第188話 ふたたび千葉へ

 今年の日本一は千葉で決まる。

 どちらが優勝するにしても、神宮で決着しないことは変わらない。

 直史としてはむしろ、そちらの方がマンションから近いのでありがたいくらいだ。

 第六戦の先発で投げるのは、首脳陣から告げられた。

 クローザーとして投げても、一日の休養がある。

 それならば充分に、調整出来ると直史自身も思っている。


 試合展開次第では、リリーフに任せてしまってもいいだろうか。

 だが今のレックスには、安定感のあるクローザーがいない。

 大平などは大一番に強いのだが、普通の試合で普通に負けているので、そのあたりは確信できない。

 第六戦は直史が完封できなくても、せめて完投して勝利はする。 

 そして最終戦は、リードして九回まで持ってくれば、また直史が投げるのだ。


 連投などと言っても、1イニングだけだ。

 さすがに負けている状況であれば、無理に使うことなどはないが。

 先発についてはもう、三島、百目鬼、オーガスの三人を短いイニングで使っていく。

 それに本来のリリーフである、国吉と大平もいる。

 この後に、直史の出番がやってくるわけである。


 とりあえず一日、直史は調整のみの休みである。

 もっとも実はこの日、関東大会の準決勝が行われているのだが。

 負けるとしたら決勝ではなくここかな、と直史は思っている。

 ただ娘の試合結果で、直史のピッチングのクオリティが変わるわけではない。


 翌日、いよいよ第六戦。

 クローザーをした後に、予告先発の発表である。

 また無茶な使い方を、とはさすがに言われない。

 1イニング投げただけで、一日休んでもいる。

 昔の直史に比べれば、はるかに楽な日程で投げているのだ。


 この試合マリンズは、溝口を先発には持ってこなかった。

 第二戦に投げた古川を、中五日で持ってきている。

 溝口は第一戦、負けたとはいえ完全にレックス打線を抑えていた。

 直史が中六日で投げてくるであろうことを読んで、溝口は最終戦に回したのだ。

 クローザーで投げてくるにしても、そこまでに勝負を決めてしまえばいい。

 マリンズがリードしていたならば、クローザーが0に封じても、逆転しない限りレックスは、勝つことなど出来ないのだから。


 ただ、第七戦で、レックスのピッチャーはどうやって運用されるか。

 マリンズとしてもおおよそ、その目途はつけている。

 本来なら五回までは投げてほしい先発を、3イニングか2イニングで代えていく。

 マリンズも似たようなことは考えているのだ。

 今日の古川にしても、最初から全力で行けと言われている。

 直史には勝てないにしても、明日のために少しでも、その体力を削ることに意味がある。

 フルイニング投げて、また延長にまでもつれ込んだりしたら、さすがに明日リリーフするとしても、クオリティが下がると思うのだ。


 一番恐ろしいのは、先発で完投した次の日に、連投で先発してくること。

 そんな命知らずのことを、直史ならばやりかねない。

 なので完投させた上で、ある程度は消耗させなければいけない。

 出来れば延長戦にまでもつれこみたいと思うのは、直史を打てないと思っているからである。

 実際に第一戦のピッチングを思えば、あるいは第五戦のリリーフを思えば、楽観的にはなれないというものである。




 試合開始の前、直史はマリスタ内を散歩する。

 プロとしてはあまり来ていないが、高校時代は夏の大会、ここで甲子園の出場が決まっていたのだ。

 比較的多くの試合を、ここでやってきている。

 実は高校野球で使った回数の方が、プロで使った回数よりもまだ多い。


 すると懐かしい気持ちを感じてしまうのは、ごく当然のことであろう。

 思えばあの頃の方が、勝利には執着していた。

 セイバーをはじめ指導陣は決して許さなかったが、ここで壊れてしまってもいい、と思えていたのは高校の頃であったか。

 大学時代は完全に、野球はもう直史にとってしごとであった。

 なので神宮で野球をしても、そこに青春の懐かしさなどはない。


 マリスタに来ると、絶対に負けられないという気分になる。

 なのでマリンズは直史にとって、相性がいいチームになるのかもしれない。

 本気の直史が、このスタジアムでは見られるのだ。

 結果として第一戦は、伝説的な試合になってしまった。


 溝口を第七戦に持っていったことを、直史は賢明だなと判断している。

 ただ個人的には、古川も相当に、厄介なピッチャーだとは思っているが。

 改めて確認すると、あちこち改修が入っている。

 あれから20年以上も経過しているのだから、それも当たり前の話だ。

 一時期はあった、ドーム型球場の建設ラッシュ。

