第192話 勝利への道

 九回を投げきって、90球1被安打。

 マダックスを達成し、あと一人のポテンヒットさえなければ、パーフェクトさえ達成していた。

 確かにパーフェクトは達成されなかった。

 かなり偶然性の高いヒットではあったが、ちゃんとレフト前に落ちたのだ。

 二試合連続パーフェクトなどというのは、全盛期の直史でもそれほどしていない。

 今回未達成となったNPBのポストシーズンの試合では、こちらは明確にないと断言できる。


 一点差の勝負に負けたと言うよりは、どうにかパーフェクトだけは防いだ、という印象が強い。

 これは最終戦に向けて、マリンズの士気を維持するという点では、重要なことであったろう。

 だがあの多彩な変化球とコンビネーション。

 球数まで考えると、本当に恐ろしいピッチャーなのだ。


 たださすがに、明日の最終戦まで、直史が先発で投げてくるとは思っていない。

 事実レックスの予告先発は三島である。

 そしてマリンズは溝口であり、ここはマリンズの方が強い。

 いくら直史が球数を抑えても、プロの舞台の連投はほぼありえない。

 以前であればまだしも、直史は41歳である。

 ローテの一角を支えていれば、それだけで凄いと言われる年齢だ。

 完全な主力とはいえ、それに無理をさせるのは常識外れであった。


 レックスはここから、先発の中では三島、百目鬼、オーガスを使っていき、そして勝ちパターンのリリーフも使っていく。

 そして今日は先発で完封した直史を、クローザーとして使う予定である。

 最終戦でのクローザー起用は、既に伝わっている。

 なので直史としては、クローザーとしてどれだけ投げるかが、重要になってくる。

 普通ならば1イニングだけだ。

 だが平良はともかく、国吉はそれなりに点も取られるし、大平は安定感がない。

 レギュラーシーズンの平均で投げる試合ならともかく、この一戦で優勝が決まるという試合。

 そこでクローザーとして使うには、かなりの危険性があるのだ。


 先発ローテ陣に、リリーフのペースで投げさせる。

 それでどうにか、二点ぐらいまでに八回まで抑えられるだろうか。

 ただレックスの打線が、どのように機能するのか。

 状況によって誰をリリーフで出すかは、当然ながら変わってくる。

 その状況を判断するのが、レックスの首脳陣に可能かというと、微妙なところであるのだが。




 今年のプロ野球も、あと一試合。

 引き分けなどになれば、また話は変わってくるのだが。

 ドラフトは年によって時期が変わるが、今年は既に終わっている。

 ただそちらの結果に関しては、あまり直史は関知していない。

 直史が気にしているのは、オフシーズンの話である。

 契約更改もあるが、それ以上に試合がないことによる、まとめて取れるトレーニング期間。 

 去年はポストシーズンでのダメージを抜くために、かなりを休養に入れてしまった。


 現場を見てみれば、レックスはやはりピッチャーが必要だ。

 もっともピッチャーが必要でないというチームなど、存在しないであろうが。

 よほどの注目選手でもいない限り、ピッチャーを上位で一人以上は指名する。

 実際は野手でそんな選手は、そうそういるものではない。

 なので上位二人のうち、一人は確実にピッチャーと見ていい。


 今のレックスの投手陣は、両リーグ全体の中でも、かなりトップクラスに思えるかもしれない。

 だが実際には三島が、ポスティングを希望しているところである。

 もっとも本人からは、当然だがまだ話は出ていない。

 そもそも今年の成績の、終盤のイメージだけを見れば、あまり価値を感じないだろう。

 MLBのスカウトというのは、そういうイメージではなく、純粋に数字だけで判断するが。


 オーガスもそろそろ衰えてくる年齢だ。

 またあまり勝ち星を拾えてはいないが、青砥も今年で引退する。

 二軍のピッチャーはなかなか、先発のローテに定着しない。

 するとやはりレックスは、ピッチャーを取っていかないといけないのだ。

 そもそも直史など、いつ引退してもおかしくない年齢なのだ。


 そんなわけで大卒の、即戦力ピッチャーを取ったというところまでは知っている。

