第186話 勝ち運

 日本シリーズもいよいよ第五戦。

 初戦で直史がパーフェクトを達成した時は、もう一気にレックスが勝ってしまうのではと思われたものだ。

 しかし実際はマリンズがそこから三連勝。

 レックスの本拠地神宮で、日本一の試合を争うこととなる。

 先発ピッチャーはレックスが木津であり、マリンズが宮内。

 今年終盤からローテに入った木津と、年間を通してローテを守って勝ち越した宮内では、圧倒的に宮内の方が評価は高い。

 もう後がないのだから、直史に中四日で投げさせろ、という声もかなり大きい。


 直史としても第五戦、投げる可能性はあるかなと思っていた。

 だからこそ調整のために、確認をしておいたのだ。

 肩を作るために準備をするのではなく、脳のコンディションを最適にするために、日程を知っておく。

 とくに一試合を投げぬくのであれば、二時間以上の緊張に耐えうるように、調整をしておかなければいけない。

 脳を酷使すると、精神的にダメージが来る。

 普通の人間はそうなる前に、もう無理と倒れてしまうものなのだ。


 第五戦は木津が投げ、第六戦は直史が投げる。

 そして第七戦はどうなるのか。

 そもそも第五戦で負けたなら、後の試合は一つも、考える必要すらない。

 しかし念のために考えておくのが、首脳陣の仕事である。

 そこまでの責任はないのだが、直史もある程度は考えている。

 