 今では天候上の理由で北海道にドームを作った以外は、野天の球場が多い。

 それはMLBにおいては、さらに顕著な動きである。


 直史はドームでやるのも野天型であるのも、どちらも嫌いではない。

 ただ雨などの不確定要素があるのは、やはり嫌いである。

 幸いなことに残り二日、雨が降るという予報はされていない。

 つまり普段の自分のピッチングをすれば、とりあえず最終戦にもつれ込ませることは可能であるのだ。


 マリンズはおそらく、古川を先発に持ってきているが、他のローテピッチャーも使ってくるだろう。

 七戦目にレックスが考えていることを、六戦目にやってくる。

 これを七戦目にやってくれば、果たしてどちらの有利になったのか。

 ただ溝口では直史に勝てないと、第一戦で証明されている。

 溝口が悪いのではなく、直史という相手が悪すぎるのだ。


 この試合にしても、あるいは古川を引っ張るかもしれない。

 そうすると最終戦に、ローテのピッチャーを全て投入できるからだ。

 直史が見た限りでは、マリンズの固定化された五人の先発のうち、特に厄介なのは三人。

 溝口、斉藤、そしてこの古川だ。

 せめて古川を叩いておけば、最終戦が少しは楽になるか。

 また自分のピッチングについても、思うところはある。




 クラブハウスに戻り、試合の開始を待つ。

 自分の調子もだが、直史はまずチーム全体の空気を見る。

 変に萎縮していたりはしない。

 ただベンチメンバーで日本一を経験しているのは、ほとんどが超ベテランと言える年齢だけだ。


 しかし引退の年に、日本シリーズに出場してしまうというのはどうなのか。

 青砥の出番はおそらく、もうこの二試合にはない。

 おそらく来年のオープン戦で、引退試合をやるのだろう。

 プロ生活の全てを、レックスで過ごした青砥。

 100勝を突破したし、ノーヒットノーランも達成したし、充分に偉大な投手だと言えるだろう。

 150勝していたら、もっと大きな扱いになったろうが。


 いっそのことレギュラーシーズン、もっと圧勝していたら、普通に引退試合を作ってもらえただろう。

 あるいは完全にチームが負けていてもだ。

 今年は本当に、残り一試合になるまで、ペナントレースが分からなかった。

 それでも世間から見れば、単純に面白いシーズンであったのだろう。

 もっとも経済的に見るならば、レックスよりはライガースが優勝した方が、経済効果は大きくなっていたのだが。


 直史は自分の肉体と精神が、完全に調整されているのを確認している。

 だがリミッターを外すような試合には、したくないというのも本音だ。

 いつ選手生活が終わるのか、自分でも分からない。

 しかし優勝がかかっているならば、壊れることを覚悟してでも、投げるつもりではあるのだ。


 プロを引退しても、人生が終わるわけではない。

 一度は引退した直史だからこそ、それが分かっている。

 正直に言ってしまえば、もう一生遊んで暮らすだけの金は、既に手に入れている。

 だからやることは、直史にしか出来ないことか、直史が本当にやりたいことだけだ。

 地元貢献と考えるなら、マリンズにやってきても良かったのだ。

 ただプロ野球全体のことを考えると、やはりセ・リーグで大介との対戦が多いほうが、盛り上がると言っていいだろう。


 MLB時代はポストシーズンはともかく、レギュラーシーズンは年に一度対戦があるかどうか。

 なので直史は、圧倒的に勝てたとも言える。

 大介と当たることを考えず、他のバッターにも力を分散する。

 もちろんMLBにも、手強いバッターというのはいた。

 しかし30チームもあれば、対戦する回数は減っていく。

 直史のようなバリエーションが豊富なピッチャーは、その点で圧倒的に有利であったのだ。

 ただ登板間隔や移動は、相当に疲れたものである。




 昔のことを思い出すようになっている。

 年齢を重ねると、目新しい経験が少なくなるので、時間の経過が早くなるとも言われる。

 実際のところどうなのかと言うと、確かにそうかもしれないな、とは思う。

 試合が開始されるまでの時間も、あまり長くは感じられない。

 最後にバッターのデータを確認して、迫水と話し合ったぐらいだ。


 迫水はかなりキャッチャーとして、リードも出来るようになってきている。

 元々経歴などからも、色々なステージを経験してはきたのだ。

 社会人でまでしっかりとキャッチャーをし、そして結果を残している。

 もっともいまだに、バッティングの方を評価されてはいるが。

 それでも平均のキャッチャーよりは優れているため、ほとんどのピッチャーとはバッテリーを組んでいる。


 正捕手を固定するのが、なかなか難しい現代。