 だがそのピッチャーの具体的な能力などは、完全に関心がない。

 あと一年ぐらいは我慢するとしたら、高卒のフィジカルモンスターなどを取ったかもしれない。

 しかしここのところの先発が、百目鬼ぐらいしか成功していないことが、編成の目から見ても微妙だと判断したのだろう。

 それとクローザーなどについては、外国人選手という可能性もある。


 選手獲得については現場も、ある程度の声は上げている。

 編成も基本的には、その要望に従って選手を獲得しようとする。

 現場と編成の意見が一致しないと、チームが強くなることは難しい。

 現場は来年のことを考えていても、編成は数年のスパンで考えるからだ。

 首脳陣と違って、編成の人間は結果が分かりにくい。

 獲得した選手が、違う形で花開いてしまうということもあるのだ。


 レックスが強かったのは、やはり鉄也が強引であろうと、しっかりとドラフト指名の選手を探してきたことなどによる。

 ただそんな鉄也も、千葉から大原をレックスに入れることには失敗している。

 素質型の選手だけに、大学かノンプロを経由する方がいいと判断したのだ。

 育成枠の多いライガースは、自前でその環境を提供できた。

 実際に大原は三年目から目に見える活躍を見せてきている。

 どの時点で選手を指名して獲得するか、それは球団の事情も関係してくるのだ。

 あの当時だけを見てみれば、レックスは大原の一つ上に吉村、同じ年に金原と、しっかりほぼ即戦力級のピッチャーを獲得している。

 ここまで長く選手として生きた、大原の方が異常なのである。




 来年のことは、今はまだ考えない。

 オフのこともまだ、今は考えるタイミングではない。

 まずは目の前の最終戦を制して、優勝することを考えるのだ。

 千葉の地元民などは、マリンズの優勝を見たがっているだろう。

 だがそこはさすがに譲れない部分である。


 九回を一安打に抑えて、タクシーでのんびりと帰る。

 さすがにこの状態の直史には、子供たちが話しかけるのも難しい。

 だが瑞希だけは、普通にすればいいと分かっている。

 直史はこういう状況でも、変にナーバスになってはいない。

 普通にしてくれていれば、それでいいのだ。


 家の方は家の方で、真琴は野球をやっているし、明史は受験を控えている。

 もっとも真琴のセンバツ出場はほぼ決まっているし、明史の受験もテストの結果から余裕が見られる。

 難しかった話だが、明史が幼少期に手術を受けられていれば、スポーツもやっていただろうか。

 やや平均よりは小さい体格に、体力はあまりない。

 ずっと心臓の負担になることを、させていなかったからだ。


 運動神経というのは、これは正式には存在しない。

 ただ肉体の運動する部分を司る、平衡感覚や脳の部分なども含めて、運動神経などと言ったりする。

 明史は恐ろしく頭がいいので、そういった部分の脳も、刺激していれば発達していたかもしれない。

 もっとも直史としては、無理をさせるつもりはさらさらない。

 瑞希にしても文化系の人間だけに、無理にスポーツをさせようとは思わない。

 しかし体を鍛える目的でも、中学校に入ったら何か、部活動はするべきだと思っている。

 家を出て恵美理の実家に、世話になる予定ではいる。

 だがそれは私立の中でも、一番の難関校を受かったらの話だ。

 千葉県内の難関であれば、充分にここから通うことが出来る。


 明日の試合が終わってくれれば、そういったことに全て、ちゃんと話をすることが出来るだろう。

 もっともそれはそれとして、直史はまたトレーニングを、しっかりとやり直すつもりであるのだが。

 特に事故や故障がない限り、まだ来年も投げられる。

 それが直史の実感であるし、今年のピッチングを見ていればまだまだ、投げられるとは判断されるだろう。

 直史が一軍にいると、それだけでコーチもやってくれたりするので、ありがたい話なのである。




 試合後のシャワーだけではなく、ゆったりと風呂にも入る。

 手足をしっかり伸ばせることを、条件にマンションを借りたのである。

 その気になれば別に、一戸建てを買うことも、マンションを買うことも出来た。

 だが将来的には田舎の実家に戻る予定の直史は、引退すればもうちょっと、佐倉法律事務所に近いところに、引っ越す予定ではあるのだ。