 第六戦の内容次第だが、第七戦もリリーフぐらいならば投げられなくもない。

 もっともそこまでにレックスがリードしていなければ、それも意味はないかもしれないが。

 しかし第七戦は、今年の本当の最終戦。

 そこならば直史だけではなく、レックスのピッチャーだけでなく、全ての戦力を投入できる。

 ただ一勝三敗。 

 この状況から二連勝するのが、とてつもなく難しい。

 いや、第六戦は直史が投げるので、そこは勝てると思えるのだが。


 木津にこの第五戦を任せるというのが、そもそも不安なのである。

 確かに運よく、ここまでレギュラーシーズンから四連勝している。

 全ての試合をクオリティスタートというのも、悪くはない話である。

 だがピッチャーとして見るならば、色々と問題は多いのだ。


 まだしも中三日で、三島に投げさせた方がいいのではないか。

 あるいは中四日で直史が投げて、千葉に移動してからの二試合を、リリーフとして登板するか。

 だがリリーフとして投げても、そこでリードしていなければ、勝つことは出来ない。

 全盛期であれば、三試合どころか四試合、日本シリーズで投げていた。

 そして一人で四勝していたのだが、衰えたものである。

 比較出来る人間が、直史自身ぐらいしかいないので、これを衰えたと言うのも問題であろうが。




 次の第六戦は、直史が投げる。

 それは分かっているが、一日の移動日を休めるので、この試合でもリリーフとしてブルペン待機はしておく。

 ただ出番がちゃんと、回ってくるかどうか。

 その出番にしても、第四戦と違ってビハインド展開でさえ、直史を投入するかもしれない。

 何をやっても負けたら終わりであるのが、この追い詰められた試合であるのだ。


 いっそのこと最初から、第一戦、第三戦、第五戦、第七戦とでも、投げる準備をしておいた方が良かったか。

 途中で中一日があるので、それぞれのクオリティは落ちるであろうが、どうにか勝てたのではないか。

 もっとも全ての試合を、完投するのも無理があるか。

 疲労に対して、どれだけ回復するかが問題だ。

 直史としてもこんなことをしていては、去年のポストシーズン以上の、ダメージが体に残ると考える。


 あちらは六日間の間に、四試合の登板であったので、今年の方がまだマシだ。

 しかしまた肉体に、致命的なダメージが残るかもしれないと、直史は考えている。

 このオフの間には、しっかりと体をケアしなければいけない。

 来年のことまでも、直史は考えているのだ。


 去年は一年だけでいいと、完全に壊れる覚悟までしていた。

 しかし今は、それではいけないのだと分かっている。

 自分が投げることによる影響は、世間に大きく響いていく。

 また記録を作っていくことを、直史はもう仕方がないと考えている。

 たった一人の人間が、どれだけの可能性を秘めているのか。

 それを更新し続けるという意味では、大介と共に驚異的な存在ではある。


 ただやはり、直史一人が頑張っても、チームとしては負けるのだ。

 勝つために多少以上の無理をしても、どうしようもない場合というのはある。

 去年のポストシーズンがそうであったし、今年もまたそうなるのか。

 ピッチャーは投げない試合において、貢献することは難しい。

 全く影響がないわけではないが、やはり投げてこそピッチャーというものなのだ。

 ただ直史の場合、下手な野手よりも守備は上手い。

 だからといって終盤の守備固めにも、使ったりはしない。

 当たり前である。ピッチャーなのだから。


 そんな直史は今日も、最初からブルペンで待機である。

 今日に限ってはビハインド展開でも、登板することがあるかもしれない。

 ただそれでも試合は、打線の調子によって決まるだろう。

 木津はここまで、完投した記録がない。

 ましてこれは日本シリーズで、負けたらあちらの優勝が決まる。

 やっと一軍に上がってきた、25歳の育成出身が、果たしてどのように投げられるのか。

 これなら青砥を使った方がいいのでは、と思った人間がいても当然である。




 やはりこれは、直史を中四日で使うべきであったのだ。

 そして六戦目と七戦目は、三島や百目鬼が中五日で使える。

 木津はとにかく、まだ圧倒的に経験が不足している。

 ただ根本的な問題としては、やはりクローザーの離脱にあるのだろうか。


 ここまでの負けた試合は、基本的に終盤で相手に、リードを許した試合になっている。

 なので先発ピッチャーで、試合が決まると思われてもおかしくない。

 素人が見ても分かるのに、どうして貞本は木津の予定であるのか。

 当初はそうであっても、直史にここは替えるべきではなかったのか。

 ただ直史自身は、おおよそ納得している。

 この一試合を勝っただけでは、残りの二試合に勝つことは難しい。

 そして直史を最大限活用するには、どうしても一試合は他のピッチャーで勝っておかなければいけない。