 三割近辺を打ち、二桁ホームランを打てる迫水は、もしキャッチャーでなくてもコンバートされただろう。

 だがキャッチャーとしての能力も持つため、正捕手として成立している。

 試合の直前には、その迫水に対して投げておく。

 ゆっくりと肩を作って、そして試合開始となる。


 今日はレックスの先攻から始まる。

 一点入ってしまえば、ほぼ試合はそこで終わり、というのが直史の投げる試合だ。

 過去に点を取られたことは、一応はある。

 だがそれはほとんどの場合、ある程度の点差がついてから、一点ぐらいを返されるといった類のものだった。

 先制を許さないというのが、直史のピッチングなのである。

 ただ経験してなかったその状況に陥った時、果たしてどうなるのか。


 まずは一点を取っておきたい。

 レックスがそう考えるのとは逆に、マリンズも色々と考える。

 なんとしてでも一点を取れば、状況が変化するのではないか。

 直史のピッチングを揺るがすために、まずは先制点を取る。

 それは直史自身よりは、むしろレックスの打線に影響を与えるかもしれない。


 レックスはかなり、上位打線の出塁率が高い。

 ただ打率や長打率という点では、それほど優れているわけでもない。

 大量点を取るのではなく、チャンスを活かして点をちょこちょこと取っていく。

 その一回の攻撃を、古川はしっかりと抑えた。

 三者凡退というのは、別に珍しいことではない。

 だがこの日本シリーズ終盤ともなってくると、試合の流れがその次の試合にも響いていく。


 第五戦をあんな感じで負けたため、マリンズはどうにかパーフェクトの状態はさっさと終わらせたい。

 またレックス打線をどうにか、一点以内で終わらせたいのだ。

 直史は無失点完封の試合も少なくはない。

 だが今年は去年に比べて、それなりに点を取られて終盤交代、という試合も多いのだ。

 この試合でせめて、球数を投げさせて消耗させたい。

 それが正直なところである。




 先取点が欲しかったな、というのは確かなことである。

 だがそう都合がよくはいかないだろうな、とも直史は考えていた。

 一回の裏、マウンドに立つ。

 既に一回の表に、古川が立ったことで、少しだけ荒れているマウンドだ。


 そこを丁寧に均すのが、まず直史のルーティンである。

 もっともこれは直史ではなくても、普通にピッチャーなら誰でもやっていることだろうが。

 マリンズもまたレックスと同じく、初回からチャンスを作っていくタイプのチームだ。

 ビッグイニングが起こらないことは、おおよその解説者などが予想していた。

 確かに野球は、何が起こるか分からないところがある。

 しかしそれでも、何も起こさせないことが、自分の役目だと考えている直史だ。


 試合を完全に凍りつかせる。

 そのためかえって、味方の打線も凍り付いてしまう、ということはありうるのだ。

 実際に直史は、援護点が少ないピッチャーである。

 だが文句は言わない。

 一点も取ってもらえなかった、あの時代。もしくはあの試合。

 自分が無失点に抑えていれば、どうにかなっただろうという試合は多い。


 この試合においても、一点もやらないつもりではある。

 もっともこの試合に勝ったとしても、明日の試合で全てが決まる。

 マリンズの打線の心を折る。

 それを第一戦では狙ったのだが、マリンズはしぶとかった。

 二戦目から三連勝と、むしろ追い詰められたのがレックスである。

 その後に木津が勝って、まさに大一番で強い男、とネットなどでは言われているが。


 厄介な一番と二番を、まずは黙らせる。

 変化球と際どい球を使って、まずはツーストライクに追い込んだ。

 スローカーブをカットさせて、カウントはそのまま。

 そしてそこから、左足を強く踏み込み、右足で強く蹴りだす。

 強いストレートが、迫水のミットに収まる。


 150km/h。

 今シーズンは大介に投げた、たった一度の150km/h台。

 明日の試合に投げるとしても、それは短いイニングだけ。

 つまりこの試合は、全力で投げられるということだ。

 ノーヒットノーランはおろか、またもパーフェクトさえ見えてくるのでは。

 そういった恐怖感を、マリンズの打線に与えたかった。


 一回の裏、マリンズの打線も三者凡退。

 ただ直史は一桁の球数と、完全に完投のペースである。

 古川もそれなりの球数で抑えたが、おそらくリリーフは必要になる。

 このあたりがスーパーエースと、単純なエースクラスの違いなのだ。

 マリンズはともかくレックスは、この試合に負けたら終わり。

 それだけに全力で、この試合に挑むことが出来ているのであった。

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