第194話 継投戦
ほとんど互角のように見えた投手戦。
四回の裏から、好調の三島にリリーフを送るという選択。
本当にそれでいいのか、とはレックスファンのみならず、当の首脳陣さえもそう思っていた。
はっきり言って分からない。
だが分からないからこそ、事前に決めていた通り、ピッチャーを代えていったのだ。
百目鬼はヒットこそ打たれたものの、四回の裏を0で抑えた。
そして五回の表である。
レックスと違ってマリンズは、まだ溝口を代えない。
球数がまだ、70球に達していないということもあっただろう。
それに球威が落ちていないということが、代えないことにつながっている。
レックスにしても直史が投げていたのなら、交代はさせていなかったろう。
だがマリンズは、古川も昨日投げてしまっている。
少し長めのリリーフに、斉藤を使うことも考えている。
それでもはっきりと溝口を代えるという選択はない。
エースなのだから当たり前であろう。
また溝口は、若さというものもある。
前の試合からは充分に、回復の時間も得ている。
この試合だけは限界まで、100球をオーバーしてでも投げてもらう。
球威が落ちれば、そこが交代のタイミングだ。
ポストシーズンだからこそ、そして最終戦だからこそ、出来るピッチャーの使い方である。
もっともこの五回の表、レックスは下位打線からの攻撃。
ただレックスは下位打線でも、それなりの得点のパターンがある。
そのためランナーが出れば、チャンスにしていくことが出来るのだ。
特に先頭打者が迫水なので、油断は出来ない。
溝口は慎重なリードに従って、まずはこれを打ち取った。
八番と九番も、今日はDHが使えるので、一つずつ打てるバッターの打順が変わっている。
下手なことをしたら、打たれる可能性はある。
しかし次の回の打順調整を考えれば、別にここで凡退するのもいいだろう。
貞本はそんなことを考えて、粘るぐらいの方針しか示さず、後は選手に任せる。
実際にここではまだ、チャンスとは言えない状況なのだ。
五回の表が終わった時点で、奪三振が既に10個。
溝口のピッチャーとしての性格が、ここでもしっかりと表れている。
ただやはり大事な試合であると、ペース配分が難しくなるのか。
86球という球数は、やはり多いものだろう。
あと1イニング、投げられるかどうかといったところだ。
中継ぎから始まるリリーフピッチャーは、基本的に先発よりも1イニングあたりのクオリティが高い。
ただその常識を壊すのが、溝口というピッチャーのレベルである。
160km/hオーバーを普通に投げる若手。
昨今のピッチャーの高速化はずっと進んでいるが、それでもまだ160km/hオーバーを普通に投げられる者は、そう多くもない。
五回の裏、百目鬼のピッチングも、アクセル全開で投げ込んでいく。
もちろん力だけで押すのではなく、しっかりと緩急も使っていくが。
だいたいアマチュアで速球だけでどうにかしてきたピッチャーが、躓くのが緩急である。
プロのスカウトでさえも、MAXの球速を一つの基準にしてしまう。
だが本当のピッチャーの才能を考えるなら、緩急の球速差も基準で見るべきだ。
そのあたり百目鬼は、やはり三島よりは落ちるな、と直史は考える。
3イニングまで、というのが先発三人に言われていたことである。
最低でも2イニング投げてくれたなら、残りはリリーフ陣で埋められる。
平良がいてくれたら、さらに楽ではあったろう。
だがそう上手く行かないのが、世の中というものだろうか。
次にリリーフに入るのは、果たしてオーガスなのか、それとも勝ちパターンのセットアッパーなのか。
あらかじめその点は、柔軟に使っていくと言ってはあった。
サウスポーの苦手な左バッターであれば、大平を使ってもいいわけであるし。
ただ大平のピッチングフォームから投じられるボールは、あまりサウスポーの角度がない。
なので比較的、左バッターでも打てなくはないのだ。
純粋に球速があるので、それも難しくはあるのだが。
フルパワーで投げている百目鬼は、やや空回りしている。
それでも球威があるので、ヒットは打たれていないのだが。
フォアボールでランナーを出しても、ここからは下位打線。
ゴロを打たせればレックスの内野なら、おおよそはアウトにしてくれるのだ。
ランナーを一人出しても、問題なく得点は許さない。
ただ次のイニングは、これまた一番からの上位打線という打順になってしまった。
双方共に、ここまで出したランナーは三人ずつ。
ヒットも出てはいるのだが、どうにも得点には届かない。
六回はどちらも、一番からという打順になっている。
ここで一点が取れないと、双方かなり苦しいことになるであろう。