 自分が自分を運用するのなら、この試合に先発で投げさせて、第六戦はブルペンに入れておく。

 そこで少しばかり投げたとしても、最終戦では先発に持っていくのだ。

 とはいえピッチャーの状態を、首脳陣が完全に把握しているというわけではない。

 自己申告したとしても、それをそのまま信じられるはずもない。

 本人である直史だからこそ、自分をそのように評価するのだ。


 この試合に負けてしまえば、それでもう今年のシーズンは終わる。

 直史が勝ったとしても、チームが負ければどうしようもない。

 もうベテランと言うよりは、未来のことだけを考えている直史にとって、チームの優勝の行方は気になってしまうものだ。

 別にレックスが優勝しなくても、それはそれで構わない。

 ただ去年と同じく、クライマックスシリーズでは圧倒的に、セ・リーグの方に関心が高かった。

 そのセ・リーグのチームが二年連続で負けるとなると、ちょっとあれはなんだったのか、ということにもなる。

 特にライガースなどは、優勝すると関西の商売全体が、ある程度プラスの方向に経済効果があるのだ。


 直史はそういったことまでは考えない。

 レックスは在京球団のチームではあるが、そこまでの圧倒的な人気があるわけではない。

 この20年ほどで人気は高くなったが、同じ在京球団のタイタンズから、ファンが移ってきたというところがある。

 野球自体の人気は横ばいで、それでも充分なほどであるのだ。

 上杉がプロ入りしてから、プロ野球人気は復活した。

 大介との対決や、二人の記録合戦で、おおいに盛り上がったものだ。

 しかし大介はスキャンダルでアメリカに行って、直史もそれを追いかけて上杉は故障。

 あの10年程が、一番プロ野球の幸せな時期だったのだろう。


 今のこの人気の復活は、まさに直史と大介によるものだ。

 だが二人の選手生命は、もう長くはない。

 さすがに年齢的に、限界があるのは分かっている。

 直史だけではなく、大介にもと言うか、大介は確実にホームラン数が減った。

 ボールが変わったわけではなく、リーグ全体のホームラン数は変わっていない。

 だから大介の長打力が、落ちてしまったのは確かなのだ。


 次の時代というのは、確かに来ている。

 それこそ司朗と、そしてその次の昇馬などだ。

 もっとも昇馬などは、本当にプロの世界に入ってくるのか、不安になってくることはあるが。

 時代が時代なら昇馬などは、冒険家にでもなっていたであろう。

 今の時代には、そういった不思議があまりないのは幸いである。


 この日本シリーズは、果たしてどのような結末を迎えるのか。

 それによって今後の、プロ野球界が変わってくるかもしれない。

 ちなみにMLBでは、かなり視聴者離れが起こっている。

 大介がいなくなってしまったことが、アメリカの国技にまで影響しているのか。

 プレイヤーよりはチームを応援するのが、アメリカでは多いことであったはずだ。

 しかしフランチャイズプレイヤーとも言える、10年以上もニューヨークにいた大介の帰国は、やはり衝撃であったのだろう。




 日本シリーズ第五戦、決着がつくのかどうか。

 一番プレッシャーを感じていても良さそうな、木津はむしろテンションが高い。

 それでいながら落ち着いていて、自分のすべきことを弁えている。

 重要なのは、負け投手にならないこと。

 出来れば点も取られたくはない。

 チームの敗北がこの試合で決まるとか、そんなことはどうでもいい。

 自分は全力のピッチングをして、来年のローテを勝ち取りたいのだ。


 今年の木津は、終盤の三試合で三勝した。

 そしてライガースとのクライマックスシリーズでも、勝ち投手になっている。

 その成績は単に勝ち負けだけではなく、内容もちゃんと伴ったものになっている。

 それでも木津のピッチングには、幾つも課題がある。

 何より分かりやすいのは、その球速である。


 135km/hがやっとというサウスポーは、プロでもそれなりに過去にいる。

 だが現在では分析の技術が発達し、フィジカルの強さがより重要になってきた。

 また木津は決して、コントロールもいい方ではない。

 むしろ荒れるからこそ、三振が取れると言ってもいい。

 もっともこのフォアボールの多さは、リリーフとして使われることも難しいだろう。

 敗戦処理程度であれば、任されるかもしれないが。


 なので木津としては、ひたすら結果を残していくしかない。

 さすがにここで結果を残せば、来年もよほどピッチャーの補強が上手く行かない限り、一軍には残れるであろう。

 さらには先発のローテにも、残れるかどうか。

 そのためにもこの試合も、全力で勝ちにいかなければいけない。


 勝ち運がある、と木津は表現されている。