 思えば高校を卒業してから、大学の寮、付近のマンション、球団の寮、そしてまたマンションと、色々と引越しをしてきた。

 しかし心の中にある故郷は、あの田舎の実家なのである。

 中学はかなり少子化で、もう野球部も残っていない。

 正確には他の中学と、合同のチームを組んでいるらしい。


 子供たちの可能性のためには、千葉でもそれなりに東京に近い、この場所にいる必要がある。

 東京の都内に戻る予定などは、もう全く持っていないが。

 あと一試合である。

 優勝すれば秋キャンプもないし、契約更改とファン感謝祭ぐらいしか、特にやることはないか。

 もっとも直史の労働は、それからもずっと続いていく。


 トレーニングに実業の方の仕事もあり、忙しさは普通ではない。

 また上手く休養もして、肉体の回復も考えないといけない。

 最終戦、どのような状況で投げることになるのか。

 去年のような、ビハインド展開での登板だけは、ちょっと勘弁してほしい。

 だが勝ちパターンのリリーフの中でも、国吉は圧倒的なパワーピッチャーなどではないし、大平はフォアボールが怖い。

 先発三人に全力で投げてもらって、その後に直史が投げるのか。

 いずれにしろ先制点は、必ず奪う必要がある。


 第一戦は溝口がしっかりと投げてきて、そして0に抑えてきていた。

 だがいくら溝口でも、あれは出来すぎのピッチングであったのだ。

 防御率が2を切っているということは、平均で一点以上は取られるということ。

 直史と直接対決し、さらに第六戦のピッチングまでも見て、動揺せずにいられるだろうか。

 体力自体は中七日で、充分に回復しているはずだ。

 しかしコンディション調整まで、完全に出来ているかは怪しいところである。


 コンディション調整と共に、テンションも試合に合わせていかなければいけない。

 最終戦に投げるということは、それで優勝が決まるということ。

 このプレッシャーを、果たしてどう受け取ることが出来るのか。

 直史は相手の心理状態も考える。

 自分がやるべきことは、相手の打線を抑えること。

 それが通用するのは、先発で完投する時だけである。

 ブルペンに待機する場合には、試合の意味を深く考えないといけない。




 普段のようにぐっすりと眠った。

 いよいよ本日、一年間の結果、日本一が決定する。

 いっそのこと中三日ずつで、直史を先発させれば、それでよかったのだろうか。

 首脳陣はそうも思っているが、平良が離脱してしまったことが、大きな誤算となってしまったのだ。

 大平はリリーフ適性は高いが、クローザーとするにはまだ微妙なフォアボールの多さがある。

 せめて完全にゾーン内で、ボールが散ってくれればいいのであるが。


 なかなか眠れなかったのは、むしろ首脳陣であろう。

 直史は投げていれば、ほとんどのシーズンで優勝を争うことになる。

 なのでプレッシャーは、あって当たり前の状態になっており、それでクオリティが下がるということもない。

 人間の命がかかっている試合でもないのなら、負けるはずもない。

 そんな非常識な一線が、直史の中には存在している。


 マリスタへの道は、今日もタクシーを呼んである。

 基本的に無駄遣いは嫌いな直史であるが、自分のコンディションを万全に保つためには、しっかりと金を使うのだ。

 トレーナーに関しても、今年のオフシーズンは、かなり力を入れていく必要があるだろう。

 もっともそれは直史だけではない。

 大介も今年、ホームランの数が減っている。

 もっともその原因は、しっかりと分かってはいるのだが。


 直史は試合の時も、カジュアルスタイルのスーツで球場に向かう。

 伊達眼鏡をかければ正体がばれにくいのは、昔から変わらないことである。

 プロ野球選手としては、かなりの細身に見える。

 しかし撓る右腕の動きなどは、下手に筋肉をつければ、損なわれかねない。

 筋肉をつければしなやかさがなくなるという、昭和の理屈を実践している。

 だがそれで結果が出ているのだから、例外はあるものだと言えよう。


 今の練習やトレーニングというのは、確かに情報が氾濫している。

