第193話 静かなる序盤

 直史と対戦した時の溝口は、正直さすがに出来すぎであった。

 それでも球数は増えて、結局試合には負けた。

 この最終戦、さすがに前日完投の直史は、先発で投げてきたりはしない。

 ……昔はやってきていたらしいが。

 その昔というのはせいぜい15年ほど前で、多くのプロ野球選手はまだアマチュアで、目を輝かせて見ていた頃だ。


 ベンチメンバーの中には、直史の名前が入っている。

 リリーフで投げてくるのか、それともブルペンでコーチの真似事をしているのか、それは分からない。

 日本シリーズ最終戦ともなれば、もう先発投手もリリーフで使えるし、敗戦処理を置いておく必要もない。

 なので名前が入っていること自体はおかしくなく、彼の意見をピッチャーの意見として確認するため、ベンチに入っていてもおかしくはない。

 また単なる威嚇であったとしても、充分にその意義はある。


 レックス打線は基本的に、この試合も第一戦と、溝口の攻略は同じである。

 だがこの試合はある程度、点を取り合うことになるとも考えている。

 直史が投げないのだから、点は取られる。

 しかし先発に最初から、完全に全力で投げてもらう。

 それがレックスの作戦であるのだから、ロースコアゲームになるのは間違いない。


 左右田は優秀なリードオフマンになりつつあるが、足りていないところもあった。

 それこそまわに緒方が見せる、相手のエースを消耗させる狡さだ。

 いやもっと、狡猾と言った方がいいであろうか。

 一つの技術であることは間違いなく、まさにトーナメントの最終決戦などでは、必要なものだ。

 単純な技術ではなく、精神性でもある。

 なんとしてでもチームを、勝利に導くという意識。


 緒方から学んだそれを、左右田も徹底してくる。

 ただ溝口も、第一戦で己の攻略を、レックスが考えてくることは、当然ながら考えている。

 ギアを上げたストレートで、まずは左右田を三振に打ち取る。

 163km/hを、先頭打者に投げてきたのだ。




 これは状況が、さらに溝口を成長させたということだろうか。

 大舞台でこそ、成長する選手というのはいる。

 甲子園などはまさに、ピッチャーを覚醒させる大舞台だ。

 そして溝口は、まだ20代の前半。

 成長曲線は、まだ終わりを告げていない。


 それに対抗するのは、完全に成長曲線が終わった男。

 39歳の緒方が、バッターボックスに入る。

 スピードボールに対応するには、そろそろ難しくなってくる年頃。

 眼球の筋肉が他のどこより、まずは衰えてしまうのだ。

 大介のような例外は、あくまでもごく少数である。


 かろうじて二球ほど粘ったが、緩急を使われると厳しい。

 さらに高速スライダーには、バットが届かなかった。

 二人で10球投げさせたのは、まだマシと言えるだろうか。

 だが第一戦に比べれば、格段に球数を節約出来ている。


 これをブルペンで見ている直史は、ギアの入れ替えをしっかりしているのでは、と感じた。

 単純な160km/hオーバーであれば、プロのバッターは当てていく。

 緒方の場合は右打者なので、よりこのスライダーが効果的であった。

 第一戦も積極的に、このボールを使っていくべきであった。


 溝口の弱点と呼べるような点は、ピッチャーとして強すぎるところである。

 今のパ・リーグの先発の中では、最速のストレートを持っている。

 もっとも上杉や武史に比べれば、まだまだと言える。

 上杉はプロ入りした時には、既に170km/hに近いスピードボールを投げていた。

 最終的にはさらに上げていったのだ。


 比較されないことで、さらに何かを磨くということを、忘れていたと言ってもいいだろう。

 己に満足してしまうと、人は成長しなくなる。

 直史は延長11回までを投げて、パーフェクトを達成した。

 昨日の試合もあわやパーフェクトと、ピッチャーの完成系と言うか、人間の可能性を見せてくれた。

 それを見ていれば、自分の球速になど、こだわっている場合ではないと分かる。


