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