第185話 先発もリリーフも

 このまま引き分けの展開のままであったら。

 それを考える必要はなくなった。

 七回の表、マリンズは代わった国吉から一点を獲得。

 これにて5-4とリードした状態で、七回の裏に突入する。

 ブルペンでは大平と、勝ちパターン以外のリリーフが準備を始める。

 ここで追いつけなければ、直史は使わない。

 先発としての登板も予定されている直史は、逆転できるかもしれない試合では、使ってはいけない。

 確実に勝てる場面でだけ、使わなければいけないのだ。


 しかしレックスとしては、ここで負けたら後がない。

 明日は木津を先発させると、直史には言ってしまっている。

 そして木津がリードされた状況では、直史を使ってもそれ以上の失点を防ぐだけ。

 どれだけ優れたピッチャーであっても、得点は出来ないのであるから。


 木津は勝ち運に恵まれている。

 またピッチングの内容も、かなりいいものではある。

 しかしだからこそ、どの程度のレベルが適切なのか、分からなかったりする。

 今までは一度も負けていないからこそ、本来のピッチングがどうなのか分からない。

 もっとも内容を見てみれば、ある程度の点は取られるし、歩かせてしまうことも多い、微妙な感じのピッチャーなのである。

 だが首脳陣の人間などは、育成のメニューはしっかりと行うくせに、試合の采配では神頼みのところがある。

  