 確かにそれはそうなのだろうが、木津が自分で自分の長所と思うところは、取ろうと思ったところで、ストレートで空振りが取れるところだ。

 球速とスピンのバランスが違うので、強打者も空振りしてしまうことが多い。

 このストレートを磨くことによって、どういったピッチャーになっていくのか。

 既に25歳であるが、まだまだここから上手くなれる。

 そう思っているからこそ、木津はこの試合にも勝つつもりでいる。


 マリンズの攻撃から始まるホームゲーム。

 まずはここを封じる必要がある。

 プレッシャーなどは感じていない。

 ここまでの全ての登板機会が、木津にとっては最後のチャンスかと思われていた。

 年齢や球速など、使われなくなっても不思議ではない。

 サウスポーであるというだけで、長く残れたという面もあるだろう。


 だが木津は、有利な点も一つはあるのだ。

 それは現在のパ・リーグにも、木津のようなタイプのピッチャーはいないということだ。

 球速がそのまま評価されるような、フィジカルのスポーツが野球であるのか。

 少なくともプロのレベルだと、必要最低限のフィジカルは必要になるだろう。

 木津もフィジカルがないわけではなく、だからこそ育成とはいえ指名されたのだ。

 ただ球速ではなく、キレや伸びが重要なピッチャーではある。




 初回のピッチング次第では、すぐにリリーフを出す可能性もある。

 豊田はそう聞いていただけに、数人を準備させていた。

 もちろんその中に、直史はいない。

 そしてその鬼門である初回、木津はランナーこそ出したが、しっかりと0で抑えた。

 まずは立ち上がり、悪くはないところだ。

「フォアボールが少なくなると、もっと安心して使えるんだろうけどなあ」

 豊田はそう言っているが、フォアボールがかなり多いからこそ、木津は通用している面もある。


 この試合に負けるわけにいかないのは、レックスの方である。

 ただマリンズとしても、直史が先発でなかったので、この試合で決めてしまいたい。

 本来のチーム力では、ほぼ互角ぐらいと思われる。

 しかしその中に、直史というイレギュラーがいれば、それだけで苦しい展開となるのだ。


 レックスは直史に頼りすぎている、というところはある。

 そもそも優勝をするための監督ではない、ということは確かであるが。

 データを重視して、それに沿った戦術で点を取る。

 実際に采配のまずいところばかり指摘されるが、それは負けている試合だからこそだ。

 勝っている試合はあまりに順調なため、むしろ注目されない。

 気の毒な評価を受けているな、と直史は思ったりする。


 ただピッチャーとしては、やはり点を取る選択をしてほしい。

 打線が点を取ってくれないと、勝てないのがピッチャーであるのだ。

 その意味ではこの試合、レックスは上手く打線がつながった。

 初回から二点を先取と、この日本シリーズでようやく、先手を打つ試合になったのである。


 木津には勝ち運がある。

 オカルトであるが、実際に勝っている間は、馬鹿にしたものでもない。

 マリンズとしても木津を、完全に分析するにはデータが足りない。

 そもそもデータをしっかり入れても、想定通りのコースに入ってこなかったりする。

 そしてど真ん中に失投しても、意外とそれを空振りしてしまうのだ。


 これは勝てるのではないか、と直史は感じる。

 初回の攻防だけで判断するなど、もちろん愚かなことである。

 ただ今のレックスの選手の中で、一番自分を追い込みながらも、それに負けていないのは木津であるとは思う。

 本当にたまたま、やってきた一軍のチャンス。

 ここで結果を残せなければ、来年は契約がなかったかもしれないのだ。


 レギュラーシーズン3勝0敗で、ポストシーズンで二勝したら、果たしてどうなることだろう。

 元々今年は、育成契約からのスタートである。

 一軍に属している間は、それだけ年俸も上がっている。

 ただ来年の年俸は、上がってもせいぜい2000万ぐらいではなかろうか。

 もっとも木津にとっては、まずチャンスがあること自体が、必要なものなのであろう。


 二回の表も、ランナーは出すがマリンズ打線はつながらない。

 木津の高めのストレートを、そのまま打ち上げてしまうのだ。

 ボール球が先行しても、打てそうなボールには手が出てしまう。

 そしてボールの下を叩いてしまうのだ。


 データとしては分かっているが、ようやく実感していることだろう。

 木津はフライボールピッチャーであるのだ。

 このイメージと現実の修正が出来たとき、果たして木津を打っていけるのか。

 序盤だけでもどうにかすれば、リリーフ陣をつないでいってもいい。

 そう考えている豊田は、勝ちパターンのリリーフ以外に、順番に準備をさせていくのであった。

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