 今の溝口の年齢を考えれば、まだパワーだけで充分と言えるはずだ。

 しかし本人の意識が、はっきりと変わっている。

 まさにマリンズのエースとして、パ・リーグ最強のピッチャーとして、今後数年は君臨するのではないか。

 そう思わせるほどのピッチングで、確かにそれは間違いではないのかもしれない。

 昇馬がNPBに入ってこなければ、の話であるが。




 三者連続三振。

 救える点と言えば、三球三振で終わっているバッターがいないことか。

 しかし高速スライダーとチェンジアップ、その後にストレートを投げられると、ちょっと意識が追いついていかない。

 今日の溝口を、本当に打てるのか。

 第一戦ほどのピッチングはできないだろう、ということを前提に作戦は立てられていた。

 だがこの結果を見れば、むしろ第一戦よりもクオリティは上がっている。


 レックスの先発は、まずは三島。

 第二戦では先発として、ハイクオリティスタートを決めていながら、古川の好投の前に敗戦投手となっている。

 この試合ではもう、クオリティスタートなど意識していない。

 目指すはパーフェクトで、それがダメならば完封。

 とにかく0に抑えることだけを考えて、最初から全力でのスタートだ。


 3イニング投げれば、おそらく後はどうにかなる。

 そして全力で3イニングを投げれば、どうにかなるであろう。

 今日の三島は一味違う。

 三振を含む、三者凡退で一回の裏を終わらせる。


 溝口はおそらく、25歳にはMLBに行くのだろう。

 三島は今年の成績では、とてもポスティングなど言い出せない。

 そもそもまだFAまで少し年数があるので、今年のポスティングというのはチームにとって、あまり利益が出ない。

 もっと圧倒的な数字を残して、それからポスティングに出した方が、高い値段がつくだろう。

 ただここで溝口相手に、投げ勝つことが出来れば。


 やはり単純に勝ち星が問題ではないと言っても、15勝5敗ぐらいの数字を残した方が、MLBとしても調査に熱が入るだろう。

 年齢的には今年か来年あたりが、投手が一番成長するぐらいだ。

 その先には技術を磨き、バリエーションを広げていく。

 それが重要であるのだが、三島は一歩足りないな、などと直史は思っている。

 ただ直史の場合は、かなり評価が辛めなところもあるので、溝口でもまだ今は、鍛える段階だと思っている。


 球速だけでMLBに行くのならば、直史はとてもポスティングでも売れなかっただろう。

 直史が選ばれたのは、その偉大と言うよりはもう、異常とも言える実績があったからだ。

 それに一年目から圧倒的に打っていた、大介相手の対戦成績もものを言った。

 今のセ・リーグのピッチャーは、大介を抑えられるかどうかが一つの基準になってしまっているので、大変だろうなと直史は感じている。

 ただ大介も衰えてきているので、昔よりは楽になっているはずなのだ。

 それに全盛期の大介でも、上杉はそうそう打てるものではなかった。


 二回の表、さすがにレックスは三振記録を止める。

 四番の意地を見せて、近本はボールを外野に飛ばした。

 もっとも平凡なセンターフライで、ジャストミートなどは出来ていない。

 完全にボールの下を、バットは叩いているのだ。

 それでも外野に飛ばすだけ、パワーはやはりあるのだが。




 我慢が要求される試合になるのだろうか。

 だが二回の裏、三島はワンナウトを取ったものの、そこからヒットを打たれる。

 そこで崩れることはなく、ランナーを進めてもちゃんと、アウトカウントを増やしていく。

 三塁ベースは踏ませない。

 それぐらいの気迫でもって、しっかりとスコアボードには0を刻むのだ。


 またしても投手戦だ。

 確かにどちらのチームも、投手はしっかり揃っている。

 またレックスの弱点であるクローザーの離脱も、この試合に限って言うならば、直史が投げれば済むことである。

 ただ最後までに、レックスがリードされていればどうなるのか。

 直史が投げても、点は取れないのだ。

 それだけは野球の、間違いのないルールの一つである。

 