 木津には勝ち運がついている。

 だからこそ直史に問い詰められて、木津だと言ってしまった。

 しかしこの試合に負けたならば、もう本当に負けられないのだ。

 そして負けないためならば、直史を使った方がいい。


 中四日で投げても、直史ならばどうにかすると思いたい。

 だがそこで直史を使っても、まだ二勝三敗。

 残る二試合を両方勝つなど、可能性としては低い。

 直史には投げてもらうとしても、せいぜいどちらか一試合。

 しかしそんな起用をしていれば、負けるよりもひどい批判が待っている。


 レックス首脳陣、特に最高責任者である貞本は、ここで判断をすることが出来ない。

 動くことが出来ないまま、七回の裏に突入する。

 なんとかしてここで、せめて追いつきたい。

 だがマリンズもまた、勝てるリリーフを投入していく。


 ブルペンでは豊田が、果たしてどうするものかと考えていた。

 まだ一点差なのである。

 ここで八回の表、大平を使ってもいいだろう。

 また九回の裏の攻撃に望みを託し、九回の表を直史に任せてしまうか。

 さすがにそれは不味いであろうが、果たしてベンチはどう考えているのか。


 コーチの中でも豊田は、かなり他のコーチとは年齢が離れている。

 なので時代の常識が、より現代に近い。

 ただ彼の思考からしても、直史は量れない人間ではある。

 本人はさすがに無理だと、ここでもしつこく言っているが。




 直史を倒すにはどうすればいいのか。

 それ自体はもうずっと前から分かっているし、実際に一度は達成された。

 だが実現するのは、とてつもなく難しいのだ。 

 とにかく削って削って、パフォーマンスを発揮できなくする。

 待球策だけではなく、脳もしっかりと使わせる。

 それによって弱ったところを、どうにか打って行くというものだ。


 直史のピッチングの真髄は、球威ではないし、変化球の多彩さでもない。

 そういったものを組み合わせていく、思考能力にある。

 削るというのはスタミナや、投げることによる耐久力ではなく、それよりも顕著な頭の働きだ。

 肉体の衰えがあるように、頭脳にも衰えがある。

 ただ野球の場合は、純粋な頭脳以上に、心理戦が含まれている。

 なので将棋などとは違って、純然たる頭脳戦のわけでもないのだ。


 七回の裏に追いつけなかったとしたら、八回の表はどう考えるのか。

 そしてその後の九回の表の問題もある。

 下手に後攻であるために、逆転の可能性が残っている。

 しかしそのためには、少なくとも点差を広げられてはいけない。

 直史を使っても、失点を免れるだけ。

 裏の攻撃で最低でも追いつけると断言できるほど、マリンズのクローザーは弱いものではない。


 確信を持っていないと動けない。

 レックス首脳陣の、弱気な面が明らかになっている。

 直史は調子を、どちらにも合わせるようにはしている。

 勝てるか負けるか、微妙なところである。

 この試合だけを勝っても仕方がないというのが、また困ったところなのである。


 目標は優勝で、あと三つ勝たなければいけない。

 そしてこの試合を落とすと、かなり厳しくなってくる。

 三島とオーガスの先発で、勝つことが出来ない。

 確かにマリンズの先発もいいのだが、この展開はどうであるのか。

 三島の投げた試合も、オーガスの投げたこの試合も、悪い内容ではなかったのだ。

 野球の偶然性が、レックスの不利に偏っているのだ。


 直史がほとんど、奇跡のように成し遂げたピッチングに、まるで反対方向に天秤が傾くように。

 確かに平均を取ってみれば、そういうことにはなるのかもしれない。

 だがそれを信じてしまうのは、オカルト以外の何者でもない。

 レックスは基本的に、接戦に弱い。

 あるいは勝たなければいけない試合に、なかなか勝つことが出来ない。

 レギュラーシーズンでも終盤、ライガースに差を詰められてしまった。

 あれを見ていても、プレッシャーに弱いチームと思われて、評価されても仕方がない。




 一人直史が、奮闘しているのは確かだ。

 アドバンテージがあれば、直史が二試合は勝って、日本シリーズに進出出来たのであるから。

 この日本シリーズでも、初戦でマリンズの打線をある程度狂わせた。

 第二戦と第三戦、長打が少なかったのはそれがあるだろう。

 しかし第四戦にまでなると、その呪縛が消えたと言うのか。

 これは第五戦、直史が投げるとしておいた方が、良かったのかもしれない。


 七回の裏、レックスは無得点に終わる。

 この八回の表、レックス首脳陣は誰をマウンドに送るのか。

 ここはそれほど迷わず、大平がマウンドに立つこととなる。

 直史としてはこの先、自分の出番が回ってくるのかどうか。

 八回の裏の攻撃が終わってみないと、なんとも言えないのではないか。


 大平を使うとベンチから言われた時、豊田は直史のことについても質問した。

 どういう状況であれば、直史をマウンドに送るのか、ということだ。

 後攻のレックスには、最後まで逆転のチャンスが残っている。

 ただ九回の表に一点でも追加されたら、その可能性はぐんと減る。

 貞本として、逆転しない限り、直史は使わないと断言した。


 判断にブレがあるな、とは直史も豊田も思っている。

 セットアッパーとクローザーの経験が長い豊田に、それとは関係なく勝負強い直史には、負けたら終わりではないか、という感覚がある。

 どんなことをしても勝たなければいけない、という試合はあるのだ。

 そう考えると直史には、第五戦の先発を任せるべきではなかったろうか。

 第五戦の後には、一日の移動日がある。

 実際のところは直史からすれば、むしろマンションからは近い位置にある。

 決戦が千葉になることは、調整の点では悪くはない。

 だが全ては、試合の結果によるのだ。


 八回の表、大平は無得点に抑えた。