選手だけではなくベンチも、かなり我慢をしている。
どこで動くか、あるいは動かないか、それが重要になってくる。
直感がものを言うだけに、これはデータよりも経験が必要であったりする。
それも単純な年月の経験ではなく、修羅場の経験である。
それこそ貞本よりも、むしろ緒方の方が、そういった経験は豊富かもしれない。
高校野球の一度負けたら、そこで終わりというトーナメント。
そんな過酷なものを、最後まで勝ち抜いた経験のあるのが、緒方のいた大阪光陰なのだ。
もちろん直史には、それも及ばないものである。
現場指揮官としてなら、直史はどうなのだろう。
豊田はそんなことを考えるが、出来たとしても直史はやらないであろう。
基本的に野球は、仕事としてやっていたのが直史だ。
高校野球までは、しっかりと楽しんでやっていたと、本人からは聞いている。
今は普通に、会社役員などをして、しっかりと報酬を得ている。
自分でやるのでないならば、教える方も嫌いではない。
だがプロ野球のように、ひたすら拘束される仕事というのは、割りに合わないと考えるだろう。
どうにか直史の投げる状況を作ってほしい。
そこまで到達すれば、既にレックスの勝利は確定するであろう。
マリンズはこのポストシーズン、直史に全く手も足も出ていない。
それはレギュラーシーズンにおいては、他のチームも似たようなものであったのだが。
まったくどうして自分たちは、こんな怪物に勝とうとしていたのか。
そう思う豊田であるが、二年の春には勝っているのだ。
豊田は主力として働いてはいなかったが。
一番からの打順だと、左バッターが多い。
そのためレックス首脳陣も、オーガスではなく先に、大平を使う可能性がある。
もっとも大平は、イニングまたぎが苦手なピッチャーでもある。
試合と状況によるが、一度ベンチに戻ってしまうと、そこで集中力が霧散してしまうことが多いのだ。
これは平良あたりにも共通していることである。
クローザーなどに比べても中継ぎは、選手寿命が比較的短い。
だがこういったポジションが向いている、というピッチャーもいるのは不思議だ。
直史としても先発やクローザーに比べると、どういうモチベーションで投げているのか、よく分からないところがある。
もっともそんなことを言ったら、パーフェクトもどきの試合を何度も行う、直史のモチベーションはどうなっているのかという話になるが。
とりあえず先に、六回の表はレックスの攻撃である。
この回の途中で溝口は、球数が100球を超えるであろう。
サウスポーの曲者である斉藤を、ここで出してきていいのではないか。
直史はそう思ったら、やはりマリンズは動いてきた。
マリンズの先発は、五枚がかなり強力だ。
その中でも特に、溝口に古川、そしてこの斉藤までが、特に勝利を計算できるピッチャーだ。
直史は単純に数字で分かる溝口よりも、古川とこの斉藤の方が、投げ合ったら厳しい相手だなと思う。
ただマリンズの首脳陣は、ちゃんとそれが分かっているのだろう。
サウスポーというのはそれだけで有利だと、直史はずっと考えている。
実際にNPBの膨大なデータでは、それを裏付ける結果は出ているのだ。
ほんの少しではあるが、左右田もサウスポーの方が苦手だ。
斉藤は中四日で投げてくるので、万全になってはいないだろうか。
しかしそんな期待は、肉体を柔軟に使ってくる姿を見て、期待できないなと判断する。
直史と豊田もブルペンから、斉藤の調子は良さそうだと判断する。
果たして何イニング、彼は投げさせられるのだろうか。
一応データとしては、オールスター前後やレギュラーシーズン終盤に、先発をローテからリリーフに回した試合などを、確認はしてある。
マリンズはレックスに比べると、比較的余裕のある優勝を果たしている。
そこでリリーフ適性などを試したのだろうが、この斉藤は安定した結果を残している。
左バッターの多いシーンなら、使っていくのもいいだろう、というのが直史の評価である。
その通りに使われると、困ってしまうのも確かだが。
この回の先頭打者の左右田に対しては、サウスポーの利点をしっかり使った、スライダーを上手く使ってくる。
分かっていても打てない、というのがこのタイプであるのだ。
ピッチャーとしてのタイプは、サウスポーであることを除けば、かなり直史に似ている。
もっとも異常なコントロールというほどには、さすがに斉藤のコマンド能力はない。
スライダーをしっかりと見せた後、最後にはインコースに投げ込んできた。
これを空振りして、左右田は三振。
この舞台で左バッターの内角に、サウスポーがしっかりと投げ込むのは、それなりに緊張することだろう。