 三回の表、レックスの攻撃。

 ここでようやくヒットが出た。

 七番に入っているが、キャッチャーとしては相当の打撃力を誇る迫水の、シングルヒット。

 ただキャッチャーだが打撃も出来る迫水ではあるが、足の速さは平均よりも遅い。

 キャッチャーはキャッチングの体勢を維持するために、どうしても足に無駄な筋肉がついてしまうのだ。

 もちろん無駄というのは、キャッチャーとしての無駄な筋肉というわけではない。

 そのあたり樋口は、上手く体勢を変えていた。

 だからキャッチャーであるのに、30盗塁も決めていた年があったのだ。

 もっともあれは足の速さだけではなく、盗塁の技術も含めての成績だ。


 下位打線であるので、ここからはあまり期待できない。

 ツーアウトになって、迫水は進塁も出来なかった。

 だがそこから左右田の打順が回ってくる。

 ここでしっかりと、ボール球を選んで出塁出来ないか。 

 そしたら迫水が、二塁にまで進めることになる。


 そう考えて、粘っていくつもりであった。

 じっくりとボールを見て、なんとかカットしていく。

 だが実際に投げられたボールは、内角をえぐるボール球。

 ユニフォームに当たって、デッドボールとなった。


 ツーアウトながら一二塁。

 ここで勝負強い緒方の打席である。

 甲子園での大舞台などの頃から、緒方は実績を残している。

 この年齢まで上位打線を打っていて、そして今では重要な二番を任されているのだ。

 なぜか大舞台でも、大事な場面が回ってくる、という人間がいる。

 大介などは決定的な場面に活躍している印象があるが、実際にはかなり勝負を避けられている場合が多いのだ。

 ここぞという時に回ってきて、そしてそれをモノにしているのは、意外と樋口の方が確率的には多かったりする。

 ただ大介は、どんな場面でも打っているので、印象が強いのだ。




 あと何年プロの世界で生きられるのか。

 緒方はそんなことを考えて、打席に立つことが多い。

 39歳の緒方は、もう20年以上もこの世界で生きている。

 去年ショートを左右田に譲るまでは、不動のショートとして活躍してきた。

 大介や悟がいるので目立たないが、世代を代表するショートの一人だ。

 あの負担の大きなポジションを、ずっと続けてきたのだから。


 セカンドはセカンドで、ランナーがいる時の判断力が、重要になるポジションだ。

 ただ打力はさすがに衰えつつあるのが緒方である。

 守備を堅実にやっているので、いまだにスタメンではある。

 だがチームの若返りという考えならば、そろそろ誰かが上がってきてもおかしくはない。

 実際にバッティングだけや、守備の身体能力だけなら、緒方よりも上の選手はいる。

 それよりも精神的な支柱、という面が大きい。


 緒方はリーダーシップがあるというタイプではないが、自然と人を集めるような、そういうキャンプテンシーはあるのだ。

 直史のような絶対的な存在ではない。

 上杉のような君臨する者でもない。

 だがほんのわずかに手助けして、肝心な場面で活躍してくれる。

 そういった力があるため、ここまでずっと活躍してこれたのだ。


 だがさすがに、それにも限界がある。

 粘りに粘ったところが、やはり第一戦と同じではある。

 だが最終的には、三振に打ち取られてしまった。

 それでも溝口やマリンズベンチからすれば、厄介なバッターであるとは思う。

 フィジカルも体格に比べれば、かなり優れている緒方。

 体の使い方が上手いのだろう。

 そして体重が軽いことによって、自分のパワーで自分の体を壊さないのは、やはり長所とは言える。


 合計で20球以上も投げさせた。

 この削り合いでも、かなりレックスの対策は徹底している。

 その裏のマリンズは、これまた下位打線からの攻撃。

 三島は全力でここを抑えて、上位打線に回ってくる。

 ツーアウトからならば上位打線でも、クリーンナップ以外はそれほど怖くはない。

 球数は多少使ったが、内野ゴロを打たせてアウト。

 これで序盤の攻防が、ようやく終わったのである。




 投手戦ではあるが、同時に双方の守備の力も試されている。

 ピッチングの精度も、さすがにやや粗くなっている。

 この短期決戦で、体力が落ちているというわけではない。

 おそらくはプレッシャーによるものなのだろう。

 