 だがここで八回の裏、レックスは点を取れるのかどうか。

 逆転しなければ、直史の出番はない。

 そして試合の流れからして、逆転できるような雰囲気はない。

 マリンズはこの八回の裏に点を取れなければ、九回の裏に矢車を持ってくるだろう。

 そこで二点以上取れる可能性は、相当に低い。


 マリンズは神宮での試合、普段使っているDHを使えないので、攻撃では手段が限られているはずだ。

 しかしこの試合はともかく、前の試合はスモールベースボールで上手く点を取ってきた。

 この試合は代打を出しにくい、中盤あたりから点が入っているゲームだ。

 それを勝つならば、全体的にマリンズの方に、流れがあったということになるのか。

 確かにレックスの首脳陣は、そういった流れを見るのに鈍いところはあるが。


 八回の裏、レックスの攻撃は無得点。

 九回の表、直史の出番はない。

 まだ九回の裏に、逆転の可能性はある。

 しかしその可能性が少ないことは、首脳陣もよく分かっているのだ。




 野球の采配というのは、統計でならばある程度判断出来ても、短期決戦では結果を出すのが難しい。

 レギュラーシーズンでは活躍するエースが、ポストシーズンではまるで勝てない、ということがあったりもする。

 しかしそれをもって、大舞台に弱い、などと言うことも出来ない。

 一つや二つの試合で負けることは、普通にあるのだ。

 それに負けても内容が悪くなければ、それはピッチャーの責任とは言いづらい。


 監督などの采配を握る者も、統計的に勝つのが得意な人間と、勝負師とが存在する。

 貞本の場合は明らかに統計タイプで、それも試合に勝つと言うよりは、チームを運営するというタイプだ。

 結果的にはさほど、突出した結果を出すものではない。

 直史がいなければ、もちろんここまで勝てていない。

 そもそも育成型の指揮官と言いながら、大平などのリリーフ陣は、豊田の功績が大きい。

 もちろんコーチの功績も、監督の功績ではあるのだが。


 九回のリリーフが直史でないことで、球場のレックスファンは諦めた。

 もっとも直史が投げなくても、リリーフはそこそこ安定しているのがレックスなのだが。

 平良のいなくなったことが、その後にずっと引きずっている。

 チーム全体が弱くなるのは、やはりクローザーの影響が大きいのか。


 大平があと少し安定感を増せば、クローザーとして使えるだろう。

 だが一年目の育成選手が、ここまで育っただけでも充分なのだ。

 そういった戦力の運用が、首脳陣の仕事である。

 特にベンチに入っているコーチ陣は、監督も含めて試合全体の流れを見る。


 この試合は負けるな、と直史は感じている。

 もっともこれはただの直感ではなく、データから導き出されるものだ。

 九回の表、ここで点を追加されれば、完全に終わるのはもちろん。

 追加されなくても、裏は矢車が投げてくるだろう。

 レックスの打線は、今日はちょっと例外的であったが、意外な一発というのがあまりない。

 流れを変える手段を持つ勝負師が、監督としていない。

 またベンチメンバーの中にも、バッティングではそういった代打はいないのだ。


 安定して勝つというのは、レギュラーシーズンならまだいい。

 しかし日本シリーズまで来ると、短期決戦であるのだ。

 おそらくこういった舞台においては、高校野球の監督などの方が、勝負強さを発揮する。

 もっとも高校野球であっても、おおよその監督は試合前に八割がた、その勝負の行方は決まっていると考えるのだが。

 セイバーなどはちょっと例外で、計算を重視しすぎた。

 秦野などはそのあたり、よく分かっていた監督であった。




 そして直史の予想は的中する。

 九回の表、マリンズは点を追加することは出来なかった。

 しかしその裏の最後の攻撃にも、レックスは点を取れない。

 スコアは5-4のまま終了。

 初戦を落としたマリンズであるが、これで三連勝。

 あと一つで日本一、という状況にまで持ってきたのである。


 直史以外のピッチャーが、微妙であると言えるのだろうか。

 だが三島も百目鬼も、クオリティスタート以上の数字は残している。

 なので数字の平均を見ると、マリンズのピッチャーを打てないレックス打線が悪い。 

 今日の試合にしても、マリンズは勝ちパターンのレックスの一角を、しっかりと打って一点を取った。

 対してレックスの打線は、一点も取れていないのだ。


 前の二試合はともかく、この試合は確実に、リリーフ陣が薄くなった影響が出ている。

 また打線についてもこの試合はともかく、他の試合では勢いをつけることが出来ていない。

 長打の少ないレックス。

 マリンズもそれほど長打の得点はないが、チャンスをわずかに得点に結び付けている。

 レックスも初戦は、タッチアップで一点という、かなり博打になる手段を使った。

 ただあれは、ベンチの指示ではない。


 結局のところ言えるのは、レックスベンチの勝負師としての感覚が、マリンズよりも劣っているということなのか。

 平良が戦列を離れたことなど、運が悪いことも確かにあった。

 しかしそれも含めて、首脳陣が対応し切れていない。


 第五戦は、木津が先発である。

 ここまでは完全に、勝ち運に恵まれてきた木津。

 しかしここで勝ってこそ、本物の勝ち運と言えるだろう。

 直史としては第五戦、自分にクローザーとしての役目があると思うしかない。

 もしもそこまでに勝負が決まってしまうなら、それはもう直史にはどうしようもないことだ。

 第五戦の先発に、直史を使わないということは、貞本が決めたことであるのだから。


 追い詰められてしまったレックス。

 だが野球というのは、逆転のスポーツであるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る