だが斉藤はしっかりと、それをコントロールして投げ込んできたのだ。
「いいピッチャーだ」
サウスポーに対しては、評価が甘くなる直史である。
もっともそれは、単なる事実に過ぎないが。
続く緒方などは斉藤にとって、むしろ天敵のようなバッターだ。
スピードボールでも変化球でも、コンビネーションを巧みに使っていっても、しっかりそれに対応してくる。
ただ出塁にこだわっていることが、マリンズバッテリーには分かる。
それともう一つは、粘っていくという姿勢だろうか。
先発だけではなく、双方のリリーフピッチャーもまた、しっかりと相手を封じていく。
緒方も相当に粘ったが、結局は内野フライに打ち取られた。
これでツーアウト。
だがマリンズは昨日、こういう状況からクラウンにホームランを打たれているのだ。
またクラウンは、右バッターでもある。
サウスポーの斉藤の、利点はあまりないと言えるだろう。
それでもマリンズバッテリーは、ある程度は勝負していく。
ぶんぶん振り回すタイプであれば、それを打ち取るのはむしろ、得意なのが斉藤であるのだ。
斉藤は打たせて取るピッチャーであると同時に、コンビネーションをしっかりと使っていくピッチャーでもある。
そのため球数は、そこそこ多くもなるのだ。
三振が取れないわけではないが、球数もしっかり使った上で、凡打を打たせるのが本質。
クラウンに対しても最後は、危険なインハイを投げた上で、ファールフライでアウトとした。
ファールフライでアウトというのは、直史にとってもかなり、理想に近いアウトの取り方である。
なおMLBの球場は、比較的ファールグラウンドが小さい場合が多い。
また日本でも球場によってファールグラウンドは違い、特に甲子園の広さに驚く、初出場のチームなどは多い。
斉藤もしっかりとその、ファールグラウンドの使い方を知っている、と言っていいだろうか。
直史はMLB時代、観客席に近いためファールグラウンドが狭くて、アウトが取りにくかったというのはある。
そして斉藤が抑えた六回の裏、レックスはまたもピッチャーを代えていった。
2イニング八人に投げただけで、大平に交代したのである。
そう、オーガスではなく大平だ。
向こうも一番から始まる打順、左のバッターが二人は回る。
なので左の大平を、ここで使っていくのだ。
ただ大平は2イニング以上投げると、ピッチングのクオリティが落ちてくる。
七回からの3イニングは、他のピッチャーでどうにかする。
オーガス、国吉、直史の三人が残っているなら、どうにか出来るであろう。
またマリンズのピッチャーの、リリーフ陣の残数も考えていかないといけない。
出来ればどこかで点を取りたいのだが、想像以上に点の入らない試合になっている。
常識的に考えれば、一点ぐらいはどちらかが、入れていてもおかしくないのだ。
しかし先発が短いイニングに集中すると、こういうことになってしまう。
イニングの途中から交代するなら、普段のリリーフの方がいい。
だがイニング頭からなら、比較的先発と似たイメージで投げられる。
結果としてこうなっているので、どうにかしてもらいたい。
それは双方の首脳陣が思っていることだ。
まさか引き分けになってしまうのか。
確かに日程的には、引き分けになってしまって、八戦目が出ても問題はないが。
ただ手続きや準備が厄介にはなってしまう。
またピッチャーの運用は、ここで終わらせるようにしてきたのだ。
延長に入れば、一点で終わる。
双方の首脳陣は、そう考えている。
それまでになんとか終わらせたい、とも考えている。
大平は相変わらず、フォアボールが多い。
それでもヒット自体は許さず、無失点で六回の裏を終えた。
まだ結果も出ていないのでなんだが、三島も百目鬼もあと少し、引っ張るべきではなかったか。
そんなことをレックスの首脳陣は考えて、もちろん口にはしない。
七回の表はレックスは四番からの攻撃である。
ここで斉藤はヒットを打たれたが、球数を使ってでも確実に残りをしとめる。
四人で終わったので、やはりまだ球数は50球にも達していない。
基本的に1イニング、25球以上投げると、パフォーマンスは低下すると言われる。
指先の毛細血管が、投げることによって破れていくらしい。
そして指先の感覚が鈍れば、わずかでも球質に影響がある。
これは人間によって差がある。
たとえば直史などは、皮膚組織も頑丈であるし、毛細血管が破れるという経験もあまりない。
それだけ手加減して投げている、ということでもあろうが。
斉藤もまた、イニングあたりの球数は、多少は多くなっても大丈夫なピッチャーだ。