 四回の表はレックスは、クリーンナップからの攻撃となる。

 ワンナウトは取られたものの、近本がまたヒットで出塁。

 そして五番へと打順が回っていく。

 ここは進塁打を打てたが、それでもツーアウト二塁。

 ランナーの近本の走力は、それほど優れてもいない。

 ヒット一本でホームに帰ってくるのは、かなり難しいと言えるだろう。


 そもそもここで、ヒットを打つことが難しい。

 溝口はギアを上げて、ストレートで押してくる。

 こういう時にストレートのパワー勝負が出来るのは、パワーピッチャーの長所であろうか。

 だがそれに頼ってしまうのも、あまりいいものではない。


 実際に打った打球は、外野が下がる位置にまで飛んでいった。

 バックホーム体制のために、やや前進していたからだ。

 抜ければ確実に、一点が入るというツーアウトでランナーがスタートしている状況。

 しかしセンターはなんとか追いつき、ほとんどダイビングキャッチに近い形で、なんとかボールを捕獲した。

 あと1mも奥に飛んでいたら、一点になっていただろう。

 それを許さなかった守備が、マリンズの士気に影響を与える。


 ピンチの後にチャンスあり。

 これはオカルトではなく、メンタルの問題である。

 危機から抜け出せた人間は、より積極的に攻撃するようになる。

 同時にチャンスをものに出来なければ、ピンチにもなるのだ。

 こちらもメンタルの問題で、わずかながらの失意がパフォーマンスに出てくる。

 四回の裏の、マリンズの攻撃。

 ここはかなりの難問になるか、と直史は考えていた。


 それはベンチの首脳陣も同じであった。

 ベンチにいて、得点出来なかった失意を共有した三島を、ここで交代させたのだ。

 元から3イニングも投げれば、それで充分だとは思われていた。

 ただ球数はまだ、50球ほどにしか達していない。

 なのに若手の百目鬼を、二番から始まる打順に当てていく。

 かなり果断な判断であるな、と直史でさえ思った。

 これまでの貞本であれば、とても動けなかったであろうに。




 ここは打順的にもチャンスだ、とマリンズは思っていた。

 しかしピッチャーを交代させたことにより、わずかに勢いを減じさせる効果がある。

 好投してきた三島は、五回までは投げるだろうと思っていたのだ。

 だがここであっさりと、次のピッチャーに交代させてしまう。

 確かにこの交代は、意味がある。

 ピッチングの練習をすることにより、わずかだが間が取れてしまうからだ。

 バッターも新しいピッチャーということで、意識が切り替わってしまう。

 本当ならピンチを乗り越えた勢いをそのままに、一気に点を取りにいったであろうに。


 このあたりは貞本も、かなり堅実な判断をしているのだ。

 ただこれで点を取られたら、やはり交代は間違いであった、と思われて批判を浴びるのだろう。

 しかし元々、3イニングで交代するというのは、首脳陣での考えていたことだ。

 三島は球数以上に、神経を使って投げていた。

 二巡目に入るマリンズ打線は、対策を打ってくるだろう。

 それならばやはり、ピッチャーを代えるべきだと判断したのだ。


 正しいのがどちらかは、結果だけで判断するしかない。

 このあたり監督というのは、損な役回りではある。

 もっともブルペンにおいては、貞本のこの判断は、かなり高評価を受けている。

 先手を打ってピッチャーを継投させていくのは、そもそもの予定であった。

 三島のデキがよかったといっても、それを変更しないこと。

 事前の計画を、簡単に変えないことは、悪いことではない。


 もっとも実際のところは、状況に応じて変えていくのも、本当は重要なものなのだ。

 ただそれが許されるのは、そういった判断が得意な人間である。

 直史も豊田も、リリーフピッチャーとしての直感から、この交代は妥当だと判断する。

 そして実際にマウンドに登った百目鬼は、しっかりとコントロールも出来ているようだ。


 あとは、次に誰が投げるか、ということだ。

 オーガスにも準備をさせているが、大平を先に用意もさせている。

 コントロールに難はあるが、サウスポーのパワーピッチャーというのは、相手の打順によっては先に使うのも悪くない。

 もしくは1イニングだけなら、国吉を使ってもいいのだ。

 この三人をある程度、回しながら準備をさせている。


 これが最終戦であるのだ。

 引き分けなどという可能性は、無視してしまってもいい。

 それにもしも引き分けにまでなれば、状況によってどちらが勝つのか、判断も出来なくなる。

 相手の上位打線に対して、百目鬼は向かっていくこととなる。

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