 昔と違ってピッチャーのトレーニングも、かなり進歩しているのは確かだ。

 しかしそのトレーニングは、似たようなピッチャーを量産する型を作ってしまっている。

 直史のピッチングスタイルなどは、一般的なフィジカルに頼ったものではない。

 フォームを固めてしまわなければ、コントロールの再現性などが出来ない。

 だが直史の場合は、あえてフォームを崩してしまっても、どうすればコントロールが狙ったところに投げられるか、全身のバランスで分かっている。


 この特殊な状態を、理解してくれるトレーナーは、まずいない。

 そういうものが本当にあるのか、と実践しているのを見て、ようやく納得すればマシなものだ。

 自分の中の常識に反しているため、離れていく人間さえいる。

 大学時代などはそのため、完全に結果だけで黙らせていった。

 MLB時代もトレーナーは、まともに理解出来ていなかった。

 最初の年に坂本と組めたのは、今ならばラッキーであったと言える。


 この直史に付き合うのは、むしろキャッチャーが大変である。

 迫水もおおよそ二年、よくもまあ直史に付き合えたものである。

 リードはともかく、ブロッキングやフレーミング、そして送球などは立派なものだ。

 リードに関しては直史と組んだ場合、下手なキャッチャーだとかえって調子を崩す。

 直史と組むときは、ほとんど直史にリードを任せて、それ以外のピッチャーにはリードする。

 こうやって切り替えることが出来るのだから、迫水は立派なものだ。

 もっともバッティングが期待されているというのも、確かにあるのだが。




 直史はブルペンで、しっかりと投げるピッチャーの様子を見ている。

 一方の自分は、キャッチボールをするのみ。

 昨日完投しているので、普通なら完全に休みのはずだ。

 だがこの試合で優勝がかかっているとなれば、やはり出番は回ってくる。

 たとえ平良が離脱していなくても、である。


 今日の調子を、それとなく見ていく。

 三島は中六日、百目鬼は中四日、オーガスは中三日である。

 短いイニングを投げるのなら、それで問題はないだろう。

 そしてリリーフとしては、国吉と大平が準備をしている。

 二人は昨日も少しだけ準備をしていたが、試合では投げていないので消耗はしていないだろう。


 これに対してマリンズはどうであろうか。

 古川はさすがに投げてこないであろうが、溝口と他のローテピッチャーは、充分に投げることは可能だろう。

 またリリーフ陣にしても、昨日は確かに投げているが、その前は移動日で休養。

 実際のところは移動する必要もない距離であったので、充分に一日を休みに使えたはずだ。


 双方がほとんど、戦力に欠けたところがない。

 やはり平良の抜けた、レックスが構成としては弱く見えるが。

 そこを昨日完封した、直史が投げればいいのだ。

 昭和の野球であれば、エースが最後を〆るというのは、別に珍しくもなかった。

 昭和の野球など毛嫌いする直史が、そんなことをすることが可能なのは、皮肉な話でもあるが。


 単純に勝ち星だけを稼ぐつもりなら、あるいは42勝を超えることも可能なのかもしれない。

 さすがにMLBの、一人のピッチャーがほとんどの試合で投げていた時代には、比べることすら出来ないであろうが。

 ピッチャーの運用を、しっかりと考えて行う。

 直史がプロ入りしてすぐの、肉体的に万全な頃ならば、確かに30勝は超えることが出来ただろう。

 しかしさすがにそれをさせるほど、常識外れの首脳陣ではなかった。

 直史としてもよほど重要な試合以外は、ローテを守った方が貢献度は高くなると、分かっていたはずであるのだ。


 投手陣に関しては、直史がいる限りレックスが有利。

 ただしスタミナや回復力の落ちてきた直史に、完投をさせただけでも、昨日のマリンズは頑張っていた。

 その結果がパーフェクトの一歩手前であったとしても。

 他の戦力に関しては、おおよそどこも大差がない。

 直史が先発でない以上、かなりの偶然性が試合の勝敗を左右する。


 一年の結果が、ようやくここで決定する。

 日本シリーズ第七戦、間もなく開催である。

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