変化球投手というのは、上手く抜いて投げることが多いため、指先にまでは圧力がかからないことが多い。
それに指先の感覚は、ストレートを投げる上でも重要なものだ。
そんな斉藤の後の、七回の裏である。
大平がフォアボールでランナーを出したため、むしろ打線が下位に回ってきている。
ここでレックスは、国吉ではなくオーガスを投入する。
2イニングも投げれば充分と言われ、オーガスも全力で投げていく。
三振とフライとゴロで、三人で七回の裏は終了。
試合の動く七回であっても、先発ピッチャーを代えているなら、その法則は当てはまらない。
八回の表、レックスの攻撃。
マリンズはまだ、斉藤をそのままマウンドに送る。
下位打線から始まるというのもあるが、それだけ際どい試合では信頼されているのか。
あっさりとツーアウトを取られてしまって、そして一番の左右田。
ここで注意すべきは、やはりホームランである。
左右田はそこまでのパワーはないが、シーズンで10本近いホームランは打っているのだ。
一番バッターとしては充分な長打力。
ツーベースを打てば二番としては、それで充分な働きとも言えるだろう。
だが左バッターの左右田には、斉藤もサウスポーの利点をしっかりと活かしていく。
そしてピッチャーライナーで打ち取った。
斉藤はフィールディングも上手いので、そのあたりも直史と似ている。
(ちょっと鍛えてやりたい選手だよなあ)
敵のピッチャーを相手に、直史はこんなことを考えてしまう。
八回の裏である。
ここいらになるともう、後攻の方が心理的に、有利になってくる。
なのでプレッシャーに強い、勝ちパターンのリリーフを使っていく。
国吉がイニングの頭からマウンドに登る。
オーガスを1イニングしか使わないという、贅沢な投手運用だ。
だがレックスはいざとなれば、直史をマウンドに送るわけである。
そして2イニング以上、どうにか投げられないものか。
直史としてはもう、2イニング以上投げる覚悟は、既にしている。
なにせマリンズは勝ちパターンのリリーフを、しっかりと温存しているからだ。
矢車は絶対的なクローザーとして君臨しているが、おそらく九回の表には出さないだろう。
そこで出してくるのは、セットアッパーになるのだと思う。
既に延長に入ることを考えた、双方の首脳陣。
ただこういう試合展開では、一発やエラーによって、一気に試合が決まってしまうものだ。
国吉の投げたボールが、遠く外野へと運ばれていく。
ぎりぎりポールの向こうに切れたが、点が入ってしまうところであった。
オーガスをもう1イニング、投げさせた方が良かったのではないか。
あるいはあそこで大平を使ったのは、間違いだったのではないか。
様々に考えてはいるが、とりあえずこれで使えるピッチャーは、全て使った計算になる。
国吉は2イニングまでならば、それなりに投げられるタイプのリリーフだ。
それでも最後には、直史を投入するつもりのレックスベンチである。
マウンドに立っている国吉も、リリーフに慣れているとは言っても、これほどのプレッシャーはそうそうない。
ただワンナウトを取れたところから、やや気は楽になっている。
そこから大飛球を打たれたりしているのだが、改めて気をつけて投げていく。
しかしリリーフというのは、渾身の力を込めて、ピンチを脱していくものだ。
肝心な部分を忘れると、むしろ打たれてしまう。
ちょっと飛ばされたぐらいで、気にしてはいられない。
球が荒れるのは構わないが、腕が縮こまるのは絶対にダメだ。
結局のところリリーフピッチャー、しかも勝ちパターンのところに投げるピッチャーに必要なのは、度胸なのだろう。
精神論ではなく、メンタルのあり方の問題だ。
国吉は一人、フォアボールでランナーこそ出したものの、それもツーアウトからである。
アウトカウントによって、ちゃんと投げるボールを変えていく。
それを理解して投げているのが、リリーフピッチャーなのだ。
そして迫水もそれを、ちゃんと納得してサインを出している。
八回の裏も、結局は無得点。
いよいよ最後のイニングが回ってくる。
レックスとしてはなんとしてでも、一点がほしい。
ここからは先制点などというものはなく、相手に先制を許したら、それがもうサヨナラになってしまうのだ。
「少し強めに投げていくかな」
レックスのブルペンには、一応はまだ他のピッチャーもいる。
だが最優先で投げているのは、直史である。
日本シリーズで既に二勝していて、もしもここからセーブがついたとする。
間違いなくそれは、MVPとしての評価がなされるであろう。
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